夕食は横浜・崎陽軒の「おべんとう 春」 [雑談(2)]
今日で2013年2月もお終いですね。早いもので二ヶ月が、ホントに、あっという間に過ぎてしまいました。
今日は仕事も無くのんびり過ごしておりましたが、お出掛けしていた家内のお土産は、横浜・崎陽軒の駅弁でありまして、今日の晩御飯は、「駅弁」。私は駅弁は大好きなので、もう、バンザ~イ!なんでありますね。
■■■ 夕食は横浜・崎陽軒の「おべんとう 春」 ■■■
そんなわけで、2013年・平成25年2月28日・木曜日の夕食は、横浜・崎陽軒の「おべんとう 春」@650-でした。お弁当だけではなんですからと、家内が、「白菜の漬物」、「苺」、そして「味噌汁」をつけました。
(1) これだけ揃うと立派なDinnerでありますね。
(2) 「おべんとう 春」の掛け紙は、櫻の意匠。ホンモノの櫻は、あと一ヶ月近く掛かります。
(3) 蓋をとると、ご飯は「たけのこご飯」。定番のシウマイに、焼き魚、タマゴ焼き、煮物に和え物、漬物に食後の超小型大福まで、賑やかなラインナップです。もちろん、お味も中々でした。
この崎陽軒のお弁当は、季節シリーズみたいなのがあって、春夏秋冬、違った趣向の掛け紙と、中味で勝負しているようで、季節が変わると、よく買い求めて来たり致します。
私は、駅弁が好きなだけで、研究者でもコレクターでもないので、よく分かりませんが、何度も、過去のブログにも書いて居りますので、今回は、「横浜・崎陽軒のおべんとう・季節シリーズ」の画像を四季分、集めてみました。
(4) 2012年5月の「おべんとう 初夏」。
(5) 「おべんとう 初夏」の中味です。
(6) 2010年7月の「おべんとう 夏」。
(7) 「おべんとう 夏」の中味ですが、光源の具合でしょうか、白っぽくって美味そうな感じが出ませんでした。
(8) 2012年10月の「おべんとう 秋」。
(9) 炊き込みご飯が実に美味そうに撮れました!
(10) 2009年12月の「おべんとう 冬」。
(11) 中味は・・・・・。
これで、「崎陽軒」の「季節シリーズのおべんとう」写真はお終いです。
また次回に!!!
今日のお昼ご飯・・・・ウオーミングアップ [雑談(2)]
こんばんわ、一週間、間が空いてしまうと、なかなか「ブログを書く気分が盛り上がりません」。ここらで、勢いをつけて、ガ~ッと書かないと、このブログ「お出かけ通信:blog版」、このまま萎んでしまいそうな気がする。
なにかに、かこつけて短い文でも書いてゆかないと・・・・と、キーボードを叩き始めました。
今日、2012年・平成24年10月26日・金曜日、朝から相模大野駅から一寸歩いた、伊勢丹にスニーカーを買いに行きました。私が、身に付けるものを買いに行くなんて、稀有な出来事なんです。町田駅から小田急に乗りましてひと駅、相模大野駅、ここから一寸歩くわけです。が、結局、気に入ったものがなく町田に戻って、小田急百貨店で、店員の方に色々ご苦労頂いて、NB印の黒のスニーカーを買ったんです。
もう、12時になっており、お腹も空いているし、お弁当を買って帰ることにしました。
小田急デパートの地下の食品売り場、崎陽軒のコーナーで、こんなお弁当を二つ買いました。
(1) 「おべんとう 秋」、オレンジっぽい掛紙には紅葉したモミジ。いかにも秋!
(2) 中々の陣容でしょう?これで650円です。
家に帰って、家内と二人でお茶を入れて食しました。お弁当ですから、当然、温かくはありません。でも美味いんだなあ。惜しかったのは、家の食卓で食べたのですが、これが、列車の乗って食べたのだったら、更に美味かっただろうなあと思ったものです。
左下の「鶏きのこご飯」が美味しい。崎陽軒らしく、二つですが、ちゃんとシウマイも入っていました。
(3) お弁当の中味の明細です。
調子が出ないので、こんな短文で終わることにします。まあ、ウオーミングアップという訳ですが、段々、調子が出てくると思いますので、よろしくお願い致します。・・・・・では、また次回に!!!!
