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小田急・新原町田駅・1964年 [小ネタ集]

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pen-pc.gif 以前、このブログで公開した事のある一枚の写真。小田急新原町田駅・・・・現・町田駅なんですが、例によって、部分拡大など致しまして、並べてみます。

 時は、1964年・昭和39年3月20日、小田急の特急ロマンスカー・・・・私の一番好きな3100形・NSEの最後部から写した、当時は「新原町田」と呼ばれていた駅を通過したときの写真です。

■■■ 小田急・新原町田駅・1964年 ■■■

(1) その日、私は友人のMOさんと伊豆箱根鉄道大雄山線の全線乗車と写真撮影に行き、それなりの成果を得て、帰宅するのに乗った電車が小田急ロマンスカー。1964年といえば私は、すでに横浜市から町田市に移って居りましたので・・・・このロマンスカー、下車駅である町田市の「新原町田駅」には停まりません。で、新宿まで、MOさんと同行したのです。そのロマンスカーの最後部から写した一枚の写真
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(2) 真ん中の部分を拡大します。左側に小田急ストアの入った駅ビル。名店街方式の部分と日常生活用品・食品売り場部分がありました。三階建てで、ご覧のように、屋上には観覧車などの遊戯施設がありました。この一階部分の一部が駅施設で切符売り場、改札、トイレ、事務室などが入っていました。そして、地下道で、上り下り二本のホームに通じていました。
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(3) 更に拡大。左のホームには荷電らしき電車。構内の小さな踏切は駅の係員用。手前の踏み切りは、当時は、乗り合いバスも通って、さらに国鉄・原町田駅に通じていました。
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(4) 新宿からみて右側。これから、踏切を渡ろうとしている、神奈川中央交通のバスが写っています。このバスの右側辺りには、月販の緑屋がありました。
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(5) 小田急ストアのビルを拡大。「オリンピックみんなで明るい町づくり」の垂れ幕があります。画面左端には自転車預り所の看板がみえますが、同種のお店は他にも何軒もありました。
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pen-para.gif さて、この辺りの風景は、その後50年・・・・・・沢山の大きなビルが建ち、入っている会社、銀行は、当時と同じだったり、名が変わっていたり、新しく入った会社だったり、眺めはすっかり変わりました。地元に住む、私でも訳が分かりません。

(6) 2007年3月のほぼ同じ場所。右の大きなビルの向こう側に、バス通りがあり、踏切があります。小田急百貨店のマークが二つ並ぶビルが、小田急の9階建てのビルで新原町田駅改め町田駅を跨いでいます。自転車の預かり所のお店は、無くなってしまっています・・・・多分。ひょっとしてあるかもしれませんが、そちら方面の探検をしていないので良く分かりません。
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(7) そして、これはつい先日。2012年6月25日、駅に近い、昔、バスが渡っていた踏み切り・・・・勿論、遮断機の上がっている踏切の真ん中辺りから写した、町田駅のホーム部分。片瀬江ノ島行・急行の1000×4+「お相手の6連は良く分からないが、3000らしい」、そしてLSEのはこね号が居ます。
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1960年の東京駅で:小ネタですが [小ネタ集]

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pen-ojigi2.gif 6月17日・日曜日の「前回の更新」から、はや5日目。ここのところ電車見物のお出掛けが無かったので、「お出かけ通信」のネタが切れている。で、中央線の1963年と、お古いところの再録写真でご容赦いただいたのですが、まだ、新ネタがないのです。そろそろ、お出掛け予定はあるのですが、中5日、穴をあける訳には参りません。マニフェストに反する!(笑)
 ・・・・・
って訳で、無理やり一枚の、これまた多分、公開済みの写真でお茶を濁す事にしました。

