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のどかな時代(17):小田急代々木上原駅&東北沢駅1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和35年・1960年1月のある日の、『オリンパスペン』での「メモ撮り写真帳」の三回目です。今回は、代々木上原駅と東北沢駅です。

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■■■ のどかな時代(17) ■■■

■■■ 小田急1960年:代々木上原駅&東北沢駅 ■■■

pen-para.gif さて、新宿から四つ目の、代々木上原駅です。いまや、地下鉄・千代田線への乗換駅として快速急行も停まる駅ですが、当時は各停オンリーでした。そんな訳で、今の上原から当時をイメージするのは難しいですね。

(1-1)新宿行の急行が通過して行きます。
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(1-2)デハ2220の4連です。
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(2-1)各停の新宿行が来ました。デハ1200+デハ1200+クハ1450の3連です。
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(2-2)電車部分を拡大してみましょう。
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(3-1)デハ1200形をアップにしてみました。大きな碍子のパンタグラフ、ウインドウヘッダが優美な曲線を描いて居ます。更新工事済みで、オリジナルを知らない私、何処が変わったかよく分らないのですが、両運が片運になったり、ドアがスチールになったり・・・・・。
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(3-2)大きなパンタをクロースアップ。
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pen-para.gif 上原の次は東北沢駅です。私が東北沢駅を最初に見た昭和29年、すでに中央二線が通過線、両側二線が退避線で対向式ホームがついて居りました。

(4-1)乗ってきた電車は1600の様です。中線を通過電車が行きます。下車したお客さんが構内踏切で待って居ます。
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(4-2)(4-1)の電車部分を拡大。2220形の箱根湯本行の急行です。
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(4-3)(4-1)の踏切で待つお客さん。左の二人は男女の高校生でしょう、その右はサラリーマン?ここにも南新宿と同じ「通過電車がありますから左右に御注意下さい」の注意書きがありますね。
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coffee.gif 代々木上原駅、東北沢駅、55年の歳月が流れ、何れもびっくりするほどの大変化。このシリーズは、残り画像も少なくなりましたので、あと一回くらいで終わりと致しますが、その前に、「お出かけ通信」の「宇都宮・烏山編」をお届けする予定です。
(1)宇都宮では、市の公園で保存展示されている「EF57」
(2)烏山では烏山線で活躍中の蓄電池電車「ACCUM」
ご紹介いたします。ご期待ください。

 では、また!!!!!


■■ 参考画像 ■■ デハ1200サイドビュー ■■

 1200の窓が分る写真をこのとき経堂で撮って居ましたので、貼って置きます。たしかに、ドア間窓数が2+3+2なっておりますね。1200は完成時にはモハニ101形と言い、ドア間の窓数は3+3+3の図面が機芸出版社刊:私鉄電車プロファイルに出て居りました。更新工事でこの様になったのですね。この写真はオリンパスペンの35mmハーフなので、写りは良くないのですが、一応、窓の状態が分ります。
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のどかな時代(16):小田急参宮橋駅1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和35年・1960年1月のある日、『オリンパスペン』を持って小田急電車の写真を見に行きました。前回は南新宿駅の写真をお目に掛けましたが、今回は参宮橋駅です。昭和の中期、1960年の小田急!ご覧下さい。

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■■■ のどかな時代(16) ■■■

■■■ 小田急1960年:参宮橋駅 ■■■

pen-para.gif さて、新宿から二つ目の駅、参宮橋駅です。

(1-1)顔が光ってしまい良く読めませんが「箱根湯本」行、「2200の2セット4連の急行」が通過して行きます。向こうの陸橋を右方向に行けば明治神宮の西参道。
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(1-2)2200の顔の部分、いじってみましたら箱根湯本の文字が判読できました。
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(2-1)(1600+1650)×2の成城学園前行きの各停。下車したお客さんの先の方に構内踏切があり、そこを通って、上りホームにある駅本屋の改札口へ。
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(2-2)顔のアップです。方向板が読めるようにしてみました。貫通ドアのハンドレールが小田急らしくて素敵です。
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(3-1)新宿行きの各停は左からクハ1450+デハ1400+デハ1400の美しい編成。
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(3-2)(3-1)のクハ1453の顔の部分のアップ。
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(3-3)電車部分を拡大してみます。ねっ!綺麗な電車でしょう?・・・・と私は思います。
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(3-4)下りホームの部分をトリミングしてみました。構内の跨線橋は無く、ホームの下り側の端に構内踏切があるだけでした。多客時に開く臨時改札口があったかもしれません。
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(4-1)御殿場行きの特別準急の通過です。180HPエンジン二基の気動車キハ5000。
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(4-2)フォトショップでいろいろ苦労してみましたがこの程度の仕上がり。列車名もナンバーも判読不能。
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(4-3)ホームには沢山の広告看板が立てられていましたので、その部分を切り取ってみました。
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coffee.gif 如何でしょうか?次回は、代々木上原駅です。

 では、また!!!!!