更新無しの新記録?!・・・・言い訳です [雑談(2)]
こんばんわ、一週間も更新無しが続きました。ご心配をお掛けしたと思いますが、外国旅行に行っていたわけではなくって、先週の何日か、風邪と腰痛でひっくり返って居たのです。風邪は一応治ったし、ま、たいした事は無いのですが、「お出掛け件数=ゼロ」では、「昔話」をするしかありませんし、それを如何書くかが、思い浮かばなかったのです。でも、Facebookの方は、「画像+数行の文章」でいいので、書いておりました。今週の中頃には、お出掛けの予定もありますし、近日中には「お出かけ通信」が書けると思います。
これだけでは、格好が付きませんので、二年前の2010年に、発表済みの画像を二枚・・・・・・。
(1) 国鉄相模線・番田駅:1964年・昭和39年1月・・・・・東京オリンピックの年です。我が家から一時間も掛からないところに、こんなのんびりした駅があったんですよ!!
(2) 2010年3月27日、(1)の場所へ行きました。同じアングルと思ったんですが、其処と思しき場所に行けなかったので、近い場所からのショット。お稲荷さんも、もちろん、赤い鳥居もちゃんとありました。しかし、周囲の環境は、我が家の近所と殆ど変わらなくなっておりました。まあ、いい事なんでしょうが・・・・。
では、今週中には、また書きますね!!「RSS」にご注目下さい。
連接バスから連接電車・・・何と無く尻切れ [雑談(2)]
2012年5月28日から、私の地元、東京都町田市に神奈川中央交通では三番目、東京都の一般路線パスでは最初の連接バスが運行を開始しました。私は見なかったけれど、NHK-TVのニュースに出ていたらしい。
私も、早起きして一番の発車を見に行って、5月29日付のブログにも書きました。
■■■ 連接バスから連接電車・・・・何と無く尻切れ ■■■
まずは、連接バス・・・・・
(1) 神奈川中央交通の連接バスを二種・・・・上は小田急の湘南台駅から慶応大学への路線に使用している、ネオプランのセントロライナー(確か、2007年の撮影)。下が、先般、2012年5月末、町田市内で運行を開始したメルセデスベンツのシターロ。
(2) 1999年に幕張まで見に行ったのはボルボのシャーシーに富士重工の車体を載せたものでした。120万画素のデジカメを使ってましたので、画質がよくありません。
1985年の、つくば万博のとき、国鉄の特設駅から会場までお客さんを運ぶのに100両くらいの連接バスを使ったのですが、それを万博見物の際、撮影してある筈なのですが、フィルムが出て来ません。これも、ボルボ+富士重工でした。初めて見たときには、かなり吃驚したものです。
連接バスから、連接つながりで、鉄道の「連接車」です。私も、1954年以来、何例かの連接車を写しています。それを並べてみようと思い立ったのは良いのですが、日本の各地で、結構、連接車が運転されていて、全部を調べるのも大変、さらに写していない車両の方が、圧倒的に多い訳で、簡単に見付かった画像だけを、並べただけという、かなりいい加減な、何と無く中途半端なブログになってしまいました。
まあ、そのあたりは、大目に見てください。1954年から、ほぼ年別に並べてあります。
こんなのも居たなあ!って気分でご覧頂ければと思います。では、どうぞ・・・・。
(3) 1954年: 京阪60形びわこ号(三條)
(4) 1958年: 近鉄10005、初代ビスタカーのドーム部分が連接構造(高安)
(5) 1959年: 名古屋市電2700形2709(納屋橋)・・・・2600形というのもあった。
(6) 1961年: 東急玉川線200形203(桜新町~用賀)
(7) 1961年: 東武鉄道日光軌道線日光駅付近200形204
(8) 1961年: 近鉄二代目ビスタカー10100(上本町)
(9) 1962年: 江ノ電305+355のポール時代(江ノ島・龍口寺前)
(10) 2011年: 江ノ電355+305・・・・・(9)から49年経った姿
(11) 1966年: 小田急3000・SE車(新原町田)
(12) 1972年: 小田急3100NSE車はこね号(新原町田~玉川学園前)
(13) 2000年: 広島電鉄3950形3955(八丁堀あたりだったような・・・・)
(14) 2000年: 広島電鉄3000形、元・西鉄(三越駐車場なんて看板があるので矢張り八丁堀近辺かと)
(15) 2010年: 東急世田谷線300形306(下高井戸)
まだまだある、日本の連接車。我ながら撮ってないなあ、見てないなあ、フィルムの保存もいい加減だなあ・・・・と、思いましたね。そんな訳で、この辺で、中途半端に終わることに致します。ごめんなさい!