■■■ 1960年の東京駅で: 一齣のカラースライド ■■■

pen-pc.gif 1960年・昭和35年夏、オリンパスペンで写した一枚のフジカラースライド。東京駅の13番線と14番線のようです。

(1) 横須賀線のクハ76と、形式のはっきり分からない下駄電がヘッドマークをつけて発車を待っています。
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(2) 横須賀線のクハ76は前面窓とドア、戸袋窓がH護謨支持になって居ます。
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(3) こちらは14番線に停車中の電車。鎌倉・逗子への海水浴客を運ぶ、臨時電車の「しらほ号」
 通風器はグローブ形に改造されています。フォトショップで拡大し、色調の調整など、いろいろやってみたのですが、前照灯は、如何やら「砲弾型」らしく思われます。たぶん松戸区あたりのモハ41が、お助けに来ているのかなあと思ったり致しますが、私の知識では、断定は出来ません。
 この、電車の形式や所属など、お判りの方がいらっしゃいましたら、是非、コメント頂きたく存じます。
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coffee.gif 一齣のスライドから、部分拡大で、三枚の画像にしてみました。昭和30年代中期の東京駅でのスナップでした。

 では、また次回!!!!!


タグ:横須賀線

京都-叡電-昭和34年 [小ネタ集]

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pen-para.gif 今回は、昔ネタです。だいぶ以前に、このブログで公開した写真なんで、「もう、見たぞ~!」と、仰る方もいらっしゃいましょうが、ご容赦ください。

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pen-para.gif 今日は、ホームページ「む~さんの鉄道風景」の、「叡電のページ」の宣伝です。その中から二駒のネガ。

■■■ 京都-叡電-昭和34年 ■■■

pen-pc.gif 1959年・昭和34年7月、大学4年生だった私。とある計測器メーカーでのバイトで旅費を作って旅に出たのです。
 四日市では三重交通のナローを、関西圏では、能勢電、叡電、そして中国地方の井笠鉄道に下津井電鉄、高知の営林署では森林鉄道をちょっと見たり・・・・・実に愉快な旅でありました。

 そのときの叡電の写真です。いまは、叡山電鉄なんですが、当時は京福電気鉄道叡山本線・・・・だったかな?

(1)右端に写っていますように、「修学院駅」。写っているのはデナ1形二連で先頭はデナ1。総括制御だったかどうか覚えていませんが・・・・Wikipediaを見たら、この頃には二両固定編成化されていたとの事なので、たぶん総括制御なのでしょう。出町柳行の電車で、向こうが宝ヶ池になります。
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(2) (1)の拡大。向こう見えるは、矢張りデナ1形・・・か、如何かはわかりません。デナ21も結構そっくりだし。
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(3) (1)の顔の部分を拡大前照灯の下のジャンパソケット?は、高圧用でしょうか、制御用でしょうか・・・・。ポールの紐をレトリーバできちんとまとめているのも素敵です。
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(4) こっちの駒はデナ1形のデナ3八瀬行
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(5) (4)の顔部分の拡大。この編成には前照灯の下の物件がついていませんね。オデコの社章は、調べたら、前身の会社、京都電灯のものだそうです。お寺の紋かと思ってました。
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(6) これまた(4)の拡大で・・・・・あの上り坂の上で左に曲がり、宝ヶ池駅のようです。
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pen-pc.gif 時は流れて47年、2006年3月「修学院駅」。電車もすっかり代替わりして、色まで変わって居ました。

(7) 出町柳行デオ710(711)が入ってきます。(6)に写っている二つの踏切と同じなのかしら?道幅があまりに広いので、吃驚です。
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(8) これまた(7)のとき写した「修学院駅」でのデオ900形(901)。これは鞍馬行
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pen-pc.gif  明治になって近代化を目指して疎水を作り、発電所を作り、電車まで作っちゃった京都。こんな近代的電車、派手な色、これで、良いんでしょうが・・・・・私は、昔の色の方が好き。これも、初体験時のインプリントなのかしら・・・?

(9) 1976年「元田中」で写したデナ500形の501(手前)-502のコンビ元阪神の831です。色も、集電方式も叡電になり、板についた姿。
 この色っていかにも、古都京都で良いなあと思うんですが。八瀬遊園行で、このころには八瀬から八瀬遊園に駅名が変わっています。
 そして、この501の尾灯。前身の阪神で急行の前頭に立ち、斜め付けの急行灯を点灯して爆走していた頃を偲ばせます。
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pen-ojigi2.gif ・・・・・・で、ここからホームページの宣伝になります。昭和34年の夏、叡電訪問時の写真を少しですが並べてあります。お時間がありましたら、ご覧いただければと思います。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html

coffee.gif こうやって昔の写真を眺めていると、昭和の中頃、のんびりしていた時代だったなあと思うのです。


タグ:叡電

昔写真:名鉄瀬戸線1961年(オマケつき) [小ネタ集]

