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品川~東京機関区1954年(下)&オマケの小田急 [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif また、「昔噺」
戻りましょう。954年・昭和29年2月東京機関区で、デッキ付きの電気機関車を鑑賞した私は、何処を如何通ったか分かりませんが・・・・・ひょっとしたら、操車場の中ほど、東西を結ぶ、暗い地下道を通って、高輪に出て、バスに乗ったのかもしれません・・・・五反田に来たようです。(まあ、同じフィルムと言うだけで、断言してはいけませんね。別の日かもしれません。)
 「品川・東京機関区1954年(下)」なんて題名付けましたが、正確には「東京機関区からの帰り道での道草」なんで、「題名に偽り」なんです。ゴメンナサイ。
 写真も少ないので・・・・たった2駒・・・・オマケをつけました。

■■■ 品川~東京機関区1954年2月(下)&オマケ:現代の小田急 ■■■

pencil-green.gif そういう訳で、五反田駅前都電の停留所です。
 「4系統/五反田~新橋銀座」で、殆ど1000形など、小型車が多かった路線でした。 

(1) そんな五反田駅前。車体の裾が垂れ下がった、オシャレな車体の3000形の3237
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(2) こんな看板があるんですから、五反田駅前に間違い無さそうです。002-5402tokyo-toden001-480-02.jpg

(3) 3237の台車。切石を並べた停留所の安全地帯。そして手前の路面・・・・青海波に並べた角石は、方々で見られました。車での乗り心地は良いとは言えませんが、目は安らぎますね。
 ジュエル靴クリームの広告板は記憶があります。その上の文字は、フィルムをルーペで見ると分かるかもしれませんが、なんとなく「油断の足もと事故のもと」と読めないでもありません。
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(4) もう一枚の写真。ご覧の通り、3237の車内からのビューです。向こうに空っぽの1000が居ます。この状況も五反田駅前は間違いないでしょう。写真だけ撮って出て来ちゃったのか、乗ったのかの記憶は、56年の昔ゆえ無いのが当然と思います。たぶん、このまま帰って来てしまったのでしょう。
 コントローラお左に変な邪魔物が写りこんでますが、オリンパス35の速写ケースの前蓋なのでしょう。この失敗はよくやってしまいました。
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(5) 窓の外の風景を拡大しました。もう完全に記憶に無い街並みです。山の上の、日本風の巨大な建物は何でしょう?現在は天理教の教会が地図にありますので、たぶん天理教さんなんでしょう。この丘は池田山というエリアらしい。確認しようと、「ストリートビューで歩き回って」みましたが、周りの大きなビルに阻まれて、見えませんでした。この道路、右奥の方に行きますと、坂を登り、白金猿町、二本榎、清正公前、方面に行くのです
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pencil-green.gif そんなこんなで、東急池上線五反田駅から家に帰ったのでしょう。
 白木屋デパート五反田店・・・・ターミナル百貨店の一階にも、(もちろん池上線ホームの階にも切符売り場はありましたが)切符売り場がありました・・・・の脇の階段を登って・・・階段しかない・・・3階だったかにあった、キャバレーというのか「カサブランカ」という、大人しか入れない施設を横目に見て、池上線の改札口に至るのです。


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pen-pc.gif 写真が四枚、しかも、表題の東京機関区は出てこない。申し訳ないというので、付録です。

icon_odakyu150.gif 前の前の土曜日、2010年・平成22年8月14日、町田市の中心部に用事がありまして出掛けて行きました。熱心な鉄道ファンのむ~さんは、カメラ持参。たった10分間の空き時間を使って、小田急の線路脇に行ったんですよ。

(5) 13:19 なんと一発目に現れたのは、オリジナルカラーのLSE7000さがみ69号。なんという、幸運。きっと、いい事がある筈です。
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(6) 線路脇の草むら・・:・・よくよくみれば、これは「わらび」です。
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(7) 13:21 こんどは特急はこね16号。RSE20000のお通りです。
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(8) 13:29 藤沢行快速急行の後4両は、大好き5000様でありました。
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coffee_misdo_2.gif もう、約束の時間になってしまいました。後ろ髪を引かれる思いで線路を後にしたのです。

 ・・・・・また、次回、お目に掛かりましょう!!!!


