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1959年・夏・関西~高知(13終) [1950年代の旅]

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「1959・夏・関西~高知の旅」も、今回で13回・最終回です。これから先は、東京へ戻るのですが、少し前に、散発的にこのブログで公開済みなのです。・・・・・かと言って今回、省略って訳にも行かず、以前、一度ご覧頂いた画像が並びますが、ご容赦ください。

pencil-green.gif 「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅のお話も、今日でお終いです。今回は、高知から、土讃線~高松~宇高連絡船~宇野~大阪~近鉄特急初代ビスタカー~名古屋~東京のコースを、駆け足超特急で書きます。

 1959年・夏・関西~高知(13終) ■

 ・・・・・で、今日は1959年・昭和34年7月17日・金曜日です。高知の親戚の家から、土佐電鉄の路面電車を播磨屋橋で乗り継いで、国鉄の高知駅から、いよいよ最後の汽車の旅です。

(1) 国鉄の高知駅からDF50の牽く、夜行の高松桟橋行き各停・・・・勿論、客車列車・・・・で、朝の高津桟橋駅に着きました。この写真は夜中の大歩危駅での時間調整。三脚を立ててじっくり撮影。
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(2) 高松桟橋駅から、国鉄の連絡船で、朝の瀬戸内海を渡る。連絡船に8620が貨車を押し込んでいます。
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(3) 宇野駅から、如何やって大阪まで行ったのでしょう。宇野線は未だ電化されていませんでしたから、D51か何かの引く、客車列車・・・・長大編成が普通でした・・・・で、岡山へ。そこから、大阪までは、急行列車があったかもしれませんが、記憶の方が有りません。国鉄の宇野駅ホームに並んで、玉野市営電気鉄道の宇野駅がありました。モハ100形の102が居ました。
 この玉野市営電気鉄道は、ディーゼル化されたあと、1972年・昭和47年に廃止されています。
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(4) 宇野線茶屋町駅は、ケイベン電車の下津井電鉄に連絡する駅。貨車に荷物を積み込み中。手前の貨車は、ホカフ8。連結器にご注意ください。このケイベンも1990年・平成2年の廃止
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(5) 山陽本線で大阪へ・・・。西大寺駅で、これまたケイベン・・・・3フィートゲージ・・・・の西大寺鉄道キハ6と遭遇しました。この西大寺鉄道、1962年・昭和37年には廃止されています。
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(6) 大阪へ着きましたが、何処を如何通ったか判りませんが、ともかく、上本町駅。名古屋連絡の特急の切符を買ってホームに入れば、モ2200の如何にも近鉄という姿!もう16時も近い。
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(7) 乗った、名古屋連絡特急は初代のビスタカー。コレに乗っちゃったわけです。しかも、ビスタドーム席。
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(8) 二階のビスタドームは、こんな席なんです。
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(9) 当時の事ですから、名古屋へ行くには、伊勢中川での乗換が必須です。前面窓がHゴム支持。たぶん、モ6430のファミリーだった様です。もっとも、6420にもHゴム化したのが有ったらしいので、断言は出来ません。この駅は、近畿日本八田駅。国鉄関西本線を走行中の列車は、準急でしょうか、急行でしょうか・・・・。ともかく、レースになって、ちょっと興奮しました。こんな事は結構覚えていたりします。
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(10) 7月17日の夕方、近畿日本名古屋駅に到着。友人に会ったりしたあと、夜行普通列車で帰る事にしました。名古屋駅に入ると、準急比叡のヘッドマークをつけた153系が居ました。
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(11) 東京に朝着く各停の列車に乗った筈です。乗車前に、ホームの洗面所で、記念撮影。鏡に写っているのは、東京から来た153系の準急
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pencil-blue.gif まあ、そんなこんなで、無事に帰ってきました。目出度しメデタシ!!

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 1959年の夏の旅、関西電車見物と中国四国のナローゲージを訪ねる旅日記は、今回でお終いです。ご覧頂き有難う御座いました。


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 なお、今回の記事と重複する、2007年12月に四回に亘って連載した、「む~さんの昔噺・高知から東京(1~4)」は、下のアイコンをクリックして下されば、別の窓が開いて、連載の第一回が、ご覧頂けます

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 次回からまた、新しい企画でお送りいたします。


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1959年・夏・関西~高知(12) [1950年代の旅]

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関西~高知の旅」に戻って、今日は第12回です。「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅のお話ですが、今回は、高知から東へ50kmあまり、奈半利まで行くのです。総和30年代に、岩波書店から出ていた岩波写真文庫というシリーズがあり、その中の「高知県」に出ていた「森林鉄道」の写真に惹かれていました。海岸の町、奈半利から、30km余り、山の林業の中心地、魚梁瀬、そしてその奥まで森林軌道があるという。せめて、その入口の奈半利まで行こうと思った訳です。

