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流山・・・・今昔 [常磐線沿線の私鉄]

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pencil-green.gif 昨日、11月22日、午前中は近所の農協の農業祭に出掛けて、大根やら、ほうれん草やら、蕪やら、買い込んで来ました。そしてお昼からは散髪。思いっきり短く刈っていただいたものですから、後頭部が寒い。

(1) 朝、ご近所から可愛い柚子が届きました。あんまり可愛らしいので、記念撮影。ご覧の通り直径5cm位しかありません。
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(2) 夕食は外食になりました。ローコストで上げようと、近所にある牛丼店「すき家」に食べに行ったのです。以前から気になって居た「お好み牛玉丼@419円」を食してみました。こんな盛り付け、品揃えでテーブルに届きます。ま、簡単に言えば、牛丼に、刻みキャベツが乗っていて、ソースが掛かっている。さらに、辛子マヨネーズ(網目状の白いの)。
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(3) 取扱説明書(笑)も無いものですから、良く判らないので、一応、タマゴの黄身を乗っけてみました。そして、花カツオと、ノリをかける。まあ、お好みで使用すべしということなのでしょう(白身はパスしたので、残してしまった・・・・)。
 こんな、感じになりましたが、これで、いいんだろうなあ・・・・と、疑問は残る。
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pen-pc.gif お味の方は、新製品開発で苦労している事は判るんですが、なんだか、付いて行けない感じ・・・・・で、わたし的には、リピートは無さそう。牛丼の基本味に、ソース&マヨネーズは少々・・・・・。好き好きという事なのでしょう。


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pen-para.gif さて、本題。今回は、常磐線沿線の私鉄のひとつ、流山電鉄・・・・おっと、ついつい、こう書いてしまうけれど、総武流山電鉄ですね。と、思ったら、ついこの間の2008年8月1日流鉄株式会社になったんだそうです。知らなかった!

 流山・・・・今昔  

(4) 1962年1月、馬橋から、モハ105っていう、元・南武鉄道の電車に乗って5.7kmの終点、流山駅
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(5) 電車の部分を拡大しました。右側の電車は、元・南武鉄道モハ100形の102。あとの2両は???です。102の後ろの電車はグロベンです。
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(6) いきなり45年、時間がジャンプします。去年、2007年10月22日の、流山駅青空と名付けられたこの電車、クモハ2002+クモハ2001が居ました。上の1962年に撮影したのと、ほぼ同じ場所です。電車も建物も、まるっきり違うのですが、なんとなく、往時の雰囲気は残っています。写っていませんが駅舎も昔の雰囲気があります。
 この電車、元・西武鉄道の中間電動車モハ803+モハ804なんだそうです。それに、同じ西武のクハ1803とクハ1804の運転台をくっ付けたのだとWikipediaに出てました。

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(7) 検車区と書かれた建屋の中の電車は、左が「若葉」、右は判りません。『若葉』の半分かしら・・・・。
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(8) これは、クモハ2001のサイドに付けられた社章なんですが・・・・・・流鉄株式会社になっても、同じものを使っているのでしょうか・・・・。
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(9) 1962年の訪問時に写したワフ31という有蓋緩急車にも、同じマークがありました。こういう伝統というか、歴史というかを語るものは、出来れば変えないで欲しいのですが、そうは行かないのか、阪急、名鉄、東急、小田急・・・・・みんな消えちゃった。東武の電車には小さいけれど、伝統的社章がついています。これだけは、流石東武!!と感心してしまった。
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pen-pc.gif Wikipediaを見ていましたら、非電化時代の気動車が、流山市内の公園に屋根つきで静態保存されている由。そのうちに、見に行かねばなりません。

coffee.gif ・・・・これで、今回はお終いです。また次回。


タグ:流山
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鹿島・日立・茨交:2005年:8 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 茨城交通・湊線2005年3月(4) ■■

 一昨日、10月31日発行の続きで、茨城交通湊線の最終回。2005年3月6日、茨城交通湊線の中心駅、那珂湊駅に居ります。気動車、駅風景ときて、今日の出し物は機関車と事業用車など・・・・・・。

(1) ケキ102.。1957年新潟鉄工所製ロッド駆動のディーゼル機関車。今日、2006年11月1日現在の茨城交通HPで『価格応相談・搬送費買主負担』で売りに出ています。まだ、動くとの事でした。

(2) ケキ102、いろいろ・・・・。

(3) シートの中は何?覗いては見ませんでした。左はトラ15。

(4) 保線のバラスト用でしょうか・・・・ホキ8。

(5) 保線用動力車。・・・・・よく見てこなかったけれど、タイタンパかな?