のどかな時代(15):小田急南新宿駅1960年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和35年・1960年1月のある日、当時大学4年だった私は、前年の12月末に入手した35mmハーフ判のカメラ『オリンパスペン』を持って小田急電車の写真を見に行きました。南新宿から成城学園前までいくつかの駅で下車し、やってくる素敵な電車たちを鑑賞しました。

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■■■ のどかな時代(15) ■■■

■■■ 小田急1960年:南新宿駅 ■■■

pen-para.gif 小田急の昔話をしましょう。当時は、新宿を出た急行電車は下北沢、向ヶ丘遊園、新原町田、相模大野・・・ と停車(通勤時、登戸停車だったかな?)して快速で疾走しておりました。電車の色は特急SE車はオレンジ・グレー・白だったし、他の特急電車や、2200以降の高性能車はブルーと黄色の塗りわけでで、それ以外の電車は茶色だった時代です。

(1-1) この日は何故か南新宿駅からスタートしたようです。南新宿駅脇の踏切をデハ1900形が通過中。その奥、左側は小田急の本社です。写っている踏切待ちのクルマたちは思いっきり懐かしいタイプです。
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(1-2)電車の部分を拡大してみましょう。1600かと思ったのですが矢張り1900ですね。茶色の小田急本社だったビルは今でもここにあるようで、ストリートビューで、見る事が出来ます。小田急の関連会社が入って居るようです。
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(1-3) この踏切を渡って直ぐの右側が南新宿駅。あまりに現在と違うので南新宿だと思えない方もいらっしゃる事でしょう。何たって55年も昔のお話です。現在の南新宿駅は、昭和48年、踏切の左側(小田原側)のだいぶ離れた場所に移動して居ます。
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(2-1) これが、南新宿駅。構内踏切が簡素と言うか、お客さん用としては少々・・・でした。小さな待合小屋以外に屋根は無く、現在の小田急の駅と比較すると隔世の感。
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(2-2) 電車の部分を拡大してみましょう。上り各停デハ1600形・1604、 地面の影を見ると2両編成です。
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(3-1) 同じく南新宿駅の下りホーム。下り各停・相模大野行は、クハ1450+デハ1400の美しい編成。(クハ1463)
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(3-2)(3-1)左端の注意看板が飛んでしまって読めないので、いろいろ加工してみました。日本語部分は解読可能ですが、英文は「□□に適切な文字を埋めなさい」みたいな試験問題風になりました。私は出来ません(笑)。
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coffee.gif 昭和35年の小田急・南新宿駅。三枚の写真から無理やり7枚に。次回は参宮橋駅です。


のどかな時代(14):東武野田線大宮駅1954年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は東武鉄道野田線の大宮駅のお噂です。少しの間、お付き合い下さいます様。

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■■■ のどかな時代(14) ■■■

■■■ 東武野田線大宮駅1954年3月 ■■■

pen-para.gif 昭和29年3月と言いますと私が高校生で1年から2年に代わる春休みだったと思います。国鉄大宮工場見学に行く途中、ちょっと立ち寄った東武鉄道野田線の大宮駅。

(1)ホームの端のほうには出発信号機の腕木式信号機。このころは、まだ、たくさんの線路をまたぐ大陸橋・・・大栄橋はまだありません。
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(2-1)野田線のホームに船橋行きの電車が入りました。3260形の3264。昭和24年製造のクハ430形を昭和28年に電装したものだそうで、いわば新車。
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(2-2)(2-1)の編成後部の拡大です。勾配の少ない線区ですが「Mc-T-Tc」は凄い。東上線にもありましたが・・・なんだか、ケイベン的だなあと思ったりしました。3D8D3のサハはサハ73でしょうか??その先の一段下降窓のクハも??ですが。
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(3)綺麗な電気機関車が貨車を従えて待機中でした。1929年・昭和4年、イングリッシュ・エレクトリック製の三両中の一両で元・総武鉄道ED3。東武鉄道になったとき改番されてED3003になっているはずですが、総武時代のクラシックな楕円形のナンバープレートが取り付けられています。
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pen-pc.gif 時は流れて46年。2000年7月11日に訪れたときは8000形のリニューアルタイプが二本居ました。