 1959年・夏・関西~高知(12) 

 ・・・・・で、今日は1959年・昭和34年7月16日・木曜日です。高知の親戚の家から、土佐電鉄の電車に乗って、国鉄の高知駅。土讃線の上り列車で、土佐電鉄の鉄道線に連絡する「後免」駅までやって来ました。ここから、土佐電鉄に乗って、終点の安芸まで行き、そこからバスで奈半利まで行きます。

(1) 国鉄土讃線の後免駅。土佐電鉄は土讃線の高知方面行きホームの片側を使っていました。安芸行きの電車が居ます。モハ1000形の1005と同形式のモハ1000の二連のお尻に国鉄のワムが付いています。(混合列車でなく、たまたま、電車の向こうに留置されていたのではないと思うけれど・・・)
 この電車、京阪電車の100で8両の仲間とやってきたんだそうです。南海の台車に履き替え、ダブルルーフの屋根もシングル化されている。

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pencil-green.gif この1000形の電車で安芸まで乗りました。安芸駅は町の中心部ではなく、現在の安芸駅(市役所が近い)から、1.5kmひと駅手前の球場前駅(タイガースのキャンプ地!!!)辺りだったのだそうです。そこから、バスに乗り換えて、15kmの奈半利までやって来ました。営林署を探し当て、お願いして中を見せて頂きました。森林軌道蒸気機関車、ディーゼル機関車、客車に貨車と、写真を撮って、帰って来ました。列車の運転は無かったようで、写していません。バスの都合もあり、とんぼ返りしたのでしょう。

(2) 車庫の中には、ディーゼル機関車。楕円形ののナンバープレートの上には、Hinoのマークが付いています。
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(3) 2-Bの3号蒸気機関車はポーター製だそうですが、すでに引退。
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 ホームページ「む~さんの鉄道風景」に、この時の森林軌道の訪問記がありますのでご覧下さい。下のアイコンをクリックすると、別の窓が開いて、ご覧頂けます。

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pencil-blue.gif  バスで安芸まで戻り、土佐電鉄鉄道線の電車で、後免へ戻ります。

(4) 土佐電鉄鉄道線赤野駅です。交換待ちで、やって来た電車は、元・高知鉄道のガソリンカー、キハニからの改造車クハ2003とモハ1000
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(5) ここは、野市駅。後免町駅から乗り入れて来た、軌道線の200の二連と交換です。側線には600形が休んでいました。
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(6) 拡大してみましょう。200形は220+2XXで、方向幕は読めません。重連用の密着連結器、電気栓、エアホースで武装されています。600形は603で方向幕は鏡川橋。
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(7) 方向幕はフィルムをルーペで見ても良く判りません。「あき」かなあ・・・・?
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(8) 後免町まで来ました。電気機関車ED2001が貨車を牽いて、一休みして居ました。
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(9) 終点、国鉄連絡の後免駅で、高知方面行きの列車を待っていると、上下の貨物列車の交換です。上り列車の牽引機は、試作機関車DF40ではありませんか!後のDF91ですが、川崎製のCCの電気式ディーゼル機関車。左側の下り貨物列車の停まっている、下りホームの左側を土佐電鉄が使っています。
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(10) DF40を拡大しましょう。DF40 1。色の記憶って、形よりも残り難いとお思いになりませんか?この機関車の色も同様です。たしか・・・・・黒。ラインは何色だったでしょうか・・・・。なんだか、ぬ~っとして、何故か、母の昔話に出てきた、土佐の海坊主を思い出しました。
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■ 参考文献:JTBキャンブックス『土佐電鉄が走る街 今昔』、Wikipedia


coffee.gif 土讃線で、高知へ戻って、親戚宅で泊まりました。一日、ゆっくりして、7月17日土讃線夜行各停の列車で、高松桟橋駅・・・・宇高連絡船~宇野線~岡山~山陽本線で、神戸市の親戚宅に至り、一晩、ご厄介になりました。このとき、何故、西大寺鉄道に寄らなかったのでしょうか。今、考えると、まことに惜しい事をしたものです。

 では、また次回!!!


