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京阪電車1700形1955年 [昔写真関西]

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pencil-red.gif ちょっとネタが切れてしまいましたので、最初のもの以外、ブログ公開済みと思うのですが・・・・かなり、いい加減なファイル管理ですが・・・・昔の京阪電車のお話を致しましょう。

 京阪電車1700形1955年 

  私が高校の二年の1955年・昭和30年3月・・・・もう53年も昔の事ですが・・・・京都奈良へ修学旅行に行ったのです。当時は、まあ、そんなコースが標準的だったようです。往復ともに蒸気機関車・電気機関車牽引の客車仕立ての修学旅行貸し切り列車でありました。そのお話は、以前、致しましたので、今日は、如何でもよろしい。

(1) シチュエーションは忘れてしまいましたが、宿の近くに京阪電車の三条の駅に行ったのです。特急電車が居たようで、たった一枚っきりですが、車内を写しています。当時のASA(今のISO)50だったか、100のフィルムに、F3.5のレンズ。真っ暗な写真です。丸い電灯のグローブが写っているのは判りますが・・・・何が何だか・・・・・。
 しかし、たった一つだけ、はっきり覚えているのは、この電車が1700形だったと言う事なのです。
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(2) フォトショップエレメンツ2.0で、私なりに一生懸命、いじってみたのですが、まあ、こんなところまでしか、出来ませんでした。 網棚の下の照明が特徴的です。網棚の上の天井に幾つか並んだリブ状のモノはなんなのでしょうか・・・・。
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pencil-green.gif ・・・・・・これだけでは何ですから、翌日の夕方、三条駅で撮影した1700をご覧下さい。この写真は、以前、このブログで公開した記憶があるんですが、まあ、重複はご容赦ください。なにしろ、記憶力減退気味で・・・・・。

(3) 屋根が殆ど無かった三条駅・特急ホームの京津線連絡線路、丸い階段が印象的ですね。
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(4) (3)の右のほうの広告が気になって拡大して見ました。大きな広告看板の、左のXX三橋荘は判りませんでしたが、右の三日月楼は、Yahoo検索で、一杯出ました。大津、石山の老舗の料理屋さんだったようですが、現在は、閉業して宅地になっているそうです。下に並んだ小さなポスターは全然読めませんね。お掃除の駅員さんを見ると、制服は詰襟ですね。当時は、詰襟が制服の私鉄は沢山ありました。各社、意識して、撮っておけばよかった・・・・・。
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(5) 1700形は、1800、1810に先駆けて、1951年に登場した特急専用電車。京阪最後の吊り掛け電車だそうで、翌1952年から、この「鳩マーク」を付けているのだそうです。鳩は何処かのお宮さんのお使いだと聞いたことがあります。
 鳩マーク56年か・・・・伝統ですね。向こうの方に居る電車は木造車に見えます。中書島から宇治に行く200形でしょうか・・・・・。
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pencil-blue.gif この時の、京阪・三条駅の様子は下記のURLで私のホームページからご覧下さい。1000形の特急も居ます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link10973-sanjokeihan.html

pen-ojigi2.gif 本日の更新は1700の真っ暗な車内写真と、以前公開の写真で済ませてしまいました。折角、お出で下さったのに大変申し訳ありません。


coffee.gif 今日のところは、この辺でお仕舞いと致しましょう。また、次回・・・・・・。


タグ:京阪

今日も休業・・・・関西写真を一枚 [昔写真関西]

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済みません・・・・今日もお休みです

昨日一日寝てたお陰で、体調、ほぼ回復。すっきりした朝が迎えられました。これから所用で出かけねばなりません。帰宅後は、遅れに遅れた確定申告の書式を整えねばなりません。

そんな訳で、以前、ホームページで公開済みにして、このブログでもひょっとしたら、公開済みかと思われる画像で、又も、お茶を濁します。

(1) 1954年・昭和29年の8月、関西旅行の途中で、神戸は・・・・たしか、兵庫駅前だったかも知れない停留所で、神戸市電の700です。40mmレンズの、オリンパス35-Ⅳ、このアングルが一番『700らしく』写ると思っています。後部の扉から乗り込むおばさんの姿が、昭和20年代を感じさせますね。
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(2) 右側の車が気になって、部分拡大。ルノーの4CVみたいですが断言できません。このころ、日野でのライセンス生産、やってたのでしょうか?電車の直前を、よ~く、ご覧下さい。です。荷馬車が実用になっていたる時代だったんですね。そういえば、その頃は『車馬通行禁止』なんて看板が会った気もします。
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そんなわけで、今日はここまでです。今日中に、確定申告の書類が整ったら、明日の更新はアリなのですが・・・・・・。ま、頑張ります。提出は、月曜なんですが、ギリギリは毎年の事でありまして・・・・・・。