(4)ホームも立派になって、現在と変わりませんね。
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pen-pc.gif お次は2001年5月28日

(5)このときは、5070が来て居りました。
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pen-pc.gif 2009年10月10日になりました。

(6)このころは、野田線といえば8000のこの顔。
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(7)同じ日の同じホーム、ホーム中ごろでしょうか、大栄橋が大きくかぶさっています。
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pen-pc.gif これは、つい先日、大宮駅のホームで2015年6月11日に写したものです。

(8)電車は最新の60000系。50000と同じく日立のA-Trainだそうです。このブログを書いていて60000系は、8000系と連結器が違うってことに、今、はじめて気づきました。俺って「鉄道ファンレベル」低いなあ!
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coffee.gif というところで今回のブログはお終いです。ではまた、次回!!!


のどかな時代(13):京浜急行クハ140形 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今日は京浜急行クハ140のお話です。京浜急行の「好き度ランキング」では、第一位デハ230、そして、第二位は、デハ500かクハ140かというくらいクハ140が好きだったのです。

 クハ140は、ポール集電の電動車デ51として1924年・大正13年に汽車会社で生まれました。
 ・車体長=14,808mm
 ・車体幅=25,655mm
 ・全高=3,530mm
 の小柄な電動車でした。そして、集電方法がパンタグラフになり、ステップがなくなり、連結器が変わり、アンチクライマが付き、ヘッドライトがお臍らいとから頭に変わり、色もあずき色のような色から赤と黄色のツートンカラーになりました。あ、そうそう、架線電圧昇圧でクハになりました。途中、いろいろ紆余曲折、形式はクハ140という事になったのです。そして製造後41年になる昭和39年~40年に老朽化で廃車ということになりました。この辺の事情の詳細は、雑誌やWebなどで調べることができます。

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■■■ のどかな時代(13) ■■■

■■■ 京浜急行クハ140形 ■■■

pen-para.gif 私が京浜急行を知ったのは、高校通学の行き帰りに、京浜急行の品川駅で道草を食い、場合の拠っては乗って行ってしまったりした、1953年・昭和28年あたりからでした。
 そのころ、クハ140は、二両のデハ230に挟まって3両編成で急行や普通の運用についたりしておりました。当時、どうしても電動車に目が行って140の写真を撮ることはあまりなかったのは、とても残念なことです。

(1-1)昭和30年4月・・・・雑色駅が奥に見えて居ます。高校3年のころ写したデハ230に挟まれたクハ140です。なんだか、古い車が頑張っている・・・・そんな目で見ていました。如何しても先頭車に乗ることが多く、素晴らしく良い乗り心地と言われた台車、「ブリル27-MCB-2」の乗り心地を味わうことは少なかったです。
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(1-2)クハ140部分の拡大。窓のラインがそろっていませんが、それはそれで、楽しいものです。
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(2)昭和34年1月、デハ290と一緒に大師線で働くクハ140。京浜川崎を出てすぐのところです。
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(3)昭和34年1月、大師線の港町駅直前です。バックに六郷橋のアーチ型の桁が見えます。
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(4-1)昭和34年9月京浜川崎駅の大師線ホーム。バックのビルは小美屋百貨店で、屋上には展望台とか観覧車が見えます。
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(4-2)クハ156部分のクロースアップです。運転台の窓は上昇窓客室部分は下降窓。
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(5)昭和34年4月京浜蒲田駅のクハ140形158。
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(6)クハ158の運転台(昭和34年4月)。
 なつかしのHポールですが、運転士さん、腰掛がありません。ランプの傘が古めかしくお洒落です。コントローラの左は戸閉めようのスイッチで、操作は運転士さんでした。
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(7)最後に1960年3月、京浜川崎でクハ159の運転台の無い側の端面。
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coffee.gif デハ230形とともに、私の好きだったクハ140形。好きだった割に写真をあんまり撮っていません。これで、全部と思われます。残念ですが・・・あまりに少ないね~!!!。

 では、また次回に!!!


