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相模線橋本駅1964年 [国鉄1960年代]

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pen-pc.gif 時間経過が矢鱈と早い。40歳過ぎあたりから、体感時間経過が早くなり始め、50歳60歳70歳と段々早くなって、一寸前にお正月、もう直に紅白歌合戦です。ホントに、ヤになってしまいます。まあ、愚痴っても始まりませんが・・・・・。
 そんな訳で、ブログ更新が終わったと思ったら、もう三日経っています。ネタも切れてしまったので、昔の写真データをかき回していたら、昭和39年・・・東京オリンピックの年ですね・・・の1月、相模線を撮りに行ったときのデータが有りました。その中から三駒。
 たしか、以前、このブログに出したような気もしますが、ブログ内検索してもよく判らない。まあ、ダブっちゃったら、む~さんも、愈々、トシだなあと言うことで・・・・・。(まあ、少なくとも、最初の一駒は始めてのアップです)

■■■ 国鉄相模線・橋本駅 1964年 ■■■

pen-para.gif 1964年1月、鉄道好きの友人たちと、相模線の撮影。どんなコースで言ったのか覚えていないけれど、ともかく、橋本駅の相模線ホームに、やってきました。

(1) 橋本行の気動車が到着、折り返し、茅ヶ崎行になる・・・・筈。貨車も沢山並んでおります。貨車の牽引は勿論、蒸気機関車で、横浜線=C58、相模線=C11。
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(2) (1)の気動車の部分を拡大してみました。向こう側がキハ20、こっち側がキハ17。
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(3) (1)から180度振り返ると、こんなホーム風景。の気動車が停車しています。キハ20211です。
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(4) ホーム上屋の妻面の部分を拡大してみましょう。相模線と横浜線のホーム案内板の上、電灯線の配線方式も懐かしい。
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(5) 桜木町行の横浜線電車が到着。あまり好きではなかったモハ73も、50年近い年月が経ってから見ると、懐かしいなあ!と、思います。
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(6) クハ79の顔をクロースアップしました。
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coffee_doutor.gif 今日のブログは、これでお終いです。また、次回!!!!


常磐線・取手~佐貫:1960年 [国鉄1960年代]

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pen-para.gif 今回も、「お出かけネタ」が切れまして・・・・そう、しょっちゅう出かけるわけも無いのですが・・・・昔写真でお茶を濁します。
 かなり前に作ったホームページ、そのページ、如何にも画像の質が悪いので、見てくださいというには、かなり気が引けます。題して「国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(前編=カラー版・後編=白黒版)」、1960年・昭和35年6月の撮影です。
 その中から、白黒版の、割合に見られるものを選びました。このページの一番下に、そのホームページへのリンクが御座いますので、お時間が御座いましたら、ご覧頂けたらと思います。

 持って行ったカメラは、白黒=オリンパスペン、カラー=ミルタセミPでした。カラーフィルムは期限切れ、そして40年の年月を経た退色。白黒は現像の不手際か残存薬品の析出か、気泡やら妙な汚れがあります。
 そんな訳で、大変、申し訳無いのですが、前々回の「名鉄・瀬戸線」同様、画質の悪いのはご容赦ください。

■■■ 常磐線・取手駅~佐貫駅:1960年 ■■■

pen-pc.gif 1960年・昭和35年6月19日・日曜日、22歳の私は、『とある商社』の新入社員でした。大学鉄研時代の友人と電化の噂の立ち始めた常磐線の撮影に行ったのです。

 持って行ったカメラは昭和34年の暮れに買ったオリンパスペンと、兄譲りのミノルタセミPでした。オリンパスペンには、ネオパンの何だか忘れたけれど、白黒フィルムを入れ、ミノルタセミPには、貰い物にして、期限切れの、フジカラー(ASA10のリバーサルフィルムです)が入っています。

 取手で下車して、線路沿いに撮影しながら、佐貫の駅まで歩きました。距離にして8kmというところ。

 今日は、そのときの写真の中から、35mmハーフ判の白黒写真を、ど~ぞ。

(1) 下り列車は取手から非電化区間となり、坂を下って、広い田圃に掛かります。C62牽引の急行列車のようです。
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(2) (1)の写真の真ん中に写っている丘の上から、下り方向を見ています。機関車はC60らしいのですがよく判りません。
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(3) 藤代駅の方面に歩いて行く。電柱を見ると、多分、上り貨物列車。D51189・・・・かな?
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(4) (3)に同じ。
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(5) 鉄道管理局の境界標識がありました。
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(6) 藤代駅を過ぎ、小貝川の橋梁に掛かる普通列車。牽引はC57で、次位の客車は、オハフ30と思われます。
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pen-para.gif 6枚の写真をご覧頂きましたが、ホームページの前後編をご覧頂くには、下のURLをクリックして下さい。上の前編から入れば、そこから後編へ行くことも出来ます。