今日は病欠です・・・・とほほは [昔写真関西]

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花粉症のくしゃみ鼻水、加えて咳が出ましてね。昨日、医者に聞きましたら風邪でも無さそう。アレルギーの薬に、咳止め飲んで静かにしてなさい・・・・って訳で、明日の土曜日には出かけなければならない用事もあり・・・・・・

今日は朝から一日寝てました

そんな訳で、本日の更新は、古写真でお茶を濁します。たしか、一回出した気もしますが、まあ、ご勘弁ください。

(1) 1954年・昭和29年8月、阪神国道線、北今津からすこし野田よりの場所。まあ、のどかなもんです。
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(2) 同じく、阪神国道線北今津停留所
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(3) (2)の写真の右側のお店の店先が気になって拡大してみました。昭和20年代末って、こんな食堂、各所にありましたね。いまでも、このお店、建て替えられて、ここでご商売されてますかしら・・・・・・。映画のポスターは飛んじゃってて、読めません。
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・・・・そんなわけで、今日はお休みです。申し訳ありません。


大阪地下鉄風景1954年 [昔写真関西]


 お早う御座います。昨日一日、穴を開けてしまいましたね。週に三回更新目標を目指すなんて言いながら、一日あけると気分が悪かったりしています。矛盾したお話ですけど・・・・。

 前回まで、『お出かけ通信』をはさんで、四回にわたって1976年の大阪の電車写真を並べていましたが、早速、ネタが無くなっています。
 それで、苦し紛れに何時もの、ホームページ「む~さんの鉄道風景」に発表済みの昔写真でお茶を濁す事にします。1954年・昭和29年の8月、東京在住の私は鉄道がお勉強よりも好きな高校二年生でありました。すでに社会人になって居た兄が、西宮市に住んでいたので、そこを頼って、「憧れの関西電車に会いに」長期滞在。その辺のお話は、ホームページの「関西電車むかし噺」に書きました。その中からの写真・・・・前回の記事にあった北大阪急行と大阪市営地下鉄の写真を。

 大阪地下鉄風景1954 

その旅の時に写したフィルム上の絵の順序から見ると、関西旅行の初日は宿の兄の住まい近くの阪神電車今津駅から、普通電車~甲子園駅~急行電車で梅田、そこから地下鉄と言う順序になっています。

 そう言う訳で、大阪市営地下鉄です。

(1) 何形か判りません大阪市営地下鉄の車内です。平日の昼間にしては、やけに空いています。右側のドアが開いているようなので、どうやら梅田辺りで発車待ちの時らしく思われます。私に、走行中の電車の中で、三脚も無く、手持ちの一秒露出が出来るわけがありません。手前左に座っている男性は、まるで漫画サザエさんに登場するような大学生スタイルで、あれは虚構ではなかった事が判ります。

(2) 天井の広告を拡大してみました。Photoshop Elementsのシャープネス機能が追いつかないくらいの『ブレ写真』ですが・・・・・。富士銀行、第一信託銀行、東海銀行、いろいろあって、みんな社名が変わってしまいました。富士銀行の、女の子(たぶん・・・)のキャラクターは覚えています。上の左側の日付が並んでいるのは、ギャンブル系でしょうか・・・・『バス』の文字だけ読めるけれど。

(3) 600形602・・・・この防護柵には驚きました。後になって、雑誌で米国か何処かの電車を見て、大阪だけではない事を知りました。東京では見たことが無かったので吃驚したわけです。心斎橋駅の高い天井に感動して下車してしまったのでしょう。電車は三両編成。

(4) 当時の新型だった1000形1007。右端の時計は15時40分です。

 前にも書きましたが、東京の営団地下鉄・・・・渋谷~浅草間の銀座線に慣れた私には、大阪市の地下鉄が、吊り掛けドライブにも拘らず、意外と静かだったのには驚いたのでしょう。いまだに、覚えています。当時、カルダンドライブ、赤に白帯、銀のサインウエーブの車体で、お茶の水~池袋間にすでに開業していた丸の内線には、まだ馴染んでいなかったのです。

