関西電車旅(1975年夏版)07 [関西電車旅1975年]
1975年(昭和50年)の8月、長男と一緒の大阪京都日帰り電車観光旅行です。いよいよ、旅の最終目的、阪急京都線の2800系の特急に乗って。大阪は十三までやってきました。残念ながら、最新鋭京都線特急電車6300系には間に合わなかったけれど、未だに大好き2800系、かえって良かったかもしれません。
(1) たぶん、この特急に乗って来たのでしょう、梅田行き特急2800系。両側の頬っぺたに装着した特急のヘッドマークは、非常に格好良かった。阪急はやっぱりこれで無くっちゃあいけません。
(2) 河原町行きの各停もやって来ます。2362。
(3) すぐに普通電車で南方駅まで参ります。そこから地下鉄で新大阪駅に行こうって訳。
南方駅ホームで一寸だけ撮影します。
(4) 梅田行き急行2813、特急用車が急行運用でやってきました。
(5) 梅田行き特急2814。あわてて写してこんなになっちゃいました。
(6) たぶん(5)と同じ列車でしょう。2854が最後尾に付いた梅田行き特急。追い写しは、未だに気に入った写真が撮れることは少ないのです。
(7) いよいよ、大阪電車の最終便です。接続駅で駅名が違うのは関西では普通みたいですが、西中島南方駅から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗ります。
やってきたのは、30系の3003、一駅のってお終いです。
高架の地下鉄の両サイドが高速道路、なんだか未来都市を感じました。
とうとう、東京に帰らねばならなくなりました。何時ごろの『ひかり』だったか、全然記憶がありませんが、食堂車があったから、『ひかり』だったのでしょう。
夕日の差す京都、東寺の塔が見送ってくれました。
私と長男は、食堂車で何を食べたのでしょう。まあ、普通に、ハンバーグ定食とか、カレーライスか何かだったのでしょう。
これで、この旅日記もお終いです。
明日から、このブログに何を書くかも決まっていません。この5月20日、最初の1ページをアップロードし、21日、22日とお休みして、5月23日から、2ヶ月間、『日々更新』を目標に頑張ってきました。
いよいよ、私も息切れがして来ました。ネタが続かない、根気が続かない、ない無いづくしの私。
そんなわけで、次回から、『隔日更新』または『週に3回更新』を目標に運営して行くつもりです。
『お出かけのご報告(お出かけ通信)』は、『随時書きこみ』に致したいと思っていますが・・・・・・・・。
まあ、気分が乗れば、その間にも何か書くかもしれませんが・・・・・。
毎日、このブログ『お出かけ通信・blog版』をチェックしてくださった方々には、まことに申し訳ありませんが、そんな訳で、そんな風になります。ごめんなさい。
・・・・・では、またっ!!! C-U-Again!!!
関西電車旅(1975年夏版)06 [関西電車旅1975年]
1975年(昭和50年)、長男と一緒の関西電車日帰りの旅も6回目、いよいよ最後の目的、阪急電車に乗車します。
(1) 河原町駅から乗った特急は2800系。車内はこんな風でした。明快な京阪とは、違った落ち着いた雰囲気を感じます。
(2) 車内の中吊り広告が気になりました。クロースアップしますと、阪急といえば宝塚、のポスター(『ベルサイユのばら』と判読できそうな文字が右上に並んでいますが、私は、宝塚はさっぱりで、良く判らない・・・・)が有りますが、その右下、奥の方に、なんと6300系のポスターが下がっています。6300系の運転開始は昭和50年ですから、近々デビューのお知らせなのでしょう。
ここまでしか読み取れないような撮影テクニックは、我ながら情けないと思いますね。(苦笑)
(3) 電車の最後部から、後方の眺めを鑑賞しながら行きました。どこか良く判りませんが、河原町行き2800系の特急とすれ違います。
2817です。
(4) 正雀を通過し、次の相川との間あたり、大阪地下鉄群の休む車庫がありました。60系のパレードです。
(5) ・・・・・・・で、これなんですが、何処の駅なんでしょう。最初は南方駅通過かと思いましたが、違いますね。京都から十三まで、PCに入れてある2万5千分の一の地図をひねくり回していますが、よく判りません。判らぬままに見切り発車です。
そうこうしている内に、特急電車は十三駅に着きました。ここから、各停電車で南方駅に戻り、地下鉄御堂筋線で新大阪駅・・・・・新幹線で帰京って按配です。
今日のところは、ここまで。また明日!!!!!