(6) 撒水用でしょうか?除草剤用でしょうか?手作り風のタンク車?!

(7) いよいよ帰る頃合になりました。14時10分発勝田行き列車はキハ3710-02、今日はこの1両だけに3回乗ったことになります。

(8) 乗車したキハ3710-02の車内。

 勝田駅到着は14時24分。

(9) 常磐線の普通電車に乗り、水戸駅まで行きました。下車したついでに『鹿島臨海鉄道』を一瞥。キハ6013が居ました。お顔に夢が、遊びが無い、そんな時代の車なのでしょう。若い頃だったら乗っていたかもしれません。14時45分発で鹿島神宮着が16時06分ですから、そのあと、JR鹿島線~成田線経由で東京に無理無く戻れる筈。私は、もう駄目でしたね(笑)。

 水戸からは確か特急フレッシュひたち号だったか、スーパーひたちだったかで東京に戻って来ました。一年半前のこととは言え、何に乗ったか、ほぼ忘れています。嗚呼!


・・・・・では、また次回!!


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鹿島・日立・茨交:2005年:7 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 茨城交通・湊線2005年3月(3) ■■

 前回の続きで、まだ、茨城交通湊線の『那珂湊駅』に居ります。2005年3月6日、JR常磐線の勝田駅から茨城交通湊線に乗り、終点の阿字ヶ浦駅。そして、すぐに折返し、ほぼ中間にある、工場車庫所在の那珂湊駅で下車。
 昨日は、運行中、留置中、放置中の気動車達をご覧頂きました。

 今日は、この『那珂湊駅風景』を、順不同でご覧下さい。

(1) 那珂湊駅本屋・・・・・寄せ棟造りの、いかにも懐かしい姿の駅建物です。左の四角い建物は現在は自動販売機があるようでしたが、建った当時は何だったのでしょうか?

(2) ホームにあった名所案内。本来、青地に白文字で書いてあった上に、下地としての白を塗り、黒文字で更新しております。

(3) 2番線に留置中と言うか、放置状態のキハ204。勝田行きの1番線ホームから写しました。阿字ヶ浦行きは3番線から出ます。

(4) これは、勝田行きの1番線ホーム。入ってきた列車はキハ3710-02です。向こうホームには阿字ヶ浦行きのキハ37100-03が居ります。

(5) 勝田行きの気動車が入ってきました。キハ3710-03です。

(6) 発車時刻を待つキハ3710-02。

(7) 勝田行きのホームに阿字ヶ浦方面からの列車が入ってきます。

 この日は、キハ3710-02とキハ37100-03の2両が入れ替わり立ち代り、やって来る運用になっておりました。二分に位置の確率とはいうものの、3回乗ったこの日の気動車、すべてキハ3710-02でした。


(8) 順序が一寸違うのですが、ここ那珂湊駅での撮影を終え、13時も半ばになりました。お腹も空きましたので、同行の仲間たちと、駅前の『中華そば・丼物・定食 お食事 日之出屋』さんに入りました。

 私の食したのは『玉子丼』。昔の駅前食堂って感じのするお店でありました。

(9) お店の壁にあったお食事価格表です。この時代の物価資料・・・・と言うほど大袈裟なものではありませんが、10年もすれば懐かしく見られると思って、写して来ました。和洋中華なんでもありの、楽しいお料理大パレードです。

 食事も終わり、すぐに勝田行き列車で、帰途についたのです。
 順序が前後しますが、次回は、またも那珂湊駅構内の車両たちの続きとなります。


■ 次回は、那珂湊駅に居たディーゼル機関車、事業用車、ほかをご覧頂く予定です。

・・・・・・・・では、次回!!!


