カメラ、買いました! [雑談(2)]
ここで一大決心。でも大きいのは体力的に持ち歩けないので、結局、コンデジになりました。機種はキャノンパワーショットG9X-maekⅡ。
河津桜が咲けば・・・そして特急 [雑談(2)]
昨日、2019年・平成31年2月8日、近所の家の河津桜が咲いて居るのを発見、撮って来ました。
雑談:鉄道と富士山(2) [雑談(2)]
前回の富士山と鉄道の写真・・・・まだ、多少は残りがあったのでアップロードすることにしました。とは言ってもあまり数がないので「水増し感」は免れません(笑)。
白黒写真が主なんですが・・・・・。
■■■ 鉄道と富士山(2) ■■■
最初と最後にカラー、あとはB/W。
(1)昭和45年1月、静鉄駿遠線訪問の時に立ち寄った静鉄清水市内線。横砂行きの65が遠ざかってゆきます。現像後に画面の左端をよく見ると、撮影時には気づきませんでしたが、富士山がちょっぴり写っていました。
(2)富士山部分を拡大してみました。
(3)昭和35年3月、東海道本線の原駅で。EF583。
(4)原駅~東田子の浦駅間の富士山。昭和35年3月。
(5)昭和35年3月、新聞を熱読中のお客さんも見とれてしまう美しい富士。たしか東田子の浦~吉原。
東海道が続きましたが、今度は小田急です。新松田の四十八瀬川沿いで・・・・昭和38年1月。日はすでに箱根の山々に近づき、逆光で難しい撮影になりました。
(6)2400・HE車の急行新宿行。やっぱり私には小田急通勤車はブルーに黄色。
(7)チョコレート色の1450+1200+1200の各停が小田原方面へ。
(8)8連時代のSE車3000の新宿行特急「湯坂」。
(9)キハ5000形の特別準急「長尾」・・・らしい。
(10)1200+1200+1450の新原町田行と思われる各停。
そんなわけで、写真が少ないのでオマケに「飛行機の富士」です。
(11)2003年1月6日、羽田空港でJASのMD90と富士。
似た様な趣向の記事が二回連続しましたので、次回はまた別の企画で行くことにいたします。
では、また次回!!!!!
雑談:鉄道と富士山(1) [雑談(2)]
ふと、未だ松の内だし、お目出度いところで「富士山写真」を並べようと思いつきました。かなり、「思い付きだけのお手軽企画」ですが・・・・。
と言う事で、電車と富士山が同時に写って居る写真を探してみましたが、なんと!!あんまり数がありません。そしてマトモなものも少ないので、「どうぞ、ご覧下さい」とは言いにくい感じです。
■■■ 鉄道と富士山(1) ■■■
まあ、ざっとご覧になって下さい。
(0)「電車と富士が同時に写って居る写真」に間違いはありませんが・・・・オマケに撮影地が富士駅でダブルフジ電車です。
昭和37年(1962年)10月、雨の富士駅です。
オヤジギャグ・・・いや、ジジイギャグか・・・失礼いたしました!!
では、ここからが本番です。
(1)1970年(昭和45年)1月の静岡鉄道駿遠線・大井川駅を出た新藤枝行きのキハD18。ガスが掛かって居る所為でしょうか、富士山のコントラストが弱いのが惜しい。
この年の夏、静鉄駿遠線は廃止されたのです。
(2)(1)の次の駒で、キハD18、だいぶ遠くへ行きました。で、部分伸ばしで。
(3)昭和56年〈1981年)夏の清水港線・三保駅。雪が無いので空に溶け込んでしまい富士がやっと見えます。機関車はDD13224、一番前の客車はスハフ42かな?
(4)2010年(平成22年)9月、伊豆箱根鉄道・大雄山線・和田河原(ワダガハラ)駅。正面の矢倉岳の背後に富士山が顔を覗かせて居ました。
(5)新幹線車中から・・・・初めてまともな写真が撮れました。2011年(平成23年)11月。愛鷹山の陰から姿を現しました。何枚か撮ったのですが、他の駒には、電線や架線柱が写ってしまって居ます。
(6)電車が無くって済みません。背後に富士急行・下吉田駅があります。2012年(平成24年)4月。
(7)富士急行・富士山駅~月江寺駅間で元京王の1102+1002の快速・大月行。2012年(平成24年)4月の撮影。電線と柵がうるさいですね。早く言えば、場所選びに失敗と言う事なんでしょうが。
如何でしょうか?
なんとなく、尻すぼみで終わりますが、ご容赦ください。
では、次号をお楽しみに!!!!
