阪堺電気軌道:2006年住吉公園 [阪堺電軌]
今日、2006年6月27日火曜日は晴れたり曇ったりで、雨は降らなかった。おかげで少々暑い日でした。午後遅くから仕事に出かけ来たくは22時過ぎ。雑用をチョッピリこなしてPCの前に座りました。そんなわけで、今日は一寸前の旅のお話。
3月の11日~12日、京都・大阪を回りましたが、京都を巡った11日、大阪で同行の鉄道仲間との大宴会(^^)後、宿泊。一夜明けて12日、小雨が降っています。
朝食後、南海の難波駅にやってきました。高野山に特急こうや号で向かう鉄道仲間の方々を見送った後、ひとり南海電車に乗って、住吉大社駅までやってきました。この駅、たしか、昭和30年ごろは地平で住吉公園と言っていたような気が致します。
南海の駅は高架ですが改札を出るとそのまま、地平にある阪堺電軌の住吉公園の『駅』に入れます。道路から入る時には、こんな入り口になっています。同じ所にあるのに駅名が違います。関西では、間々あることですが。
駅名が右書きのところが良いですね。そんなに古い建物なのでしょうか、それとも復元建築物なのでしょうか・・・・・・・・・・?
改札口はありませんけれど、駅(停留所って言うのが本当なのでしょうが)の中に入りますと・・・・・・・・。
この、左下の物件群が気になりました。
箒、バケツ、洗剤、棒束子、そして傘がセットになっております。この傘、従業員専用とありますが当然、『雨用』ではなさそうです。何でしょうね?車体か窓を洗う時にでも使うのでしょうか・・・・。
天王寺駅前から電車が入って来ました。形式モ501の502です。
お客さんを乗せると、出発して行きました。
住吉公園の『駅見物』も終わり、ちょっと歩けば阪堺電軌の阪堺線『住吉鳥居前』の停留所です。まん前が住吉大社、電車通り沿いに巨大な灯篭が並んで居ります。
電車通りから参拝して、電車通りを歩きます。小雨とは言え傘の要るような雨。阪堺の阪堺線と上町線のクロスする『住吉』電停はすぐそこです。
モ701形、708。
『住吉』の交叉点は先だって書きました。次回、もう一度、阪堺のことを書きたいと思っています。
では、・・・・・・・・・・・。
阪堺電気軌道:2001年 [阪堺電軌]
今日は用事で、ブログを書きこむ時間が無さそうなので朝のうちに書いてしまおう!
2001年11月19日早朝、新横浜から新幹線のぞみで新大阪に到着。JRで尼崎駅に至り、駅前の宿を確認してバスで阪神尼崎に。阪神で西九条~JR環状線で弁天町~地下鉄中央線、ニュートラムで~住吉公園。ここから地下鉄四つ橋線で西梅田。阪神の梅田駅をたっぷり見物して、お昼。40年来の友人WIさんと合流した。お好み焼きのお店で昼食後、地下鉄で恵美須町まで行った。
・・・・・というわけで、今日は、阪堺電気軌道全線乗車です。その中から何枚かご披露しましょう。って、あらたまる程の画像は無いのですが。オマケに、130万画素のオリンパスC-830L、いい画像は望むべくもありません。
恵美須町から浜寺公園行きの電車に乗ったのが15時前、浜寺公園に到着したのは15時も半ばを回り、日も傾いておりました。
一寸離れて南海本線の浜寺公園駅がある。この駅本屋がスゴイ。有名な産業遺産というか、鉄道記念物と言うか、とにかくスゴイ。駅前も狭く私のチープなデジカメでは、入りきれません。で、仕方なくパノラマ撮影。おかげで一寸というか、かなり歪んじゃいました。
画像を横幅1,024ドットくらいにすると迫力出るのですが、このソネットブログでは、このまま入れるとスクロール必須の画面になってしまいます。それでは、見難い。こういうケースではサムネイルをクリックすると拡大画像が出るようにしたいのです。そのテは無いのかもしれません。
駅、前面の円柱も素敵ですね。
勉強不足ですが、この建物、文化財か何かに指定されているのでしょうか?今日現在、まだここに建って居るのでしょうか?