のどかな時代(12):昭和34年・神戸・長田の電車たち(再録) [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は、「昭和34年7月の神戸市長田の街かど風景」です。
以前、2008年4月に、当ブログに「1959年・夏・関西~高知」として連載した記事の中から、4月9日付と10日付の二日分をまとめた再録記事です。言ってしまえば、「コピー&ペーストで作った記事」ですが、結構、手間暇掛かるもんですね。
 昭和中期の街かど風景、ご覧下さい。

■■■ のどかな時代(12) ■■■

■■■ 昭和34年・神戸・長田の電車たち(再録) ■■■

pen-para.gif 1959年・昭和34年、私が大学の4年生の頃・・・・21歳だよ、若かったなあ・・・・「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目は、7月12日の兵庫県神戸市長田区の長田から始まります。

 さて、長田の親戚の家にご厄介になって一泊。7月12日は、能勢電と叡電を回ろうというのです。朝の長田、兵庫駅から併用軌道でやって来た山陽電鉄と、神戸市電との平面クロス、長田の交差点あたりの風景です。
 ・・・・と、書きましたが、平面クロスの場面の写真は撮って居ないのです。ごめんなさい。

pen-para.gif 朝は何時ごろだったでしょうか・・・・親戚の家を出まして長田の電車通りに出ました。山陽電鉄との平面交差は、市電で言えば、停留所の名前は何だったでしょうか・・・・そんな事まで忘れてしまっています。参考書も探せばあるでしょうが、まあ、今回のところはご容赦ください・・・・まあ、そんな辺りでの写真です。

(1) No.590、「1系統」。方向幕は小さい上に汚れ気味で読み取れません。東京都電の5000を思い出します。
 下の写真の全ての電車についてますが、系統板の上に棒状に見えるのは照明ランプのようです。レトリーバでビューゲルの紐をきちんと処理しています。
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(2) No.335、「8系統」、方向幕はXX町。大きな窓の軽快な単車。
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(3) No.602、「13系統」。方向幕は中之島・吉田町廻り。
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(4) これまた単車のNo.401、全面窓が335よりも大きく軽快さを増しています。「7系統」中之島・吉田町廻りで、「13系統」と同じで???です。
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(5) (4)のNo.401の右側が気になって部分拡大。小さなタクシーはトヨペット・コロナでしょうが、こんなに小さかったのかなあ?記憶がぼやけて居ます。向こうにはダットサン。オート三輪は何処のものでしょう。街角の人々、遊ぶ子供たち(夏休み前なのにと思ったら今日は日曜日)が生き生きとしています。
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(6) 最後は、神戸市電のQUEEN・・・700形No.714、「14系統」鷹取行。いや、全く、スマートな電車です。
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(7) 救助網が現役の様なので、メカを拡大してみました。
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pen-para.gif この5枚のネガ、7枚の画像で神戸市電は終わっています。たぶん、ほんの短い時間だったんでしょうが、来た電車は結構、バラエティに富んでいました。先年の大震災でこの辺りも随分変わったことでしょう。
 ・・・・と、GoogleのStreet Viewを見てみましたら、震災よりも遥か以前に市電は廃止、山陽は地下化されたのはご承知の通りですが、長田の商店街入り口の大鳥居は、書かれた文字は違うようですが、昭和34年当時と同じように建っておりました。