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1959年・夏・関西~高知(11) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif まだまだ続く、関西~高知の旅。
「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅のお話です。高松桟橋駅から土讃線の夜行普通列車で、高知に入った7月14日・火曜日か、一日置いて、7月15日・水曜日高知の街を走る路面電車、土佐電鉄を少し撮っています。

 1959年・夏・関西~高知(11) 

 ・・・・・で、撮影場所は、高知の市街を東西に走る国道32号線。現在は高知城前というのですが、当時は、公園通りと呼んでいた停留所。高知城へは、ここが便利。

(1) 撮影時刻とか状況を全く覚えてないのです。晴天では有りませんが、日傘を指している人が居るので、10時~17時というところでしょうか。140形という、単車です。子供の歩いているところは、横断歩道ですね。ゼブラ模様を付けるようになったのは、何年頃からだったか判りませんが、丸い真鍮(だったかな?)の標識が並んでいるだけでした。電車の後ろ右の二階建ては、日本銀行だった気がします。
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(2) 300形の323です。木造単車の車体更新。
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(3) 500形501は昭和29年製造の高性能車でしたが、現在は吊り掛けになっているらしい。前号で写真をご覧頂いた200形とともに、都電の6000みたいな車体です。
 あっ、お嬢ちゃん、飛び出しは危ないよ~・・・・・たしか、ここは信号機はなかったと。
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(4) 未だ活躍中の600形、昭和32年~39年製造ですが、全31両中21両は自社工場で製造と言いますから、なかなかの技術力です。都電の7000を彷彿とさせますね。
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この旅から2年、昭和36年10月に高知を訪れています。その時の土佐電鉄のアルバムが私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に有りますので、よろしかったらご覧下さい。
 下の【 Click 】マークをクリックして頂くと別ウインドウで、ご覧になれます。

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 このアイコンをクリックしてください。アルバム「とでん1961」

 次回は、高知県の東の方、奈半利の森林鉄道を見に行きます。とは、いっても奈半利の町の営林署をちょっと見ただけですから、期待は出来ません。


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わ~いっ!!こんなモノを貰っちゃいました!

 連休なので、次男一家が遊びに来ています。北千住の先のほうに居るんですが、なんと、北千住から町田まで、小田急の特急ロマンスカーMSE60000でやって来たと言うのです。流石は我が息子であります。
 ・・・・・で、小学五年生の孫から、こんなお土産を貰っちゃった。嬉しいね~、えへへへへ。大事にしますっ!!

(5) ロマンスカーMSE60000形ストラップです。北千住から乗ったMSEの車内で売ってたそうな。
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(6) パッケージから出してみる。
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(7) パッケージのバックの厚紙の裏表。
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・・・・・で、MSE、試運転時代から今まで、何回も見て、撮影もしているけれど、私は未だ乗って居ないのですよ。機会を見つけて乗りたいなあ!!!今度、孫の所へ行くときに乗ろうと思っています。


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 前回のブログで、琴電の50形No.54の面白い形のパンタグラフについて、コメントを頂戴しました。似たような形のパンタグラフを載せた電車を1960年3月に、東海道本線袋井駅から出ていた、静岡鉄道秋葉線で見かけましたので、写真をご覧下さい。ちょっと、琴電のとは違ったタイプですが・・・・・。

(8) モハ6の屋根に乗ったのは不思議な形のパンタ。前回の琴電とは少々違いますね。
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 ・・・・・1960年・昭和35年には、こんな電車が居たんです。もう、泣いちゃうくらい素敵ですね~連結器も凄いでしょ??

(9) Yゲル(ボウ)をふたつくっ付けたみたい。
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coffee.gif 今日は、話題が色々混じっちゃって、焦点がボケて、申し訳ありません。・・・・・と言う所で今日はお仕舞いです。また、次回のご来館をお待ちいたしております。


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1959年・夏・関西~高知(10) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif 昨日の続きです。
 「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の四日目と五日目。7月13日・月曜日、井笠鉄道が国鉄に連絡する駅の一つ、国鉄福塩線・神辺駅から、福山~山陽本線~岡山~宇野線~下津井電鉄~下津井から船で「丸亀」に着いた所まで、お話いたしました。

 1959年・夏・関西~高知(10) ■

 ・・・・・で、1959年・昭和34年7月13日・月曜日の、もう、夜になった「丸亀」です。丸亀港から国鉄の丸亀駅まで、どの位あったでしょうか。現在の船着場から駅までの直線距離は500mで、まあ、そんなたいした距離ではありません。歩いていったのでしょう。初めての街。あんまり苦労した記憶も無いので、簡単に駅に着いちゃったのでしょう。
 丸亀駅から、高松に列車で移動。この年の9月に高松桟橋駅は廃止され、新しい高松駅になるわけですから、高松桟橋駅まで行ったのでしょう。夜も遅い、高松桟橋駅始発の、夜行の普通列車で高知に向かうつもりなのです。
 駅の真ん前に、高松琴平電鉄・・・・琴電の高松築港駅があります。小さな駅ビルになって居た記憶があり、食堂もあったはずです。この時ではなかったかもしれませんが、矢鱈と薄味の汁気たっぷりの玉子丼を食べた記憶があります。