タグ:小田急 都電

品川~東京機関区1954年(中) [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 前回、品川駅東口・・・・のどかな風景とのコメントを頂きましたが、今回のお話の前に、写真を一枚。

(A) 品川駅東口辺りの構内です。1953年・昭和28年12月の撮影。のどかな風景が広がっていますね。通信線の柱もなかなかの味。
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(B) 機関車はC10の様です。
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pencil-green.gif 本題に居戻りましょう。1954年・昭和29年2月、品川駅東口から、田町方面に歩き東京機関区へ向かいます。

■■■ 品川~東京機関区1954年2月(中) ■■■

(1) そろそろ東京機関区。下り本線を、デッキつきEF58牽引の普通列車が通り過ぎます。機関車の次位、暖房車の・・・・たぶんマヌ34。いろいろ言われる、デッキ時代のEF58ですが、好きです。狭いデッキもカッコ良く見える私なのでした。
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(2) 機関車部分を拡大してみました。暖房車の窓から顔を出している係員さん、なんて職名なんでしょう?ボイラー関係の免許のある方と思うのですが。
 そして、機関車の向こうの客車、右は一等寝台車マイネ40かな?左のダブルルーフはなんでしょう?三軸ボギーに見えないでもない。
 いや、別にクイズじゃあないのですが、気になったので・・・・・。お判りの方は、コメント欄にご記入頂けると嬉しいです。ただし、賞品は無いのですが・・・・・・。(笑)
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(3) このEF138は、汐留からの貨物列車でしょう・・・・・。
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(4) 荷物電車も来ました。モニ13という形式が思い浮かびますが、昭和29年2月当時は、これで良かったかどうか、よくわかりません。
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pencil-green.gif さあ、東京機関区です。せんだって、ついに建物など、取り壊されてしまったようですが、その話を聞いたとき、東海道本線旅客列車の機関車の本拠だったこともあって、感無量でした。 

(5) 英国渡来のEF50(EF506)。真っ平らな前面、サイドのベンチレータとか、車体の裾が下がっている辺りの丸穴など、たまらない魅力を感じます。
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(6) (5)の部分拡大。左隣に居るのはデッキ付きのEF58です。
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(7) これも(5)の拡大。EF50の右の向こう側。米軍持込のディーゼル機関車8500流線型EF58,その向こう側は、EF50でしょうか、EF53でしょうか・・・・
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(8) EF56(EF5612)です。
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(9) (8)の拡大ですが、向こうには(5)のEF50とEF58が見えます。
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(10) 並んだ新旧のEF58です。何度見ても、デッキ付きのEF58・・・・姿は、いいなあと思うのです。
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(11) (10)の左側を拡大。当時、流線型のEF58を見たとき、なんてスマートな機関車なんだろうと思いました。
 今になってみると、そんな私が、よく、デッキ付きのEF58をちゃんと写したなあ!と思います。
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(12) (10)の右端、トリミングしてあるので出ていませんが、原画を拡大すると、こんな車両の妻面が写っています。暖房車たぶんマヌ34でしょう。三軸無蓋車トキ900の台枠、機関車2120のボイラ、そして、台車は何処から来たか分かりませんが、そんな話を聞いたこともあります。
 なぜ、暖房車をちゃんと写さなかったと、またまた悔やむむ~さんです。
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pencil-green.gif ここで、東京機関区での写真はオシマイになって居ます。何処を如何通って帰宅したか覚えているわけもありませんが、途中の五反田駅前で都電を二駒写しています。

coffee.gif その都電は、ここ入れるわけにも行きませんので、別項として、次回に・・・・と言う程の画像でもないので、あんまり期待されません様に・・・・・。


タグ:国鉄

品川~東京機関区1954年(上) [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 前回のブログに使用した新鶴見の写真と同じフィルムに写っていた13駒の写真・・・・・今まで、ホームページやブログで公開したものばかりです。
 