 ・・・と、言う事で、今朝はこれで、お仕舞いです・・・  


ネタ切れです: 神戸1959年 [昔写真関西]


 済みませんっ!!今日も落ちました。伊豆箱根鉄大雄山線、フィルムスキャンのやり直しです。スキャナの設定ミスで、やり直せば多少は画質改善が期待できるし、この先、このデータをホームページで使いたいので、最初からやり直しです。
 そんな訳で、今日は、急遽、以前、ホームページの表紙写真に使った写真を並べてお茶を濁します。この写真、ブログでも使った気もしますが、もう忘れちゃってます。一応、ブログ内検索で調べてみましたが、使用実績は無さそうなので、出します。もし、ダブったらゴメンナサイ。

 1959年・昭和34年の夏7月、軽便鉄道めぐりの旅をやりました。三重交通、井笠鉄道、下津井電鉄(既にホームページで公開済)を見学し、ついでに高知の親戚を訪ねました。その途中、神戸・長田の親戚にもご厄介になりまして、その時の写真です。 

(1) 山陽電鉄200形、流線型で、オデコに大きな通風器のある特異なお顔が特徴で、ファンも多かったと思われます。長田の駅に入ってゆく明石行普通電車。左端の奥に市電との平面交叉が見えます。

(2) 神戸市電700形。いい姿ですね~。場所は長田。

(3) 最後は、阪急です。三宮駅4両編成の特急です。810形のトレーラーは860形でしたっけ?確か、京都線直通に用いられた複電圧車・・・・たぶん梅田からここまで乗ってきたのでしょう。真面目に三脚を立てて写したらしくブレが殆どありません。手持ちで撮ったとは思えません・・・・そんな腕前は無いですからね(笑)。
 この頃の阪急電車の、このタイプの車体の頃の阪急が今でも私のベスト阪急!!

 そういう訳で、今日はこんな写真になりました。これからお仕事で出かけてきますが、夜には、伊豆箱根鉄道大雄山線のスキャンを終え、選択、加工、編集を経てアップロードになる順序なので、大雄山のページは、明日か明後日になるかと思います。やっつけ仕事で、済みません。

 まあ、次回は、取り敢えずは「何か」は出すつもりです。ちょっぴり、ご期待ください。


近鉄初代ビスタカーに会いに行く [昔写真関西]

暑いです・・・・普通ならなんでしょうが、私は駄目だから・・・・・。

 50年も昔のお話をしましょう。もっとも、ホームページ『む~さんの鉄道風景』に収録した写真なのでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。特に話題の無い今日は、安易に既製品流用に逃げてしまった。ごめんなさい!(もっとも、スキャナでBMPデータにしたものを、ブログ用に加工し直してますので、完全な流用って訳じゃあありません・・・・・と、言い訳を・・・・)

 出来たばかりの近鉄・初代ビスタカーに会いに行く 

 昔々、50年も前、1958年(昭和33年)8月、私は都内の某大学の3年でありまして、四国は土佐・高知の親戚の家に遊びに行き、バスで松山まで日帰り往復をしたりしたのですが、鉄道写真は少なく、その帰り道、関西私鉄も乗ってきたのですが写真はほんの少し。
 と、言うのは、一時、旅で写真を撮ると、撮影そのものに気合が入って肝心の旅を味わうことは出来ない。基本的に写真を撮るのは旅の趣旨から外れる!・・・・なんて思っていた時期がある。40~50年も経てば殆ど忘れてしまうんだということは、最近判った・・・・・気がつくのが遅すぎました。その、少しだけ写した写真から・・・・・・・。

 東京へ帰ることになり、8月26日朝、高知の親戚の家を出て、高知県交通のバスセンターへ。室戸岬経由で牟岐へゆくバスがあり、それに乗りました。牟岐からは国鉄牟岐線で徳島。そして鳴門まで行きました。途中、徳島市外の何箇所かの工場の敷地内で阿波踊りの練習をやっているのが見えたりしました。夜の鳴門で名前は忘れたけれど、大きな旅館に泊まりました。泊り客は少なく、夜中に便所へ行くのが怖かった。翌27日、鳴門の渦潮観光、夕方の徳島市へ入りましたが、阿波踊りは一日早く、観光PR映画でも撮るのか一組の踊り手さんが、どこだったかの橋の上で踊ってました。まあ、運が良いと思うことにして、暫く眺めていました。高徳線で、高松。夜の宇高連絡線で本州に渡り、8月28日、関西地区入り。

