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休憩室(7)・・・阪神電車(2) [昔写真関西]

 『超古写真』は続きます。前回同様、53年も昔、1954年・昭和29年8月時点の、阪神電車の写真。今回は尼崎車庫の二回目です。

 私が何故、阪神ファン(この場合は電車の・・・・球団だって好きだけど・・・)になったかといいますと、『TMS』のNo.28(何年の何月号だったか実物が無くなっているので判りませんが、昭和28~9年のものだったと思う)に出ていた『Rokko生』さんの一文が、きっかけです。『沿線点描』として、梅田の地下駅から元町終点、国道線、武庫川線も触れていました。梅田から本町まで、急行の先頭に乗っている気分にさせられました。一生懸命、ノートにペンで書き写したのが残っています。著作権の関係がありますので、ここに出す事は出来ませんが・・・・・。

 まあ、その一文に乗ってしまった私は、現場に立ってみて、さらに阪神が好きになって行くのです。なかでも、急行運転につかう、800番代の電車。801、831、851、861、881。車体長14m前後、車体幅2278~2286ミリの超小型。電動機は65HP×4。これが5連で急行運転していたのです。

(1) 阪神と言えば私のとっては矢張りこの861形。851、861、881がこの姿で、貫通扉が大特徴・・・・理髪店とか喫茶店とか、ニックネームが付いていたそうです。この861はその中でもっとも美しく、窓の上部の明り取りの窓もお洒落でした。・・・・・と、私は思っているのです。

■ トラバーサ-の壁面を見ますと、煉瓦積みです。阪神電車の歴史を感じますね。

(2) 同じネガを部分拡大。ちょうど定期検査が終わったばかりなのか、綺麗に塗装され、記憶では鮮やかなチョコレート色・・・・マルーン系ではなかったのです。なにか、記憶違いなのかもしれませんが。
 この姿、如何にも速そう。事実、速かった・・・・京浜急行くらいしか速い電車の無かった関東人の当時の私にはそう思えました。なにしろ、急行通過駅の駅名が読めませんでした。

 スキャン時間とデータ量の関係もあってセミ判のフィルムを800DPIでスキャンしましたので、画像が粗っぽく、ジャギーが出ちゃいましたが、ご容赦ください。

(3) オマケ画像は、ホームページ『む~さんの鉄道風景』の『関西電車むかし噺』に出してある写真を、持って来ました。電車は梅田行き急行、先頭車は881形の905です。先頭の貫通ドアにお客さんがへばり付いていますし、前面の窓も全開。まあ、なんと素敵な急行なんでしょう。まさに『六甲颪に颯爽と』走っています。場所は今津駅の元町よりにある『阪神国道踏切』・・・・・このネーミングは『阪神国道の旧道』だからとのことでした。

 ホームページ『む~さんの鉄道風景』の『関西電車むかし噺』をご覧になっていらっしゃらない様でしたら、いちど覗いてみてください。
 URLは・・・・・
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link109-kansaimukashi.html
・・・・・です。
■ 次回も尼崎工場での写真です。


休憩室(6)・・・阪神電車(1) [昔写真関西]

 『超古写真』が意外とウケたので、む~さんは、暫くは、この路線で行こうと決めました。でも、そう何時までもネタフィルムが有る訳でもありません。いずれはやって来るネタ切れの恐怖を振り払おうと、なりふりかまわず、このブログのコンセプト『1970年以降~現在の鉄道写真重点ブログ』を外れた写真を出して行きます。

 前回同様、53年も昔、1954年・昭和29年8月時点の、関西の電車で、今回は、阪神電車。

 今津に住んでいた兄の下宿にお世話になっていた私は、電車見物に出掛けるのに阪神電車をよく利用していました。今津~甲子園間は普通電車、甲子園から必ず急行の先頭車に乗る訳ですが、尼崎から大物へ、右側に阪神電車の尼崎工場があります。その取っ付きに、赤煉瓦゙構造の変電所が見える。
 この日(完全に忘れている)、阪神電車の急行を尼崎で降り、工場を目指しました。事務所で見学をお願い致しましたら、昭和20年代の最後の年ゆえ、のんびりしたもので、当時の最新の電車・・・・特急用大型車3011形を見たい、撮りたいと訳を話すと、飛びこみでやって来た高校二年生の私を、快く中に入れてくれました。おかげで、今に至るも、阪神電車は数多い関西の電鉄の中でも、特別の愛着があります。オマケに阪神タイガースまで好きになって今に至る。