 その、琴電築港駅で一寸だけ電車見物。恐らく乗らなかったと思われます。

(1) ちょっぴりお客さんは乗ってますが、ホームに人影がありません。かなり遅い時刻なのでしょう。琴平行の電車が居ました。3000形の335・・・・ここ、琴電はけいしきとナンバーの一致しない不思議な、番号付けをしていました。なぜか、335はパンタを降ろしています。リベットの車体、素敵な丸窓の電車。色の記憶は有りません。
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(2) 335のお顔をアップにしてみました。いや~、ホントに良い電車だなあ!!
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(3) 志度線の54。志度線の成立の歴史は知りませんが、路面を走っていてもおかしくないスタイルです。
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(4) パンタグラフを拡大してみました。なかなか面白い形ですね。
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signal-blink.gif 私の友人、はーさんのホームページ「はーさんの鉄道・旅・よしなし草/40年前の鉄道風景」に、高松琴平電鉄の素晴らしいアルバムがあります。下記の【 Click 】マークをクリックして、ご覧下さい。

icon-click2.gif 高松琴平電鉄・琴平線

icon-click2.gif 高松琴平電鉄・志度線


pencil-green.gif さて、たぶん高松桟橋駅から夜行の普通列車で、四国山脈を越えて、眠れぬ夜を明かし、朝の高知駅に到着したはずです。1959年・昭和34年7月14日・火曜日という事になります。
 高知駅前から土佐電鉄の路面電車に乗りまして播磨屋橋で乗り換え、幾日かお世話になる親戚の家に向かいました。

 落ち着いた私、カメラを持って高知の街に出た筈ですね。この日が7月14日だったかどうか、よく判りません。15日の水曜日だったかも知れません・・・かなりいい加減だけど、50年も昔の事とて、記憶もはっきりしませんし、この旅の写真アルバムにも記入してないのです。ともかく、街へ出た。そして、今の「高知城前」・・・・この当時は「公園通り」といった停留所で、土佐電鉄の電車を5枚、写しています。今日は、その中の一枚です。

(5) バックに富国生命が写っております故、公園通り電停(現・高知城前)である事は間違いないでしょう。200形の総括制御バージョン221が、もう一両の200形と重連でやって来ました。「鉄道線乗り入れの、あき行」です。
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(6) お顔をクロースアップ。ホームベース形の「あき」のプレートが面白い。その上の丸に急の文字のマーク。右上の小さな文字は『準』にも見えますが・・・・・。
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(7) 撮影時刻は判りませんが、道路の空いている事!!吃驚しますね・・・・ここは国道。街並みは、せいぜい二階建てで、現在の高層ビルの壁になっている、同じ場所が想像も出来ません。後ろの電車のサイドに大きな幕が掛かってます。丁度甲子園の関係かなあと思ったら、他の電車に同じようなのが掛かっていて、『7月20日・祝・海の記念日』とありました。(その画像は、次回に・・・)
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coffee.gif 次回は、土佐電鉄の電車たちを少々

・・・・その先になんですが、いままで、このブログに出した事のある画像ばっかり。如何しようかと考え込んでいます。途中でやめちゃう訳にも行かず、同じ様なものになってしまうと思われますが、ご容赦ください。


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1959年・夏・関西~高知(9) [1950年代の旅]

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pen-para.gif 「お出かけ通信」の記事が三回連続し、このシリーズ、ちょっとお休みでしたが、「1958年・夏・関西~高知」の、今回は第9回です。

pencil-red.gif 「1959年・昭和34年7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の四日目。前回は、7月13日・月曜日、神戸市内長田の親戚の家で朝を迎え、早起きして山陽本線の兵庫駅から各停で、笠岡駅。井笠鉄道を全線乗ったところまで、お話しましたね。
 今回は、井笠鉄道が国鉄に連絡する駅の一つ、国鉄福塩線・神辺駅から、福山~山陽本線~岡山~宇野線で、今日の第二の目的地、岡山県下に当時は三社あった狭軌鉄道のひとつ・・・・『所謂』軽便鉄道の下津井電鉄を訪問します。

 1959年・夏・関西~高知(9) 

 そう言う訳で、1959年・昭和34年7月13日・月曜日です。国鉄の福塩線・・・・当時、山陽本線連絡の福山から府中までは電化路線だったと思うのですが・・・・の神辺駅です。ここから、福山に向かいます。