 その頃、話題の電車といえば『近鉄のビスタカー』、ビスタカーの初代。ほんとにビスタドーム。何時ごろだったでしょうか、朝だったと思うのですが高安の駅にやってきました。

 居ました!!!車庫にビスタカーが停まっています。事前の電話確認なんてしないで、やって来たのに会えたのは、ただただ、ラッキーでした。許可を取って車庫構内で何枚か撮影させていただきました。もう、感動感動。お顔は少々、好みではなかったけれど、車体の塗りも高級感があって、いい電車でした。乗りたいとは思いましたが、まだ、運行前の試運転中だった記憶がありますが、如何だったのでしょう・・・・・・結局乗ったのは翌1959年のことになりました。

(1) モ10007・・・・先頭車です。何となく髑髏顔なのが気になりますが、全体として『お蚕さん』。四枚折り戸の客室ドア、大きな窓、特急マーク、車体の仕上げも上々、言うところ無いのですが、お顔が惜しい。

(2) ク10005・・・・これがビスタドーム車。3車体の連接車です。たしか、世界初のビスタドーム電車だったという、記憶があります。

(3) モ10007のお顔です。

 運行開始は何時からだったでしょうか、『JTBキャンブックスの:近鉄特急』に拠れば運行開始は6月となっていますので、試運転中だというのは私の記憶違いの可能性が高いです。 

 この他に何枚かの写真が下記URLクリックでご覧いただけます。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link811shunkan.html

 では、また次回!!!! 


♪そら来た二階ので~んしゃっ!♪ [昔写真関西]

 お早う御座います!昨日は勤務先のイベントで、昼から21時まで、老骨に鞭打って(月並みな表現だと・・・・)頑張ったんですが、12時過ぎ就寝で5時起床と言うことで、足腰痛いけれど、そんなに疲労感は無い様だ。

 ちょっとお古いお話です。時は1961年・昭和36年の10月横浜から四国は土佐の高知までの旅をしました。当時のことですから勿論、鉄道利用。往路のコースは・・・・・・。
 横浜~昼行客車急行~豊橋~名鉄パノラマカー~名古屋(泊)~近鉄特急ビスタカーⅡ~上本町~大阪市電~大阪駅~153系準急~宇野~宇高連絡船~高松~気動車急行~高知、って訳。

 ハイライトは、名阪1435ミリ直通成った近鉄名阪特急のビスタカーⅡでありました。

 ♪そら来た二階ので~んしゃっ!♪ 

 当時のCMソング、三木鶏郎作詞作曲の近鉄特急の歌は楠トシエさんの歌で、近鉄の案内所でソノシートで配布され、私は東京駅八重洲口の近鉄だったか、近ツリだったかで、絵葉書とともに頂き、いまだに持っています。鉄道関係のCMソングとしては、残念ながら、小田急のロマンスカーのCMソング、『小田急小田急ぴぽぴぽぉ~・・・・』(葉書版ソノシート、惜しくも紛失)よりも遥かに上を行く作品かと思っております。

 名古屋駅近くの旅館に泊まったのですが、予約なしで到着が遅かった所為か、忘れたけれど、宿の夕食はとらずに、外食になりました。そのときに、近鉄の出札口で、翌朝の名阪特急、勿論、ビスタカーⅡの二階席を確保。

(1) 朝の近畿日本名古屋駅を出た特急は快適で、単線の青山越えが印象に残っています。

(2) 青山のトンネル群のひとつ。

 あとは、柏原市あたりだったか、はっきり場所はわかりませんが、上六に向かって進行方向右の山の斜面に広がる葡萄畑も覚えております。 

(3) そして、朝の11時前(ホームの時計は10時52分)に上本町に到着したビスタカー。大阪向きの先頭車が颯爽と二挺パンタをあげた、A編成。貫通型のお顔も良いですが、こっちも中々です。

(4) お隣のホームには、名車、モ2200形が宇治山田行急行運用でお客さんを待っておりました。モ2215は、すでに3扉化されては居りましたが、素晴らしいフィーリングは失われておりませんでした。


・・・・・・このあと、市電利用で、梅田の国鉄大阪駅に向かったのです。

 では、また次回!!!!! 