 ・・・・・さて、件の3011。小型車・・・勿論釣り掛けです・・・用の建築限界を広げ大型化の第1歩を踏み出した阪神電車が、送り出した、流線型、カルダンドライブ、冷房こそ無かったのですが、MG利用の強制通風の2ドア、クロスシートカー。たしか、オールMの三連だったと思います。なんたって『梅田~三宮がノンストップ25分』!!!阪急の特急が十三、西宮北口の二駅停車で28分でしたから驚異。

 残念だったのは、私が訪問した時点で、完成はして居ましたが、定期列車の運用は無かったことでした。甲子園高校野球用臨時では使ったようですが・・・・・。それで、そばで見たい、触りたい。
 少年、む~さんの望みは叶ったのです。嗚呼、感動感激。・・・・で、どうした事でしょう、今になって振り返って見ると、置いてあった場所の制約の為か、ろくな写真がありません。でも、傍に行けただけで良かった、シアワセだった鉄道少年でありました。

(1) トラバーサに向って顔を出した3011形3041と881形906。この881形も良い電車だったですね。851、861、881と、まさに阪神の顔でありました。一部、屋根が無かったり、洗濯物が干してあったり、当時はこんな雰囲気の場所は多かったですね。

(2) (1)の部分拡大です。この3011のお顔の丁度、鼻のあたりに特急マークが付いたのですが、このなんにもついていない顔も良いものです。

(3) トラバーサの向こうに3011形の3031。屋根にはベンチレータが二個しか見えませんが、ここから採り込んだ空気を、MGにつけたファンで車内に回すと言う事らしい。雑誌TMSには冷風装置と書いてあり、私は、翌年の夏に乗るまで、冷房装置と信じていました。連結面の硝子は曲面硝子で格好よかったのです。

 架線、電線の汚いのは、どうやら800dpiでスキャンした為らしく、今後は考慮せねばなりません。

 折角、ここまで行きながら、特急車は、たったの2駒。事務所でお茶をご馳走になり、私は心の底から幸せ気分でありました。


 この旅のあと数年が経ち、好きな阪神電車のデータなど、ルースリーフノートに書きこんでいたのが残っていますが、そのトップページ・・・・表紙・・・・に、こんなイラストがあります。当時の阪神電車の沿線案内のパンフレットの表紙だったと思いますが、そっくりペン書きで、書き写しています。阪神特急に憧れて居たんでしょうね。
 ゼロックスなんて便利なものは無く、コピーと言えば、ミニコピーフィルムとか、微粒子系フィルムで接写するか、拡散転写方式コピー機でコピーしなければならない時代のお話です。貧乏バイト学生には、この手法しか有りませんでした。紙の色も、こんなに焼けちゃっています。嗚呼、50年だね・・・・。

 続きは、また明日。


休憩室(5)・・・・依然、お休み [昔写真関西]

 『超古写真』の『京阪』がウケちゃったので、あのときの写真、まだ続けます。53年も昔、1954年・昭和29年8月時点の、関西の電車。今回は、大阪市電

 如何言う経過で野田阪神に行ったんでしょうか?記憶が無い。ともかく、野田阪神から500mくらい南東方向への道路。いまとは様子が違うと思われますが、市電が走っていました。野田阪神から出た電車は、国鉄の桜島線(名前、忘れた・・・桜島線でいいのだろうか?)・・・・現在は一部が大阪環状線ですが・・・・をオーバークロスする専用軌道がありました。真夏の暑い日中に歩いて行った様で(何しろ高校2年生、元気だけはあった、おデブちゃんだった私)、こんな写真が一齣だけありました。専用軌道が見たくて行ったとしか考えられませんが、当時、なにかの雑誌で読んだのかもしれません。