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pen-para.gif ネタが切れで、苦し紛れの昔噺で、昭和36年の写真を三駒・・・・・1961年・昭和36年夏名鉄瀬戸線です。以前見たことあるぞ!と仰る方もいらっしゃるかもしれません、ご勘弁ください。私のホームページの宣伝も兼ねて、こんなブログを作ってみました。

■■■ 昔写真:名鉄瀬戸線1961年・・・三駒(オマケつき) ■■■

 今から50年程前の話です。大学時代の鉄研仲間が三人、中京名古屋へ電車見物に出かけました。そのとき訪れた名鉄・瀬戸線の写真です。
 残念な事に、多分、DP屋さんの現像処理の問題と思うのですが、フィルム面に何かが析出したようで、黴などではない「妙な模様」が出てしまいました。オマケにフィルムが大変形、それを10年ほど前、無理やりに、スキャンしたデータでホームページを作りました。その上、カメラが「ハーフサイズ」のオリンパスペン、そのデータの中から、マシなものを三枚選んでみました。
 ホームページの方では「名鉄・瀬戸線1961年(1961年7月9日)」という題名で発表済みです。(この件も既にブログで宣伝した記憶もあり、あつかましいけれど、再度書いてしまいます。ごめんなさい!)

(1) 名古屋城のお堀の中を行く、モ600形603
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(2) 喜多山駅モ600形605
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(3) これも喜多山で、有蓋車ワ200形204
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pen-pc.gif この旅の詳細は、下記のアドレスをクリック頂きますと、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」の該当ページにジャンプいたしますので、ご覧下さい。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link112-meiseto.html

coffee_becks.gif 今回は、お手軽企画、しかも、ホームページの宣伝活動、ご容赦ください。


icon_omake.gif ・・・・・・・三枚の写真だけでは、少々寂しいので、オマケをつけます。
 む~さんも、電車を追いかけ、何か食って帰宅!だけじゃあなく、たまには、花を愛でる事もあるんです。
 もう10日も前の事ですが、6月1日町田市立の野津田公園ってところに、「バラ広場」って場所があるんです。見頃だと聞いて、花見に行きました。もう、あれから10日、現在は花は見頃を過ぎていると思われますが、ご覧下さい。

pen-para.gif これが、バラ広場・・・・三方を丘に囲まれた静かなところです。ご覧の通り、そんなに広い場所でもなく、広場にバラが植わっているだけって眺めですが、花そのものは結構、素敵でした。一番奥の黒と白の屋根は養鶏をやっている鶏舎で、匂いが風に乗ってきます。鶏舎の方が先にあった様で、ま、これは仕方がない。お仕事を続けて欲しいと思います。
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 ・・・・・パッチワークみたいにランダムに並べてみました。 

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pen-pc.gif 町田市のホームページにこんなページがありました。
http://www.city.machida.tokyo.jp/kanko/miru_aso/hanadayori/kaika_joho/noduta.html

coffee_becks.gif では、今日のブログはこれでオシマイと致します。


タグ:名鉄

足尾線の風景・・・四駒 [小ネタ集]

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pen-pc.gif お出掛けのネタが切れていますので、昔の写真を四駒・・・・・1969年・昭和44年11月国鉄・足尾線風景です。

 当時の足尾線の一番奥には銅の鉱山があり、精錬も行われておりました。その為、貨物列車の運行も行われ、小型タンク機関車C12が牽引しておりました。こんな足尾線沿線の草木あたりの渡良瀬川にダムが建設され、線路が水底に沈むため、新線迂回が行われるといいます。ダム完成前に、そんな足尾線を撮りに行こうと、友人たちと出かけました。
 神土駅、そして渡良瀬川の反対側の山の中腹から、神土から草木への線路を行く列車を俯瞰撮影したのです。

 そのときに写した写真から、三駒ほどご覧下さい。風景の中の貨物列車ですから、480×360の小さな画像では見難いので、例によって部分拡大もしました。この時の写真は、後に、700×525か、450×600の大き目の画像でホームページ化するつもりですが、果たして何時の事になるか、見当もつきません。風景はやはり大きい画像でないと、感じが出ませんね。