近鉄特急2303の小さな写真 [昔写真関西]

 お早う御座います。今朝も5時半から起きております。ここのところ、お話が関東に来ておりましたので、今朝の話題は関西系。古いアルバムのお話です。プラスティックのリングで綴じたアルバムは、紙質が弱くなりぼろぼろに近く、綴じが既に分解状態。昭和30年代前半、学生で、お金に不自由。写真のプリントも、自分でやっておりましたが、印画紙の大節約で、旅の写真集は、58ミリ×41ミリの小さなプリントで埋まっています。大キャビネ判13センチ×18センチの光沢紙を8枚に切って使っておりました。お蔭さんで、現在の『老人む~さん』には見難くって仕方がない。

 前置きが長くなりました。さらに長くなりますが、以前から、探しているフィルムがあるのです。昭和29年の関西旅行のフィルムの最後の一本が見つからない。そのフィルムのプリントが、その小さな『大名刺判の半分サイズ』にしたのが貼ってあるのです。
 それは、近鉄特急。当時の花形特急電車はモ2250形とそのファミリーなのですが、まだまだ以前からの特急者も大活躍でした。

 その58×41の暗めのプリントかをスキャンして、無理やり480×320pixelにしてみましたのでご覧ください。

 近鉄特急2303 

 1954年・昭和29年、高校2年生の夏休み、当時西宮に居た兄の家にお世話になって、10日くらいも、関西の電車乗り回しの日々。その帰り道、兄も東京に会社の夏休みで戻るので一緒に東京に戻りました。嬉しいことに、兄が、憧れの近鉄特急に乗せてくれたのです。帰る前日だったか、上本町まで切符を買いに行き、近鉄百貨店の食堂でトンカツまでご馳走になってしまった。よっぽど嬉しかったんですね、当時、ナイフ&フォークが格好よく使えない私、お箸を頼んだことまで覚えています。(笑)

(1) 帰る日、西宮から(駅まで阪神国道線にでも乗ったのでしょうか・・・・)国電で大阪駅。なんと、C51が居ました。福知山線だったでしょうか、よく判りませんが・・・・居ました。先に書いたような小さなプリント、ルーペで見てもナンバーが読めないのですがC51260かな?280では無いように見えます。畏れ多い話ですが、当時C51には興味が無く一応写しただけ。しかし、今になってみると、英国風の実に良い姿です。デフ無しで、スクリューカプラー、18900形式で見たかったなあ!

 ・・・・・・小さな大名刺判1/2サイズプリントからの画像にしてはまあまあだと思われます。

 さて、大阪駅から上六までは何に乗ったんでしょう?鶴橋経由のメは多分なさそう。たぶん、市電で行ったものと思われます。
 上本町から、いよいよ特急すずか号です。前から何両目かのモ2250だかサ3020だったのでしょうが忘れています。小窓がずらりと並んだ、オール転換クロスシートの電車。素晴らしかったのです。

(2) 大阪線には当時、まだ単線区間が多く、特急といえども交換、モ2250形を先頭に上本町行き特急がすれ違ってゆきました。山の中の駅なのですが、駅名が判りません。
 そこで、私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に、昭和30年代の近鉄の画像とか、国鉄の写真をご提供いただいている、近鉄に詳しいmo-yan様に、鑑定をご依頼いたしたところ、近鉄にわざわざお問い合わせ頂き、「伊賀上津駅」であるとの事が判明いたしました。
 mo-yan様、有難う御座いました。

(3) 青山越えから下って伊勢中川駅です。ここで、1,067ミリ軌間の名古屋線に乗り換えです。この日の特急すずかの先頭車は、あのデトニ2300形。近鉄になってモニ2300形、この2303、当時は既にレクリエーションカーという名前で、荷物扉は撤去されていました。

 小さなプリントからの画像にしては健闘したなあと思います。床下は、もうこれ以上は無理のようでした。
 列車の編成は、よくよく見ると、モニ2300~モ2200新~モ2250~・・・・・のようにも見えないでもありません。ルーペで調べてみたいネガが無いので、如何しようもありません。

 名古屋線の特急は何に乗ったか判りませんが、四日市駅前後の『Ωカーブ』だけは覚えております。名古屋に到着した後は、名鉄の特急・・・・モ3850かモ3900一族・・・・で豊橋に至り、あとは東海道本線・・・・各停って事は無いでしょうが・・・・帰京したのです。


 いろいろ探してみたんですが、このときの切符はなくしてしまったようです。・・・・・が、こんな切符があります。

■ 近鉄特急の特急券・・・・昭和34年(1959年)7月17日のもので、すずか第2号。近畿日本名古屋駅でお願いして頂戴したもののようです。でっかい無効印がありますね。昭和34年といえば、大学4年、たぶん、四国は高知への旅の帰り道だったようです。

(4) 特急券の表面。我ながら地紋がよく出たなあと思います・・・・ただ、色に自信が無い。

(5) 裏面ですが・・・・どうも、これは「初代ビスタカーのビスタドーム席」??のものらしいと思うのです。実際のところ、「4号車E」というのは何処なんでしょうね???