傾いた日の中を大阪に戻ります。
ここは、たしか堺の中心部だったと思うけれど、自信がありません。画像選びをしてたら、信号が綺麗だったんで、ついつい入れちゃいました。すれ違う電車は、711。
住吉まで、やってきて、鳥居前で下車、住吉の交叉点で30分ほど粘って撮影しました。もう薄暗くなってしまいました。この電車は704ですね。
昭和5年製のモ161形168健在!電車の前面、こめかみに装着された尾灯が昔風で何となく泣けます。
これは、何形でしょうね?私にはわかりませんが、多分700形かな?こんなブレた写真もたまにはいっか・・・・。
一旦、住吉公園まで歩いて、住吉公園始発電車で天王寺駅前へ。下車して歩道橋に登ったところで一枚。603。
南海本線・浜寺公園駅の本屋を見ちゃった所為か、この日の撮影は妙に構えた写真が多かったです。夕暮れ、感傷、って雰囲気で。
このあと、友人とJR環状線で鶴橋に至り、韓国料理店で『たっかるび』を食しました。このころ、例のBSE騒ぎたけなわで、名代の焼肉屋さん、お客さんが入っていませんでした。もうあれから5年なんです。
その夜は尼崎泊り、翌日、近鉄南大阪線、橿原線、奈良線、あやめいけ遊園、等々まわってまた泊り。22日の朝、帰宅しました。2泊3日でしたが、最終日は帰るだけでしたから、実質2日の旅でしたね。そのあたりは、何れ機会がありましたら・・・・。
では、また明日っ!!!
阪堺電気軌道:1976年 [阪堺電軌]
2006年6月24日(土曜日)(&)
長男が、11ヶ月になる孫を連れて遊びに来る。前の日から落ち着きませんでした。家から30分、東急田園都市線の田奈駅まで迎えに行った。いまは、駅にはエレベータもあるのでベビーカーも大丈夫。良い世の中になったものです。家で昼食、市内の池と丘陵、緑あふれた公園に行ったりした。ほんとうに孫は可愛い。そんな訳で、東急の駅には行ったけれど、東急電車(東武・地下鉄含む)のお話はありません。
■■ 阪堺電軌軌道:1976年 ■■
タイトルは『阪堺電気軌道:1976年』としましたが、落ち着いて考えてみると(考えてみなくても)、阪堺が南海電気鉄道から分離独立したのは、1980年(昭和55年)12月・・・・・6月24日に書いたこの記事を作り直すのも大変なので、この部分を挿入することでご勘弁頂きたいと思います。
そう言うわけで、正しくは『南海電気鉄道:阪堺線・平野線・上町線』です。大失敗でした。済みません。
・・・・で、今日は昨日に引き続き、阪堺電車です。昨日は2000年のお話でしたが、今日は、さらに遡って、1976年です。昭和51年9月4日、いまから30年も昔のお話です。事の成り行きは殆ど忘れてしまいましたが、スライドを36枚撮りで二本撮っております。そのなかに、4駒の阪堺電車の写真がありました。すでにホームページの方の表紙写真に使ったりしましたが、この際ですから既発表写真でも良いことにしてしまいます。
詳しいことは忘れてしまいましたが、南海の難波駅から天下茶屋、ここで天王寺線に乗り換えて、今池町で下車しました。阪堺線の今池は築堤に上がれば、すぐそこです。ここで、4枚、写しています。それだけで、アッサリ引き上げたみたいです。いま考えれば何故もっとねばって撮り続けなかったかと思うのですが・・・・・たった、これだけ!
(1)モ151形151(恵美須町発~平野行)
モ151が恵美須町方面から勾配を上ってきます。この辺りは今でもこんな雰囲気が残っております。
モ151形は昭和2年製の重厚な姿の3扉車。当時はまだ南海標準色・・・・濃緑色車体に、茶色の窓枠・・・・が残って居りました。
(2)モ205形237(浜寺駅前発~恵美須町行)
良くまとまったスマートな車体は実に素晴らしかったです。電車の後方、鉄橋の先から、平野線が分岐しています(架線が見える)。
(3)モ121形128(恵美須町発~浜寺駅前行)
元・大阪市電で、昭和4年の藤永田製。3扉から2扉へ改造されています。
(4)モ151形153(浜寺駅前発~恵美須町行)
この頃は、塗色が変わった時期らしく、4枚のうち2枚が緑一色、2枚がグリーンとクリームの2色塗り分けとなっています。
今日はこれでお終いです。明日は何にするか今だ決定していません、苦し紛れに何が出てくるかわかりませんが・・・・・・・。
・・・・では又明日!!!!