■■■ 国鉄・足尾線の風景1969年・・・四駒 ■■■

pencil-red.gif 昭和44年というと、カメラは多分、ミノルタSR-1の旧型で、専用露出計を、二つの穴に差し込むタイプでした。アルミダイキャストの重い筐体、おっそろしく大きなゴム引き布のフォーカルプレーンシャッター、スーパーロッコールF1.8/mm標準レンズ、F4/100mmロッコールレンズは、10K円くらいでした。昭和40年でしたか、240K円で買って、一年乗ったスバス360の62年式スーパーデラックスを、色々事情もあって、120K円で手放し、そのときに買った・・・・思い出多きカメラでした。

(1) C12の牽く貨物列車が上がってきました。黒煙を吹き上げ、タンク車主体の列車。
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(1-A) C12・・・・一生懸命頑張っています。タンク車は硫酸専用と聞きました。米軍御用達の燃料用タンク車を見慣れた目には、可愛く映ります。
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(2) 順序の記憶が怪しいのですが、(1)の直前の場面のようです。白い奇岩怪石、川の淵の水が青く澄んでいるのは、足尾の鉱山から出る銅のイオンの所為かなあ・・・・なんて考えていました・・・・・結構、思い出すものです。
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(2-A) C12の踏ん張りの場面を拡大。
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(3) 画像の順序は(3)~(2)~(1)のようですね。神土駅のシーンです。・・・・・足尾方面に向う貨物列車気動車は桐生行でしょうか・・・・キハ20+キハ30のようです。この貨物列車を対岸の山腹の道路から写したのが(1)(2)なのでしょう。
 色々考えていると、画像序列に関しては、かなり問題があるようです。この気動車列車も(4)かもしれません。
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(3-A) C12263・・・・・ホームのおじさんは携帯電話通話中の筈もありません
 こんな世の中になっちゃうなんて、この頃は夢想もしませんでした。
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(4) 気動車の列車が行きます。青い川の淵の水色、真っ白な川の石、まだオレンジとクリームのツートンカラーだった気動車。
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(4-A) キハ20+キハ30のようです。
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(4-B) 川には釣り橋が架かっておりました。
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pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif お詫び: 画像の順序がてきとーで、まことに申し訳ありません。いずれホームページ化しますが、そのときにはちゃんと検証致すつもりです。

pen-pc.gif pen-pc.gif この撮影行にご一緒した、畏友はーさんのホームページ「はーさんの鉄道・旅・よしなし草/40年前の鉄道風景」に、多くのカラー写真を含むアルバム「錦秋の足尾線・1969年」が収められています。下記のURLからご覧いただけますので、是非、ご覧下さい。
http://6.fan-site.net/~haasan55/AsioSen.htm

coffee.gif では、また次回!!!!!!


タグ:足尾線 国鉄

東急目蒲線1954年 [小ネタ集]

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pencil-green.gif 先週の金曜日、3月5日に更新して三日目です。何か出さねばと、探し出した一駒の白黒写真・・・・以前、一回出した気もする。いや、たした記憶もあるけれど、「まあいいや!」と、出してしまいましょう。以前、ご覧になった方は、「む~さん、ボケはじめたなあ・・・・」とお思いになられても、そっとしといてくださいね(笑)。

■■■ 東急目蒲線(現・多摩川線)1954年 ■■■

 こういう、「年号入り題名」のつけ方が好きなのは、以前、よく読んでいた、故・光瀬 龍氏のSF短編に大きく影響されていると思います。

 1954年・昭和29年2月、私は高校1年生かな・・・・多摩川に掛かる丸子橋のたもとに、オリンパス35-Ⅳを持ってぶらりと行ったようです。橋のたもとから、川を背にして目蒲線の写真を一枚撮りました。4枚に増やしてご覧に入れます。

