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昭和51年関西電車観光(15) [関西電車旅1976年]

例によって、22時過ぎの書き込みは『遅い』のでじれったいし、失敗で折角書いた記事が消滅することがあるので敬遠、6月13日木曜日の朝、書き込んでます。

昨夜は、さる、市の施設に行ったんですが、エアコンが壊れていて、いやもう、暑いの暑くないのって・・・・・大汗かいてしまいました。着替えて帰り道、ファミレスで30分ほど涼んでしまった。
 ・・・・・嗚呼、勿体無い!

さて、今日の記事は・・・・・・・・・昭和51年関西電車観光の最終回No.15です。

■ 京福電気鉄道叡山線鞍馬線(2・終) ■

場所は昨日書いた元田中。

(1)デオ300形・・・・・昭和34年、まだ大学時代の若きむ~さんが修学院の車庫を訪れた時、バリバリの新車で、撮影に当たって係りの方に親切に対応していただいた想い出があります。この写真は・・・・昨日ご案内した下記にあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html
当時はポールがホイールでしたが・・・・・。

出町柳ゆきのデオ301がやってきました。元田中駅に停車します。

(2)行先板が岩倉行きになっています。ちょっとフライングじゃあないかと思います。

しかし、上品で綺麗な電車ですね。カタチも色も・・・・・。

(3)八瀬遊園ゆきのデナ500形の重連。先頭は502、出町柳よりが501です。一時は10両も在籍していたらしい。
懐かしの阪神電車831形、運転士さんの前が、貫通ドア。ドアの右に制動弁、左にコントローラのハンドルがあって、両手を広げての運転で、バンドマン電車といった人も居るらしいけれど、当たっている。
最盛期、阪神間を急行5連で、ぶっ飛ばした栄光の過去もある、私の大好き電車。このカラーも似合って、さらにポール姿も悪くありません。

(4)市電との平面交叉をゆっくりと渡って、八瀬遊園へと・・・・

茶色の(ニス塗り?・・・・じゃあ無いよね)日除け、楕円形のナンバープレートも実に似合っています。

(5)この後姿・・・・・今見てもジーンと来ますね~!!!

高性能車に押し出されて、ここにやって来た831、幸せな晩年だったと思います。そういえば、阪神時代の尾灯(兼・急行灯)の斜め付けのままなのも良いですね。


これで、この旅も終わりました。例によって、元田中からどうやって帰京帰宅したか判りません。なんにも覚えてないのは平穏無事な帰路だったんでしょう。

15回にわたってお付き合いくださり、有難う御座いました。明日から、また新企画にしなければなりません。
さ~大変だ!全然決めてない!
何回かは、てきと~な画像でお茶を濁すしかないかなあと、思ったりします。でも、それでは失礼だし・・・・まあ、なにか美味しそうなものを見つけましょう。はたしてお口に合いますかどうか・・・・・。


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昭和51年関西電車観光(14) [関西電車旅1976年]

段々暑くなっていよいよ夏。昨夜で三日続けてエアコン掛けて寝た。タイマー2時間なので、停まって暑くなり目が醒めるのが少々悔しい。お金も掛かるし、身の為にならないと聞くので、やむを得ない。

・・・・で、昨日の続きの、昭和51年関西電車観光(14)です。

■ 京福電気鉄道叡山線鞍馬線(1) ■

昭和34年以来の叡電、17年ぶりの訪問でした。昭和34年の叡電は、こんな感じでした。私のホームページのこのページもついでにご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html

さて、京都市電で元田中の電停で下車。交叉点で叡電を待つ。太陽が出たり薄雲に隠れたりしている。

(1)鞍馬行きのデナ124+122。この頃には既にデナ1は無く、昔の叡電の面影を残すのは、この形式くらいだったかもしれません。

それにしても、沢山のお客さんが乗っております。

(2)その後姿、デナ122。やっぱり古都にはポールが似合ったと思う。(江ノ電然り!)