ホームページでは、電気機関車図鑑的な「1960年前後の国鉄電気機関車」と言うページで小さな写真を公開しているので、ここで、ちゃんとまとめようと、フィルムを再スキャン致しました。
 そして、ホームページを作る前に、ブログで、ご覧頂こうと思うのです。「前に見たよ!」って写真ばかりですが、そんな前提ですのでご容赦下さい。

 ホームページでは、如何いう取り扱いをするか決めかねているのですが、気楽に作れるのは、「いままでのホームページがそうだった様に、旅行記風に」作ることです。画像がダブりますが、「図鑑のリニューアル」と「旅行記風の新作」とすれば良いかなあと思っています。

pencil-red.gif では、上~中~下の三回に分けてブログを書いて行きます。その第一回・・・・・上巻。

■■■ 品川~東京機関区1954年2月(上) ■■■

 1954年・昭和29年の2月の或る日、私はオリンパス35-Ⅳを肩に出かけてゆきました。たぶん、日曜日のことだったと思われます。学校帰りに立ち寄ったとは思えません。家から出かけたとなると、東急池上線の雪が谷大塚駅から、デハ3100だか、3200だか覚えてるわけもありませんが、ともかく、五反田駅。そして、山手線で品川駅で下車。その頃の山手線は、17m車の天国で、モハ50、モハ31、モハ30とその同系トレーラーで編成が組まれておりました。その頃だったかなあ、国電の改番があって、モハ50はクモハ11400、ま、調べれば分かるのでしょうが、モハ31もモハ30も、改番されたのです。 そんな国電たち、殆どカメラを向けない、悪い私でありました。

pencil-red.gif 品川駅に着いて、長い長い地下道を東口まで歩きます。そこは、貨物ヤードになっていて、貨車が留置されて居たり、機関車が休んでいたりしました。記憶に残っているのは「豚積車」の「ウ」で、二階建ての車内には、時として、豚くんが居ました。品川には、肉の処理場があったのです。

(1) D5153が休んでおりました。煙突からドームに掛けて給水暖め器を含めてカバーを掛けると言う方式は実にスマートでカKッコいいなあ!と思っているのですが、「なめくじ」と呼ぶのは、あまり好きになれません。折角、お洒落してのD51、何だか可哀想です。
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(2)  こちらも休憩中の2120形2383。このころは、東京近辺の駅での入替用として、かなりの数が活躍中でした。なかでも、汐留での入れ替えは、ほとんどこの機関車でした。やがてDD13に替わって行きました。空気関係を外して連結器を替えれば、もう『明治』です。1905年・明治38年の製造とのことですから、この時点で、すでに49歳でした。
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(3) 真っ正面から写してみました。いいお顔ですね~!
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(4) こんな機関車も居ました。米軍が持ち込んだ電気式ディーゼル機関車、8500形で、8両あった中の一両。のちのDD12です。色は、私の記憶では真っ黒。幼い日、小学校の頃かな・・・・品鶴線でもしばしば見かけた機関車で、走行音は静かだった記憶がありますが、果たして・・・・。そして、コドモの仲間内では、けっこう人気がありました。
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(5) 「UNITEDSTATES ARMY」と、でかい字で・・・・・。
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(6) そして、「TRANSPORTATION CORPS」とあります。そんな所属だったのでしょうか。
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(7) 台車です。電気式でしたから、この中に電動機が仕込んであったのでしょう。
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pencil-red.gif 何両かの機関車を撮影した私は、線路に沿った道を、東海道本線に使用する電気機関車が、沢山居る東京機関区に向かったのです。