pen-para.gif 次は山陽電鉄。路面電車と郊外電車との平面交差があったわけですが、何故か写して居ないのです。我ながら「バカだね~!」と思います。

(8) 電車は820形??で・・・・特急です。830+831という事になるのでしょうか。電車の進行方向が兵庫らしく、架線の込入った構造が見えます。最初はクロスシート車だったようですが、ロングシート化されたものもあったようです。ネガを見ても、クロスシートかどうか判別できませんでした。
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(9) (8)の右のほうを拡大してみました。日曜日だった所為かトヨタさん、閉まってますね。右端の架線柱は鉄骨で、『青写真』の文字も懐かしく感じます。アンモニアかなんかで現像するプループリントは、昭和30年代まで現役でしたが、あの真っ青な図面は、夢を感じたものです。トヨタさんの前の黒い箱は『ゴミ箱』でしょうか・・・だとすると、現在、絶滅してしまった物件ですね。
 この自転車の小父さんのお仕事は何なのでしょうか?氷屋さん?牛乳屋さん?ちょっと違う気もする・・・・。
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(10) 200形、何度見ても、愉快な電車です。
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(11) さて、撮影を終え、写真に写っている「神戸市バスの急行」で三宮に向かいました。三宮から長田へは何時もこのバスを使って居りました。当時の道は空いていたし、まあ、少々コワイくらい飛ばしました。
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(12) (11)のバスの右側辺りを拡大してみました。写っている三人のうち、二人が和服、そして、全員が下駄履き。お店の様子、スクーター、手作りの歩道の屋根、見事に「昭和」中期のイメージですね。
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(13) ・・・・・で、急行バスで阪急の三宮に向かいました。向こうから市電が来ますが、カメラはセミ判のミノルタセミPで,最高200分の1秒のシャッターとあって、見事にブレました。市電のナンバーは100Xで、読みとり不能。1006かもしれません。
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pen-pc.gif このあと、三宮から阪急電車に乗って、能勢電鉄~京都・叡電に向かったのです。

では、また!!!!!


のどかな時代(11):東武日光駅前-貨物列車の到着 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和36年・1961年春日光での写真を少々。じつはこの写真、当ブログにて今から7年前の2008年3月20日にアップロードして居りますので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。
 まあ、ネタが少ないこともあるし、なにしろ80歳に手が届きそうな所まで来ておりますので、丸ごとのコピー&ペーストではないし、画像も新規に加工、文も新しく書いたし、「む~も、ボケたみたいだなあ!」程度でご容赦くださることを期待致します。(笑)

■■■ のどかな時代(11) ■■■

■■■ 東武日光駅前-貨物列車の到着 ■■■

pen-para.gif 1960年・昭和35年春、中小企業の某商社に入社、二年目の昭和36年5月13日~14日、社員旅行で鬼怒川・日光一泊二日の旅。往復とも東武電車。社員の皆さんと、日光軌道線の馬返駅で別れ、東武日光軌道線を見物・撮影しながら、東武日光駅まで来ました。ここで、会社の人たちと合流して、東京へ帰る予定なのです。

pen-para.gif 東武・日光軌道線は昭和28年製造の100形10両と、昭和29年製造の200形連接車6両のラインナップで観光客と地元の人たちを運んでおりました。

(1)東武日光駅のすぐ近くの杉並木を行く100形(当時10両ありました)です。この先を左折すれば国鉄の日光駅です。
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(2)東武日光駅前で連接車200形(当時、6両あった)
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pen-para.gif 東武日光軌道線には路面電車としては珍しい貨物列車がありました。清滝駅付近の古河電工、古河アルミの工場からの製品搬出や原材料搬入などのためのものの様です。軌道線専用に製造されたED610形という小振りの電気機関車が貨車を引いて居りました。ちょうど、うまい具合に貨物列車の到着です。

(3) 向こうが日光のお山で、馬返方面から来た電車は、この写真の左へ続く線路を直進し、国鉄の日光駅に向かいます。そして、ループ線上を反時計回りをして、東武日光駅前に戻って来るのです。
 通常、電車は直進するので、このポイントは、スプリング式で正位が直進で、何時もは、何もしない。貨物列車のときだけ、職員がポイント操作をする・・・・と、思われる画像なのです。あくまでも、これは私の想像で・・・・あまり信用しないで下さいね。
 ED611の牽引する貨物列車は、写真の右方へ続く線路に入ってゆきます。このまま走れば国鉄の日光駅構内に入って行く事が出来る配線でした。
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(4)貨物列車の部分を拡大しました。貨物列車の構成は「ED611~ワム127042~ワ27232~ワム39379」でした。
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(5)電気機関車周辺のを拡大写真です。してみて発見したのですが、左の光っている屋根の黒っぽい家。銘茶・海苔屋さんの看板の左に東武鉄道の文字。その前にポイントのレバーを握る職員さんが居ます。脱線しますが、職員さんの左側には、助産婦の看板も見えて時代を感じます。中華料理店の店先の白いケースは牛乳の冷蔵ケースで、瓶の牛乳、珈琲牛乳が入っているのでしょう。お店の人がケースにもたれて外をぼんやり見ています。転轍手の前を通る割烹着のオバサンは貨物列車など、眼もくれません。私にしてみれば、『おっ!』と思うんですが、彼女にとっては、日常的風景なんですね。
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(6)東武の職員さんのクロースアップです。バックの家には「永井園茶X」と「助産婦」の看板、それに挟まれた「東武鉄道」の看板がとりつけられています。東武の職員さんの詰所になっていたのかもしれません。
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(7)(3)の写真・・・・貨物列車の右側にはお土産店とかがあって、手作り風のアーケードが見えて居ます。Street Viewで、見てみたのですがこれらのお店、現在の姿は分りません。
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(8)(3)の写真の左端・・・・日光味噌・早見商店とありますが、Street Viewで見ましたら、間口の広い大きく綺麗な建物になり、味噌、日光ゆば、たまり漬けなど、扱って居ます。
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coffee.gif 更にStreet Viewで見てみましたが、もちろん、道路を横断する「東京近道東武電車のりば」の大看板は、現在は見えません。54年前の東武日光駅前の風景でした、