(3)八瀬遊園から来たデオ202。

(4)同じくデオ202の後姿です。

電車左側の商店の屋根に出ている広告が気になりましたので・・・・・・。

・・・・・・部分を拡大してみました。

森永チョコフレーク・・・・・三人娘はキャンディーズじゃあないかと思うんですが、何方かお判りになりましたら教えてください。ファンだったら、この位判るだろう!なんておっしゃらないでね。(願)


話題、脱線で終わりましたが、明日も続きます。明日で、この旅もお終いとなります。
じつは、次ぎの企画が出来ていない!
『日々更新』の決意で始めたブログだけれど、息切れが激しくなりました。そんな訳で、ズレたのが出ても、お許し下さい。
そろそろ、隔日更新とか、週三回更新とか、真剣に考える時期かもしれません。多少、日常生活に影響出てますんで・・・・・・。


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昭和51年関西電車観光(13) [関西電車旅1976年]

昨日、7月10日は、浅草の観音様に行ってきましたが、その件は、このブログにも書きました。今朝も、昨日の続き『1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第13回』。

京阪電気鉄道の京津線と京都市電の交叉点、東山三條から市電に乗りまして、3キロほど乗り。京福電気鉄道(叡電)と交叉する『元田中』まで行きました。京都訪問の目的は、以前から好きだった叡電を写すことも含まれて居たのです。

■ 京都市電を3枚 ■

私鉄と市電との平面交叉は関西には多く見られました。京都でも枚挙に暇がありません。京阪本線は特に多く四条、七条、伏見と3ヶ所もありました。・・・・と、記憶してますが違うかもしれません。最近の私は『老人力も強化』されて、随分怪しくなったもので、我が事ながら驚きますね。

(1)東山三條の交叉点です。1860は6系統となってますが、どこから何処まで行くのか、判りません。この交叉点は左が三條京阪なので、きっとこの系統に乗って元田中に向かったのでしょう。

(2)2613:綺麗な電車ですね。撮影場所はさっぱりで、三條東山では無さそうです。・・・・と、すれば元田中しかないのですが、如何のものでしょう?
16系統ですが行先方向幕は「白紙」。右の古い建物がランドマークと思いますが・・・・・・。

(3)1843:6系統の京都駅ゆき。この写真は、ほぼ間違い無く『元田中』と思われます。


そう言うわけで、次回は『京福電気鉄道叡山線』・・・・通称、叡電です。


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昭和51年関西電車観光(12) [関西電車旅1976年]

今朝も、昨日に続いて『1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第12回』です。

京阪電気鉄道の一寸特異な路線、京津線を見物します。京都府京都は三條から、滋賀県大津市の浜大津を結ぶ、路面併用軌道と専用軌道を走ります。

■ 京阪電気鉄道京津線 ■

阪急見物を終え梅田から地下鉄で淀屋橋、ここで京阪電車に乗り換えて京都に行きます。乗ったのは勿論、3000系の特急。今と違って大阪の京橋から京都の七条まで、ノンストップ。車内の音を録音しながら行った所為か、写真は全然なし。まあ、この線は結構乗ってますので、物珍しさも無く、大好きな3000が田の乗り心地、車窓お録音しつつ楽しんだのでしょう。

京都では、京福電気鉄道叡山線を写そうという目的がありましたので、三條から、京津線に沿って、市電とクロスする東山三條まで、撮影しながらぶらぶら歩く事にしました。

(1)三條駅前横断歩道橋から四宮からの各停電車の到着:No.90。この80形が両運、ポール集電でデビューした時は、実に格好良い電車が出来たものだと感激したものです。このころには、すでにパンタになり、片運2両固定編成となっておりました。


■昭和29年8月■上と同じ場所で・・・・・・・
大阪~大津直通用として作られた『びわこ号60形』、読者さんからの書きこみで、思い出しました。定点記録写真として追加致します。

右端のバスにも御注目下さい。このページの下の方にある(4)の写真に写っているのと基本的には同じ塗装ですね。流石は京都!


(2)浜大津発、三條行きの準急、No.276。懐かしいカタチの自動車がずらりと並んでいます。

(3)さっきのNo.90が折り返して来ました。四宮行きの各停

(4)東山三條の交差点まで来ました。ここで京都市電と交叉しています。電車は浜大津行き準急でNo.262。バスの陰は各停の四宮発~三條行き。おそらくNo.88と思われます。

(5)三條行き各停No.88

これで、京阪京津線はおしまいで、ここから市電で、叡電と交叉する元田中まで行くことになります。

その写真は、また次回!