(1) 8620形58667の牽引する下りの貨物列車と交換する、私の乗る列車が到着しました。客車列車です。当時の時刻表も無いので調べようもありませんが、塩町あたりから来たのでしょう。
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(2) その列車に乗って福山へ・・・・・。低い山と田圃の中、通信線の電柱。まあ、なんとのどかな事でしょう。牽機は8620形のようです。
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(3) 拡大してみました。オハ35のようですね。その前が、オハ31、そしてオハフ30でしょうか・・・・。機関車は紛れも無い8620形です。
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(4) 福山に着きました。福塩線の電車が居ました。所謂社形という電車のようですが、形式のメモも無く、経歴もわかりません。向こうのパンタを降ろした電動車は。d-1-D-2・2-D-2・2-D-2で、リベットが見えますので、モハ30か、モハ31から更新されたモハ11のファミリーなのでしょう。ここの国電は自連ですね。
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(5) 山陽本線で岡山へ、そして宇野線の列車・・・・客車列車だった筈・・・・で、今日の第二の目的鉄道、下津井電鉄連絡の茶屋町へ向かいます。岡山の次の駅、大元駅で、岡山臨港鉄道に連絡しています。同鉄道の気動車キハ3001が、お客さん満員状態で発車を待っていました。国鉄キハ41XXXで、当時は、かなり方々で見ることが出来ました。折畳まれた尾灯の赤丸が、妙に懐かしいです。
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(6) キハ3000の前面をアップにして見ましたまあ、何と言う大盛況。当時の鉄道って、どこでもこんな感じでしたね。親が、『戦前の鉄道は空いていた』と話すのが不思議でした。
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 ・・・・・そんな訳で、茶屋町到着!!!


pencil-green.gif さあ!!下津井電鉄に乗れるんです。母親の故郷、四国の高知へは数え切れないくらい行っており、当然、茶屋町は通る。その度に、小さな電車(気動車時代の記憶は完璧に有りません)を見てはいたのですが、今日が初めて

(7) 下津井行の電車が停まっています。Mc-T-Tcの編成で、結構勾配もあるのに、このモハ65、きっと力持ちなんでしょう。左から、モハ65-サハ2-クハ8の編成でした。この電車に乗って、下津井に向かいました。
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(8) 終点の下津井駅構内にいた客車二両。左からホハフ32-ホハフ31。このデッキハンドレールもちょっとお洒落。
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(9) 私の乗ってきた電車と入れ替わりに出て行く茶屋町行。お客さんがぞろぞろ乗り込んでゆきます。この地方の主要な交通機関だった事がわかります。車掌さんを入れて記念撮影をしました。プリントをお送りしたかどうか、覚えていないのですが、もしお送りしていなかったら申し訳ないことを致しました。
 ご本人さんにお断りしていませんので、お顔はぼかしました。(記念写真だし、職務中の姿ではないので、こうした方が良いのではないかと思ったのです)
 遠景がボケてますね。絞り開放で撮ったのでしょうね。もう夕暮れが近づいていた筈です。
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signal-blink.gif この時の、下津井電鉄のアルバムが下記URLの、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に掲載されて居ります。クリック頂くとご覧になれます。
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http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link247.html


pen-pc.gif この後、下津井港から、丸亀に向かう船に乗って、夕暮れの瀬戸内海を渡りました。途中の小さな島にも立ち寄る船で、防波堤から艀でお客さんが乗り込んできます。瀬戸の海は、段々暗くなって、夜の丸亀港に着きました。国鉄の駅までは遠かったか近かったかの記憶も有りませんが、たぶん、バスではなく歩いたのだろうと思います。
 丸亀駅から、国鉄の列車に乗って、高松に向かいました。

coffee.gif この続きは、次回にお届けいたします。


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1959年・夏・関西~高知(8) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif 一回飛びましたが、
1959年・昭和34年の旅行記を続けます。「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の四日目、7月13日・月曜日、神戸市内長田の親戚の家に二晩お世話になって、今朝は早起き。何処を如何通ったかは完全に忘れておりますが、間違いないのは、国鉄山陽本線兵庫駅から各停の客車列車(当時は、当然、コレです)で、西へ・・・・。岡山県の西の端あたり、笠岡まで乗って、762mm軌間の、所謂軽便鉄道、井笠鉄道を探訪しようというわけです。

 1959年・夏・関西~高知(8) 

 そう言う訳で、1959年・昭和34年7月13日・月曜日です。列車は順調に走って・・・たぶん・・・。

(1) 列車は明石駅に近づいてゆきます。山陽電鉄が並行し、200形とレースになりました。
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(2) この山陽電鉄200はオデコのベンチレータがありません。
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(3) 和気駅です。片上鉄道の列車が居ました。ワフ3・・・低い屋根には大きめのトーピードタイプの通風器。
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(4) 同じ、片上鉄道、客車は故事来歴は判りませんがオープンデッキ。(3)の列車のようですが、機関車はどうしたのでしょう?
 尾灯が有るので(ワフ3には無い)、こちらが最後尾とすると、機関車は国鉄への貨車を牽いて、構内移動中なのでしょうか・・・・。
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(5) 如何やら片上行らしいのですが、ホハフ2002・・・・かな?
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(6) 私の乗った列車です。熊山駅~万富駅間、吉井川の曲がった鉄橋内田百閒先生の「第二阿房列車」に収録されている「春光山陽特別阿房列車」の「七」に、この鉄橋のお話が出て来ます。
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 ・・・・・・列車は、笠岡駅に到着。1957年以来、二年ぶりの訪問でした。


