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初対面・江ノ電500形二代目 [お出かけ通信  1~ 50]

梅雨明けだそうですがそれ程は暑くない。久しぶりで江ノ電を見に行こうと11時過ぎに家を出る。勿論、500系が出ているのは確認してある。小田急・町田の駅で『江ノ島鎌倉フリーパス』ってのを990円で購入。町田~藤沢間までは往復一回ずつ使え、江ノ電全線、小田急の藤沢~片瀬江ノ島間が自由乗り降り可能のフリー区間となるのです。かなりお買い得です。自動販売機で買えるのでお手軽。

(1) フリーパスと藤沢駅。藤沢駅売店では、もう500の玩具を売ってた。右下は500の車内風景。

(2) やってきた電車に乗りこみ、江ノ島駅で下車。乗って来た電車と交換する藤沢行きが、すぐにやって来る筈。なんと、これが500系だった。ラッキーな事である。

501+551の編成です。

(3) ホームのベンチでナンバープレイス(数独)などやって時間つぶし。ほどなく、藤沢折り返しの500系鎌倉行きがやってきました。

(4) 藤沢側から、もう一枚。

(5) 500系の細かい写真。(連結器と社標は藤沢駅で撮影)

ここ江ノ島駅から併用軌道区間をのんびり、腰越まで歩きました。今日は気温があまり上がらないようで辛くはありません。
何枚か写して、折角、ここまで来たのだから海は眺めて行こうと、腰越駅から一駅乗って鎌倉高校前下車。藤沢行きを待ちました。

(6) やってきたのは、最新鋭501+551です。車内は程よくお客さんで埋まり、夏らしい姿の若いお客さんも多く、海岸の電車って感じがします。乗ったので気が付いたのですが、床に点検蓋がありました。たしかこの電車はVVVF。(車内風景は写真(1)にあります。)

(7) ここまで来たのですから、江ノ島も入れた一枚。

勿論、撮影後、走ってこれに乗りました。

(8) そのまま、何処にも降りずに藤沢まで戻りました。フリーパスも損益分岐点クラスの使い方でした。

藤沢に戻ったので、そろそろ帰ろうと思う。小田急江ノ島線快速急行は空いておりました。平日の14時半ですから、こんなものでしょう。

江ノ島まで行ったのですから、お昼御飯は魚料理でも食べれば良いのですが、まあ、いろいろ有りまして、吉野家で『チャーシュー丼』380円ってのを食べました。お味の方は人それぞれお好みもあるでしょうから・・・・・って気がしました。
町田へ戻ったら時間も少々あります。何時もの『マクドナルド』で100円の珈琲で一服。勿論三階席で小田急を見ながらの20分でした。

丁度、ネタ切れで、弱ったなあ・・・・思ってましたので、丁度いい話題が出来ました。


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東海道神奈川付近1973年(4) [東海道神奈川1973年]

『東海道神奈川1973年』の第4回(最終回)です。場所は横浜・青木橋・京浜急行の神奈川駅の近くに居ます。

(1)デハ700形もこの頃は本線で活躍中。

(2)三浦海岸行き快速特急デハ1000形1037は快速特急のヘッドマークをつけております。京浜東北スカイブルーのモハ103も今となっては懐かしく感ぜられます。

(3)デハ400形、408。まだまだ健在!釣り掛け電車。さすがにヘッドライトはシールドビームだし、アルミサッシに更新されてますが・・・・。こうやって見ると、パンタは白、台車は明るいグレーって悪くありません。標準軌だから目立つのかな?良いものですね。黒だって悪くありませんけれど。


・・・・・・と、云うわけで、この場所でのシースはお終いになりました。

・・・・・・で、次回からの写真を探さねばなりません。隔日更新にしたら、このあたり、だいぶ気楽になりました。まあ、何か探し出してきますから、また、お立ち寄りください。


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東海道神奈川付近1973年(3) [東海道神奈川1973年]

 前々回の続きです。京浜急行の神奈川駅近く、国鉄と京浜急行の線路が良く見えるポイントに、将来の鉄道愛好家を養成しようと(笑)、子供を二人連れて行きました。1973年(昭和48年)の多分、一月の事です。