昨日の夕食と一枚の鴨川京阪写真1975年 [雑談(2)]
2012年・平成24年5月26日・土曜日のお話です。
■■■ 昨日の夕食と一枚の鴨川京阪写真 ■■■
昨夜の夕食は「駅弁」でした。駅弁といっても小田急百貨店町田店B1Fの崎陽軒の売り場で買ってきたものです。たまには、こう言う趣向の食事も旅気分で嬉しいものですね。
(1) 季節のお弁当で「おべんとう 初夏」。包装紙の右下にあるように640円。
(2) お茶をいれて、包装紙を取ると、こんな感じ。ちゃんとシウマイも二つ入って居ります。ご飯は一見少なめですが、私には充分。キスの磯辺揚げはそれほどではなかったけれど、鶏の利休揚げ、もちろんシウマイが美味かったなあ。
(3) おべんとうの明細がついていますのでご参考まで・・・・・。
美味しく、楽しく夕食を済ませました。
これだけでは、ちょっともの足りません。お食事後のデザートに「京菓子」など如何でしょうか?以前、このブログにてお召し上がりになられた方もいらっしゃいましょうが・・・・・。
■■■ 京阪電車四条駅1975年 ■■■
お話は1975年。昭和50年8月、当時9歳の長男と京阪エリアに電車乗りの旅。かなり以前に当ブログにて旅日記を書いた事がありますが、その中の一枚の写真から・・・・・。
(4) 京阪電車四条駅の対岸からの眺めです。淀屋橋行の特急3000が居ます。鴨川の流れで遊ぶ子供。夏の風景ですね。
(5) 四条駅のバックには大正年間の建築物、レストラン菊水のビル。京阪の線路は地下化で道路になってしまいましたが、ストリートビューで見たら、このビルは、ちゃんと残っています。しかし、その背後に写っているガラス張りのビルは、無くなっちゃったみたいです。
(6) 石垣に緑の植え込み、その向こうを行く赤い電車に緑の電車。もう、今ではこの眺めも想い出の中にしかありませんね。
(7) 鴨川の流れで遊ぶ子供たち。この子達も37年の時間が流れ今では40歳代に入ったお父さんになっているのでしょう。
・・・・と、いう事で今日のブログはオシマイと致します。では・・・・・。
雑談:「つつじの花」と「駅の表示器」 [雑談(2)]
■■■ 雑談:「つつじの花」と「駅の表示器」 ■■■
今日は、大和市から座間市、相模原市方面に出掛けていたんですが、その帰り道、ウチの近所の道路・・・・歩
道に植えられたツツジの花が満開で綺麗。あんまり綺麗なので撮ってきました。
(1) 花束みたいですね!