pencil-green.gif 笠岡駅から井笠鉄道に乗って2フィート6インチ鉄道の乗り心地と、ユニークな車輌たちを満喫したのです。 

(7) 車庫工場のある鬮場駅に井笠の新式気動車ホジ1形ホジ2と客車・貨車のミキストが到着しました。最後部の貨車に積み込まれるのではないかと思われる荷物の山、高校生たち・・・長閑な光景です。
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鬮場駅・・・・・拡大すると、こんな字です。「くじば」と読みます。

(8) (7)の拡大。笠岡-井原のサボ、ホジ2の表示が何とか判読できます。
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(9) ここは、矢掛線の終点、矢掛駅。単端式の気動車が居ます。こんな気動車が載るのでしょう、ホームに切り欠きと転車台。
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(10) (9)の右端のアップ。のんびりした待合室の雰囲気が見て取れる気がします。
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(11) 井原駅で実に優雅な形の客車。オープンデッキのハンドレールのカーブも職人さんのセンスが感ぜられます。
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pen-para.gif このときの「井笠鉄道の詳細」は下記をクリックして頂くと、ご覧になれます。
icon-click2.gif http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link244.html


pen-pc.gif 笠岡駅から、井笠鉄道全線を踏破して、国鉄福塩線の神辺駅に着きました。このあと、福塩線の「蒸気機関車牽引の客車列車」で、福山、そして、岡山県下の三軽便の一つ、下津井電鉄を目指します。

coffee.gif ではまた次回、お目にかかりましょう!!!!


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1959年・夏・関西~高知(7) [1950年代の旅]

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pen-para.gif ちょっとお出かけのチャンスが多く、暫くお休みして居りましたが、4月12日以来の「1959年夏・関西~高知」の第7回目をお届けいたします。

 4月ももう直ぐ終わって5月、連休・・・・そして花粉症明けがやってきます。2月以来、3ヶ月、薬を飲み、重症の日は少なかったのですが、副作用の「眠気」は、実に辛いものでありました。もうじき、その眠気から開放されます。ヤレヤレであります。


pencil-red.gif 今日は、阪急・能勢口駅から能勢電で次の絹延橋まで乗り、車庫見学の後、直ぐに能勢口駅まで戻ったのです。これから、阪急で大阪へ出て、京阪電車で京都入りします。今回は「京福電気鉄道」・・・・叡電ですね・・・・のお話

pen-pc.gif 1959年・昭和34年「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日、三宮~阪急神戸線~十三~阪急宝塚線~能勢口~能勢電軌~絹延橋~野瀬電軌~能勢口~阪急宝塚線~梅田と来まして、これから今日の第二の目的地、京都の京福電気鉄道の修学院前に向かいます一日で、能勢電と叡電を回っちゃおうってぇんですから、無謀と言って良いのではなかろうかと・・・・・。

 1959年・夏・関西~高知(7) 

 そう言う訳で、1959年・昭和34年7月12日・日曜日です。

(1) 梅田から京阪の大阪のターミナル「天満橋」までは何に乗っていったのでしょうか・・・・多分、市電だったと思われます。写真は有りませんが、市電、京阪特急と乗り継いで、当時の京阪の京都側のターミナル「三条」です。宇治行各停の木造、ダブルルーフの200形の二連。近鉄のモ200的なスタイルの、実に良い姿!
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(2) 京津線の急行の到着です。260形の266。木造の100形、200形からの機器利用車だそうですから、(1)の200形の兄弟かもしれないと思ったら、こっちは台車が全然違います。
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(3) 京津線各停の到着。20形というのでしょうか・・・・24です。
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(4) 京津線にそって東山三条まで歩いてゆく。東山三条の電停で三条行の各停、50形56に遭遇。
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(5) 東山三条で、京都市電21系統の600形687です。ここから市電で京福に向かったのです。
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 市電を叡電前で降りて、平面クロスする、京福電気鉄道の電車に乗り換える。こっちの駅名は元田中。


(6) 修学院には、車庫がありました。ここで下車して、ホームで往来するポール電車を撮影し、車庫を見学。デナ120の124です。優美な形ですね~!!
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(7) そして、私が一番好きだったのが、このデナ1形。前面のカーブ、ヘッダーの無い窓の上の丸み、ポール・・・・たまりませんね~!!!!
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signal-blink.gif 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」「1959年の叡電」のページがあります。このときの写真が上の二枚のほか、何枚かが出ておりますので、ご覧下さい。
 URLは下記です。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html


coffee.gif 次回の更新は、所用もあり、たぶん、明後日辺りになりそうです。では、また!