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pen-ojigi2.gif ・・・・と、云う事で、お時間がございましたら、是非、下のリンクからホームページ「む~さんの鉄道風景」をご覧頂きたく存じます。

arrow-red-right.gif 国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(前編:カラー版)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link001-special.html

arrow-red-right.gif 国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(後編:白黒版)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link002-special.html

coffee_becks.gif では、また次回!!!!!!


タグ:常磐線

昔噺:電車特急つばめ号1960年 [国鉄1960年代]

pencil-red.gif 皆様、こんばんわ。相変わらず余震かな?と思うような地震が続いています。TVで警報が出て十数秒たつと、ゆらゆらっと来ます。あの地震、そして津波で多数の住居をなくした方、亡くなった方、今後の事など、考えると、もう如何しようもなく辛い気持ちになります。そして、原発の成り行きも明るさが見えず、二重の辛さ、やりきれなさを感じています。

pencil-red.gif 前回の更新から二日、そろそろ、なにかアップロードしなければと思うのですが、カメラ持参での、鉄道がらみのお出掛けが無いので、今日は、昔の写真三枚でお茶を濁します。ごめんなさい。

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■■■ 昔噺:電車特急つばめ号・クロ151 ■■■

(1) 特急と言えば「つばめ号」、日本の代表的幹線・東海道本線の代表的列車つばめ号の大阪駅到着のシーンです。撮影は私ではなく、私の鉄道趣味の師匠「む~に~さん」・・・・私の兄でして、昭和29年か昭和30年。
 チョコレート色の客車を連ねた、つばめ号が一番格好よく感じられたころでした。牽引は電化区間はEF58,そして、非電化区間はC62でした。
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pencil-red.gif この特急つばめを、昭和33年運行開始で好評だったビジネス特急こだま号に使用した電車に置き換えると言う話が聞こえてきておりました。そして、昭和35年春4月、たまたまオリンパスペンにフジのリバーサルフィルムを入れたのを持って品川駅に行った私が見たのは、そのつばめ号用の電車が、田町電車区で休む姿でした。 

(2) 即座に、関係の方にOKを貰ってカメラを向ける。これが、話には聞いていた、一等展望車に替わる最優等車両なんだ!
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(3) コンパートメント用のドア脇の切り抜き文字の「1」が素敵です。「1」は「一等車」でしょうか。客車特急つばめの電車置き換えですから、一等車があって当然。しかし、このスライドをルーペでしっかり覗いても、車体側面の文字は「クロ151」としかよめません。「クイ151」じゃあないんだ!
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pencil-red.gif そして、電車特急つばめは、この年、1960年・昭和35年6月にデビューしたのです。

(4) その1960年6月、日本橋の会社の新入社員だった私、オリンパスペンにさくらのリバーサルフィルムを入れてましたが、たまたま、何時もの神田駅に下車した私の目の前に、つばめの編成が出番を待っていました。
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(5) コンパートメントの入口には「2」の切り文字が・・・・。「1」でメーカーさんから納入されてきたクロ151は、正式デビュー時には「2」となっていたのです。それにしても、「1」が「一等の1」なら、「クロ」となるのは変だし・・・・・ああ、分からなくなっちゃいました。
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coffee.gif この、切り文字の番号が「1」から「2」に変わったいきさつ、そして、3等級制が、2等級制となり、さらに現在の「普通車」と「グリーン車」になった、細かな経緯が分かると良いのですが、残念ながら詳しいことは判りません。


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(6) なにわ様にコメント頂き、早速、昭和35年6月1日、電車つばめの出発式で撮った、「等級切抜き文字」の「2」のネガデータを引っ張り出して、拡大してみましたら、ありました!ありました!「ねじ穴」が・・・・・「2」の上に「1」を貼り付けたプレートを螺子で取り付けたのでしょう。(2)(3)のクロ151の等級切り文字部分をよく見ると、なんとなく出っ張っているようにも見えます。
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 ・・・・・・と、言うところで、今日のブログはお終いです。