(2) 実は、こんな状態で咲いているのです。電柱をささえるスチールのより線のプラスティックカバーの中を、つつじの枝が伸びて上端から顔を出している。
(3) 恐らく、東電で貼り付けたと思われますが・・・・・。「ど根性」という言い方は余り好きではありませんが、以前、新聞にとり上げられたときに、そんな風に呼ばれたみたいです。「ど根性ダイコン」なんてのも、テレビで見た気がします。
さて、話は時間を遡ります。いまから7年前、2005年5月9日に、携帯電話で撮影した、同じツツジです。
(4) 比較してみると、現在は、この頃から見ると、かなり成長しましたね。
(5) 毎年、このツツジが、どのくらいの花をつけるのか、気にしている方は、沢山居ます。結構、愛されて居ります。
管理は、東京電力、それとも、町田市でしょうか・・・・。つつじを植えたのは町田市だろうし、電柱は東電だろうし。まあ、今後も、この状態で育って行って欲しいなあと思っています。
全く電車カンケイのお話しをしないのもどうかと思いますので、話題を変えましょうね。
話、変わって・・・・・
前々回のブログ、「京浜急行」の時に撮った写真を何枚かご覧下さい。南太田駅で撮ったものです。
(6) 11:44 新逗子行のエアポート急行。永年見慣れている為かステンレスより、このアルミ車体に塗装したものの方が、好みに合う気が致します。
(7) 京浜急行の楽しさいろいろ「お得なきっぷが盛りだくさん!!」というポスター。
きっぷは・・・・・・
「京急&東京スカイツリー周辺散策フリーきっぷ」、「大田江戸前きっぷ」、「東京1DAYきっぷ」、「横浜1DAYきっぷ」、「弘明寺みうら湯きっぷ」、「よこすかグルメきっぷ」、「東京湾フェリー往復きっぷ」、「みさきまぐろきっぷ」、「三浦半島1DAY・2DAYきっぷ」・・・・・と、盛りだくさん!!!
私は以前、「みさきまぐろきっぷ」で三崎までマグロのご馳走を食べに行ったけれど、「2100の快特」は快適だったし、ご馳走も美味しかったです。
そして、横浜駅ホームの天井からぶら下がっている、正式名称は知りませんが「発車時刻表示器」。
(8) じつは、これが今日のメインディッシュの『つもり』なのです。
正式な呼び名は知りませんが、行き先や時刻などが、「パラパラと変わるヤツ」、パラパラ方式とでも言うのでしょうか。見ていて楽しくなりますので、デジカメの動画モードで撮ってきました。
この方式の表示機をはじめて見たのは、東京駅の遠距離ホームで、昭和30年代の始め頃だったでしょうか・・・・。
では、今回はこの辺で!!!!!
オリンパス35-Ⅳ:色々勉強させて頂いた写真機! [雑談(2)]
今日は、古い・・・・今から60年くらい昔の・・・・写真機のお話を致しましょう。
先日、こんなカメラ・・・・「オリンパス35-Ⅳ」を入手いたしました。
何時も、当ブログにコメントをいただいて居り、何度か、お目に掛かっても居る、おおや様のご尽力で、手に入れることが出来ました。本当に有難う御座います。
■■■ オリンパス35-Ⅳ:色々勉強させて頂いた写真機! ■■■
そのカメラは、現在、私のの右前方から、F3.5/40mmのレンズで私を見つめて居ります。
(1) 日々、私のお相手をしてくれている「エプソンAT-960」の上に、「京浜急行創立60周年記念のデハ700の置物」と並んで、その「オリンパス35-Ⅳ」が、こっちを見ています。
あれは、1953年・昭和28年の8月でした。兄が、銀座までカメラを買いに行くと言うので付いて行きました。銀座の三原橋のたもとに、今でも盛業中の、「ミヤマ商会」。購入価格は、確か、15,000円台だったような記憶があります。
