SSブログ
2002年の旅 ブログトップ

薄口_関西電車の旅2002(4) [2002年の旅]

■ なか一日空いてしまいました。昨日は色々、ばたばたして更新できず、前のブログのコメント返信で精一杯でした。今朝は、気を取り直して欠きこんで行きます。今回の旅日記の最終回です。

■ 2002年の8月5日~6日、当時、30歳を一寸過ぎたばかりの次男と関西への一泊二日の二人旅でしたが、8月6日の昼頃、京都駅で別れ、私は大阪へ・・・・。夕方、京都駅でまた一緒になって新幹線で帰ると言う手筈。

 大阪から京都へは阪急電車 

 東海道本線の新快速223系の前頭部にへばりつきで大阪駅まで参りました。

(1) お腹も空いています。先ずは昼飯と、前年に入った事がある曽根崎警察並びのお好み焼きやさん、鶴橋風月。ご注文は、たしか豚玉。

(2) たしか、お好み焼きを食っただけ、なんにもしないで京都へ戻る。なんだか、慌しいんですが・・・・・。さて、京都へは何で帰りましょう?京阪?阪急?JR?・・・・結局、阪急の梅田駅に入って行きました。河原町行きの特急が入っています。7300系の7410で、クロスシート車でなくて一寸惜しいけれど、ど~せ、最前部に立って行くんですから同じ事です。

(3) 中間の連結部には保護用の柵(・・・で、良いんだろうか?)がついて居ります。

(4) 7300系の車内。上の編成ですが、7410だったかどうかは覚えていません。まあ!なんとも阪急っぽいインテリア。

(5) ・・・・で、もう京都は烏丸に到着。これが、乗ってきた7410。

(6) 反対側のホームで、梅田行きの特急、6300系6430を見送る。

(7) 地下鉄に乗換えて、JR京都駅まで戻ってまいりました。息子との待ち合わせ時刻まで少々余裕。で、時間つぶしに珈琲にケーキ。どの辺にあったお店か忘れました。

(8) 新幹線京都駅の上りホームで、無事、息子とも会う事が出来、ほっとしたものです。上りの新幹線はどんな列車だったのでしょう。写真も記憶もありません。覚えているのは、夕食おお弁当。息子が京都駅ビルのデパートで買ってきた、おすしの数々。息子は缶麦酒くらいは飲んだのでしょうが、私はミネラルウオーター。おすしは、なかなか上等なお味でしたよ。中でも鯖の棒鮓がうまかったなあ。

■ 新幹線は、無事に東京駅に到着し、途中も無事に家まで戻ってきたのでしょう・・・・・何にも記憶が無いというのは、そう言うことだと思います。


■ これで、2002年の関西の旅はお仕舞いです。例に拠って例のごとく、次回の企画は真っ白!!!ど~しましょ~???


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

薄口_関西電車の旅2002(3) [2002年の旅]

■ 2002年の8月5日~6日、20~30年ほど昔、小中学校のころ一緒に旅に連れて行った次男と関西への一泊二日の二人旅。
 8月6日、奈良県橿原市今井町を散策し京都へ戻ってきました。今日は、その後のお話を致しましょう。前回までと変わって今回は『電車』。

 JR東海道本線で大阪へ 

 ここまでいっしょに行動していた息子は、同志社大学(だったかな?)の古い建物を見に行くと言うので、私は一寸でも大阪の土を踏んでおきたい。そこで別行動です。近鉄京都駅ホームで11時30分より前だったので、多分、11時半過ぎだったと思う。JR東海道本線で大阪入り、しかも223系新快速に乗ろうと、JRの京都駅に入りました。
 今回の旅のデジカメ保存画像・・・・何故か記録年月日が全ての駒に1998年1月1日0:00が付いています。これでは、撮影時刻のチェックも出来ません。光磁気ディスク保存時になにか不手際をしたのでしょう。まあ、仕方が無い。(ちょっと涙)

(1) そんな訳で、この『L特急 雷鳥』、果たして何号だか判りません。オマケに2002年の時刻表は、我が家には無いので、2000年の時刻表で見てみました。雷鳥16号11時38分発ってのがありました。まあ、そのあたりの列車なのでしょう。485系の懐かしい姿です。

(2) 普通電車の西明石行き。207系ですが、ヘッドマークを付きで、『夏スマ!2002須磨』とあります。左隣は何でしょう。『はるか』では色が違うし、色から推測すると283系オーシャンアローでしょうか・・・・・。良く判りません。

(3) 221系普通電車、行先不明。先の2000年版時刻表に11:47に網干行きってのがあるので、まあその近辺か?