タグ:つばめ 国鉄

国鉄御殿場線1963年?(カラー版) [国鉄1960年代]

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pen-pc.gif この先、一週間ほどは、お出掛けの機会が無さそうだし、穴をあけるのも何ですから、大昔(笑)の国鉄御殿場線の天然色写真を少々。
 確か、1963年・昭和38年辺りのお話なんですが、±2年ほどの誤差はありそうです。一枚は公開済みなんですが、改めてスキャンしました。

■■■ 国鉄御殿場線1963年・・・・たぶん ■■■

 1960年代初め頃は、随分御殿場線に通ったものです。カメラは殆ど、オリンパスペンで、白黒、カラー、結構な数を撮りました。
 然し、しかしです・・・・現像処理の不良による薬品析出、例のビネガーシンドロームなんでしょう、フィルムの大変形。殆どのフィルムがアウト!つかえるフィルムは殆どありません、そのなかで、いくらか状態のいいフィルムから、選んでみました。
 この日は、何人かの鉄道ファンの友人と一緒に、御殿場線に出動したのです

(1) 松田駅を新宿に向けて発車してゆく、小田急の気動車キハ5100の特別準急「銀嶺」
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(2) 気動車と跨線橋部分を拡大してみました・・・・・。
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(3) 谷峨駅に掛かる小田急の特別準急キハ5100
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(4) 形式は分かりませんが、片運キハ51でしょうか、キハ17かもしれません。
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(5) 国道246から眺める第二酒匂川橋梁とD52牽引の客車列車
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(6) 拡大してみました。この橋梁も架け替えられています。
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(7) こんなモノも写しています。この頃から、鉄道以外に花とかも写していたんですね。これも、フィルムを二倍に使えるハーフサイズカメラのお陰でしょう。この花はフヨウの仲間の、モミジアオイと言うらしい
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(8) 国道246から瀬戸の集落へ渡る橋。見事に美しいアーチですね。残念な事に、向こうに見える御殿場線の第一酒匂川橋梁とともに、架け替えられてしまいました
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coffee.gif ホームページにまとめられそうな画像で、数もそこそこあるんですが、当時の撮影ストーリーを殆ど忘れちゃっているので、そっちを何とかせねばなりません。

 では、また次回!!


国鉄・八高線・川越線1966年(3終) [国鉄1960年代]

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icon-hachikoline.gifpen-rei2.gif 3回連載の、1966年・昭和41年2月25日国鉄八高線、川越線のお話は、今回が最終回。続きのフィルムが何処かへ入っちゃって行方不明。よって中途半端気味ですが、今回で終了いたします。申し訳ない事です。

■■■ 国鉄・八高線・川越線1966年(3終) ■■■

 今回は、高麗川駅から1km少々、現在の太平洋セメント埼玉工場、当時は、日本セメントまで、引込み線がありまして、そこを辿って、工場まで行きました。原料の石灰石や製品輸送に、鉄道は一生懸命でした。奥多摩から拝島経由で、石灰列車が来る。途中、千分の20の峠があって、D51の重連が大活躍でした。

(1) バックが日本セメント埼玉工場。入れ替えようのスイッチャーが張り切っておりました。「汽車会社」のメーカーズプレートと、No.1のナンバープレートがついています。
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(2) 外台枠のロッド式でありました。
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(3) 高麗川からD51207の牽引でホッパ列車が到着します。左端、電柱に並んで、如何にも商店街風の電灯が立っています。この道は公道なのでしょう。
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(4) (1)の入換機が左端に写っています。首をかしげた入換信号がカワイイですね。
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(5) カワイイついでに入換信号機のクロースアップと行きましょう!二つの目玉が水平になったり、斜め45度になったりするのです。操作はもちろんワイヤで引っ張ります。
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(6) ホッパの最後部(D51から見て)にスイッチャーが取りつき、一旦高麗川駅方に引き上げ、再び左端のレールに押し込んでゆきます。
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(7) 工場からは、なにやら不思議な音が聞こえてきて居た様な気がします。あれが、話に聞く、回転式の炉の音なんだなあと思ったものです。
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(8) (7)の右奥をよくよくみると、この黒いモノは、さっきのD51207なのかもしれません。
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coffee.gif このあと、高麗川駅に戻ったのですが、そのあと、如何したのでしょう?でも、フィルムは出て来ないし、一応、これでお終いと致します。なんだか、竜頭蛇尾の終わり方となりました。

 では、また次号!!!!!