関西電車旅(1975年夏版)05 [関西電車旅1975年]
名古屋から、名阪乙特急で大阪入り、鶴橋駅で近鉄電車を鑑賞後、同じ近鉄電車で難波まで。その後・・・・・道頓堀『かに道楽』で昼食。
(1) これは、写真が残ってたので確実。『かに何とか定食』を注文し、出てくるまでに撮った記念写真に写っていた『かに道楽のご案内』の部分アップ。
メモも、切符も何も無いので、30年前のことは、殆ど思い出せません。今なら、ディジタルカメラで、バシバシ写真メモを残すのですが・・・・。
(2) 食後は、地下鉄御堂筋線で淀屋橋~京阪の特急3000形で四条まで行ったようです。これも、テレビカーの車内写真が証明してくれました。
フィルムをルーペで見ると、『3504』の文字が読み取れます。
(3) 2451・・・・2400系は屋根の冷房装置キセが大特徴。まあ、ずらりと並んで、まさに壮観。
(4) 四条大橋から鴨川下流方面を望む・・・・・川岸の植え込みの向こうに、緑色や赤・黄色の電車の見えた頃が懐かしいです。
(5)鴨川べりの京阪電車3000系特急。いまは、こんな風景も無くなっちゃった。
大都会の中心部の大川のまん真中で、子供が水遊び!良いところだなあ!
長男と一緒に、四条大橋を渡り、高瀬川を覗きこみ、河原町から阪急に乗ることになります。
京阪の写真がチョッピリしかありません。やっぱり、乗ると写真は撮れませんね。
明日は、阪急です。・・・・でも、あんまり期待しないでね(笑)。
関西電車旅(1975年夏版)04 [関西電車旅1975年]
名古屋から、名阪乙特急で大阪入り、鶴橋で下車した、む~さんと小学校3年生の長男のご一行は、鶴橋駅ホームで、暫くの間、近鉄電車の撮影をしておりました。次々とやって来る赤い、20m、両開き4扉通勤車と特急を眺め、撮影しながら、『大阪にやってきたんだなあ!』と思っていました。
今日の近鉄電車は『奈良線』・・・・と云っても8000系が殆どで、8600系ってのも有りましたが、冷房付きの登場と聞きますが、外形的には同じだし・・・・。
(1)8000系8090、奈良行きの準急。このころは未だ冷房付きは少なかったようです。ラインデリア車なんていってもご存知の方は少なくなったことでしょう。ファンデリアなんてのもありましたね。
(2)冷房付きで登場した8600系8606。難波行きの普通電車。
(3)鶴橋駅のホーム。真中に停まってるのは、8600系の8107。たぶん急行。
(4)8000系8086で、瓢箪山発なんば行き普通電車。
(5)奈良行き特急は18200形かと・・・・・。
これで、鶴橋駅を切り上げて、やって来たなら線の電車・・・・当然8000番台・・・・で難波に向かいます。長男が車内に飛び交う上方言葉に感心していたことが記憶に残っています。
関西電車旅(1975年夏版)03 [関西電車旅1975年]
名古屋から、特急スナックカーの先頭車で大阪に入った、私と長男の二人旅です。
楠 トシエさん歌うところの近鉄CMソング 『 ♪ そら来た!二階の電~車、近鉄特急~ ♪ 』 じゃあなくてスナックカーだったけれど、名古屋からの特急は、鶴橋駅に到着しました。大阪線、奈良線のホームを移動しながら、やって来る近鉄電車を撮影しました。私は、大阪線1470とか、南大阪線ラビットカーとかから始まった、当時の4扉通勤形電車がかなり気に入っていて、やって来る電車をほれぼれと眺めていました。同行の長男にも、感動するように云っていたかもしれません。(笑)
鶴橋駅で電車を鑑賞した後、同じ近鉄電車で難波まで行きました。その後・・・・・道頓堀『かに道楽』で昼食~地下鉄御堂筋線~淀屋橋~京阪で四条~歩いて河原町~阪急の特急で十三~阪急普通電車で南方~地下鉄で新大阪~新幹線食堂車で食事~帰京のコースでした。たぶん、泊りはしなかったと思います。写真もそれらしいものは無く、記憶も全く無いのです。
新幹線のお陰で、日帰りの関西電車見物が出来ました。
今日は、鶴橋駅での近鉄大阪線の電車を何枚か・・・・・。
(1)準急・名張発・上本町行き。2430系ク2545。前面左下の急行灯が点灯してます。左下は準急なのかなあ?