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昭和51年関西電車観光(11) [関西電車旅1976年]

今朝も、引き続き『1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第11回』。

今回は阪急電車の2回目で、これで阪急編はお終い。9月5日撮影の写真。

■ 阪急電鉄(その2・終) ■

宝塚線の庄内駅から十三で京都線の普通電車に乗り換えまして、良い光線状態の駅を探します。千里山線ノ接続駅、淡路駅を過ぎ幾つか行った駅『上新庄駅』が良さそうなので下車。宝塚線の庄内駅にも『庄の字』が付いてたなあと今になって思ったりします。関係無いけれど・・・・こう言うのを偶然の一致って言うんですね。

大阪方面行きホームの端に陣取って京都方面行き電車を待ちます。

(1)河原町行き普通電車2300系の2327。

(2)河原町行き急行:2000系2050。オートカーでしたっけ?

(3)河原町行き急行の2000系2020。パンタの一方を畳んでいます。

(4)やってきました2800形の特急河原町行。特急の板を左右に2枚、誇らしげに装着し、二つともパンタを上げ、いやまあ、その格好の良いこと!
ここまで来た甲斐があったというものです。

(5)地下鉄堺筋線から来た高槻市行きの大阪市営地下鉄6000系。

これで、阪急での撮影を終わり、京都に行くために一旦、梅田に戻って淀屋橋から京阪の特急に乗っています。カセットテープに残した京阪特急の車内音が、そんな行動を記録しています。やっぱり旅・撮影のメモは必要不可欠ですね。皆さん!ちゃんと記録してますか?30年も経てば忘れっちゃうんですよ~!!!


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昭和51年関西電車観光(10) [関西電車旅1976年]

昨日も鉄道関連の話題が無かったので、今朝も『1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第十回』です。

今回は阪急電車。9月5日のことです。 

■ 阪急電鉄(その1) ■

私の阪急初体験は昭和29年の夏、当時は京阪神急行電鉄と言っていたので、いまだに阪急電鉄という社名に違和感を感じています。(昭和48年4月、社名変更で阪急電鉄になりました)

阪神の福島駅から梅田にやってきました。何処か先の方まで行って阪急電車を撮ろうと言うわけ。いろいろ考えて宝塚線に乗ろうと思う。
梅田のホームに入って行った。9本の着発線は圧倒的です。しばらく眺めておりました。以前、キングレコードから出た17センチLPレコード、「阪急」の梅田駅雑踏サウンドを思い出します。

(1)写っているのは多分、一番手前が宝塚線の普通電車、そして、その向こうの3本が神戸線でしょう。この頃の阪急のシンボルマークは『H』、いまの花柄模様より数等格好良いと思うんですが・・・・・。

(2)先頭乗車で撮影地を探す。とは、いっても光線状態の良い駅なんですが。
降りたのは『服部駅』・・・・・だったと思うけれど、かなり自信が無い。もう一つ先だったかもしれません。この駅には待避線がありました。それと、真上を伊丹に下りる旅客機が飛んでいたのです。(読者さんからのご指摘で、この駅は『庄内駅』と判明しました。有難う御座いました。)
高性能車のハシリだった1100形・1110、もちろん非冷房のファンデリア車(ラインデリアだったかしら?)だったけれど、窓回りの処理とか、何だかノれなかったスタイルでした。その後、登場した2000形から始まる新阪急タイプにすっかり惚れこんで、いまだに現代の阪急電車を『イマイチ感』で見ています。

(3)3100系・3156ほかが宝塚に向かいます。このカタチが好きなんですよ。方向幕でなく『板』を下げているのも中々!

(4)宝塚行急行2000系・2087・・・・う~ん、カッコいいなあ!!