 今回は『国鉄電車編』。

(1) 前に書いた跨線橋から・・・・。横浜線から乗り入れて来た磯子行き73系の4連。いまの長大編成の205系の走るハマ線なんて想像も出来なかった時代です。

(2) スカ線、113系

乗り心地の悪かった113は好きではなかったけれど、今になれば、無性に懐かしい。(でも、中央線や房総の115は、早く何とかすべきだと思っても居るのです。一寸、矛盾しますが・・・・)

(3) 修学旅行電車155系なのですが、方向幕は臨時となっていました。お客さんはどんな方たちだったか、今となっては分りません。

一回だけ、試乗会で乗せてもらった事があります。網棚で頭上が賑やかな電車でした。三人掛けのクロスシートは少々辛く思えましたが・・・・・。

(4) クモハユニ74を先頭に113系の湘南電車がやってきます。荷電はやっぱりモハユニ81だなあと思うMU3です。

(5) 153系もやってきます。当時の、でっかい前照灯は、実に格好良いなあと思うのです。

 今日は、これでお終いです。
 たいした写真はありませんが、次回は京浜急行です。では、あさってお目に掛かりましょう!!


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小田急の見える食事処 [お出かけ通信  1~ 50]

 昨日、7月27日(木曜日)、家内と街で夕食と云う事になりました。小田急の町田駅上の小田急百貨店9Fに食堂街があり、景色が良いと言う話、しかも小田急電車が良く見えると聞く。

 ・・・・・で、『膳処 旬花』なるお店。窓際席は空いていないので、30分、8Fの本屋で時間をつぶし、窓際の席に座る。窓の下、遥かに小田急の駅の屋根が見えている。


左、遠方は相模大野の街。事故でも有ったらしく、上り列車が中々来ない。

やがて電車は動き出し、いろいろとやって来ます。これは、確か3000系だったような・・・・。

(3)上りの特急ロマンスカー、50000系、VSEが来ました。

(4)肝心のお料理は、鰻のなんとか定食で、1,360円でありました。お味の方は、まずまずで・・・・・。

小田急百貨店町田店9Fではもう一軒有りますが、入った事はありません。

 そして、8階の喫茶室『Tea Cup』は、窓に向かうテーブルも有り、小田急ファンの一休みには、更にお勧めです。午前中の光線状態の良いときがベストと思いますが、夕方、日没頃もまたよろしかろうと・・・・・。

今日のところは、この辺で!!!


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東海道神奈川付近1973年(2) [東海道神奈川1973年]

 前回に引き続き、京浜急行の神奈川駅近く、国鉄と京浜急行の線路が良く見えるポイントでの撮影した写真。1973年(昭和48年)の多分、一月。

 今日は、ブルートレイン。特急『あさかぜ』の20系固定編成が出てきたのは何年だったでしょうか?昭和30年代の前半だったかな・・・・。ブルートレインと呼ばれ出したのは何時頃からだったでしょうか?私自身は、あまり使わなかったけれど。
 子供たちには人気だったのでたまに見せに行きました。今日だって、そんな一日だった事でしょう。

 EF65の500番台に引かれた列車がやってきました。はたして、何号だったのでしょう。撮影時刻も、何も、記録がないので分りません。機関車の前頭部を拡大すると、こんな感じなのですが・・・・・。
 
・・・・・・『あさかぜ』かしら・・・・??

 青木橋をくぐって現れた特急列車は、目の前を東京に向かって走り去って行きました。


115系、スカ線。


京浜急行は700形ですね。

では、また次回!!!(明後日あたりの発行でしょうか・・・・)


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東海道神奈川付近1973年(1) [東海道神奈川1973年]

 三十何年か前のスライドフィルムが一本分あります。そのなかから何枚かご覧下さい。

 何年何月なのか、なんにも書いていない。こんな、フィルムが、特に1965年以降は沢山有って、もう手が付けられない有様です。もう、呆然とするくらい・・・・。

 さて、そのスライドフィルム、同じフィルムに子供とか、家族で遊びに行った時の様子も写っています。こういうことに掛けては、『お母さん』には敵いません。
 彼女の鑑定結果は、子供の年齢加減、季節など、総合して1973年(昭和48年)の年始めらしいと言う結論になりました。妥当な線だと思う。