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1959年・夏・関西~高知(6) [1950年代の旅]

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お早う御座います。昨夜、22時ごろから、花粉症の症状が出始め、今朝、目が覚めて好転していると思ったら、どっこい、そうは行かず、鼻は詰まるし、流出は停まってないし・・・・むしろひどくなってる。今日一日、憂鬱だなあ。花粉明けまで、あと一ヶ月なんだけど。
 
今日は、阪急と能勢電のお話・・・・・。

 1959年・昭和34年「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日のお話で、三宮から阪急の特急に乗って、宝塚線乗換の十三駅までやって来ています。

■ 1959年・夏・関西~高知(6) ■

(1) 十三駅の宝塚方面行ホームで待っていると、池田発、梅田行の電車が、610系の619を先頭に入ってきました。この系列には、たしか、非貫通のモノもあった記憶があります。
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(2) どんな電車の乗ったのかわかりませんが、無事に能勢口駅に着きました。側線に保線用のホッパ車がいました。何が気になったのか、写しています。可愛らしい車掌室?が気に入ったのかもしれません。
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pen-para.gif さあ、昭和20年代末、購読していた鉄道模型趣味誌に能勢電の紹介記事があり、ポールカーで、絹延橋なんて風流な駅名、鼓ヶ滝って素敵な名の駅近辺の砂利道併用軌道と橋梁が、ずっと気になって居たのでやって来たという訳なのです。


pencil-green.gif さあ、能勢電気軌道です。今日は何しろ、このあと、京都の叡電に乗り、夜までには神戸市長田区の親戚宅に戻り、一泊して早朝、山陽本線の下り列車に乗らねばなりません。 えらい事です。忙しいのですが、頑張るって訳で、事実上の始発駅、能勢口駅から、1.2km、次の絹延橋駅まで行きます。

(3) 能勢口駅の情景です。左は阪急から来たP4、10形28非貫通タイプ。右が50形の51です。のどかなものです。現在の川西能勢口駅は存じませんが、きっと、この痕跡も無い事と思います。
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(4) 一つ乗って、次の絹延橋駅には車庫工場があります。下車して入らせて頂くと、いや、もう凄いの何のって、言葉もない宝の山。廃車車体も含めて、ブローニーフィルムですが、頑張って撮りまくりました・・・・と言っても10枚と一寸ですが。その中から10形の12です。貫通幌が素敵。
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pencil-blue.gif やって来た能勢口行の電車に乗って、能勢口駅に引き返します。あっという間の、能勢電の見学でありました。

icon-mu3homepage.gif こちらに、このときの能勢電軌のアルバムがありますのでご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link135.html


pencil-purple.gif さあ、大阪へ戻り、京阪で京都入りするつもりです・・・・・・・。

(5) 能勢口駅で梅田行きを待っていると、宝塚行きの各停が来ました。これまた小型の、いかにも阪急ってスタイルの500形ほかの5連でした。
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(6) 大阪に戻って・・・・ここは何処でしょう?丸っこいビルで甲子園のナイター、グランドホワイトセールの広告、阪神百貨店でしょうか?・・・・よく判りません。市電は1507です。
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(7) (6)を拡大してみました。でっかいドラムブレーキのオートバイに、真ん中は観音開きのドアが懐かしいトヨペットクラウンでしょう。クラウンの後ろは地下街への入口かしら。
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(8) (7)とほぼ同じ場所のようです。大阪市バス、バス窓の典型みたいなタイプで、なんだかサイドビューに違和感あるなあと思ったら、ドアが一つしかない。当時はこれが当たり前でしたが・・・・・。車掌さんの手が見えてます。
 尾灯は当時の普通見られたタイプ。このバス、製造会社はわかりませんが、車高が高いし、日野のアンダーフロアかなあ?
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coffee.gif これで、今日の更新はお仕舞いです。これから京阪の特急で京都へ向かいます。特急といっても写真も記録も無いのですが、当時の私は、京阪間の移動は、阪急でも、国鉄でもなく、専ら京阪特急1810でした。
 では、次回・・・・・!!!