 こんなところで、今日のブログはお仕舞いです。

また、次回にお目にかかりましょう!!!! 


阪神電車特急記念乗車券 [昔写真関西]

 阪神電車昭和29年特急運転開始記念乗車券 

2007年6月14日のブログで、昭和29年に登場の阪神電車の特急用電車3011形について書き、こんなヘボイラストを出しましたが、古い切符を入れてある、小さな薬の空き缶を取り出してかき回しておりましたら、この「ノンストップ特急運転記念乗車券」が出てきました。そこには紛れも無い、このイラストの元になった絵が描かれておりました。私は、これを見て、ノートに書き写したようですが、パンタの数とか、床下の台車のモーターとか描いており、雑誌に出ていた写真かもしれませんし、案内所でもらったパンフレットかもしれません。

(1) 6月14日に出したイラスト。

(2) 記念乗車券には残念ながら、乗車券部分が切り取られてなくなっています。たぶん誰かから頂いたもののようです。ひょっとしたら、当時、西宮にいた兄からもらったものかもしれません。乗車券コレクターでもない私が、よくも大事に持っていたものです。サイズは、横59ミリ×縦80ミリ。

(3) 裏面です。『おこさま』に時代を感じます。

「阪神パークがおすき」のフレーズは、マリリン・モンロー&ジェーン・ラッセルの映画「紳士は金髪がお好き」をもじったものかもしれません。あの映画、1953年の製作らしいので、日本公開はいつだったでしょうか?一世を風靡したフレーズなので、頂いちゃった可能性は、ゼロではなさそうです。(笑)


 今朝は、こんなところでお仕舞いです。 


休憩室(8)・・・阪神電車(3終) [昔写真関西]

 一休みの休憩も長々と続いて8回目になってしまいました。昔々、53年も昔、1954年・昭和29年8月阪神電車の写真は、尼崎車庫の三回目で、阪神はこれでお仕舞いです。

 尼崎の車庫は阪神の梅田から出て、大物駅~尼崎駅の左側にあるのですが、電車の窓から見ていると、気になるクルマが居ました。今回は、そのような車両を3枚。

(1) 見事な廃車体です。二重屋根、ずらりと並んだ窓は、数えると13あり、前面の顔部分は崩れ落ちておりました。『阪神電鉄のホームページ』の『乗車券のご案内』~『らくやんカードギャラリー』のページにある『1形』の末期の姿と思われるのですが、2重屋根の形が違います。屋根の形が何種かあったのか、1形ではない別の形式なのかはわかりません。(このページの一番下に関連記事があります)

(2) これは、何なのでしょう・・・・工場構内の車両移動用の牽引車でしょうか、だいぶ状態も良い様ですがナンバーも無く、前照灯らしい前照灯もありません。二挺の短いポールを前後に伸ばして、実に可愛らしい。キャブに入るのは前面の荷台かららしく見えます。なんだか、模型化を考えちゃうチャーミングな電車でありました。

(3) これが、実はこの日のハイライトで、こんな凄い荷電は見た事が無かった・・・・No.115。キャブの下は空洞で前後の荷台がつながっています。前照灯、尾灯完備。連結器はありませんが、どうやら現役らしかった。当時の私のHO模型製作技術では、モーターを仕込む空間がありません。台車のブリルMCBはカワイで売ってましたが・・・・・。このタイプの荷電、何年前だったか、もっと前だったか、書店で立ち読みしたTMSに出てた気がします。

 バックに写っている車体側面に12枚(?)並んだ窓のダブルーフ電車も気になるところです。(1)とは別の車体ですが、窓の数は13枚だし同一形式の様です。


 (1)の廃車体の形式が『1形』だとすると、Wikipediaに面白いエピソードが出ておりますのでご参照下さい。ちょっぴり嬉しく、面白い記事です。URLは・・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E1%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

 阪神電鉄のホームページの『らくやんカードギャラリー』ページのURLは下記で、歴代車両のカードが出ております。
http://rail.hanshin.co.jp/ticket/


 では、また次回、お目に掛かりましょう!!!