 当時乗ってた車のスバルREXも写っています。これに子供を二人乗せて、『鉄道趣味教育などという野望(笑)』の元に、東海道本線は横浜市、京浜急行の神奈川駅ちかく、以前走ってた市電なら青木橋から二ッ谷あたりまでやって来ました。

 京浜急行の神奈川駅ちかくの岡に幸ケ丘公園がありますが、その下辺り、線路に平行した道路があり、東海道本線、横須賀線、京浜東北、京浜急行が丸見えです。今はフェンスでガードされてますが、当時はガードレールだけ。
 そして、ここから少し東神奈川方面に歩き、京浜急行を踏切で渡りますと、東海道本線を跨ぐ、跨線歩道橋があります。

 そのあたりで撮ったものです。

(1)向こうの石垣の上は、東神奈川駅前から六角橋への市電も走った道路なのですが、もう、この頃には無くなっておりました。バックの杜は本覚寺という、いろいろと由緒の有るらしいお寺。
 二軸の各種貨車を連ねた懐かしい貨物列車。さすがは東海道で、堂々の長大編成。牽引の機関車はEF60でしょうか・・・・・・。(ルーペで見ますと65とも判読できないでもありません・・・・頼りない事ですが)

友人からアドバイス頂いたり、コメントを書き込んで頂いたり、有難う御座います。矢張り、EF65でした。(2006.07.29)

 手前の二本の線路は京浜急行の1,435ミリ。

(2)EH10もやってきました。まだまだ、元気で居たのです。

(3)これは、先に書いた跨線歩道橋からの撮影。向こう側に見えるスケートセンターは、未だ有るでしょうか?最近は、この辺りを通る事もなくなりました。
 いろいろと、ペイントされた機関車が、なんだか悲しい感じです。この機関車はEF10形でしょう。

(4)上の写真と同じ跨線橋から。横浜方面を見ています。コンテナ列車を引くのは、ルーペで見るとどうやらEF60と読めないでもない。彼女もいろいろとペイントされ、さらに消されたりして、汚れた姿。・・・・・そのような時代でありました。
上の方の(1)と同様、皆様からアドバイスを頂きました。EF65と訂正致します。(2006.07.29)

どなたか、機関車の形式を判定していただけると嬉しいですが・・・・・。

今日のところは、この辺りで失礼します。また明後日あたり、お目に掛かりましょう!!


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久しぶりの銀座 [お出かけ通信  1~ 50]

7月23日(日曜日)、久しぶりに上京しました。同じ東京都に住んでいて上京も変だけど、毎日、町田市を中心に生活していると、なかなか山手線方面に行く用事もありません。

学生時代からの鉄道大好き仲間が十数人、集いまして、好きな鉄道について語り合う会がありました。それで、銀座まで出かけてきたのです。どんなルートで行くか、迷うところです。今回はオーソドックスに、小田急・地下鉄コース。

小田急の町田の駅で急行を待っていると、EXE30000系、地味特急が先に新宿に向かって行きました。車内は良い電車なんですがね~、普通の電車って格好だし、何故か人気がいま一つみたいです。

 3000系も良い電車だと思います。特に車内は良いと思います。でも、正面、まったいらの1800以来のスタイルで、そのあたりが好きになれません。
 すぐに、その3000系が急行でやって来ましたので乗りました。途中、成城学園前で座れて、代々木上原。
 特急『さがみ』が通過して行く。7000系ロマンスカー。3100系なき現在、良い電車です。但し、色はオリジナルの方がよかった。3000系SEに始まった、グレー、白、オレンジの3色カラー。
 赤と白では、なにか芸が無いように思えてしまいます。