(5)服部駅をそこそこで引き上げて、京都線に回ろうと十三に向かいました。この写真はたぶん、梅田行きの普通電車だと思うのですが、確証はありません。京都線の車内かもしれません。スライドフィルムは、スライド枠に入れると、序列が判らなくなる欠点もありますね。(一時期、ナンバーを入れてくれるフィルムメーカーもありましたが)

壁の色といい、シートのモケットの色、日除けの鎧窓・・・・たまんないですね。


十三から、京都線で、またも撮影場所を探して移動。上新庄駅のホームから撮影したのですが、続きはまた明日。


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昭和51年関西電車観光(9) [関西電車旅1976年]

 So-net Blogさん、最近、又も更新に時間が掛かる様になって来ました。画像のアップロード途中でアウトになるときもあるし、テキストの転送も引っ掛かったりする。そして折角書いた文が消滅、これが一番痛い。やむを得ず、メモ帳にコピーして保存したり・・・・面倒な事です。

そんな訳で、朝の書き込みになっています。そんなに、夜の時間帯は混むのでしょうか?そのくらいで処理不能になってしまうような、小さなシステムなのでしょうか?
いろいろと、ブログの参考書など眺めていると、So-netさんのブログも書いてある。・・・・と、言うことは加入者も山ほどいらっしゃる事でしょう。ベータ版、無料サービスだからなんぞと、言っていられません。頑張ってくれないと、加入しちゃった我々、大いに困る。

7月6日木曜日、雨無し。暑いとは言っても知れてる。まあ、過ごしやすかったので助かります。

・・・・・で、7日の金曜日の朝、書きこんでおります。7月7日、七夕と言うことなんですが、こういう天候がらみ季節がらみの伝統行事は、やっぱり旧暦でやってもらわねば困ります。一ヶ月遅れれば梅雨も明け、星空も眺められるし・・・・
織姫さまと彦星さまの逢える確率も高くなりますからね。それとも、日本人って悲劇的状況が好きなんでしょうか?

最近では我が居住地あたりでも、夏は2等星クラス以上で無いと見えなくなっちゃいましたが、30年前だったら4等星以下の星でも楽勝だったんです。空気も汚れたし、空も明るくなりました。


1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第九回。阪神電車の続きです。

■ 阪神電気鉄道(その2・終) ■

まだ、福島駅に居ります。今日は阪神電車の高加速高減速の普通用車の青胴車。まともな写真は2駒しかないので、関連を2駒プラス。

(1)5213:収納式貫通幌、車体の裾の丸いタイプ。結構、好き。前パンが精悍な感じ。

(2)5267

(3)連結器です。バンドン形の密連で、小さくって、スマートです。わたし的には密連好感度第二位。
第一位は、大昔の京浜急行についてたウエスティングハウスですが、今は消滅・・・・惜しいっ!

バンドン式って、何処の国のメーカーの開発したシステムなんでしょうか?日陰の撮影なのに露光がいい加減で、真っ暗。フォトショップでいじくり回して如何にか見えるようにしたんですが、カラーもいい加減になりました。

(4)普通電車の発車。なんだか、員数あわせみたいな写真になりました。

これで、この旅の阪神電車編はお仕舞いです。推測ですが、多分、梅田行きの電車に乗って梅田まで行ったみたいです。


明日は、阪急電車編です。相変わらず、先を急ぐ旅で『駅撮り写真』ばっかりですが・・・・・。


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昭和51年関西電車観光(8) [関西電車旅1976年]

7月5日水曜日、もうじき梅雨明け。降ったり止んだりの日でありました。


1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第八回です。今朝は阪神電車!

■ 阪神電気鉄道(その1) ■

阪神電車・・・・・少年時代、関西地区で一番最初に惚れた阪神。昭和28年夏、始めての関西電車訪問の旅。阪神沿線に兄が住んでいたので、そこを拠点として方々回りました。TMSのNo.28に出ていたRokko生さんの記事を読んで、阪神が好きになっておりましたが、この時の旅で更にその気持が強くなりました。野球もタイガースファンだし・・・・・。
阪神、今津駅の三宮寄りの阪神国道踏切で、その時に撮影した881形の905です。『六甲颪に颯爽と・・・・』全電動車5連の急行電車がやってくる!!

・・・・と、この写真は昭和28年、阪神沿線にも田圃のあった時代の事です。


時代は移って、1976年(昭和51年)9月5日の最初の訪問は、阪神電車でした。難波の宿を出て地下鉄で野田に行きまして、駅うどんで朝食。意外と美味しかった記憶だけがあるのですが、この記憶は、この旅の時だったかどうか・・・・ぼやけた記憶はどうにもなりません。

朝だし、今日の旅程も詰まっているし、時間もありませんので、光線状態も考慮して、お手軽に『福島駅ホーム』からの撮影でした。

次々とやって来る電車たち・・・・好きとは言いましても、完全な阪神フリークでもありませんので、『釣り掛け車時代』の形式は知っていましたが、高性能車の時代になっており、カラーに惑わされて、赤い電車に青い電車くらいしか判りません。おんなじ電車ばっかりに見えました。

先ずは、赤胴車。(電車は全て梅田行き・・・・・光線状態から見ても間違い無いと思いますが、如何でしょうか?)