タグ:国鉄 八高線

国鉄・八高線・川越線1966年(2) [国鉄1960年代]

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icon-hachikoline.gif pen-para.gif 前々回から、3回の連載で始めた、1966年・昭和41年2月25日国鉄八高線、川越線のお話。一回飛びましたが、今回は、その第二回目

■■■ 国鉄・八高線・川越線1966年(2) ■■■

 八王子から八高線の気動車・・・・形式は何だったか記憶が無いのですが、キハ17あたりだったのではないでしょうか、そうでもなかったら、キハ30系か・・・・。ともかく、ぼ~っと景色を眺めながら高麗川まで・・・・。

(1) 小宮駅も昔の香りが残って居りましたが、現在は随分変わりました。
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pencil-green.gif 高麗川駅に到着、参加メンバーとも回り逢って、川越線とか八高線とか撮影

(2) 川越線の短い貨物列車が高麗川駅に向かいます。機関車は29697
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(3) キハ3018が一両の高麗川行
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(4) 同じキハ3018高麗川から折り返してきました。
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(5) (4)の後姿・・・・茶畑に桑畑、アームの数は少ないけれど、蝿叩きの通信線。
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(6) (5)の気動車部分を拡大。
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pencil-green.gif このあと、近くにあり、高麗川駅から貨物引込み線のある、日本セメント埼玉工場で撮影その写真は次号でお目に掛けます。

(7) 高崎線の貨物列車が高麗川駅を発車してゆきました。牽引機はC5839・・・・・八王子駅で撮影して来た機関車でした。随分、遅くなったのは、何駅かで貨車の連結開放があったのでしょう。
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(8) (7)のC5839をクロースアップしてみましょう。クルクルパーは惜しいけれど、ま、仕方がない。
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(9) 高崎側に立つ場内信号機・・・・これだけ並ぶと迫力です。通票と腕木式信号機の、長閑な時代ではありました。
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(10) 腕木式信号機の足元には、こんなメカが・・・・・重錘が下がっているので停止表示。
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pencil-green.gif このあたりでフィルムは終わっています。二本目があると思われるのですが、何処かに入ってしまったらしく、見当たりませんので、次回で日本セメント引込み線を掲載して、一応の終わりとするつもりです。

coffee_doutor.gif いや、全く、管理が悪くって申し訳ないことです。次回は、日本セメント(現・太平洋セメント)編です


国鉄・八高線・川越線1966年(1) [国鉄1960年代]

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icon-hachikoline.gif pen-para.gif 今回から2~3回の連載で、1966年・昭和41年2月25日に訪問した、国鉄八高線、川越線のお話をしましょう。・・・・とは言っても、おそらく35mmフィルム36枚撮り2本はある筈なのに、おそらく最初の一本であろうフィルムしかないのです。他の日に撮った駒もあって、たいした駒数は無いのですが、ご覧下さい。

■■■ 国鉄・八高線・川越線1966年(1) ■■■

pen-pc.gif 大学時代の鉄道研究会仲間3人と、八高線の高麗川辺りの撮影に行こうということになりました。私の、いい加減な記憶では、集合が確か、高麗川駅
 この頃は、もう町田市に住んでおりましたので、今は町田駅ですが、当時は原町田駅と呼ばれていた駅から、横浜線八王子に来たようです。その八王子駅で、何駒かの写真を撮っております。

(1) 中央線の上り列車が出発して行きます。牽引機はEF13でしょう。次位の暖房車の形式は何でしょう?この頃、中央線には、ナヌ32、オヌ33、マヌ34が居たらしいのですが、台車も良く見えないし、これだけ斜めなると、形式を調べるのも難しい。客車は、ナンバー部分をルーペで見ますと「オハニ354」とあります。台車は軸バネで、枕バネはコイルバネ+オイルダンパのを履いております。出発信号機の鉄骨構造がなんともウレしい形です。
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(2) 列車は駅を出てゆきます。いいねえ、いまでは決して見ることの出来ない、懐かしい風景。ちょっと、眼が潤みますね。
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(3) こっちは、(1)(2)を撮ったホームの反対側。C58の牽く、八高線の貨物列車が待機中です。向こうで入換に励むのは、DD13でしょうか・・・・・。鉄塔の天辺の時計が良いなあと思います。
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(4) (3)の貨物列車です。C5839。小型でよくまとまった機関車ですね。特徴が無いと云えばそうですが、私が写真を撮り始めた高校生時代から、品鶴線では御馴染みだったので、結構好きな機関車です。
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(5) (4)の列車後部を拡大してみました。なにやらダブルルーフの客車が居ます。そして、跨線橋の手前で、線路を跨ぐ構造物・・・・テルハでありましょうか?
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(6) お隣のホームに行って、中央線、下りの貨物列車を撮っています。ED61電気機関車重連の颯爽とした姿!機関車の向こう側あたりが横浜線のホームと思われます。
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(7) 貨物列車の後部を拡大しました。4番線の表示が読み取れます。中央線は今も昔も、石油の輸送に重要な路線なんですね。
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coffee_doutor.gif では、次号では、高麗川駅辺りの鉄道風景をお目に掛けようと思っています。