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鹿島・日立・茨交:2005年:6 [常磐線沿線の私鉄]

 私のブログ更新、左側サイドバーのカレンダーを見るとだいぶ『穴』があります。更新の頻度が落ちてきたわけなんですが、一応は『隔日 or 週に三回の更新』って目標はクリアはしています。
 ちょっと、ボルテージが下がったんじゃあないかと思うので、ちょっと気持ちを引き締めねば!最初の頃のように、一日分当たりの画像を減らし、中身も薄くするのが良いと思うのですが、PCに向かうと、ついつい『多画像&長文』になってしまいます。 

・・・・・・さて、本題。 

■■ 茨城交通・湊線2005年3月(2) ■■

 前々回の続きです。2005年3月6日、JR常磐線の勝田駅から『茨城交通湊線』乗って、終点の『阿字ヶ浦駅』、そして引き返す途中の『那珂湊駅』まで来ました。

 那珂湊駅は、この線区の中心的な駅で、車庫、多数の側線、工場があり、留置車両も、動く車両、そうでない車両、台車の無いものなど、沢山ありまして、下車しないテはありません。駅舎も貫禄があります。
 早速、駅の事務室にお断りして構内にある車両を撮影させて頂きました。

 今回は、車両図鑑・・・・でも無いけれど、車両写真を並べましょう。ここの気動車は、何回か私鉄を渡って来たものもあり、経歴は複雑なようですが、そのあたりは飛ばして写真のみで、ご容赦下さい。

(1) 国鉄キハ22タイプのキハ22 2。旋回窓があり、北海道出身でしょう。

(2) キハ2005・・・・国鉄キハ22と同形の元・留萌鉄道。

(3) 同じく、元・留萌鉄道のクハ2004。

(4) キハ22 3。運転台の窓に旋回窓があるところをみると、これも北海道伝来か・・・・。

(5) キハ22 2と、後ろは同形式のようですが、番号ははっきりしません。国鉄のキハ20のようです。線路配線図と留置車両の略図をメモしてくれば良かったのですが、そう簡単に確認に行くわけにも行かず・・・・。
 しかし、この荒れようは少々、悲惨。もう動けないのでしょう。解体すると、それなりに費用発生見込で、放置ってところでしょうか。

(5) キハ20 5。バーミリオン一色になる前の2色塗り分けカラー。私は(1)のキハ22 2のブルーとクリーム塗り分けが好きです。

(7) これは、新車購入の現役気動車、キハ3710-01。キハ3710は01と02の2両あります。スマートで乗り心地もよろしい。

(8) キハ37100形の『-03』で、キハ3710とは仕様が少々違うとのお話です。番号はキハ3710から『通し』になっています。

(9) 今日の最後はケハ601の車体。工場の横に置かれておりました。昭和35年製の、当社発注のステンレスカーでした。東急のデハ5200形の雰囲気です。

 今回は、那珂湊駅構内に居た車両の写真を並べてみました。これだけ居ますと、圧倒されますね。


 次回は、『那珂湊駅風景』をお送り致します。

 では、また!


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鹿島・日立・茨交:2005年:5 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 茨城交通・湊線2005年3月(1) ■■

 2005年3月6日、3月末で廃止になる日立電鉄撮影を終えて、大甕駅から上りの電車に乗って、次の目的地、『2008年春廃止の噂も聞く茨城交通湊線』を見学しようと、勝田駅にやってきました。
 もう、47年も前のことになりますが、茨城交通の茨城線(赤塚~上水戸~大学前~御前山)と、水戸市内線に乗りに来た時、勝田駅で湊線の車両を見たことがありました。それ以来です。

 茨城交通湊線、大正2年12月、勝田駅~那珂湊駅間が開通、終点の阿字ヶ浦駅までの全線開通が、昭和3年の7月でした。

(1) 昭和34年10月に勝田駅で写した、茨城交通の気動車ケハ402。このときは、勝田駅でこの一枚を写しただけで、帰って来てしまったのです。 


 この鉄道は。今日が初乗り。どんな車が居るのか、期待で勝田駅に来たと言うわけです。

(2) 切符を買いました。1日フリーきっぷ:800円です。勝田駅から終点の阿字ヶ浦駅まで、14.3km、9駅で570円ですから、往復すれば元が取れます。ためらわず購入。

(3) 変わったもので、側線が無い。単線の線路が一本、ひとつしかないホームに入ってきているだけです。気動車が居ました。3710形の02というナンバーです。3710は『ミナトウ』の駄洒落でしょう・・・・まあ、楽しい命名ですね。