(1) この写真は元画像、ノートリミングです。沼部駅を出た目黒行き電車がやって来ました。向こうの森は三菱関係の病院とか、いろいろ有りました。病院は無くなったようですが、三菱関係の施設はあるみたいです。
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(2) 電車はデハ3500ではなく、デハ3450だと思われます。2両のデハ3450が挟んでいるのは、サハ3350だと思われます。
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(3) 私が幼い頃から眺めていた池上線の背の高いスマートな高圧線鉄塔と違い、目蒲線のそれは、背の低い、電圧も低そうな、可愛らしい姿の鉄塔でありました。遠く、線路を跨ぐ黒いものは、国鉄の貨物線、品鶴線(現・横須賀線、新幹線)の鉄橋です。そこだけ、高圧線鉄塔の背が高くなっています。この高圧線鉄塔も今は立って居りません。送電のシステムが変わったのでしょう。
 線路の右側は多摩川の堤防で、上が道路になっています。桜と思しき樹が何本かありますが、ストリートビューで見ると、現在も樹が繁っています。ソメイヨシノの寿命は50年そこそこと聞きますし、同じ樹か如何かは分かりません。

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(4) ガードの甘い線路の向こうは、六郷用水という灌漑水路があり、いまは、既に役目を終え、公園風に整備されています。このあたりの用水の向こう岸には、洗い場があって、岡の裾から水が湧いておりました。こんあところで、小学生時代には、ザリガニ釣りもやったのです。(餌はスルメね・・・・)
 架線メンテナンス用の竹梯子が懐かしいです。・・・・今でも、この竹の梯子は使用されているのですね。これは、意外でした。強度、重量、電気絶縁性、価格など、優れているんでしょうね、きっと・・・・・。(よく分からないけど) 

 以下、追加です・・・・・と、思っていたら、私の見間違いで、現在の梯子は、この前、田園都市線つくし野駅付近で見た『竹製』と思っていたのは、そのときの画像を拡大してみたら、竹に見えそうな、合成樹脂のようでした。また勇み足、してしまった。すいませんっ!!
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coffee.gif ここ数日は、いろいろ、やらねばならぬ事もあり、バタバタしています。更に、お出掛けも無く、ネタが切れちゃいましたので、雑談風昔話となりました。数日中に、更新しますので、また、いらっしゃって下さいね。お待ち致して居ります。


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岡山土産の大手まんぢゅう [小ネタ集]

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pencil-red.gif 昨日、2010年1月17日、友人から岡山土産「大手まんぢゅう」を頂きました。あんまり嬉しかったので、早速、デジカメで記念撮影
 そして、今朝、ご馳走になりました。 美味しいねえ、美味いねえ!!!

■■■ 岡山土産の大手まんぢゅう ■■■

(1) 大手まんぢゅうが、私の大好物とご存知の方から頂きました。お饅頭の入ったボール箱は、包装紙でつつまれています。
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(2) 包装紙を取り、ボール箱をあけますと・・・・10個のお饅頭
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(3) 一個とりだして、紙の包装を広げますと、セロファンに包まれたお饅頭が出現します。そのまま頂きますが、ナイフで断面を見てみましょう。美味しそうな餡子が・・・・・・。開いたからには、家内と二人、お茶で、美味しくご馳走になりました。
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(4) ・・・・・で、この大手まんぢゅうを知ったのは、学生時代に愛読した、内田百閒著、第二阿房列車。三番目に出てくる「春光山陽特別阿房列車」の第七章「七・曲がった鉄橋」のおしまいの部分。百閒先生は「大手饅頭なら潰されてもいい」と書いています。お気に入りだったらしく、他の著作も出て来ます。私は、「贋作 我輩は猫である」にでてくる後楽園の鶴に大手饅頭を食べさせる話が、気に入って居りました。
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icon-tsuika-blink.gif 「新潮文庫:第二阿房列車」の旧仮名遣い、用語、旧漢字等のサンプルとして『一部分』を挿入します。昭和30年8月5日発行、昭和32年1月20日 二刷、定価70円と奥付にあり、『百鬼園』のハンコの押されたシールが貼られています。考えてみたら、最近の本では、こういう証紙を見かけないような気がします。
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 ほんの一部分ですが、コピーを貼り付けるような事をやっても、著作権侵害にはならないでしょうか?少々、気になります。

pencil-red.gif ・・・・と、云う事でお饅頭のお話はオシマイです。


pencil-red.gif 「大手まんぢゅう」ついでに、岡山のお話を致しましょう。
 岡山に下車して街を歩いたのは、2000年の4月が最後です。そのときの電車写真を少々。もっとも、この写真、以前このブログで公開済みです。でも、フォトショップで改めて加工していますので、ご勘弁下さい。