coffee.gif この続きは、また次回に・・・・・・。


新鶴見操車場1954年2月 [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 先日アップした昭和28年の新鶴見操車場の写真に続いて、昭和29年2月のフィルムをスキャンしました。以前、ホームページでも、ブログでも公開した画像が殆どなんですが、なにしろ、散発的に発表したので、ホームページでも新しくまとめてみたいとの思いで、再び登場させます。

pen-pc.gif 今回のブログを書いているときに、新鶴見操車場について、検索中に、「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」というブログをみつけました。新鶴見操車場の配線がわかる資料が出ておりましたので、それを参考に致しました。
 ( 「懐かしい駅の風景 新鶴見」で検索をかけますと出てきます )

 同時に、前々回のブログの写真(2)~(6)なのですが、江ヶ崎跨線橋から写したと書きました。しかし、これは間違いで「小倉跨線橋」からの撮影だと言う事が分かりましたので、ここで、訂正いたすと同時に、前々回のブログにも訂正を入れます

pencil-red.gif 1954年・昭和29年2月、私は高校一年生で、16歳になったばかり、鉄道が大好きな少年でありましたが、趣味的には、まだ試行錯誤の段階で、カメラ持参で出かけては、数枚写してくる・・・・という、まとまりの無い写し方をして居りました。今回、スキャンしたフィルムも、散発的に「四回分のお出掛け」だったようです。

pencil-red.gif まず、今回は、新鶴見での画像をご覧下さい。例によって、4駒のフィルムから、部分拡大で7枚に水増ししてのアルバムになりました。

■■■ 新鶴見操車場1954年2月 ■■■

pencil-red.gif 江ヶ崎跨線橋の東側の取り付け道路の上から写しています。新鶴見操車場と南武線の尻手を結ぶ、貨物用の連絡線・・・・単線・非電化・・・・を、尻手方面から貨物列車がやってきました。この線路、電化されては居ますが、単線のまま、現在もあります。

(1) バック運転のD51が、田圃の中の線路をやってきました。すでに、夕方、絞りはかなり開いて、しかもスローシャッターの様で、見事にブレております。もちろん、ナンバーの読み取りなんて無理・無理。
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(2) 向こうの工場は東洋食品機械㈱です。前々回のブログでも書きましたが、いまも、ここで盛業中のようです。
 タンク貨車の中身は何でしょう?石油系でしょうか、化学薬品系でしょうか・・・・・・。
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(3) 機関車を拡大してみます。ま、D51である事は間違いないでしょうが、私はツウではないので、それ以上のことは判りません。
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pencil-red.gif 場所は、操車場の西側・・・・・小倉跨線橋と鹿島田跨線橋の中間辺りにやってきました。 

(4) 上り本線を貨物列車が行きます。未舗装の道路に、護岸も無い水路、何処なんだろうと考え込んでしまうような風景です。
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(5) 機関車とか拡大してみました。機関車はこれも、D51と思うのですが如何でしょう?貨車はワム50000にワム23000でしょう・・・・たぶん。
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(6) (4)(5)からちょっと北へ行くと、築堤で来た線路が、(4)(5)をオーバークロスします。その築堤上の線路、出発線と言うらしいのですが・・・・・・D51が貨車の列を引いてやって来ました。
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(7) 多分、かなり光量が少なかったのでしょう、かなりのスローシャッターで、しかも機関車を追ってシャッターを切って居ります。なぜか、バルブギアとコンプレッサあたりがあんまりブレて居ないのが??です。そんなわけで、ナンバーは読めません。ツウの方なら、どの辺のナンバーと、ご推測可能かと思います。
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coffee_misdo_2.gif 今回は、操車場らしい貨車の仕分け線とか、坂阜とか、有りませんので少々物足りないと思うのですが、新鶴見操車場の周辺写真と云う事で、ご容赦ください

pen-pc.gif 次回は、また、このフィルムの中から、お古いところをお目に掛けようと思って居ります。(あんまり、期待はされないよう・・・・・・・)