代々木上原で営団地下鉄千代田線乗り換えの6000系。

表参道で銀座線に乗り換えて、銀座下車。ホームの浅草よりの端っこ、階段の下にトイレがある。この銀座駅のホームトイレは、昔からありました。高校時代ですから、50年以上昔のことです。当時は地下鉄が銀座線しかなく、全線均一料金、定期券も同様だったので、学校の帰りに、しょっちゅう銀座まで来たのです。真っ直ぐ帰る良い子じゃあなかった。寄り道とは云っても、天賞堂でHO模型を眺め、たくさん有るカメラ屋さんのウインドウを、憧れの目で眺めるだけの他愛ないコドモでありましたが・・・・。(フォーカルプレーンシャター時代のハッセルブラッドに初めてあったのも、こんな時代でしたっけ)
 そんな時代から、いまほど綺麗ではなかったけれど、この便所は有ったのです。ヘタすると線路に落ちそうになってしまう。懐かしかったので、入ってしまいました。(新橋駅の銀座よりにもありました)

狭い通路ですよ~、大荷物もってたら入れません。

 地下鉄はホーム一杯に停まるので、なかなか写しにくいのですが、ここでは、トイレ通路で構えれば、ちゃんと写る。

 私の高校生時代には、地下鉄と言えば、100、1000、1100、1200、1300、そして1400が出てきた頃でした。釣り掛けばっかりで、騒音たっぷりの地下鉄でした。(大阪地下鉄は釣り掛けなのに、なんであまりうるさくなかったのでしょう?)
 いまでは、こんなスマートな電車が走ってます。まあ、50年ですものね。

 会の始まる時刻には充分余裕。お腹も空きました。地上に出て、時間つぶしも兼ねて『ドトール珈琲』に入る。注文は『スパイシーミラノ』。マスタード、マヨネーズで和えたチキンと野菜が挟んである。うまいけれど、やっぱり私は、ミラノサンドAが良いな。そして珈琲はアメリカン。セットで530円。

紅生姜みたいなのは人参です。

のんびり食し、ナンバープレースで、ちょっと遊んでるうちに、指定の時刻。会場に向かったのです。同じ趣味を持つ仲間と会うのは実に楽しいものです。鉄道ばなしに花が咲き、あっというまの8時間。帰宅は22時になりました。


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関西電車旅(1975年夏版)07 [関西電車旅1975年]

1975年(昭和50年)の8月、長男と一緒の大阪京都日帰り電車観光旅行です。いよいよ、旅の最終目的、阪急京都線の2800系の特急に乗って。大阪は十三までやってきました。残念ながら、最新鋭京都線特急電車6300系には間に合わなかったけれど、未だに大好き2800系、かえって良かったかもしれません。

(1) たぶん、この特急に乗って来たのでしょう、梅田行き特急2800系。両側の頬っぺたに装着した特急のヘッドマークは、非常に格好良かった。阪急はやっぱりこれで無くっちゃあいけません。

(2) 河原町行きの各停もやって来ます。2362。

(3) すぐに普通電車で南方駅まで参ります。そこから地下鉄で新大阪駅に行こうって訳。

南方駅ホームで一寸だけ撮影します。

(4) 梅田行き急行2813、特急用車が急行運用でやってきました。

(5) 梅田行き特急2814。あわてて写してこんなになっちゃいました。

(6) たぶん(5)と同じ列車でしょう。2854が最後尾に付いた梅田行き特急。追い写しは、未だに気に入った写真が撮れることは少ないのです。

(7) いよいよ、大阪電車の最終便です。接続駅で駅名が違うのは関西では普通みたいですが、西中島南方駅から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗ります。
やってきたのは、30系の3003、一駅のってお終いです。

高架の地下鉄の両サイドが高速道路、なんだか未来都市を感じました。

とうとう、東京に帰らねばならなくなりました。何時ごろの『ひかり』だったか、全然記憶がありませんが、食堂車があったから、『ひかり』だったのでしょう。
夕日の差す京都、東寺の塔が見送ってくれました。

 私と長男は、食堂車で何を食べたのでしょう。まあ、普通に、ハンバーグ定食とか、カレーライスか何かだったのでしょう。


これで、この旅日記もお終いです。

 明日から、このブログに何を書くかも決まっていません。この5月20日、最初の1ページをアップロードし、21日、22日とお休みして、5月23日から、2ヶ月間、『日々更新』を目標に頑張ってきました。
 いよいよ、私も息切れがして来ました。ネタが続かない、根気が続かない、ない無いづくしの私。