 この時のデジカメは、私の初代デジカメで、オリンパスの130万画素機、C-830L。1998年、購入時は一応、最先端でした。今になってみれば、なんだか、ボケっぽく、あんまり感心しない画像です。その後、キャノンIXY320となり、今は、三代目のキャノンパワーショットG9です。

(5) 広島から快速電車で夕方、岡山入り。岡山といえば、当時、私でも名を知っていた、地元の銀行、トマト銀行。駅前で発見して、写真を撮ってしまいました。
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(6) そして、岡山といえば、岡山電軌。社章は、こんなのです。
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(7) そして、岡山電軌といえば、錘で持ち上げるパンタグラフ
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pencil-red.gif 電車の写真もご覧下さい。街路風景を4駒ほど・・・・・・。

(8) それにしても、ボケっぽい写真ですね。岡山の駅前です。
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(9) 小さく写っているのは、吉備団子の広告電車。鬼の顔と、桃太郎の顔が、前後についていました。
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(10) 突き当りがJR岡山駅
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(11) 岡山駅から一寸走ると、清輝橋行き路線が右に分岐します。
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(12) 岡山といえば、後楽園です。軽便ファンの私、このとき西大寺鉄道の岡山のターミナル「後楽園駅」を探しましたが、全然、判りませんでした。
 もちろん、後楽園に入りまして、園内を散策したのです。鶴も居ました。
 たしか、昭和33年以来でしたから、42年ぶりでありました。
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coffee_doutor.gif ・・・・・と、云う事で、お饅頭から電車話、そして名園の写真で今日のブログはオシマイです。

coffee_doutor.gif 今日のエンディングアイコンの珈琲は何時ものデニーズに替えてドトール珈琲を使いました。別に理由は無いのですが、なんとなく・・・・・。


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土佐の電車 [小ネタ集]

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pencil-red.gif 新しい年を迎え、あと少しで72歳になる私、最近は記憶力の衰えを感じる。というのは、今日の画像なんですが、一度、お目に掛けたような気がするんです。ブログ内検索を掛けてみても、出てこないので、大丈夫だろうと思うけれど、もし、二度目だったら勘弁してくださいね
 そういえば、ブログの記事明細の記録をとっていないのは、少々、迂闊でありました。

■■■ 土佐電鉄・1993年 ■■■

pencil-red.gif いまから、16年前のことです。10年一昔っていいますから、立派な昔、1993年・平成5年9月のことです。あれは、どういうシチュエーションだったでしょうか、ひょっとして親戚の結婚式だったのかもしれません。土佐の高知へ行きました。勿論、飛行機は使わず汽車です。寝台特急だったかもしれませんし、新幹線だったかもしれない、みんな忘却。まあ、ともかく高知へ行ったのです。
 
丁度、いま、NHKのTVで、坂本竜馬とか、朝ドラマの「ウエルかめ」とか、四国づいているので、それに便乗の話題。
 そのとき写した高知の路面電車のなかから、オリジナルカラーのものを少々。
 

(1) JR高知駅前です。歩道橋をわたって階段を下りると、土佐電鉄・・・・土電・・・・とでん・・・・の駅前電停。停まってお客さんを待っているのは、200形の208です。
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(2) 桟橋行きの電車に乗りました。電車は播磨屋橋の交差点に差し掛かるところです。向こうから、高知駅前行きの電車が来ました。200形の207です。電車の向こう、SEIBUの文字のある「とでん」のビルの手前が播磨屋橋の交差点
 この西武のビルも今は解体されて、なくなっています。
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(3) (2)の部分拡大。播磨屋橋の欄干が赤く見えています。昔は、ここに川があったのですが、現在はなくなっていて、地下道になっているようですが、私はくぐったことはありません。この欄干は播磨屋橋の記念碑みたいなものなのでしょう
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(4) (2)の電車の部分の拡大
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(5) 私は、解体されて今は無くなってしまったデパート「とでん西武」の二階にあった喫茶店に入って珈琲など飲みながら電車見物。現在みたいな、広告電車だらけではなかったようで、土佐電鉄色の電車が何枚も撮ってありました。
 これは、200形の210です。交差点の各所に植えられた木が、如何にも南国です。
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(6) こちらは、600形の601、交差点の向こうに居るのも600形の631です。
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pen-para.gif なんだか、適当なブログになってしまいました。書きながら、もっと書き込まねばいけないなあと思いつつ、中途半端で終わります。
 播磨屋橋の静止画ですが「ライブカメラ」が、RKC高知放送のHPにありまして、下のアイコンをクリックしてご覧になれますので、見てみてください。
 静止画像ですが、何分かの間隔で更新しています。交差点に運良く電車が写っていたら、その日は、いい事があるかどうか判りませんが・・・・・・(笑)