この日から、このカメラを使わせてもらって、電車や汽車の写真を撮りました。昭和28年と言うと、私は高校1年生で15歳でした。この時から、昭和34年辺りまでの6年間、何本のフィルムを使って、電車汽車を撮ったことでしょう。随分、鉄道写真の勉強をさせてもらった、想い出のカメラです。
(2) 斜め前上方から見た姿。メカ一辺倒・・・・必要なものしか付いていない・・・・だけど美しい姿だなあと思います。
(3) 真正面から・・・・・レンズは「Zuiko F.C. 1:3.5 f=4cm」、シャッターはコパルで、B~1/300秒。私が実際に使ったのは、この前のバージョンらしく最高速度1/200でした。
(4) 距離併せは、ヘリコイドではなく前玉回転式。赤い数字は24ftで、絞りの赤点・・・F6.3と組み合わせて、常焦点・・・・「12ft~∞」となっていました。フィルターはかぶせ式。私は専ら、常時これに合わせていて電車を撮っておりました。
(5) 右下はフラッシュ用のソケットで、コダック方式。コードを押し込んで右にひねると固定されます。
(6) フィルム巻上げノブで、フィルムを入れたときに「0」にセット、シャッターレリーズボタン、R-D-Aの切替レバーは、R=巻き戻し、D=二重露出。A=通常撮影。
(7) 底面・・・・・右のツマミを左に回すと裏蓋を外せて、フィルムの出し入れが出来ます。
(8) 裏蓋をスライドさせますと、パコッと外れます。左側にフィルムを入れるのですが、カメラの所為か、パトローネの所為か判りませんが、巻き上げ不良となることが殆どで、私はもっぱら専用のマガジンにフィルムを詰めて使っていました。ダークバッグなんて洒落たものは、持ってませんでしたから、押入れの中で布団をかぶってやってました。
ホールドしてみると、少年時代の、あの感触が思い出されて、ジーンとなります。おおや様のお陰で、想い出のカメラを入手でき、感謝感激です。
さて・・・・・そのカメラで撮った写真なんですが、このブログや、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」で公開している写真で、昭和28年から昭和34年あたりまでのものは、殆どが、このカメラで写したものです。
このカメラを、快く使わせてくれた兄・・・・本当に有り難いことでした。
以下、7枚の写真は、全て、当ブログ公開済みのものです。先ず、昭和28年に写したもの二枚。
(9) 銀座で写真機を買っての帰り道、新橋から品川まで、東海道本線に乗りました。横須賀線だったかもしれません。サービスで入れてくれたフィルム・・・・コダック・プラスX・・・・に上り湘南電車が写っています。これは、新橋駅です。
(10) これも、同じフィルムだったようで、日付は違うかもしれませんが、銀座の服部が写っています。(9)は曇りですが、この写真は日が照っています。
その翌年、昭和29年には、このカメラを持って、関西旅行。
(11) 阪神国道線の金魚鉢。最初に写した関西私鉄電車。
(12) 西宮北口の阪急神戸線特急。
(13) 阪急宝塚線。いまはどんな風景に変わっているのでしょうか・・・・。
(14) 阪神881形を先頭に梅田行の急行。今津ですが、いまは高架となり、眺めはすっかり変わりました。
(15) 南海上町線の住吉。電車はモ101形。先般の京阪神の旅で、ここを訪れましたが、建物は変わっても、雰囲気は残っているなあと、思いました。
現在、主として使用中のカメラは、ディジタルカメラ・キャノン・パワーショットG9、ホールド加減も重さも、このオリンパス35に共通するものがあるのです。そんな写真機・・・・オリンパス35-Ⅳ形の思い出話でありました。
昭和の中頃、足掛け7年間も、この写真機を使わせて下さった兄と、昨年、そのオリンパス35-Ⅳと同形機を探し出して下さった、おおや様への感謝の気持ちで、この一文を書きました。
では、また次回!!!!!