 そんなわけで、次回から、『隔日更新』または『週に3回更新』を目標に運営して行くつもりです。
 『お出かけのご報告(お出かけ通信)』は、『随時書きこみに致したいと思っていますが・・・・・・・・。

 まあ、気分が乗れば、その間にも何か書くかもしれませんが・・・・・。

 毎日、このブログ『お出かけ通信・blog版』をチェックしてくださった方々には、まことに申し訳ありませんが、そんな訳で、そんな風になります。ごめんなさい。

・・・・・では、またっ!!! C-U-Again!!!


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関西電車旅(1975年夏版)06 [関西電車旅1975年]

1975年(昭和50年)、長男と一緒の関西電車日帰りの旅も6回目、いよいよ最後の目的、阪急電車に乗車します。 

(1) 河原町駅から乗った特急は2800系。車内はこんな風でした。明快な京阪とは、違った落ち着いた雰囲気を感じます。

(2) 車内の中吊り広告が気になりました。クロースアップしますと、阪急といえば宝塚、のポスター(『ベルサイユのばら』と判読できそうな文字が右上に並んでいますが、私は、宝塚はさっぱりで、良く判らない・・・・)が有りますが、その右下、奥の方に、なんと6300系のポスターが下がっています。6300系の運転開始は昭和50年ですから、近々デビューのお知らせなのでしょう。

ここまでしか読み取れないような撮影テクニックは、我ながら情けないと思いますね。(苦笑)

(3) 電車の最後部から、後方の眺めを鑑賞しながら行きました。どこか良く判りませんが、河原町行き2800系の特急とすれ違います。

2817です。

(4) 正雀を通過し、次の相川との間あたり、大阪地下鉄群の休む車庫がありました。60系のパレードです。

(5) ・・・・・・・で、これなんですが、何処の駅なんでしょう。最初は南方駅通過かと思いましたが、違いますね。京都から十三まで、PCに入れてある2万5千分の一の地図をひねくり回していますが、よく判りません。判らぬままに見切り発車です。

そうこうしている内に、特急電車は十三駅に着きました。ここから、各停電車で南方駅に戻り、地下鉄御堂筋線で新大阪駅・・・・・新幹線で帰京って按配です。

今日のところは、ここまで。また明日!!!!!


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関西電車旅(1975年夏版)05 [関西電車旅1975年]

名古屋から、名阪乙特急で大阪入り、鶴橋駅で近鉄電車を鑑賞後、同じ近鉄電車で難波まで。その後・・・・・道頓堀『かに道楽』で昼食。

(1) これは、写真が残ってたので確実。『かに何とか定食』を注文し、出てくるまでに撮った記念写真に写っていた『かに道楽のご案内』の部分アップ。

メモも、切符も何も無いので、30年前のことは、殆ど思い出せません。今なら、ディジタルカメラで、バシバシ写真メモを残すのですが・・・・。

(2) 食後は、地下鉄御堂筋線で淀屋橋~京阪の特急3000形で四条まで行ったようです。これも、テレビカーの車内写真が証明してくれました。

フィルムをルーペで見ると、『3504』の文字が読み取れます。

(3) 2451・・・・2400系は屋根の冷房装置キセが大特徴。まあ、ずらりと並んで、まさに壮観。

(4) 四条大橋から鴨川下流方面を望む・・・・・川岸の植え込みの向こうに、緑色や赤・黄色の電車の見えた頃が懐かしいです。

(5)鴨川べりの京阪電車3000系特急。いまは、こんな風景も無くなっちゃった。

大都会の中心部の大川のまん真中で、子供が水遊び!良いところだなあ!

長男と一緒に、四条大橋を渡り、高瀬川を覗きこみ、河原町から阪急に乗ることになります。


京阪の写真がチョッピリしかありません。やっぱり、乗ると写真は撮れませんね。

明日は、阪急です。・・・・でも、あんまり期待しないでね(笑)。


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