 この高架・・・・壁面が煉瓦ですね。歴史を感じますし、第一、美しいではありませんか!細めのセンターポールも素敵です。

 電車は、781形の781。半鋼車体の2軸単車でネットでいろいろと調べて見ましたら、経歴が阪神~新阪堺~大阪市電、なんだそうです。1914年製。新阪堺も、それが大阪市電に編入された事も、良く判らない点が多いです。
 手前が野田阪神で、この電車は『20系統』・方向幕は『鶴町二』と読めないでもありません。20系統うと言う路線は『野田阪神~玉川町4~川口町~本田町1~松島町~大正橋~三軒家~鶴町車庫前』なんだそうです。大阪の街は良く判らないので、どうもイメージしづらいのですが、そう言うことなんだそうな・・・・・。

 良い企画が思い浮ぶまで暫く、この路線で良きたいと思います。(1970年以前はやらないというのが、こブログの運営方針なんでうが、まあ、良いでしょう・・・・・)


休憩室(4)・・・・未だ、お休み [昔写真関西]

 『超古写真』の『京阪』がウケちゃったので、ずに乗って、もう一回、京阪電車。今から53年も昔、1954年・昭和29年8月時点の、関西の電車。そのうちホームページ未発表の京阪電車なんですが・・・・・。

 引き続き、京阪電車の守口市駅。今回は普通電車。500形・・・・二挺ポール集電時代の1926年(大正15年 or 昭和元年)~1927年製造だそうです。

(1) 三両編成の普通電車が来ました。三条『方面』に走って行きましたが、ブレて居て何処行きかわかりません。真ん中に2ドアの制御車をはさんでします。

(2) クロースアップしてみました。500形は前面貫通形ですが、もともとは非貫通3枚窓。縦二枚硝子のドアはオリジナルらしい。顔の、向って右、窓下の尾灯はあと付けらしい。

(3) 行先がわからないので拡大してみましたが、やっぱりわかりません。詳しい方なら、『感じ』でお判りかも・・・・・と。

(4) 真ん中に居るトレーラーは、何形なんでしょう。明かに500とはタイプも違うし、車体の裾に切り込みがあったりする。側面は『dD8D2』。台車は500のKS30Lと同じに見えます。

 もうそろそろ、別の趣向で始めたいのですが、なかなか、うまくゆかんもんで・・・・・。まあ、今日一日、考えたら何か出てくるかもしれません。そう何時までも『苦しい時の古写真』って訳にも行かないだろうし・・・・・・・・。


休憩室(3)・・・・また、お休み [昔写真関西]

 今日も更新ネタ切れで、オマケに、この記事、今朝、アップロードしたとばかり思って居ましたら、未だでした。すいません・・・・そういえば、昨夜のNHK-BS2に、林家三平さん、出てましたね・・・・・うっかりでは、済まされないような気もします。まさか、いよいよ、アレが来ちゃったんじゃあないと思うけれど、歳がトシだし気をつけねばなりません。

・・・・・・・ってわけで、今回も新ネタはお休みで、『超古写真』でお茶を濁します。

 今から53年も昔、1954年・昭和29年8月、関西の電車乗りまわしをやってましたが、そんな中での写真。


 阪神電車。場所は甲子園駅~久寿川駅間です。梅田行きの急行が久寿川駅を過ぎ、甲子園駅に向って上り坂に掛かるあたり。最後尾は881形の891。小型の電動車ばかりの5連の急行電車は、じつに素晴らしかった。まさに、「六甲颪に颯爽と・・・・」でありました。このとき以来ですから、もう阪神タイガースファンを53年、やってるわけです。(笑)

 なんたって昭和29年です。割り石の厚い道床、50キロだと聞いたレール、当時の私鉄でも上位に属する線路と聞きました。それゆえの高速運転。夏季は前面窓全開走行。喫茶店と言われた前面貫通の折り戸、斜め付けの急行灯/尾灯、筆書き書体の急行のヘッドマークもオシャレでありました。