バックに写っている、蒲鉾屋さんの『別寅』さんは、元気なのでしょうか?先日、この3月に通った時には、可愛い虎の顔が無かった気がするのです。盛業中なら良いのですが少々、心配。
・・・・・・こんな看板で。
(2)急行・上本町行き。2610系クロスシート車。ク2717、これはエアコン装備です。4扉でオールクロスにするというのは、凄い発想だと思ったものです。
急行灯は右下点灯です。
当時、この電車みたいな、後付けの方向幕が矢鱈と気に入ってまして・・・・。
(3)普通電車・国分行き。2800系ク2906。エアコン付き。
(4)特急が来ました。難波行きノンストップ便。・・・・とすると、やっぱり私たちが乗って来たのは、途中、何度も停車する『乙特急』だったのかもしれません。
顔だけで、形式を同定できない私の頭脳データベース・・・・。
(5)これも形式はわかりません。スナックカー、モ12000台のクルマ・・・・そんな程度です。横型碍子の二挺パンタ、格好良いですね~!!ただ、この特急マークは、好きにはなれませんでした。
明日は、奈良線の電車・・・・・といってもモ8000ファミリーですが。
関西電車旅(1975年夏版)02 [関西電車旅1975年]
昨日書きこみの名阪特急の行先の件なんですが、フィルムを良くみなおしてみました。行灯式の表示機なので、数位の明るさとの対比で、露出過度。かなり頑張ってみましたが、こんなところでした。
上本町行きは『各停特急』だとすると、なにかの勘違いで、これには乗らなかったのかもしれません。
近鉄特急に乗っています。車両はスナックカー。形式は??。どのあたりだったでしょうか、近鉄と国鉄と並ぶあたりで、国鉄の特急と併走って事になった。国鉄特急は何だったろうか・・・・・記憶には『あすか』なんですが、『あすか』は昭和40年~昭和42年との事なので、紀勢本線特急なのでしょう。なんと、キハ81です。
バックの照明施設などから場所がお判りになる方、いらっしゃいますでしょうか?私は全然です。
併走する国鉄特急に手を振る、同行の長男。
で、私が、近鉄名阪特急にのる理由のトップ、青山越えから、桜井まで。カメラを構えて、特に民家を写してましたが、タマにしか通らない線区ゆえ、何処に何があるかわからない。結局、こんな程度。
(A)~(D)、今眺めてもどれが何処やらさっぱりわかりません。故に、順不同。
(A)関西って集落の中心に大体、お寺がありますよね。この写真でも真中に目立つお寺の屋根。
(B)こんな風な民家って関東では見られません。珍しいので、ついカメラが向きます。
(C)これは全国区の松下の広告塔。『ナショナルパナカラー』、ご丁寧にてっぺんにアンテナがついてる・
(D)この感じは、もう桜井も間近でしょうか・・・・?
・・・・・・で、いよいよ次回は、鶴橋に到着します。と『あのTV番組風』に終わります。では、また!!
関西電車旅(1975年夏版)01 [関西電車旅1975年]
おはよう御座います。早朝、窓を全開してPCに向かってます。私の住んでるのは団地だけど、かなり緑もあり、窓からは風と共に鳥の声が入ってきます。鳥と言っても雀だけではなく、かなり種類がいるけれども、なんて言うのか、名前はわからないのが居たりする。
今朝から、新しいシリーズを始めます。1975年(昭和50年)夏8月、当時8歳だった長男と旅をしました。カラースライドが出てきましたので、片っ端からスキャンしてみました。子供連れの旅の片手間撮影なのですが、暫くこのシリーズで行きます。・・・・・・・ご覧下さい。
(1)新横浜の新幹線ホームで長男を撮ってるので、新幹線乗車は新横浜からだったようで・・・・・名古屋まで来まして、近鉄です。ここまで来れば、憧れの関西圏。ホームには近鉄の各種の電車が出入りします。
これは、賢島ゆき。左端にはビスタカーも見えています。
(2)この列車に乗ったようで、左上の表示機をアップで見ると、上本町行きになっています。昭和50年、難波まで開通してましたよね?
乗ったのは名阪ノンストップ特急・・・・・難波行きではなかったのかしら。
(3)発車した電車は、見事なくらい空いています。車内販売のお姉さんがお絞りを配って行きます。窓辺の花は結構だけど、当然ながら造花でありました。
(4)スナックカーの前面に貼りついて、暫くは撮影。今見てみても何処だかわからない。したがって順不同。
二代目ビスタカー、これが一番ビスタカーらしくって好き。
(5)どこの駅でしょうね?各停の名古屋行きが発車して居ります。もちろん形式は判りません。
(6)桑名の手前の大鉄橋。この鉄橋は、昔、国鉄のお古、単線の趣の有るトラス橋で、国鉄関西本線と入れ替わったりしながら走った記憶も有る。
木曽川か、長良川か・・・・・どっちなんでしょう。
まあ、企画に苦労はしたけれど如何にかスタートできました。これから、昭和50年夏の大阪の電車たちを、何社かご紹介できる筈です。
では、また明日!