のどかな時代(10):東急・可愛らしいデト [むかし噺(2)]

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pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif遅くなりました。半月ぶりの更新です。最近、体感時間がスピードアップし、あっという間に一日が終わってしまいます。そんな所為でしょう、あっという間に半月過ぎてしまいました。申し訳ありません。

pen-pc.gif 今日は、東急に居た可愛らしい電動貨車についてのお話です。戦後の昭和20年代小学生だった私は、東急の御嶽山駅や、御嶽山駅~雪ヶ谷大塚駅間の線路際、雪が谷大塚駅や雪谷の車庫で、友人と一緒に遊んで居たものです。
 雪谷の車庫には実に可愛らしい電動無蓋車が居て、それを私たちは、親しみを込めて「デト電」と呼んでおりました。何時も、車庫の外れの、おそらく保線の材料、バラストなどを積み込むためでしょう、小さなプラットホームがありましたが、その辺りに、デト電は休んで居たのです。

■■■ のどかな時代(10) ■■■

■■■ 東急・可愛らしいデト ■■■

pen-para.gif 「デト電」は形式をデト3010形と称し、雪谷に居たのは3014でした。荷台の真ん中に立てたL字断面の鋼材で組まれた櫓の上にパンタグラフを載せた愛嬌のある姿です。ブレーキはおそらく手ブレーキと思われました。
 昭和29年5月、私は高校2年でしたが、兄から借りた35mmカメラ「オリンパス35Ⅳ」を持って、始めて撮影に行ったのです。

(1)カワイイでしょう?!もっとも、私は一度もその走行する姿を見て居ないのです。
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(2)顔のあたりを拡大してみましょう。
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(3)運転室の背後の位置には小さな配電盤。
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(4)これが、枕木と土砂で作られたプラットホーム。ご覧の通り端っこが崩れかけて居ます。
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(5)真横からのビューです。右の向こう側にある煙突のある建物は「銭湯」。家に風呂はありましたが、毎日炊くほどの燃料(たいていは廃材ですが)もなく、週に二回程度。その間に、友人と誘い合って銭湯に行ったものです。広い洗い場、大きな浴槽、これは、子供たちにとって別世界でありました。
 デト3010形は、車体長=7mほど、自重=8.75屯、600Vの直接制御
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(6)台車は「ブリル21E」。サイドにはレールに羽根の東急の社章が光って居ます。素人の16歳のガキの目ですから、いい加減なものですが、なんだか、壊れたところが目につき、走りそうもなく見えたのです。
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(7)昭和30年4月、何時の間にか車体も電気品も綺麗になり、如何やら走りそうに見えました。
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(8)
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pen-para.gifそして3年の年月が流れ、昭和33年、元住吉車庫の見学会がありまして参加。思いがけない再会をしたのです。

(9)二両連結の入れ替え機が働いて居りまして、これが、あの「デト電」でありました。手前がデト3015、向こう側がデト3014です。デト3010は600V車でありましたから1500Vに昇圧した東急の線路は走れない訳で、二両を直列接続にして1500Vに対応したのだそうです。さすがに直接制御ではなく間接です。その後、昭和45年に廃車されたとの事です。
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(10)デト3014と3015が組んで入れ替えに励む元住吉工場の片隅に、もう一つの電動貨車・・・・有蓋車のデワ3000形3001が休んでおりました。すでにパンタグラフはなくなって居りました。右奥はデキ3020形・電気機関車。
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pen-para.gifデト3010形は全部で5両が在籍しました。Wikipediaに拠れば、こんな経歴だそうです。