 昨日の「京阪電車」、反響が良かったので、もう一つオマケ写真です。昨日のブログで小さく写っていた、『超流線型』と言うか、『妙流線型』の1000形のクロースアップ。これで、『両運』で、向こう側が、貫通幌の付いた、半流線型のお顔でした。真中に挟んだトレーラーの形式はわかりませんが、たぶん同系の1500なのでしょう。
 特急の赤・クリームに対して、ブルーにクリームだったと思います。尾灯の高さが『微妙に』ズレていますね。


■ ひとり、想い出に浸っていてはいけませんね。明日の更新に向って、無い知恵を絞らねばなりませんね。どうしましょう・・・・・・・・??!!。


休憩室(2)・・・・ひと休み [昔写真関西]

 今日の更新のネタが出て来ません。悪い頭が、更に回らなくなったみたい。やれやれ・・・・。

 今回は、またも一休みしまして、こんな日の為にスキャンしたあった画像を使いましょう。
 今から53年も昔、1954年・昭和29年8月、私はデブの高校二年生、ホームページにも出してあリますが、10日ほど、西宮に住んでいた兄の下宿を基地に、関西の電車乗りまわしの日々。そんな中で写した写真。

 京阪電車です。場所はお分かりでしょうか?未だ、地上時代の守口市駅です。

 三条行きの特急。Mc+Mc、1800形の二連の様です。窓配置が『d2D9D2』は、1700形か1800形、Mc+Mcは1800形・・・・・。 読者さん・・・・モハメイドペーパー楠居様、なにわ様・・・・からのコメントで判明しましたので、緑文字の部分、書き直しました。これが、正しいのです。伝統の鳩マークもきまっております。

 右に見えるのは「超」流線型の2扉転換クロスシート車1000形を両端に、真中のトレーラーの形式はわかりませんが3連。たしか、天満橋から、これに乗って、守口市まで来たみたいな記憶が、ほんの少し残っております。薄汚れてはいましたが、生まれて初めての転換クロスだったので、嬉しくって、背ずりを動かしてみた記憶もあります。

 この写真は、兄のミノルタ-セミP(75ミリ)で写しました。見事なカメラブレ+被写体ブレで車両番号も読めません。シャターの最高速度が200分の1ですし・・・・・。

 この一枚ではちょっと寂しいので、お隣のアジサイをちょっと拝借しました。

 ガクアジサイは、私の好きな花の一つです。

■ 明日のネタも未だ決まっていません。どうなるのでしょうね~?!


休憩室(1)・・・・ひと休み [昔写真関西]

 1990年代だったと思うけれど、北海道の札幌に所用で出掛けて行った、一泊。ちょっぴり時間もあったので一寸だけ市電とか鉄道関係の写真を撮った。昨夜、そんなフィルムが出てきたのでスキャンしてみました。ところが、ネガカラーって変色すると、空が黄色になっちゃうんですね。

 今日は、そんな訳で、そっちに置いておいて、今日は『休憩』。ちょっとお口直しの一枚だけでご容赦下さい。

 以前、ホームページの表紙写真に使った画像なんですが、1954年・昭和29年の夏8月。高校生の私は、10日くらいの電車見物の滞在旅行。そんな様子はホームページに書きましたが、ぐ~たら人間なので、この写真は、その旅行記には入ってません。何時かは書かねばと思えども、なかなかやらない。

 近鉄特急です。当時の最新鋭特急車モ2250形。布施駅の外れで撮ったこの電車、見れば見るほど素敵!!!

 特急かつらぎ号、モ2250形のモ2251トップナンバー。腰がブルーで窓から上がクリーム。高校2年生の少年む~さん、感動感激の一瞬でありました。

 1954年&1955年、高校生む~さんの関西電車旅日記「関西電車むかし噺」は下記URLをご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link109-kansaimukashi.html


・・・・・そんな訳で、今日はストーリー性のない一ページになりました。

では、また!!! 


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