永らく更新して居ませんが [雑談(2)]
■■■ 言い訳というか何というか・・・ ■■■
10月31日以来、全く更新なしで我ながら「何やってるんだ!」と思ったりして居ます。風邪をひいて寝込んだり、色々雑用の山を片付けたりして居る内に、あっという間に20日近くが過ぎてしまったのです。その風邪がなかなか抜けないというか、完全復調ではないのです。ま、そんな訳で、こんな状態になって居りますが、ブログの更新を全く放り出したというわけではないのです。近々、復活するはずですので、またアクセス頂きたく、お願い致します。
以上、お詫びと言うか、言い訳でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月26日に京浜急行の仲木戸駅から神奈川駅まで歩きました。昔、この辺りにあったと聞く「反町駅」の痕跡を訪ねて、歩いたんですが、結局、収穫はありませんでしたが、そのときの写真を二枚ほど・・・。
では、また!!!!!
雑談:駅の売店とか・・・ほんの少し [雑談(2)]
先般、昭和30年代の駅弁屋さんの写真を少々アップしたのですが、今日は、キオスクなんて呼ばなかった頃、鉄道弘済会売店と私は呼んでましたが、そんな写真がちょっぴりありましたので、他の写真とともにアップいたします。
■■■ 雑談:駅の売店とか・・・ほんの少し ■■■
先ずは売店・・・・・
(1)昭和35年1月・・・・発売されたばかり、買ったばかりのオリンパスペンを持って大学生最後の1月、東京駅まで出掛けました。14番・15番ホームの売店です。新聞雑誌、お菓子にパン、お土産に・・・・・等々、これはもう百貨店。いまならコンビニって言うんでしょうが、当時はコンビニエンスストアは無かったんで、デパート!!
(2)(1)の売店をアングルをちょっと変えて撮って居ます。旅する女性の着物姿が珍しくなかった時代です。
(3)昭和35年1月:名古屋行の普通列車。客車列車も沢山ありました。でっかいカートに山の様に商品を積んで「窓の開く電車客車」に売りに来てくれます。
(4)写真が少ないので、同じく昭和35年1月の東京駅の赤帽さんの活躍する姿です。私は、異人さんはみんな大金持ちと思っていた様です。
(5)これは、昭和35年3月の静岡駅。茶壺最中なんて如何にも静岡。
(6)昭和35年3月の静岡駅。お土産重点のカートの様です。丸いのは山葵漬けでしょうね。カートのサイドのマークは「鉄道弘済会」のものです。
写真がほんのちょっぴりしかありませんので、ホームの洗面所の写真でも如何でしょうか?
洗面所は乗客が顔を洗ったり、歯を磨いたりする施設で、大きな駅にはたいていありましたし、蛇口の数も半端ではありませんでした。夜行列車が朝、長時間停車すると大繁盛になりました・・・・と、いっても昭和30年代のが見当たりませんので、昭和55年7月の撮影。
(7) 東海道本線・熱海駅の洗面所。
(8)これは、たぶん、岐阜駅だと思うんですが、如何でしょう。
顔を洗い、歯を磨き、体操をしたりしている乗客が沢山写って居る写真があったら良いのですが、無いのですよ。残念無念。
ちょっと、貧しい写真展になりましたが、ご容赦ください。
では、また次回、何かご覧に入れましょう。
雑談:駅弁写真を少々 [雑談(2)]
先だってのブログで昭和30年代の東海道本線の写真をアップロード致しましたら、思いがけず反響があったので、同じ頃の写真を何枚か並べてみました。
昭和30年代の「お弁当屋さん」の写真なんです。もっと有りそうに思って探したのですが、取り敢えずこれしか出てきませんでした。
■■■ 雑談:駅弁写真を少々 ■■■
昭和30年代は、フィルム代を気にして、私は、今の様にムービーみたいにバシバシ撮る事などできませんでした。現在も一発勝負オンリーですが・・・・。
そんな訳で、鉄道車両以外のものは、殆ど撮って居らず、惜しい事をしたなあ!と今頃思ったって遅いですよね!!(笑)。
(1)昭和34年10月の常磐線。水戸駅の上りホームと思っていましたが、なんだかヘン。色々考えたり、他の写真と見比べたりした結果、土浦駅の方が確率が高そうです。
(2)昭和35年1月:東京駅長距離列車用14・15番線ホームにて。ここは量が多い所為でしょうか、手押し車に山積み。
(3)(2)同じ日の同じホーム。ちょっと形が違いますが機能は同じようです。この頃のお茶容器は、未だ陶器だったと思いますが・・・。
(4)昭和35年1月の東海道本線沼津駅のお弁当屋さん。朝の9時ごろの大阪行普通列車ですが、少なくとも三人写って居りますね。
(5)同じく昭和35年1月の静岡駅。10時22分着~同27分発の5分停車。大阪行123列車です。やっぱりこう言うスタイルの方が感じが出ますね。
(6)静岡駅ですが、(5)から2年経った昭和37年10月です。流石は茶どころ静岡!お茶のカートがでっかいですね。給水中でしょうか?