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1959年・夏・関西~高知(5) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif お早う御座います。今日は良いお天気になって暖かくなるという予報なんですが、まだ、そんな感じにはなっていません。最近の天気予報は当たる確率が大なので、きっとそうなるのでしょう。昨日に引き続き、1959年の旅のお話で、今日は、阪急電車

 1959年・昭和34年「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日・日曜日のお話で、兵庫県神戸市長田区の長田、神戸市電と山陽電鉄を眺めた後、市営の急行バスで、阪急の三宮駅に向かったのです。

 1959年・夏・関西~高知(5) 

(1) 電車通りを湊川から三宮に向けて疾走するバスの中から市電の1000形。最高速でも200分の1では、ブレます。通りの右側の電柱が、妙に大袈裟。
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(2) さあ、三宮です。856をしんがりに梅田に向けて各停が出て行きます。ホーム先端から開口部まで、だいぶ遠かったらしく、セミ判で75mmでは、部分伸ばしが必要で、甘い画像になりました。
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(3) 三宮駅のホームです。800番台の4両編成の確定が居ますが、到着してそんなに時間が経っていないらしく、お客さんが出口に向かっています。天井の高い、柱の無い、ゆったりした駅です。長田の親戚の家を出たのが随分遅かったらしく、時計は11時25分を指しています。
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(4) (3)の右端、広告看板が気になって大伸ばししてみました。右から読み取れる範囲で、『劇場不明:「ジャン有馬の襲撃(市川雷蔵)」』、『三宮東宝:「大学の28人衆(佐藤 允)」「潜水艦イ-57降伏せず(池部 良、三橋達也)」』、ちょっと見えている左端は『宝塚大劇場:「月組・ダルレークの恋」』。映画の、このジャンルは見なかったらしく、見た記憶がない。
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(5) 何形か記録がありませんが、当然乗ったのは特急、最先端。春日野道駅から左折する辺り、三宮行特急とすれ違います。たしか、当時としては、一番新しかった(と、思われます)1010系の1029
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(6) (5)を拡大してみました。従来の阪急タイプを踏襲した高性能車。このタイプの車体の電車は、2000の出現まで、何種類も出てきました。当時の事ですから当然、エアコンはありませんが、送風式の通風方式でした。ラインデリアだったか、ファンデリアだったかは忘れました。
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(7) 十三に着きました。ここからは、宝塚線で能勢口駅まで行き、能勢電に乗るわけですが、阪急京都線の100を写さないわけには参りません。先ずは、梅田行急行132です。
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(8) お次は京都行急行・・・・当時は大宮まで・・・・131です。グロベンが少々、違和感がありますが、良い姿です。
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(9) 十三駅の側線には、こんな作業車がいました。サイドには、自動点検車 阪急 電路課とあります。大事に使っていたブローニーフィルム(16枚撮り)の一齣を使っているのは、余程、注目していたのでしょう。オート三輪を思わすボディが気に入ったのでしょうか・・・・・。
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pencil-blue.gif このあと十三から宝塚線で能勢口駅に向かったのです。


coffee.gif 続きは、また次回に・・・・・。


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1959年・夏・関西~高知(4) [1950年代の旅]

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pencil-red.gif 毎度の、む~さんです。お早う御座います。今日も昨日の続き・・・・。

 1959年・昭和34年:「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目、7月12日の兵庫県神戸市長田区の長田、神戸市電と山陽電鉄の平面クロス辺りのお話。

 さて、今日は山陽電鉄ですが、たった二駒しかありません。ちょっと、拡大なんかして薄めてしまいましたが、プラス一枚でご容赦願います。

 1959年・夏・関西~高知(4) 

(1) 電車は820形??で・・・・特急です。830+831という事になるのでしょうか。電車の進行方向が兵庫らしく、架線の込入った構造が見えます。最初はクロスシート車だったようですが、ロングシート化されたものもあったようです。ネガを見ても、クロスシートかどうか判別できませんでした。
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(2) (1)の右のほうを拡大してみました。日曜日だった所為かトヨタさん、閉まってますね。右端の架線柱は鉄骨で、『青写真』の文字も懐かしく感じます。アンモニアかなんかで現像するプループリントは、昭和30年代まで現役でしたが、あの真っ青な図面は、夢を感じたものです。トヨタさんの前の黒い箱は『ゴミ箱』でしょうか・・・だとすると、現在、絶滅してしまった物件ですね。
 この自転車の小父さんのお仕事は何なのでしょうか?氷屋さん?牛乳屋さん?ちょっと違う気もする・・・・。

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(3) 以前、このブログにも出した画像です。200形、何度見ても、愉快な電車です。
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(4) さて、撮影を終え、写真に写っている「神戸市バスの急行」で三宮に向かいました。三宮から長田へは何時もこのバスを使って居りました。当時の道は空いていたし、まあ、少々コワイくらい飛ばしました。
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(5) (4)のバスの右側辺りを拡大してみました。写っている三人のうち、二人が和服、そして、全員が下駄履き。お店の様子、スクーター、手作りの歩道の屋根、見事に「昭和」中期のイメージですね。
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pencil-green.gif ・・・・・で、急行バスで阪急の三宮に向かいました。


coffee.gif ・・・・で、次回は、三宮から阪急電車に乗って、能勢電鉄に向かいます。


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