(1)特急7705

車体の裾が丸っこくなっているこのタイプが当時一番好きでした。収納式の貫通幌、雨樋の処理なども気に入っていました。

(2)特急7813

電車の右奥に見えるのが国鉄の福島駅の筈なんですが、自信はありません。

(3)急行の3521

(4)急行7815


明日は、『普通電車用の青胴車』です。


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昭和51年関西電車観光(7) [関西電車旅1976年]

1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅の第七回です。

■ 南海電気鉄道(その4・終) ■

天下茶屋駅の天王寺行きホーム天王寺線の電車を待ちます。向こうの高野線の線路を、先ほど萩ノ茶屋駅ですれ違った『こうや号デラックスズームカー20001系』が通過して行きます。

やってきた天王寺線の電車の乗りこめば、一寸走って今池町駅です。ここで下車します。南海・阪堺線今池電停がそばにあり、乗換駅になっています。
電車が丁度、すれ違いました。モ1521系というのでしょうか・・・・・・。


駅から出て、階段を上れば築堤上の今池電停。ここで写した阪堺線の電車は6月24日付の『阪堺電気軌道:1976年』に出してありますので、ご参照下さい。ここでは、一応、縮小版をご覧頂きます。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/archive/20060624


このあと、再び天王寺線の電車に乗って、天王寺駅まで行き・・・・・天王寺駅の記憶は少々あるものの、その後は完全に欠落。
如何言う経路かわかりませんが、京阪電車の野江駅、関目駅に至り、先日ブログ上に発表した、複々線区間を走り京阪電車を撮影しております。そのあとの9月4日の写真は全く写しておりません。

そのあと、定宿の難波球場脇のホテル南海に泊ったものと思われますので、ホテルに荷物を置きに行ったか、コインロッカーに入れたか、若かったからみんな荷物を持ったままかは、忘れましたが、当時愛用のソニー製のポータブルカセットレコーダTC-3125で、関西の電車サウンドを録音に出かけています。その何箇所かに付いては記憶がありますが、写真撮影には適していない時間帯だった事は確かです。まあ、音には明るさは要りませんので、録音専業だったのでしょう。
コースは、阪神梅田~阪神電車~三宮~阪急電車~十三~梅田~地下鉄~淀屋橋~京阪電車淀屋橋駅~地下鉄~近鉄難波駅と、サウンドが二本のカセットテープに残っています。


次回は、翌日、9月5日日曜日の阪神電車の予定ですが、ちょっと更新が遅くなるかもしれません。

では!!!!


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昭和51年関西電車観光(6) [関西電車旅1976年]

1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅の第六回です。

■ 南海電気鉄道(その3) ■

南海電車のなんば駅から、新今宮駅で一寸下車、撮影後、今度は『天下茶屋駅』にやってきました。ここのホームから暫く、南海電車の往来を味わって居りました。

(1)和歌山市発難波行急行:7101形。パンタの前に置いたクーラーのユニットが面白い。7101形といえば方向幕つきと思っておりましたが、無いバージョンも有るんですね。
遠く、向こうに仙北高速の電車が見えます。

(2)天下茶屋工場の赤煉瓦の壁が美しいので、ついついカメラが向いて仕舞います。この辺りの高架化に伴い、今はもう解体された事でしょう。

(3)泉北高速の100系:準急・栂美木多発難波行。写真右奥の建物も良い感じです。

(4)高野線の急行が出て行きます。ズームカー21001系。

(5)高野線の北野田行各停6201系。東急の8000系みたいな電車です。


一通り撮影し、南海の電車も堪能、出来るだけ方々を見て歩こうと言う、欲張りの旅だったので、次ぎの目的地、阪堺線に向かうために『天王寺線』に乗ります。それは、次号。(あまり良い写真は無いけど・・・・・)


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