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coffee.gif では、今日は、こんなところでお終いと致します。


タグ:土佐電鉄
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雑談など・・・・電車も [小ネタ集]

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pencil-red.gif 2009年・平成21年6月10日・水曜日、今日から、関東地方は梅雨に入りました。電車は雨でも走りますが、最前部の見通しも悪いし、写真も撮影に色々困難が伴います。でも、梅雨が明ければ、そこには、夏が待っているわけで・・・・。

(1) 近所のノウゼンカズラが花をつけました。夏といえば、この花。花が咲き、花は落ちてゆく・・・・しかし、次々と絶えることが無いように咲き続けます。結構、好きです。(今朝の撮影)
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(2) 今日、通り掛った近所の団地の調整池の水門の上に、こいつが居ました。アオサギって云うのかな・・・・。急いで、車を停め、レンズのズームレバーを望遠側一杯に伸ばして近づきました。
 (あ!この写真、二枚の接合です。二羽ではなく、一羽の2ポーズです・・・・・間に縦線でも入れればよかったんですが・・・・判り辛くてすみません)
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 昨日も、ここに一羽、居たのです。たぶん、同じ鳥でしょうね。きっと昨日、ここで美味しいものにありついたのでしょう。なんとなく、可愛いヤツだなあと思いましたね。

pen-para.gifpen-para.gif そうそう、この花も、うちの近所で今朝の撮影です。 一寸前に、多摩ニュータウンの電車見橋のそばで、小田急と京王を写したときに、敷き詰めたように咲いていた黄色の花、あれです。あの時、名前がわからなくって・・・・・。

(3) 葉も写っているので、もう一度、調べてみました。花の名前、判りました!キク科のオオキンケイギク(大金鶏菊)、北米原産の外来種です。凄い繁殖力なのだそうです。
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pen-para.gifpen-para.gif 話は、がらりと変わります。
 先の日曜日、2009年6月7日の夜、私のよく行く韓国料理店「漢江」が現在の場所に店を写して、三周年のパーティがあり、お誘いがありましたので、家内と行って来ました。
 ここへ引っ越す前は、この近くで10年ほど、同じ漢江の店名で、お店を開いておりました。私は、その頃から、時々ですが、食事しに行っておりました。何故かと言うと、美味しいから・・・・・・。私は、グルメじゃあありませんので、細かいことも判らないし、薀蓄を並べることも出来ませんが、美味しいなあと思います。

(4) そのパーティの食卓です。かなり食べちゃった後の写真ですが・・・・・
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(5) 前菜の焼き物(衣を着けて焼いてある)とキムチ三種
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(6) チャプチェプルゴギ
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(7) 桔梗の根の干したのの和え物と、茹で烏賊を葱で巻いてある。
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(8) サラダ二種・・・・上は大根と何かのサラダみたいでした。下は林檎とかのフルーツサラダ。
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(9) お馴染みの海苔巻き・・・・キムバpと、韓菓っていうのかな?うっすら甘いお餅
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pen-pc.gif お店は、町田市旭町2-8-11石川ビル1F、電話042-727-4997、火曜日定休、営業は夕方の17時半からです。小田急・JR町田駅からは少々離れていますが、バスは頻繁にあります。ご贔屓のお店なので、宣伝しちゃいます。


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pencil-red.gif 電車写真も無いと寂しいので少々並べましょう。時は、6月3日付けで、このブログに、1963年・昭和38年の3月の国鉄佐原駅の写真を出しましたが、同じ日の撮影です。東京から都営地下鉄~京成で成田まで行き、成田から、あのC58牽引の客車列車に乗って佐原に至った訳。

