1005:久しぶりの小田急・鶴川2号踏切 [お出かけ通信1001-1050]
久しぶりで小田急見物。2022年・令和4年6月25日、30分ほど小田急のナマ電車を鑑賞して参りました。
快晴で、しかも滅茶苦茶暑い日でした。遊びに来た息子のクルマに乗せて貰って、小田急の鶴川2号踏切で、12時10分ごろ、30分後にピックアップしてもらうという事で、落として貰い、行き来する電車たちを撮って来ました。気持ちがすっきり致しました。
因みに、「XX何号踏切」と言うのは、XX駅から下り方面に何個目の踏切って言う事なのだそうです。
■■■ お出かけ通信(1005) ■■■
■■■ 久しぶりの小田急・鶴川2号踏切 ■■■
(1)12:10 例によってデジカメ写りの良く無い4000の行先表示で、何処行きの何なんでしょう・・?
(2)12:12 3000が鶴川駅に停車しました。鶴川1号踏切が開き自動車自転車歩行者が通ります。
(3)12:15 1000の1491。表示の解読?が出来ないので・・・。
(4)12:18 各停・新宿行の5454。5000形もいつの間にか10連が10本出来て居ます。10本と言えば100両ですから凄い数です。赤い曲線が口に見えてしまうのもシミュラクラ現象の一例なのでしょう。
(5)12:18 各停・本厚木行・3958。
(6)12:19 5454が鶴川駅に停車中。鶴川1号踏切を歩行者が通行中。
(7)12:20 MSEの特急・新宿行・さがみ62号。
(8)12:21 EXEαの特急、時刻表から類推すると「はこね61号」ではないかと・・・。
(9)12:33 快速急行・新宿行、5051。
(10)12:35 例によって読めない4000。もっと、スローシャターで撮ればいいのでしょうが、そうも行きません。
(11)12:36 各停・新宿行の2054。2000形と言う事は本厚木発みたいです。
(12)12:38 各停・本厚木行の8553。
そろそろ息子がピックアップに来る筈なのでカメラを片付けました。何しろ暑くって、これ以上はとても、体がもちません。下手すれば熱中症!タイミングよく息子のクルマも来て、引き上げと言う事になりました。
では、また次回に・・・・。
再録:踏切のある風景(再1) [踏切のある風景]
コロナ蔓延で気ままにお出掛も出来ませんので更新のネタがありません。ところが、更新が一か月途切れるとコマーシャルが入るのです。あんまりCMは入れたくない!そこで、CMストップで、以前のページを再録します。「もう、見たよ!」と叱られそうですが、お許しください。
2016年、6年前の企画ですが、6回にわたって掲載した「踏切のある風景」の第一回です。
では、ご覧下さい!!!!!
松本へ行って以来、とんと「お出かけ」がありません。何を書こうかと首を捻って居たのですが、なかなかいい案が浮かびません。
最近、Facebookに写真を投稿しましたら、読者さんから「踏切の写真が多いですね!」というコメントがありました。そう言えば多いような気もする。そこで、4月24日以来、踏切がらみの鉄道風景写真を出し続けて居ます。割と評判もいいような気もしますので、Facebookからそっくり12件の踏切写真を並べてブログにしてしまおうと思いつきました。
こんな感じですが、手ごたえがあったら、シリーズ化しようと思って居ます。
■■■ 踏切のある風景(再1) ■■■
Facebookには、写真とともに、朝夕の挨拶とか、私のその日の行状とか入って居ますので、それは削除して鉄道関係のものだけ抜き出して並べてみました。なお、写真の選別基準なんてものはありません。踏切が写っていればよしとします。気分で入れてしまうこともあり、「てきと~」なところもあるわけで、その辺はあまり突っ込まないで下さいね。
では・・・・・・。
■■ 踏切01 ■■4月24日(Facebook投稿月日・以下同じ)
ちょっと前の写真ですが・・・東急池上線、池上駅を出た7714ほかが第二京浜の橋梁への勾配を登ってゆきます。2011年8月1日撮影。
■■ 踏切02 ■■4月28日
私が鉄道の写真を撮りだしたころ、夢中でビギナー向け写真雑誌「カメラクラブ」(アルス社刊)の、秋山青磁先生の入門記事を読み、兄の写真機「オリンパス35Ⅳ」で写したりして居ました。そのころの作品です。昭和28年10月、東急東横線・田園調布駅脇の踏切。電車は3450と思われます。日通のオート三輪は多分、田園調布の貨物ホームへ行くのかもしれません。そこへは、菊名から3021に牽かれた貨物列車が到着するようになって居ました。
■■ 踏切03 ■■4月29日
小田急町田駅の新宿側の踏切で数枚写したうちの1枚です。あまり好きではないデハ3000ですが、「たまにはいいか!」と、シャッターを切る。2016年4月29日の撮影。
■■ 踏切04 ■■4月30日
伊予鉄大手町駅。2014年9月9日、有名な希少な平面交差ですが、昔はそこら中にありましたね。
踏切である事を、この標識を見て、はっきり確認しました。上の写真の「女の人のうしろ」架線柱の傍の赤いのです。
駅名標の文字のかすれ具合が絶妙でした。
■■ 踏切05 ■■4月30日
で、今夜の踏切ですが、2005年12月10日、鹿児島市電訪問の降りに立ち寄った市電の二軒茶屋電停。そのお隣のJR・指宿枕崎線の踏切状の変な場所です。JRは通行禁止としたうえで、完全に閉鎖した訳でなく、地元の人が付けた注意の看板と柵で安全装置として居ます。「かなりアバウトな踏切状の場所」でした。聞けば11年が経過した現在、かなり状況が変化したと聞いた事があります。実際のところは分りません。
色が変わっているあたりが、人の通行部分のようですね。
町内会で建てた安全柵。ちゃんとした踏切ができないのは、いろいろ複雑なわけがあるのでしょう。
JR九州で建てた標識。
現在は、ストリートビューでみますと、人専用の踏切が出来、遮断機も付いたようで、まあ、一応の解決はできたようです。
■■ 踏切06 ■■5月1日
今日の写真は都電・32系統・学習院下~面影橋間の6000形6209で、1974年の1~3月くらいの撮影でした。
■■ 踏切07 ■■5月2日
今日の踏切写真は京成電車の京成八幡駅。2011年5月14日。芝山鉄道の3600です。実は頭を写すつもりが失敗!サイドの写真と化けました。
■■ 踏切08 ■■5月3日
写真は京成八幡駅脇の踏切。2011年5月14日、特急・上野行の3700形3701、踏切通過中のクルマは何だか分りません。
■■ 踏切09 ■■5月4日
写真は昭和34年7月の叡電・修学院駅に到着する出町柳行の22、勿論ポールの時代。
■■ 踏切10 ■■5月4日
京成電鉄・立石駅。2013年7月27日、銀座の「矢場とん」で味噌カツを食べたあと、やって来ました。駅脇の小さな踏切を渡る人たちの姿が。人それぞれで何枚もシャターを切りました。その中の一枚。立石駅・・・また行ってみたい駅です。
■■ 踏切11 ■■5月5日
さて、踏切写真ですが、今日は京浜急行・鶴見市場駅そばのカーブの、大カント踏切です。2015年8月20日、昨年夏の真っ盛り。
■■ 踏切12 ■■5月5日
今夜は小田急の鶴川4号踏切。2007年6月25日の夜に撮影ですが、電車は居ません。
Facebookでは、相変わらずこのシリーズを続けています。当ブログでも、Facebookをなぞって続けようと思っています。(このシリーズは6回までで終わっています)
では、また次回、お目にかかりましょう。