阪堺電気軌道:2000年 [阪堺電軌]
ワールドカップの3戦目は対:ブラジル。予想通り、コテンパンって結果となりました。皆さん、良くやってくれました。ご苦労様。4年後まで、生きて、良い結果を見たいものです。出来れば8年後、12年後も、そして・・・・・・。
午前中は家事雑用に終始したんだけれど、午後一杯は所要で出かけてました。夕方から柿生方面、しかし電車見物は無し。道路から、ちらちらとHiSE、LSE、5000、3000なんかが見えただけ・・・・。
・・・・・で、そろそろ壊れる頃だと予想はしていたけれど、35ミリフィルムスキャナ(キャノンFS2710)が、購入7年目、ぶっ壊れてしまった。時々、動作するって状態になったのです。使いたい時、使えなくては意味が無い。う~む!困った。
(こいつが問題のスキャナ)
エプソンのGT-9400UFでも正常なフィルムならスキャン可能だけれど、昔の、非常に強くカーリングしたフィルムには使えない。来週にでも、新宿のセンターに持ちこみましょう。これで、又も出費。キャノンに補修用パーツが無いと大変だ。
■ 阪堺電気軌道2000年1月 ■
今日の写真は・・・・昨日に引き続き『阪堺電気軌道』ですが、2000年の撮影です。
定年退職一年目に、関西に旅に出た。久しぶりの『電車見物』。まあ、色々と回ったけれど、その中の阪堺電軌です。
この時、持っていったデジカメは130万画素のオリンパス830Lで、当時としては、まあまあのカメラだったんですが、いま、見ると画質は非常に良くない。
南海の岸里玉出駅からぶらぶら歩きます。
道端で拾ったいろいろな画像・・・・・・・
・東京では『質』ですが、こちらでは『ヒチ』
・『止まれ』の標識は良いデザイン
・沖縄那覇の市場の商品みたいに整然と並んだ鉢植えと猫よけのPETボトル
・阪堺の停留所にあった禁止ポスター
阪堺の踏切に到達。この日は、運良くモ161形が沢山やってきました。これはモ163。
一寸歩けば、『天神の森』停留所。昭和3年製造のモ161の166。
同じく『天神の森』で、モ602。
恵美須町行きの電車に乗りこみ、いくつかの停留所を過ぎて、なんとなく降りたのが『今船』。モ164。
これも『今船』電停です。坂を登れば、昔は平野線の分岐のあった『今池』電停。電車は505。
このあと、恵美須町まで行って、それから如何したでしょう?急には思い出せません。こうして、益々、『老人力』がついてきます。
では、又、明日、お目に掛かりましょう。
阪堺電気軌道:住吉電停・今昔 [阪堺電軌]
2006年6月22日木曜日()
今日も、鉄道の話題は無いので一寸前のお話を・・・・・。
今年の3月11日~12日、関西方面に旅しました。11日、新横浜から新幹線で京都~梅小路蒸気機関車館見学~嵐電乗車・撮影~叡電乗車・撮影~京阪特急~大阪・泊~12日・阪堺電軌乗車・撮影~近鉄名阪特急~名古屋~名古屋臨海高速鉄道乗車・撮影~新幹線で帰京。まあ、そんな行動だったのです。
今日は、その中から『阪堺電軌軌道』の『住吉電停周辺』を取上げました。
大昔?の白黒写真は、ホームページ『む~さんの鉄道風景』で発表済みのものです。
(1) 上町線の住吉のホームに停車中の704、住吉公園行きです。手前の左右に走る線路が阪堺線です。
(2) ほぼ、同じ場所、昭和29年8月の住吉交叉点です。50年も昔の事です。電車の陰、向こう側に上町線の住吉のプラットホームがあります。電車は、モ101形112。木造ダブルルーフ、米国風の堂々とした車体、濃緑色の素晴らしい電車です。大正12年の製造で、頑丈な造りだったらしく、なんと昭和42年まで現役で活躍しました。
まったく予想してなかったので、この電車に遭遇した時の私の驚愕・感動は今でも覚えています。
見れば見るほど、良い電車です。保存車体が無いのが、実に惜しいです。
広告看板にある『羽車ソース』、マークが南海電車と同じなんですが、この会社、元気でソースも造り続けているとの事。ちょっと、嬉しかったりします。
(3) 上町線の天王寺駅前から阪堺線あびこ道行きの703がやってきて、住吉のホームに進入します。
(4)上の写真と、同じ場所、上町線住吉電停へ天王寺方面からの電車、モ101形105が入ってきます。昭和29年8月の撮影。バックの整形外科さん、ますます盛業の様子で、立派なビルになって居ります。
渡り線もちゃんとありますね。
(5) 上町線側の住吉電停のホームから、住吉公園への線路を見ています。左右に走るのは阪堺線。電車は704。
真正面に、古典的な小さな家が見えるのにご注目下さい。待合室です。
(6) 待合室のクロースアップです。良い形ですね~・・・・。なんと、明治45年に建てられたものだそうです。同じ構造のものが、上町線の姫松電停にも残っているそうで、貴重な建造物です。昔は半分が待合施設、半分が出札関係を扱っていたそうです。
(7) 待合室の柱の上部です。じつに良い味のステーが付いております。
今日は、明治の面影を残す、阪堺電軌軌道住吉電停周辺をご紹介しました。
おわりに、この記事を書くに当たり、のり様から貴重なアドバイスを頂きました。感謝致します。