デト3011→江ノ電へ
デト3012→江ノ電へ
デト3013→デワ3002に改造→秋田中央交通へ
デト3014→デト3015と組み合わせて入れ替え機に改造
デト3015→デト3014と組み合わせて入れ替え機に改造

(11)デト3011か3012か分りませんが、江ノ電の極楽寺車庫で昭和34年に写した「デト」です。櫓ではなく運転室から運転室へ梁を渡し、ポールを載せて居ます。そして運転室は長モノを積む必要があるのでしょう、両側を削られ、細面になって居ます。
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coffee.gif 秋田中央交通に行ったデワは、強烈に思える青と赤に塗られ客車を引いて活躍しました。

 では、今回はこれで・・・・・・。


のどかな時代(9):丸の内一丁倫敦 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回も、昔のお話を致しましょう。1960年・昭和35年3月撮影の35mmハーフサイズのフィルムからスキャンした画像が二駒あります。以前、当ブログにて公開したものですが、再登場してもらい、それをネタに書いて行きます。
 この時、私は大学を卒業し、社会人の第一歩を踏み出したところでした。当時の愛機、オリンパスペンを持って、何故か「千代田区丸の内」

■■■ のどかな時代(9) ■■■

■■■ 丸の内一丁倫敦 ■■■

pen-para.gif 丸の内の「一丁倫敦」と言われたあたりの風景。明治の赤レンガ造りのビルが並んでいます。一町は100mほどですから、「マイクロサイズのロンドン」というところでしょうか。
 そして、大渋滞の中の東京都電。

(1-1)右端に部分が写って居るのが三菱一号館。左へ二号館、三号館と書いてある資料もありますが、違うのもあってよくわかりませんが、一号館は間違いないでしょう、左端が馬場先門の明治生命ビル。渋滞が凄いです。平常な状態だか、事故かなんかあったんだか、分りません。電車は1100形の1102です。
 入社後、半年の研修を経て配属されたのが何と貿易課。この年の秋には「お使い」で、この赤煉瓦の一つにあった、『カタカナ書きの銀行』へ信用状を受け取りに行ったっけ。そんなときくらいしか、これらの『赤煉瓦』に入った事はなかったですね。でも、今見ると妙に懐かしい感じです。
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(1-2)都電1102の周辺を拡大してみます。私は車は大好きですが、あまり詳しくはありません。で、右端のダットサンのお尻と、次のトヨペットクラウンくらいしか分りません、
 肝心の『赤煉瓦』ですが、(1)右端の一号館はジョサイア・コンドル(英国・ロンドン出身)1852年~1920年の設計だそうです。並んだ二棟は、コンドル設計ではないらしいのですが、興味のある方は、きちんと調べて下さいね。
 コンドルは、明治の日本の建築界に大きい貢献をした方です。
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(2-1)2駒目は縦位置で撮って居ます。渋滞の中、電車は動いて1号館に差し掛かるところです。皇居方面への道は空いて居るので、鍜治橋か京橋方面で事故でもあったのかもしれません。
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(2-2)都電の車体色が、緑色とクリーム色だった頃でした。昭和35年と言いますと、交通標識も今とは全然違います。
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(2-3)標識を拡大してみましょう。上が転回禁止、下が駐車禁止でしたね。私は、「この標識の時代」に免許とりました。標識よりも気になる存在が居ます。軽三輪らしいのですが、メーカーも何もわかりません。あ、それから、メカ方式のパーキングメーターが立ってます。幾らか忘れましたがコインを入れてノブを回してセットする方式だったような・・・・。
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ビニールフィルムで覆ったように、「妙な光」がみえますが、フィルム面に薬品でも析出したのでしょうか、ゼラチン面に「ヒビ」でも入ったのでしょうか。現像処理(業者選びも含めて)は細心の注意が必要という教訓になりました。

pen-para.gif オマケです。画面に出て来た東京都電1100形1102ですが、6年後の、昭和41年9月、5系統の電車撮影に、清正公前から日吉阪を上りました。坂の途中で、坂を上がってきた1100形は、あの一丁倫敦で撮影した1102でありました。
 ここ5系統・・・・目黒駅前~清正公前~魚籃坂下~古川橋~芝園橋~馬場先門~京橋~永代橋・・・・は、この翌年、1967年・昭和42年12月10日廃止されたのですが、時を同じくして、1100形は形式消滅となりました。