ご質問に答えて・・・
(16) 御質問いただきましたオリンパス35の巻き上げ軸のフィルム保持方式ですが、その部分の接写写真を掲げます。巻き上げ軸には、弾力のある金属板を二本のビスでとめてあります。そこへ、フィルム先端を挟み込むのです。その金属板が無くなってしまっているのかもしれません。チェックしてみて下さい。
又も雑談です・・・・今朝のむ~さん [雑談(2)]
今日も雑談です。先週引いた風邪、主治医に貰った薬を飲んで、土曜、日曜と寝ておりました。薬石効あった様で、昨日、11日・月曜日は朝から起きて、のんびりして居りました。しかし、やっぱり不調。夜は早めに寝たんですが、夜中に一旦目が覚め、なかなか寝られず転々。でも、なんとか寝たらしく目が覚めたら5時半。体調はかなり改善されて、もう大丈夫みたいです。
昨日は、徒然なるままに、HDDに入れてある、以前に写したディジタルカメラの画像データを覗いて居りましたが、以前の関西への旅の画像を眺めて、何処をどのように乗り回したかは判ったんですが、何処で何を見たかの記録が非常に少ないのに気がつきました。オマケに、画像の質も良くないのです。眺めているうちに、「関西の電車に会いたい!」とも想いが強くなってきました。
■■■ 憧れの関西電車 ■■■
1999年に定年退職したあと、関西の電車には、2000年1月、2001年11月、そして2006年3月の三回しか会っていないのです。画像は、先代、先々代のデジカメのものしかありません。
会いたいなあ!撮りたいなあ! 何コマかをつないでみました。
(1)
(2)
阪神、阪急、京阪、近鉄、南海、阪堺、嵐電、叡電、山陽、各地の地下鉄、モノレールに新交通システム・・・・まだまだあると思います。必見の会社は何処なんだろう?如何削って、如何回りましょう。
もう、一日歩き回ったら、疲れてしまう私、体力的に何日あれば・・・・、何処を削れば・・・・、などと、いろいろ考えています。勿論、夏の間はダメ(熱中症で引っくり返るかも知れず)で、秋になって、阪堺のモ161が出て来る頃合になったからでしょうが・・・・・・。
こんな事を、考えておりました。
・・・・・ま、こんなところで今日の日記はおしまい!
踏んだり蹴ったり・・・・とほほほ [雑談(2)]
2011年・平成23年7月6日・水曜日、わが愛機、EPSONのAT-960、使用中に突然落ちました。画面が真っ黒!電源が落ちてしまったのです。何回か試行して見たんですが、ウインドウズが立ち上がりません。
「やば~い!!!!」。一瞬、頭真っ白。
・・・・・で、早速、メーカーさんのサポートと電話でやり取りした結果、PC中の温度上昇らしいとのご託宣。何故温度上昇かというと、『ほこり』だろうとの事。そういえば、最近、冷却ブロワーの回りだすのが早すぎる。お正月に遊びに来た息子にも、このPC,音がでかすぎる!と指摘され、「これは、ゴミ掃除、必須!」と、おもいつつも、あっという間の半年経過。
6日の夜は仕事なので、出かける途中で、ヨドバシカメラに立ち寄って、エアダスターを買ってきただけ。
次の7日・木曜日は、仕事だったので、何もせず。
8日・金曜日の朝から、パソコン内部の清掃作業開始! カバーを取ると、別段、埃の山って訳ではなさそうです。しかし、よくよく見れば、CPUの冷却フィンにブロワーが乗っていますが、ブラワーの羽根の向こうに見える、そのフィンに、『綿ゴミ』が結構積もっていました。まったく向こうが見えないくらい。
ダスターで吹き飛ばし、静電気を考えつつ、ピンセットで丁寧に埃を取ってゆく。15分も経たないうちに完了。
収穫した埃の総量は、『お雛様の座布団が作れるくらい』(笑)でした。
カバーを元に戻し、周辺機器も接続して、電源オン。一発でウインドウズXPは立ち上がってくれました。その後、断続的に3時間以上使って居りましたが、ブロワーもうるさい音で回らず、落ちもせず、順調に動いていますので、一応解決したようです。もう、大丈夫と思われます。
2007年5月に購入、2009年2月にメーカー修理後(CD/DVDドライブ交換)、約2年半で、この大量の『埃』、私の場合、カーペットは敷いてある、布団を敷いたり上げたり、そんな環境ですが、皆様のパソコンの中のは、如何でしょうか?