 二扉で、ロングシート。書いてある通りワンマンカーです。

(4) この3710-02に乗り、とりあえず、終点の阿字ヶ浦駅まで行きましょう。しばらく街中を走り、田園地帯を走り、工場車庫のある那珂湊駅。ここには側線も多く、動くの、動かないのを交えて、多数の気動車が見られました。帰りには必ず降りて、見学しましょう。
 そして、しばらく走ると終点の阿字ヶ浦駅です。広い構内、長い、広いホームが一本伸びています。遠い昔、ここには機関車牽引の客車列車や、気動車列車が、東京から乗り入れ、海水浴客達を運び込んだ栄光の日があったと聞きます。がらんとした駅構内、何も無い駅前、そんな中に身を置き、少々、感慨ひ耽ったりしました。

 2両の気動車が留置されていました。車の内外は、かなり在れており、どうも、もう動かないように見えました。

(5) 気動車201、元は国鉄、キハ20でしょうか・・・・。

(6) 羽幌炭坑鉄道からやってきたキハ22 1です。


 なにかのイベントで、羽幌炭坑じだいの塗装に戻したもののようです。それも、今や動きません・・・・・・・・。

(7) キハ22 1のナンバー部分のアップ。

 ホームの先端は、線路が半端に終わっておりました。もう少し先まであったような気もします。

(8) 阿字ヶ浦駅の駅名標と、駅舎。この駅舎も、駅員無配置。

(9) 乗ってきた3710-02が、折返し発車を待っています。右端に見える四角い建造物は、蒸気機関車もあった頃の、水槽でしょう。

(10) 3710-02です。もうすぐ発車時刻になります。これに乗って、那珂湊駅に戻るつもりです。

 那珂湊駅での、お話は次回!!


■■ 昭和34年10月の茨城交通 ■■
私のホームページ『む~さんの鉄道風景』には、昭和34年当時の、茨城交通茨城線、水戸市内線の写真集を展示しておりますので、下のURLをクリック頂ければ、ご覧頂けます。
 http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link144.html

■■ 茨城交通株式会社のホームページ ■■
URLは下記の通りです。ご参考まで・・・・・。
 http://www.ibako.co.jp/

 


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鹿島・日立・茨交:2005年:4 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 日立電鉄2005年3月(2・終) ■■

 2005年3月31日に廃止になる事が決まっている日立電鉄。残り日数が一ヶ月無い2005年3月5日、鹿島鉄道を見学後、訪問。石岡から常磐線で水戸~水郡線で常陸太田駅に14時16分到着。日立電鉄の常北太田駅構内見学の後、15時20分発の電車(2213)で、久慈浜駅までやって来ました。
 ここの駅の近くの、とある宿泊施設で、鉄道好きの仲間たちが集まって、一泊の計画です。私は、ひとりでここまで来た・・・・という訳なのです。


(1) 久慈浜駅、私は下車。15時40分、私の乗ってきた電車は次の大甕駅に向かって走り去って行きました。構内は側線も何本かあり、かなり大きな駅。とは云うものの無人でありました。

(2) 側線も有る筈で、ここは工場所在地。屋根の下にはクハの2217が、小さな車両移動機と並んで昼寝中。

(3) 反対側の側線には両運転台の3000形3027が居ました。前パン・幌付ってのも良いものです。

(4) かなり草臥れた無蓋車、トム1000形1001。日立電鉄のホームページでみると、一時は駅前の放置自転車除去で活躍した時期もあるようです。

(5) 上の二枚。駅名標と、散水車。散水車は夏季のレール冷却に使ったらしい。四角の鉄箱が水タンクで、ベースの貨車は、上のトム1001とくらべ、二重釣りリンクだし、そんなに古くは無いようです。

 駅を出て、今夜泊まる宿に向かって歩き出します。マンホールには日立市の市章。広い新しい道路、新しい家、その道に直角に交わった、昔からの道には、こんな酒屋さんもありました。

 無事に宿に到着。昔馴染みの鉄道大好き仲間ともめぐり合って、総勢十名、夜は、美味しいお料理とお酒(飲めない私はお茶で・・・・笑)で、鉄道話が続きました。


(6) 明けて3月6日、朝はのんびり食事の後、出発。引いて撮れる場所を探し、電車を待ちました。10時49分、やってきました2000+2200。

 バックの丘の上の大屋根は茨城県立日立商業高等学校。

(7) これは上とおんなじ電車。向こうが大甕です。

(8) その6分後に来た電車。画面下に写っている住所表示は久慈町二丁目23とあります。

 これで、日立電鉄の撮影を終え、皆さんとおしゃべりしながら、JR大甕駅までの1キロ半ほどを、のんびり歩きました。大甕駅到着は11時20分ごろ。

(9) 大甕駅前には、こんなバスが居ました。普通の乗合ですがラッピングが気に入りました。私は、この昔ながらの金魚の意匠が好きでして、蚊遣り豚に並ぶ素敵なデザインと思っています。