(3)左端の奥に写って居る三角屋根のお屋敷は、残念ながら現存しません。
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(4)1102は逆光の日吉坂を目黒方面に去ってゆくのでした。
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coffee.gif 前回も同様ですが、たまには昭和中頃の写真も悪くないですね。今回は、白黒写真ばっかりで、地味な感じになってしまいましたので、カラー画像を一枚。

pen-para.gif(5) 3年前の2012年8月、桑名市の六華苑に行きました。ここには、当地の大富豪、諸戸清六のお屋敷が残されて居ます。国の重文・名勝・・・大正2年竣工の洋館は、三菱一号館のジョサイア・コンドルの設計です。
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coffee.gif では、今回はこれにてお終いといたします。では・・・。


のどかな時代(8):ポール時代の大雄山 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif お久しぶりの「昔ばなし」です。
 今回は、昭和29年12月に写した一枚の写真をネタに書いて行きましょう。この時、私は高校2年生、8月には初めての10日近い関西旅行でたっぷり関西の電車たちを眺めてきたばかりで、「鉄道ファン度」もアップするばかりです。
 年末の試験も終わり、箱根登山電車全線と小田原市内線を撮影しに行ったのです。そして、最後に田圃の中を走る小田急電車を小田原~足柄間で写そうと、小田原駅から線路に沿って歩きだしました。伊豆箱根鉄道・大雄山線の線路にぶつかり、運よくやって来た電車を撮影したのですが・・・・・。

■■■ のどかな時代(8) ■■■

■■■ ポール時代の大雄山 ■■■

pen-para.gif たった一枚しか写さなかった大雄山線の電車がこれ・・・・。何しろ、高校生風情にはフィルムをホイホイ買うなんて、とても出来るものではありません。それで、節約、節約と言う訳。

(1)見事に架線柱で顔が真っ二つになってしまった、モハ30形の33は、木造の素敵なポールカー。いまの緑町駅から東海道本線をくぐったあたりと思われます。
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(2)電車部分の拡大してみましょう。前照灯がおへその位置に取り付けられ、路面電車みたいな顔になっています。まあ、時代の先取りとも言えなくもありません。
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(3)電車の右部分の拡大。
 砂利道で電車の通過を待つ自転車のお兄さん。真正面はお寺でしょうか、木の間に石柱らしきものが見えています。右端の物干しは、この頃でしたら普通の「庭の点景」ですが、今ではほとんど見かけなくなりました。
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(4)電車の左側。
 板を十字に組んで「RAILROAD CROSSING」とたぶん書かれて居る標識。幌のトラックは何処の何型でしょう?手前の小公園には「遊動円木」みたいな遊具があります。最近は危険とかで、すっかり影を潜めました。
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(5)最後にもう一度、電車のアップを・・・・。このモハ30型の33。明治44~45年、鉄道院新橋工場でホデ6110形として製造され、ナデ6110形と改番、さらにデハ6260形の6271。そして、目黒蒲田電鉄のデハ30形33を経て、伊豆箱根鉄道大雄山線にやってきたと、Wikipediaに出ておりました。いろいろと複雑な経緯があるようです。
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pen-para.gif このモハ30形33・・・・この10年後の昭和39年3月20日、再び出会っております。

(6)相模沼田駅でお目に掛かりました。ヘッドライトは屋根に上がり、ポールはパンタグラフになっておりました。
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(7)(6)同じ日に、終点の大雄山駅。モハ30形の37。この方が下回りが良くわかります。むき出しの台枠、トラス棒・・・・懐かしい、昔の電車の姿です。
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pen-para.gif 最後に最近の伊豆箱根鉄道大雄山線の電車風景です。2010年9月6日。もちろん、あのモハ30は居ませんが。
 そんな伊豆箱根・大雄山線も、もう5年のご無沙汰です。たぶん、現在でも同じような眺めになっていると思います。

(8)小田原駅に進入する5501ほか3連。 
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(9)終点の二つ手前、和田河原駅での交換。この駅名「ワダガワラ」ではなく「ワダガハラ」と読むのだそうで。
 バック正面の目立つ山は「金時山」・・・・と思ってましたら地図を見ると如何やら「矢倉岳」みたいです。その矢倉岳の左の雲の中から富士山の姿が!!
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coffee.gif では、大雄山のモハ30形のお話はこの辺でオシマイといたします。


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