さて、もう一つ、先日から、なんとなく体がだるい。鼻水も出る、微熱もある、咳も出てきました。だんだん、快方に向うどころか、悪くなってゆく。これは、拙いので、主治医のところに言って対策用の薬を貰ってきました。今日一日、家でおとなしくしていようと思っています。
そんな訳で、ブログの更新が出来ず、7月4日・月曜日以来、4日間の穴が空いてしまいました。何か、目新しいものでもないかなあ?と、考えたんですが、こんな画像でお茶を濁してしまいます。全く、面目ないお話です。
PCは動かなくなるし、風邪はひくし、ブログも更新できないし、なんだかエライ事になって居ます。
今日日、朝、一番で更新・・・・と、思って、アップロードの手続きをしたんですが、何故か、アップせず、折角書いた原稿も消えちゃたので、イチからやり直しです。
・・・・・と、言う事でオマケ画像です。
■■■ 流山駅 ■■■
(1) 1962年・昭和37年1月、流山電気鉄道の流山駅です。長閑な風景ですね。右の雑木林の斜面が素敵ですね。
(2) (1)の電車部分を拡大してみました。右端は元・南武鉄道のモハ100ですが、その奥は何だかわかりませんが、グロベンが並んでいるようです。左端もモハ100のように見えます。
(3) 時は流れて、2007年10月、こちらは総武流山電鉄の流山駅。青い電車は「青空」のヘッドマークをつけたモハ2001で、元・西武801系なんだそうです。右側の雑木林の斜面もコンクリートで固め、上に三階建ての建物が建っていました。
そんな訳で、どうにかブログ更新も出来ました。今日一日、のんびり体調回復に努めようと思っています
クイズ・・・・何処でしょう? [雑談(2)]
久しぶりに、「クイズ」です。まあ、ネタ切れの苦し紛れですけれど・・・・・。
■■■ クイズ・・・・何処でしょう? ■■■
(1) 問題: ここは「何処」でしょう?(ぼかしの入っている箇所はヒントになってしまうからです)
そして、写っている「電車の形式」は・・・・・?
撮影は昭和35年3月・・・・難問かな?意外と簡単かもしれません!・・・・お答えはコメント欄にお書き込みください。
答えは、「このまま、下のほうへスクロールしてください」。(ご面倒でしょうが、これからクイズに参加される方もいらっしゃるかと・・・・・)
もう少しスクロールを・・・・・。
申し訳ありません。もうちょっとです。
では・・・・・・回答です。
何人かのかたは正解を出されて居りましたが、「昭和35年3月、国鉄東海道本線金谷駅上りホームで、東京行普通列車の窓から見た大井川鉄道の電車、右からクハ502~モハ301」です。
(2) (1)の写真の「ぼかし」を取り除きますと、「千頭の行先板」、電柱の「皆様の百貨店・松菱・浜松」なんてのが見えてきます。(松菱は2001年11月倒産)
(3) ちょっとズームアップしてみましょう。夕方の撮影ですから、この少年少女たちは下校時の姿。バックの瓦屋根も素敵ですね。
(4) さて、電車の部分を更に拡大してシャープネスを掛けて見ましょう。モハもクハも、見れば見るほどチャーミングな車両ですね。
電車の素性ですが、友人TSさんに、出典・鉄道ピクトリアル臨時増刊「私鉄車両巡り10分冊」として、教えて頂きました。
■ クハ502・・・・・・宮城電鉄モハ602→国鉄モハ2310→大井川クハ502
元電動車だけあって屋根に通風器がない場所があります。
■ モハ301・・・・・・国鉄モハ1035~三信鉄道デ307~国鉄デ307~大井川モハ301
この撮影後、二扉化されたとの事です。
時は流れ、2010年4月・・・・・金谷駅の様子をご覧下さい(一部公開済み再録)。
(5) 東海道本線金谷駅下りホームから見た隧道入口。
(6) これは、昭和35年3月、金谷駅から写した町の風景。
(7) 2010年4月4日、大井川鉄道ホームから見た金谷駅近くの町の風景。駅近くの家々は殆ど改築されて居ますが、雰囲気は残っています。そして、遠い、お茶の山・・・・これが、そのまんまなのには驚きますね。
(8) 近鉄から来た電車・・・・京阪や南海から来た電車も居る、現代の大井川鉄道。蒸気機関車も居るし、なかなか魅力的な私鉄です。
(9) 国鉄もJR東海となり、20m客車を連ねた長距離客車普通列車も、区間運転の軽快な電車になりました。
昭和35年の大井川鉄道の一齣でした。
では、また!!!!!