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阪堺電気軌道:1976年 [阪堺電軌]

2006年6月24日(土曜日)(

長男が、11ヶ月になる孫を連れて遊びに来る。前の日から落ち着きませんでした。家から30分、東急田園都市線の田奈駅まで迎えに行った。いまは、駅にはエレベータもあるのでベビーカーも大丈夫。良い世の中になったものです。家で昼食、市内の池と丘陵、緑あふれた公園に行ったりした。ほんとうに孫は可愛い。そんな訳で、東急の駅には行ったけれど、東急電車(東武・地下鉄含む)のお話はありません。

■■ 阪堺電軌軌道:1976年 ■■

タイトルは『阪堺電気軌道:1976年』としましたが、落ち着いて考えてみると(考えてみなくても)、阪堺が南海電気鉄道から分離独立したのは、1980年(昭和55年)12月・・・・・6月24日に書いたこの記事を作り直すのも大変なので、この部分を挿入することでご勘弁頂きたいと思います。
そう言うわけで、正しくは『南海電気鉄道:阪堺線・平野線・上町線』です。大失敗でした。済みません。

・・・・で、今日は昨日に引き続き、阪堺電車です。昨日は2000年のお話でしたが、今日は、さらに遡って、1976年です。昭和51年9月4日、いまから30年も昔のお話です。事の成り行きは殆ど忘れてしまいましたが、スライドを36枚撮りで二本撮っております。そのなかに、4駒の阪堺電車の写真がありました。すでにホームページの方の表紙写真に使ったりしましたが、この際ですから既発表写真でも良いことにしてしまいます。

詳しいことは忘れてしまいましたが、南海の難波駅から天下茶屋、ここで天王寺線に乗り換えて、今池町で下車しました。阪堺線の今池は築堤に上がれば、すぐそこです。ここで、4枚、写しています。それだけで、アッサリ引き上げたみたいです。いま考えれば何故もっとねばって撮り続けなかったかと思うのですが・・・・・たった、これだけ!

(1)モ151形151(恵美須町発~平野行)

モ151が恵美須町方面から勾配を上ってきます。この辺りは今でもこんな雰囲気が残っております。
モ151形は昭和2年製の重厚な姿の3扉車。当時はまだ南海標準色・・・・濃緑色車体に、茶色の窓枠・・・・が残って居りました。

(2)モ205形237(浜寺駅前発~恵美須町行)

良くまとまったスマートな車体は実に素晴らしかったです。電車の後方、鉄橋の先から、平野線が分岐しています(架線が見える)。

(3)モ121形128(恵美須町発~浜寺駅前行)

元・大阪市電で、昭和4年の藤永田製。3扉から2扉へ改造されています。

(4)モ151形153(浜寺駅前発~恵美須町行)

この頃は、塗色が変わった時期らしく、4枚のうち2枚が緑一色、2枚がグリーンとクリームの2色塗り分けとなっています。


今日はこれでお終いです。明日は何にするか今だ決定していません、苦し紛れに何が出てくるかわかりませんが・・・・・・・。

・・・・では又明日!!!!


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