 このあと、大甕駅から11時25分発の上り電車で勝田駅に向かいます。勝田駅では、茨城交通湊線の気動車達に会おうと言う計画。
 それは、・・・・・・また次回。


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鹿島・日立・茨交:2005年:3 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 日立電鉄2005年3月(1) ■■

 2005年の3月5日、鹿島鉄道を見学後、石岡発12:52の勝田行きに乗車、水戸着が13:25。水郡線に乗りかえる。13時41分発で、上菅谷乗換えで、日立電鉄の一方の終点『常北太田』そばの常陸太田駅に降りたのが14時16分でした。
 今度は、2005年の3月末日で廃線になる『日立電鉄』に乗るのです。日立電鉄は、常北太田~鮎川間18.1kmで、駅の数は14.昭和3年12月に開通したとの事です。
 私にとって、今回が最初の乗車、そして最後の乗車になりました。

(1) 跨線橋から眺める常陸太田駅です。駅舎は立派なものですが、線路は一本っきり。気動車はキハ111-120で、私はこのタイプは、形、車内、乗り心地ともに好きですね。車内のシートもよろしい。

(2) 上の跨線橋から眺める『日立電鉄・常北太田駅』。踏切を営団地下鉄銀座線に居た2000形が行きます。

(3) 日立電鉄の発車は15時20分ですから1時間ある。駅の方にお断りして構内を撮ってまわりました。この色ですから、まるで営団地下鉄丸の内線の車庫に迷い込んだ気分です。

(4) こんなツートンカラー2000形も居たのです。これが、日立の標準色だったのでしょうか・・・・。

(5) 2000形の揃い踏み。

(6) 車体は営団2000形ですが台車はなんでしょう?営団3000形と見たのですが如何でしょうか?

 構内を撮りまくったのですが、まだまだ、時間が余りました。駅前に喫茶店があり、珈琲などすすりながら時間を潰す。

(7) これが、15時20分発鮎川行き、私が乗る電車です。連結器がおかしいと思ったら電気連結器が殺してあります。

(8) 常北太田駅でひろった画像・・・・・・。

 駅名表示・2000形電車の台車・構内の片隅に忘れられたコンクリートのごみ箱の残骸・・・・・・。
 最後、右下の写真は、乗った電車の車内の光景。がらがらの車内、汚れきったガラス窓が寂しかったです。車内に飾られた沿線の幼稚園園児の絵が、そんな気持ちを和らげてくれました。

 田園の中を電車は行きます。途中、トンネルもありバラエティに富んでいます。15時14分、今日の最後の下車駅『久慈浜』到着。


 この続きは、次回に・・・・・・・・。

・・・・では又!!!


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鹿島・日立・茨交:2005年:2 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 鹿島鉄道2005年3月(2・終) ■■

 2005年の3月5日、上野から常磐線の各停電車で、石岡駅までやってきました。鹿島鉄道を一寸眺めて行こうと言うわけです。今日はその二回目。

 学生時代からの鉄道大好き仲間が、日立電鉄も廃止されると言うことなので、『乗り納め&撮り納め会』をやりまして、その後、日立市内の某ホテルに宿泊し、電車汽車の話題で盛り上がろうと言うイベント。それに参加する為に日立に向かっているのですが、鉄道ファンとしましては、まあ、それだけでは納まらないんですね。それで、『鹿島鉄道』に寄り道をしています。