(4) やって来ました!JR東日本の縄張りに住む私には憧れの電車。223系です。ヘッドマークを付けていました。新快速姫路行き。先の221系の伝で行くと、11時47分発って事になります。しかし、2000年版の時刻表では何とも言えないですよね!!

(5) ヘッドマークをアップで写してありました。『レッツゴー!京都駅ビル 5th anniversary JR西日本 おかげさまで5周年』。

(6) 新快速は勿論、運転室後ろに貼りついて、大阪まで乗りました。快適、快速・・・・3扉転換クロスシート!こんな電車がJR東日本にいたら、どんなに素敵な事でしょう!な~んて無責任な発言ですね。地方地方でいろいろ輸送事情が違うでしょうし・・・・・・。でも、良いなあ!この電車。
 上り下りは逆ですが、『あの山崎』で、阪急8000系特急とのレースになりました。果たして、どっちが勝ったのでしょう!?見事に忘れました。

■ まあ、そんなこんなで大阪までやって来ました。このあと、時間も無いので、のんびりはしていられません。
 今日は、このへんでお仕舞いです。では、次回!!


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

薄口_関西電車の旅2002(2) [2002年の旅]

■ 2002年の8月5日~6日の二日間、当時30代前半だった次男と関西への一泊二日の二人旅。東京から~新幹線~米原~レンタカーで、彦根城・近江八幡、大津市坂本を回り京都まで~京都で一泊。一夜明けて8月6日は良いお天気。今日は、この旅一番の目標、奈良県橿原市今井町を訪問します。
 前回でも書きましたが、そのようなノリの旅なので電車の写真が何時もと違って少ないのはご容赦下さい。

 橿原市今井町 

(1) 宿は駅から一寸の距離しかありません。宿を出て近所のローソンで朝食のお握りなど購入。JRの線路が見えます。ちょうど『はるか』がやってきました。私の気に入っている車体デザイン。

(2) 昨夜のうちに買ってあった近鉄特急の切符で乗ったのは、7時15分発特急鳥羽行き。座席に落着いて朝食にします。お握りは『日高昆布100円』、『辛子高菜ちりめん120円』そして牛乳。

 大和八木駅着は8時02分だった筈で、鳥羽行きですから連絡線を通って上の大阪線のホームに到着。橿原線の普通電車に乗換えて次の八木西口駅で降りる。

■ 古い家の多く残る『橿原市今井町界隈』までは500mもありません。先日のブログで触れた近鉄に詳しいMさんに送っていただいた、橿原市教育委員会製作のパンフレット『今井町 歴史的街並み』を見ながら、朝も早い8時半頃から、町内観光。お寺が幾つか、普通の住宅、商店、直行した何本もの路。良い雰囲気を味わいました。2時間ほど居たでしょうか・・・・。周辺の環濠の跡とかまで、見て回りました。

(3) あまり写真は撮りませんでしたが、こんな感じの場所が気に入りました。

(4) クラシックな薬のポスター。とある家の壁に貼ってあった。硝子で保護されており、この薬品会社カンケイの家かもしれません。丸にRのマークとか、社名が左書きとか、それほど古いポスターでは無さそうに思えました。かなりインパクトあったので写してしまいました。

(5)&(6) 古い家とかお寺とかの写真は省略して、気になった物件。電気・瓦斯カンケイのメーターの処理です。目立たぬように配慮されているのは、京都あたりでも何例も見かけましたが、良いものです。東京でも多く見られるのかどうかは、いままで、気にしていなかったのでわかりませんが。

 右は漆喰壁の中央にある小さな長方形がメーター穴。下の写真の右側が、そのクロースアップです。

(7) こういう建物もありました。『旧高市郡教育博物館』で『今井まちなみ交流センター 華甍(はないらか)』と呼ばれています。明治36年1903年の建物。学校ではないらしいけれど、教育関係の施設だったらしい。今井町役場としても長く使われていたとの事。

(8) 今井町見物を終え、直ぐに京都へ引き返しました。京都には11時台に戻れました。
 この車両に乗ってきたようで、22000系ACE。折返し奈良行き特急になるらしく、案内表示が奈良行き特急11時30分発となっています。(向こうの電車は5804)