■■■ CMです ■■■ 

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pen-rei2.gifpen-rei2.gif 済みません、コマーシャルです。前号でもお知らせしものの再放送です。
 私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に新しいページを加えました。

 小田急・相武台前駅に近い「相武台前2号踏切」での1965年 VS 2011年の定点写真を4組、掲げました。お時間が御座いましたら、ご覧頂きたく存じます。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link178.html

pen-para.gif では、また次回に!!!!!


品鶴線のEF58:1960年 [国鉄1960年代]

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pen-para.gif こんばんわ~、む~さんです。今回は、小ネタです。1960年・昭和35年の2月、就職祝いだったかで、父親から買ってもらった、発売したての、35mmハーフサイズカメラの嚆矢、オリンパスペン(F3.5つき)を持って、近所を走る国鉄の貨物専用線「品鶴線」の「永富踏切」にぶらりと行きました。日付・時刻は覚えている筈もありません。

pen-pc.gif 永富踏切は、品鶴線の、東急池上線と、東急目蒲線との中間辺りにありました。

■■■ 品鶴線のEF58:1960年 ■■■

pen-para.gif 新鶴見方面から、EF58に牽引された客車の列車がやって来ました。試運転だったのか、何だったのかはわかりません。ともかく、この線は、何時も、EF12、EF13、EF15、EH10などで、EF58は珍しかったのです。

(1) この永富踏切は現在、歩行者地下道となっています。踏切道に接して小さな流れをわたる可愛い鉄橋もあったのです。
 牽引機はEF5848で、客車を4両牽いています
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(2) 列車部分を拡大しました。此処で見るEF58は新鮮で素敵に見えました。あれっ!2両目の客車、荷物車みたいですが、扉が3枚あります
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(3) もっと、拡大して見ましょう。この、一見荷物車、何なんでしょう?三つ扉の荷物車ってあったかしら?
 
3両目は三等寝台車みたいですね。ナハネ11かしら・・・・?
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(4) 品川方面から来たEF133とすれ違います。一両目の客車は、二等車ですが・・・・・・。後の陸橋は、永富陸橋で、現在は、少々移動して、環状8号です。
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(5) 機関車部分を拡大。陸橋の下部には、蒸気機関車の煙で黒くなっている部分があります。このころは、蒸気機関車牽引の列車は、日に数本になっておりました。
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(6) 優雅な姿の、二等車の部分拡大です。オロフ33 1と見えないでもありません。窓の貼り紙は何でしょうね。
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pen-pc.gif 小ネタですが、若き日、通い慣れた品鶴線の踏切道での写真でした。

 ・・・・・では、また次回!!!coffee.gif


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国鉄成田線佐原駅夕景1963年 [国鉄1960年代]

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 ちょっと昔のお話です。1963年・昭和38年の3月のある日・・・たぶん土曜日・・・私は、浅草橋から都営地下鉄で高砂、京成に乗り換え成田、そして成田から国鉄成田線に乗って、佐原で下車したのですが、その佐原駅での三駒のフィルムから・・・・・昭和中ごろ、地方の駅風景です。