背後のタイル張りの洗面所が見事です。バックは80系湘南電車300番台。
(7)(6)の写真の右側、お弁当販売用の函に書かれたお弁当の価格。今見るとあまりの安さに仰天しますね。みんな買っても650円です。もっとも、この頃、ラーメンはいくらだったでしょう?覚えて居りません。昭和35年頃は35円でしたが・・・・。
驚くべきことに、沢山のフィルムに、昭和30年代に、お弁当屋さんを写したものが非常に少ないのです。まことに残念な事をしました。
では、また次回!!!!!
雑談:暖房の季節 [雑談(2)]
前の更新が11月20日・・・・そろそろ更新しなければと思いながらも、お出掛けした訳でもなく、話題が無いんです。で、今日は雑談。
寒いですね!冬ですから当たり前なんですが、私は年の所為か、寒さに弱くなりました。そんな寒い日には「暖房」ですね・・・・・・。
■■■ 雑談:暖房の季節 ■■■
古い写真を何枚か並べてみましょう。
(1)この写真・・・何が寒いんだとおっしゃらないで、右下の白い煙みたいなモノをご覧ください。蒸気暖房の客車のお尻から噴き出している蒸気なんです。昭和35年3月の朝です。列車は大阪行の123列車、東京駅発05:56。
この場所はご存じですね?東海道本線の列車が大船を出て直ぐにここを通ります。大船の平面交差。レールを刻むサウンドが賑やかでした。
(2)06:54 列車は藤沢駅を発車しました。朝靄と、暖房の蒸気が風景をぼやけさせて居ます。
(3)06:59 辻堂駅です。スハフ32の蒸気管から蒸気が盛大に吹いて居ます。蒸気方式の暖房は、ふんわりした暖かさで、なかなか快適でした。
もう、昭和真っ只中の駅と言う感じでしょう?
(4)客車の部分だけ拡大してみました。二重屋根にアンチクライマ・・・素敵ですね。
(5)ホームのおじさんたちのファッションはモロに昭和中ごろです。
(6)跨線橋の「この位置」によく駅名が書かれていました。
(7)この暖房用の蒸気は機関車から送られていました。もともと、蒸気機関車から供給されて居たのですが、電化とともに電気機関車からと言う事になりました。
当時の電気機関車EF58には蒸気発生装置(SG)が積まれていて、そこから送られて来るのです。EF56、EF57も同様でした。
写真は昭和35年の、新橋~有楽町間ですが、高速道路との間の空き地には、後年、新幹線が建設されます。
(8)昭和29年の東京機関区。EF58の新旧の並びです。旧型には蒸気発生装置はありません。では、暖房は如何するか・・・・蒸気発生用ボイラを積んだ「暖房車ヌ」を連結します。
(9)ここで、暖房車の写真が出てくればいいのですが、残念無念!撮ってないんです。仕方なく、半分写って居る写真をご覧ください。これも、昭和29年2月、東京機関区のそばで撮ったものです。機関車はEF58で、暖房車はマヌ34形。マヌ34は、蒸気機関車2120形のボイラと、無蓋貨車トキ900の台枠、そして、なにかの台車を組み合わせて作ったと、昭和30年頃の雑誌で読んだような・・・・。
寒いので、暖房車のことなど、思い出しています。蒸気暖房なんて今の若い方には想像もできないシステムだと思います。
蒸気暖房は、次第に電気方式の暖房に変わって行きました。蒸気式暖房は、蒸気機関車牽引の時代の名残だったのでしょう。まあ、のどかな時代でありました。
では、また次回!!!!!