(1)KR-500形のKR-503。

(2) 製造当初からの504欠番で4両あるKR-500形のカラーバリエーション・・・・正面に鬼のお面をつけたのもいました。なにか沿線での伝統行事関係らしいです。

KR-501/KR-502
KR-503/KR-505

(3) 元・国鉄キハ07のキハ600形、キハ602の1両があります。サイドはそのままで正面がフラットに改造されて居ります。

(4) キハ714形、1両在籍の内のキハ714。1953年製造の元・夕張鉄道の気動車です。液体変速機つきで製造された割には、台車がクラシック。

(5) キハ714の台車。今見てみると、メカニックな美しさを感じます。

(6) ディーゼル機関車DD902・・・・1968年日車製。国鉄のDD13相当機だそうです。

 自衛隊の百里基地への燃料輸送も無くなり、働くチャンスが無くなりました。すでに、JRとの連絡線も無くなっています。

(7) 石岡駅構内の興味深い物件、四つ。

石岡機関区事務室/雪解けに濡れたポイントの梃子
トイレじゃあなくて便所、または厠と言った方がしっくりする/同左
・・・・・・・・厠の屋根瓦がセメント瓦なのが一寸惜しい。

(8) 石岡の構内風景。奥の気動車の向こうが鹿島鉄道のホーム、右端に見えるのがJR石岡駅のホームです。

 このとき写したデジカメ画像の最後の駒が12時40分になっています。この感じですと、たぶん12時53分発の勝田行き普通電車で、水戸に向かったようです。『・・・・ようです』なんて随分、自身が無いみたいですが、1年半も経てば忘れちゃうお年頃の私です。

 この電車で水戸で降り、水郡線乗換えで日立電鉄接続の常陸太田駅に向かいます。

 では、次回!!!


 『Wikipediaの鹿島鉄道の項目』、『鹿島鉄道のホームページ』、『交通新聞社版時刻表2005年3月』を参考に致しました。


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鹿島・日立・茨交:2005年:1 [常磐線沿線の私鉄]

■■ 鹿島鉄道2005年3月(1) ■■

 2005年の3月5日、上野から常磐線の各停電車359M・・・・多分415系だったかと思うけれど・・・・に乗りまして鹿島鉄道と接続する石岡駅に降りたのは11時53分だった筈です。前回の石岡駅訪問が1964年10月ですから、なんと40年ぶりです。

 ・・・・・で、話は1963年の3月に遡ります。当時は鹿島参宮鉄道鉾田線といいました。
 玉造駅から石岡駅まで乗ったんですが、その乗った気動車が、東横電鉄のキハ1形だったのです。

(1) 玉造駅の東横電鉄キハ1、ここではキハ42202です。この気動車は鉾田行きで、この駅で交換した列車。私の乗ったのは、キハ42201でした。

(2) その東横電鉄時代の写真。私の父の撮影で、父の撮った鉄道写真は、これと、もう一枚しかありません。父は『ガソリンカー』って言っていました。東横の多摩川鉄橋です。複々線工事で、この素敵なトラス橋は架け替えられましたが、バックの丘陵の姿はほとんど変わっておりません。

(3) 次は、1964年10月・・・・TOKYOオリンピックの時ですね。学生時代からの鉄道仲間と訪問したのです。

 ユニークな姿の、気動車、機関車たちが、働いておりました。


 さて、年月は流れて、2005年3月5日の石岡駅に戻ります。連絡跨線橋を渡れば、鹿島鉄道のホームです。
 鹿島鉄道は、大正13年に一部開業、そして今の終点、鉾田までの開業が昭和4年とのことで、その後、昭和40年に、鹿島参宮鉄道から関東鉄道になり、昭和54年に関東鉄道から分離して、鹿島鉄道になりました。
 私は、今でも、鹿島参宮の鉾田線なんて言ってしまいます。

 最近では、来年の2007年4月1日に廃止の話が聞こえてきております。訪問するなら今のうちですね。残念な事です。

(4) 石岡駅の構内には多数の気動車が休憩中でした。そのうちの一両、キハ431。

(5) キハ431は、加越能鉄道からやってきたキハ120形2両のうちの一両だそうで、湘南形のスマートな車体です。

 この日は、時間もなく、石岡駅構内の撮影だけで終わったのですが、このキハ431以外の車両写真については、次回以降に書きたいと思っています。


◆◆ なお、上の白黒写真の詳細は・・・・・私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に出してあります。

■ 1964年の訪問記は・・・・
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link132.html
・・・・に、ありますのでご参照下さい。
■ 1963年の訪問記は、以前、ホームページで公開していたのですが、サーバーを引越しした時に、引っ込めてしまったのです。そんな訳で、現在、ホームページ上に出してないのですが、近いうちに何とかしなければと思っています。


・・・・では、次回!!!!

 


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