■■■ 国鉄成田線佐原駅夕景1963年 ■■■

(1) 私は、成田駅から成田発17時00分の441列車・・・・C58149牽引の客車列車に乗り、佐原駅二番線に到着しました。三番線には、17時40分発の準急水郷号(キハ28の3連)が発車を待っておりました。右の方にはワムが2両見えておりますが、貨物ヤードもそこそこあったように記憶しています。たしか、水郷各地からの船で来た農産物の鉄道貨車への積み替えもあったようでした。
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(2) ホームの模様を拡大してみました。準急は発車間際、到着した客車列車から降りたお客さんたちは、跨線橋に向かっています。
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(3) 今、下車した下りの441列車を写しました。C58149の次はスユニ30、その次は1・2等合造のスロハ31です。当時は、3等級制から2等級制に移行したころでした。右の高校生くんは、このまま、駅の外へしみ出しちゃおうという、魂胆のようで、なにしろ、駅は一方向しか出られないし、踏み切りも遠いので、きっとこの方が、正規ルートより、はるかに近いのでしょう。橋上駅とか、自由通路なんて考えもしない時代でした。
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(4) 下り列車の、機関車前方を、もっと見てみましょう。出発信号機よりも、ホーム側に、踏切があったようですね。出発時刻が近づいているのでしょう、信号機の腕木が下りています。
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(5) 跨線橋を渡る時に、成田方面を写してありました。上り列車の発車も、もう直なのでしょう、お客さんが走っています。
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(6) 写真の中央部分を拡大してみました。はるか遠く、気動車が写っています。17時40分の上り準急水郷号の後姿なのでしょう。
 列車が長いので、踏切をふさいでしまっています。バイクが待って居りますね。
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(7) もっと、拡大しました。遠方は間違いなく、準急のキハ28ですね。三番線の出発信号機の腕木は、すでに水平になっていますし、一番線の信号機は、まだ停止位置です。
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(8) 同じネガの踏切部分の右を拡大しました。バイクから降りちゃっている人がいたり、割烹着のおばちゃんが居たり、のどかなものです。右の奥の構造物は水槽でしょうか・・・・・。
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coffee.gif たった、3駒のネガから8枚の画像をひねり出しました。こうやって、細部を見て行くのも、面白いものだなあと思うのです。今回は、これで、お仕舞いに致します。


タグ:成田線
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続・御殿場線1967年8月(5終) [国鉄1960年代]

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pencil-red.gif 1967年・昭和42年8月12日・土曜日、鉄道好きの友人たちと電化間近の国鉄御殿場線の撮影に来ています。松田~国府津~東山北~山北と撮影しながら廻って来ましたが、山北駅で、9時49分発の沼津行気動車に乗車したのです。

 次の谷峨駅で下車、徒歩で約2km西へ、第三相澤川橋梁に向かいます。

 続・御殿場線1967年8月(5終) 

(1) 谷峨駅までは4.1kmですから10分も掛かりません。9時55分、下車して谷峨駅駅舎を撮ったんですが、いい加減だったのか、斜めに写っています。回転させてトリミングしたんですが、右下が欠けました。谷峨の駅名看板が、なんとなく手作り風です。
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(2) 今日の最終目的地の第三相澤川橋梁に向かいます。最初は国道を歩き、脇道に入りました。この辺りは、単線だったところへ複線化で一本貼り付けたので、地形の関係で上下線が離れています。廃止された上り線が、道路となり、トンネルが残っていました。短いもので、トンネルではなく、中央線で良く見かけた水路橋かもしれませんが、いまは無くなったようで、当時の地形図も処分してしまいましたので、検証のし様もありません。友人たちが写っています。皆さん、同世代な訳で、40年昔の若い姿・・・・嗚呼、30歳か・・・・に感慨を覚えます。
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(3) 第三相澤川橋梁(この写真の左側で写っていません)に到着。北側には廃止された上り線の鉄橋の橋台が残っていました。石積みの見事なものですが、現在はどうなっているのでしょう。この川、地図を見ると、「鮎沢川」と表記されており、この辺りはよく判りません。
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(4) (3)の橋台まわりのクロースアップ。
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(5) 沼津を9時26分に出てきた国府津行普通926列車。下り坂なので軽い走りです。
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(6) (5)の部分拡大。牽引機D52はネガをルーペで覗いたのですが、少々被写体ブレ、D52XXと読めます。D5270の様な気もします。
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(7) 上り小田急経由新宿行の準急銀嶺号が坂を下ってきました。11時を少し過ぎた辺りの筈で、前からキハ5002+キハ5102。新宿駅到着は12時20分。
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signal-blink.gif このあと、更に、此処での撮影は続くのですが、その時の写真などは7月19日付の「御殿場線1967年8月(1)と(2)」にありますので、ご覧になっておられないようでしたら、下記URLでジャンプいたしますので、ご覧いただけます。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2008-07-19

coffee.gif 5回に亘って書いて参りました「続・御殿場線1967年8月」は、これでお終いです。次回の企画を何か探さねばなりません。う~む!如何しましょう・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・では、また!!!!


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