東京都「町田市」にはどんな電車が・・・ [雑談(2)]
前回の更新から一週間が経ちました。お正月後には、結構、雑用があり、その上、寒い所為もあって(意気地なしっ!)何処へも行っていないので、書くことがありません。古いフィルムのスキャンも何となく面倒だったりします。
それでは、格好がつきませんので(笑)、ちょっとだけ写真を並べます。
私は東京都の西南の端っこの町田市というところに住んでいます。中学校時代に社会科で、東京都の島嶼を除いての最南端は、「南多摩郡町田町」である・・・と、習ったのを今でも覚えています。
人口は43万人を少し切った426,269人(2013年12月1日現在)と、町田市のホームページにありました。私が引っ越してきて少したった昭和40年代、未だ30万人に満たなかった事を考えると随分増えたものです。
周囲を、南から時計回りに「横浜市~大和市~相模原市~八王子市~多摩市~川崎市」に囲まれています。丘陵と谷戸、森と田畑、団地と戸建の住宅地・・・・結構住み易いところです。
そんな町田市を、横方向に小田急電鉄、縦方向にJR横浜線が走って居ります。さらに南の方に横方向に東急田園都市線、北の方に横方向に京王電鉄相模原線が走っています。
こんな説明も地図で説明すれば一目瞭然なんですが、地図を描くのは、面倒なのでやりません。ゴメンナサイ!ご容赦ください。
そんな線路を走る電車の写真を並べて見ましょう。電車の形式選びは、私の好みを一寸入れたランダムです。
■■■ 東京都「町田市」にはどんな電車が・・・ ■■■
先ず最初は小田急です。市内の駅は、「~鶴川駅~玉川学園前駅~町田駅~」で、鶴川駅・玉川学園前駅間にトンネルがあります。
(1) 特急ロマンスカーLSE7000形。何時見ても、格好良いなあ!いい色だなあ!と思います。町田駅の新宿寄りです。 (2010年4月10日撮影)
(2) 町田駅の新宿側で(1)に近い。3000形の各停・新宿行。(2011年10月8日撮影)
(3) 1000形の快速急行藤沢行。鶴川駅が小さく見えています。(2010年11月8日撮影)
(4) (3)の場所で特急あさぎり号のMSE・60000形。(2014年1月11日撮影)
お次は、JR横浜線。有名で意外な黒字路線です。車両は全部205系・界磁添加励磁制御車の8連ばかりです。駅は横浜市内から「~成瀬駅~町田駅~」そして暫くは相模原市を走り、県境の境川を渡ると再び町田市の「~相原駅~」で境界を隧道で抜けて八王子市に入って行きます。
この205系電車も、そろそろ退役して2014年度中にはE233系電車に替わるそうで、すでに一部は完成したという話を聞きました。
(5) 成瀬駅を出て東神奈川方面に向う205系8連の桜木町行。2両目に6扉車がついています。(2013年11月18日撮影)
(6) 土日祝日運転の特急はまかいじ号・松本行の185系(2008年4月13日撮影)
(7) 町田市役所新庁舎脇を走行する205系の8連。脇の川は境川で江の島からたまにカモメが来ます。川の向こうは「大体は神奈川県相模原市」・・・というのは県境が昔の川なりなので改修後の川と一致していないのです。(2012年8月29日撮影)
市の南の方には東急・田園都市線が橋って居ます。横浜市の長津田駅から来た電車は「~つくし野駅~すずかけ台駅~南町田駅~」と町田市の住宅地を走って大和市へ抜けてゆきます。つくし野駅~すずかけ台駅間には隧道があります。
(8) つくし野駅を発車して中央林間に向う8500系。(2010年1月20日撮影)
(9) つくし野の築堤を行く5000。(2011年6月16日撮影)
(10) 東武なら50050が普通なんですが、ここは私の好みで30000系。先頭車31604でパルシステムのラッピングカー。「こんせんくん」のヘッドマークをつけていました。(2007年3月21日撮影)
(11) つくし野の築堤で、東京メトロの8000系。(2011年6月16日撮影)
最後は京王電鉄・相模原線。八王子市の南大沢駅から隧道を抜けると町田市の「~多摩境駅~」で、一寸走って県境の境川を渡ると相模原市に入って行き終点の橋本駅でJR横浜線・相模線に接続します。
(12) 多摩境駅・・・このころは元気だった懐かしい6000系の快速・新宿行が隧道に入って行きます。(2008年9月7日撮影)
(13) 同じく多摩境駅の9000系快速・橋本行。(2008年9月7日撮影)
こんな鉄道路線に、バスが絡まって、交通のネットワークを作っています。駅から放射状のバス路線(神奈川中央交通、小田急バス、ほか)はあるのですが、横方向の路線が少なく、必ずしも便利でない地域もあるようです。
今回は、町田市の電車について書いて見ました。では、また次回!!!
ブログの更新に関する実験 [雑談(2)]
実験です
ここ数日間、何故か、ブログの本文の入力が出来なくなり・・・・と、云う事は、更新が出来なくなり、どうやって解決するかわからず、落ち込んでおりましたが、本日、So-netさんのサポートの方のご指導で、なんとか、脱出できたようです。
何故、更新不能になったか解からないので、暫く様子を見ようと思っています。多分大丈夫でしょう。
画像も入れてみましょう。
国鉄御殿場線・谷峨駅に差し掛かる小田急のキハ5100形。昭和38年。
今後ともよろしくご愛読頂きたく存じます。では、次回の更新をお楽しみに!