(9) ACEをもう一度撮影。こんどはお顔を重点に。


 奈良県橿原市今井町に関しては下記をご参照下さい。

橿原市観光協会
http://www.welove-kashihara.jp/pages/kankou.html

今井まちなみ交流センター『華甍』
http://www.city.kashihara.nara.jp/imai/index.html


■ ・・・・・と、言うことで、まだあと半日有るのです。これからどうしましょう?!相談の結果は午後は、息子と別行動を取ろうと言うことになりました。

■ 続きはまた次回!!!


nice!(0)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

薄口_関西電車の旅2002(1) [2002年の旅]

■ 今からもう5年前になってしまいました。あの日韓ワールドカップの年、2002年の夏、8月5日~6日の二日間、当時30代前半だった次男が関西への旅に誘ってくれました。息子が小学生、中学生時代には、度々、一緒に電車を乗り歩いたものです。そんな頃から、何年経ったことでしょう。本当に久し振り、一泊二日の二人旅でした。このとき彼の興味の対象は鉄道からすでに離れており、歴史的物件へと移っておりましたが、私はそっちの方も好きなのです。

■ コースは、東京~新幹線~米原~レンタカーで、彦根城・近江八幡、大津市坂本を回り京都まで~京都で一泊~近鉄~奈良県橿原市今井町~近鉄~京都~新幹線~東京のコースで、オプションもありましたが、赤文字がメインの御馳走。

・・・・・・と、言うことで、電車は現場到達の為の手段って訳で、今回のシリーズは、申し訳無いのですが、電車は、それほど出てきません(少しは出ますが)。まことに、済まんことです。

 彦根城~近江八幡~大津(坂本)~京都 

(1) 早朝に家を出て東京駅までやってきました。乗る列車は思いっきり早い6時33分発の、新幹線ひかり141号。
 当然、アサメシは未だなので東京駅の駅弁になります。『深川めし』w/ミネラルウオーター。穴子に鯊、浅蜊(かな?)が乗っています。

(2) ひかり号は普通に走って米原で下車します。昔の米原駅と違って近江鉄道の米原駅は少し離れた駅前広場の向こう側にありました。逆にJR駅が後退したのかもしれません。

(3) 駅前の小さなお店がJRレンタカーの代理店らしく、車を受け取る。マツダの・・・車種は忘れましたが何でしょう?デミオでしょうか?ファミリアでしょうか?

(4) 最初は彦根城。天主にも登り近くの庭園、たぶん玄宮園とか、博物館も見物しました。

 彦根の町を一寸出て、旧・中仙道の宿場町『鳥居本』の古い街並みも眺めてきました。

(4) お次は近江八幡。古い家の残る落着いた町でした。下の写真は・・・・。
・ (左上) 白雲館。明治10年の学校建築。
・ (右上) ヴォーリズ記念館: 教師、宗教家で建築家だそうで、メンソレータムの近江兄弟社を立ち上げた人らしい。
・ (左下) 何だか判らない由緒のありそうな古い家。
・ (右下) 古い街並みが綺麗に整備された一角もあった。

 琵琶湖につながった水路ではTV?の時代劇のロケをやっておりました。コンビニでお握りを買い、公園で食す。

(6) 近江八幡を出て、琵琶湖大橋を渡り、堅田・雄琴から大津市坂本の、名は忘れましたが、お寺の庭園を拝観。『鶴喜蕎麦』というお蕎麦屋さんで蕎麦を食べました。4年も経つと味のほうは忘れています。

 たしか、この蕎麦屋さんの近所に京阪電車石山坂本線の終点、坂本駅がある筈なのですが、立ち寄っていません。これでは、電車ファンの名が泣きますね!

(7) 坂本から下鴨大津線を走り田ノ谷峠を越えて京都の街に入り、何処を如何走ったか、上加茂神社まで行きました。神社付近のお屋敷街を散策。
 京都駅近くに来て京都国立博物館のライトアップされた建物だけ眺めました。これで、今日のドライブはおしまいです。宿近くのレンタカー業者に車を返却し、宿に入りました。

(8) 右が泊まった宿、APA HOTEL 京都駅前店。駅近くだし、宿賃も忘れたけれど、安かった筈です。息子と連れ立って食事に出て、京都駅八条口のさるお店でお好み焼きとかで夕食を済ませてしまいました。


■ これで、宿に戻り寝てしまいました。続きは明日か明後日になりますが、またも、電車味の薄いルポになる筈です・・・・・一寸は出ますけど。


nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
2002年の旅 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。