(10) 京成で成田まで行ってみようと思ったのでしょう、都営地下鉄の5000で浅草橋から高砂駅までやって来ました。現在の高砂駅とは、基本的には変わっていないようですが・・・・・。
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(11) (10)の拡大です。都営地下鉄は小岩行でした。
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(12) 上りホーム・・・・背景とお客さんの姿は、昭和ですね。
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(13) 私の乗る成田行の快速が入ってきました。3100ですね。現在複々線の上野側は、この頃は複線でした。
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(14) (13)の拡大です。線路の配線がよく判ります。どうやら4両編成らしい。
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(15) 快速の3100に乗りまして、成田に到着。3100は当時の最新鋭だったと思います。
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coffee.gif ・・・・・と、云うところで、今夜はお仕舞いと致します。
 また、次回、お目に掛かりましょう。


タグ:京成
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東急今昔:田園都市線田奈1966 [小ネタ集]

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pencil-red.gif 定点写真をもうひとつ・・・・・・今度は東急田園都市線です。同じカメラ位置じゃあないので、定点写真とは云えないですね。

pencil-green.gif 1966年、昭和41年の春、友人と二人で、開通したばかりの田園都市線を撮りに行きました。長津田駅から田奈駅までの区間。あたりは宅地の造成が始まっている場所もあるけれども、充分、田舎風景も残っているって感じでした。
 勿論、カメラに入れていったのは、白黒フィルムですが、同じフィルムに線路際のスミレの花が撮ってある・・・・と、言うことは多分、5月ではなく4月
 田園都市線の長津田開通が1966年・昭和41年の4月1日ですから、開通直後という事でした。

(1) 向こうが渋谷方面、丘の上から田奈駅を眺めます。完成直後ですから、コンクリートも輝くばかりに写っております。そして、まるで演出したみたいに並んで電車を見る地元の子供たち・・・・まだ、電車運転開始の直後ですから見物に来たのでしょう。この子達の足元には、恩田川が流れているはずです。
 この子達、もともとここに住んでいたのか、最近、引っ越してきたのか、今になってはわかりませんが・・・・・。
 先日も、この写真より、延長されている田奈駅下りホームから、この写真を何処から撮ったのか考えながら眺めたのですが、よく判らないほどの家が沢山建っています。大井町行の各停で7000の4連とはわかるけれど、番号は読み取れません。
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(2) 長津田行の各停で、これも7000の4連。先頭は7010です。・・・・この、7000って電車、食パンは嫌いだなんて云ってる私ですが、結構好きです。
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(3) 吊り掛け車も居ました。手前からデハ3450(デハ3469)+デハ3450+クハ3750(に見えますが如何でしょうか?)+デハ3450で、この頃は未だ2色塗装が残っていました。
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(4) さて、年月は流れて41年・・・・2007年1月1日、かなりアングルは違いますが、田奈駅の長津田側にある跨線橋上から写しています。最近、黄色い顔の電車に圧倒され、田園都市線消滅寸前の東武30000(31604)の中央林間行各停。バックの田奈駅尾は以後をご覧下さい・・・・とは云ってもごちゃごちゃしてるだけに見えますが。
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(5) 30000のお顔を見て置きましょう。貫通ドアに「pal-system」の牛さんが居ました。
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(6) アングルを右に振って、田奈駅を眺めてみます。夕日に照らされて、丘一面を覆った住宅群。右側の多少、緑が残っております。電車は中央林間行各停の8527以下8500の10連
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(7) 田奈駅部分を拡大してみましょう。田園風景の名残が多少は右の森に残っていますが・・・・住宅に埋まった背後の丘をご覧下さい。
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(8) さらに、二年経過。2009年5月3日、つい先ごろです。東武直通太田行きのお花見電車「フラワーエクスプレス号」を写しに行った時、田奈駅の上りホーム先端部で写しました。5002を先頭に中央林間行急行
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(9) 丘にを貫くトンネルの周辺です。右側の森は、開通当時から健在のようです。
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coffee.gif 今日は、ここまでで、お仕舞いと致します。


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