タグ:新鶴見

新鶴見操車場1953年9月 [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 1953年・昭和28年の9月のある日・・・・57年も昔ですから、私は高校一年生
 多分、土曜日だったと思います。学校から帰って来てから、池上線御嶽山駅に近い私の家から、兄のカメラ、オリンパス35-Ⅱを肩から斜め掛けにして自転車(実用車ってヤツ)で出発。
 東急目蒲線下丸子駅を通り、今でこそ、立派な大橋ですが、当時は両側に太いガス管を抱えた、板張りのガス橋・・・・自転車操作熟達者同士でも、やっとすれ違えるほどの幅・・・・を渡り、南武線平間駅、そして新鶴見操車場の北端にある御幸橋です。南端の陸橋「江ヶ崎跨線橋」まで約7kmある。

■■■ 新鶴見操車場1953年9月 ■■■
 
(1) 下丸子駅に近い光明寺の池で遊ぶ子供たち。みんな、下駄、履いて居りますね。光明寺池は、蛇行していた多摩川の河跡と言われており、ザリガニとかが居ました。バス道路から撮ったのですが、柵も無く道路からいきなり池でした。この辺りの、この頃の子供って、こんなヘアスタイルだったんだなあ・・・・・私自身は丸坊主の高校生でしたけれど。
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 下丸子の工業地帯を抜け、ガス橋をわたり、右に八幡様を見て、川崎府中線を渡るとやがて、南武線平間駅です。すぐに、品鶴線・新鶴見操車場を跨ぐ御幸橋、其処から多分、操車場にそった道を、南へ向かったのでしょう。そして、「小倉跨線橋」と、「江ヶ崎跨線橋」。そこで、何枚かの写真を撮って居ります。

(2) 小倉跨線橋中ほどから北を見ているのでしょう。今では想像も出来ない風景ですね。各種の貨車たちが並び、蒸気機関車の煙たなびく貨物ヤード。
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(3) (2)の拡大。
 左端の築堤は一見ハンプですがハンプでは有りません、電化されています。たしか、頂上に向こう側の線路を、こっち側に入れるための、プレートガーダーが有った記憶があります。
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(4) (3)左の貨車列を更に拡大。トラックみたいな自動車がずらりと見えます。積荷でしょうか・・・・・。進駐軍のものかもしれませんが、まったく、判りません。
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(5) 小倉跨線橋の西端から北を見ています。鶴見と新鶴見を結ぶ、職員輸送列車です。C50+ヨ2000(ヨ3500?)+前身が電車の客車が推進運転でやってきました。
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(6) この客車がよく判りません。向こう側に前照灯らしきものも見えます。お椀ベンチレータにトラス棒、電車改造のようですがよく判りません。はデッキの床が見えているので、ヨ3500ではないと、思ったんですが、板張りでないバージョンもあったようなので、結局判りませんでした。なんとなく、ヨ2000かなあ?と思う程度です。
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(7) 江ヶ崎跨線橋の東端から北(品川方面)を見ています。下りの急行貨物列車凸形のEF13が牽いて、素敵でしょう?!このフィルムには江ヶ崎跨線橋のトラスの一部が写っています・・・・トリミングしてし、右端が切れてますので画面にありませんが。バックの工場は東洋食品機械㈱で、現在もここにあります。ここは、コンクリートの高架線が出来、景色は全く変わって居ります・・・・・ストリートビューで見ただけですが。ちゃんと書くんなら現場を踏まなくてはいけないのでしょうが、ま、ご勘弁下さい。
 この写真は以前、上り汐留行と誤って書いた事があるので、そっちは訂正せねばなりません。しかし、何処で書いたかの記憶が曖昧で・・・・。
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(8) (7)のEF13を拡大しました。
 所詮は夕方の手ブレ写真、何時もは1,200DPIでスキャンするのですが、今回、3,200DPIでスキャンしたのですが、こんなものでした。機関車の上方に新鶴見操車場から南武線の尻手駅に至る単線の貨物線と、踏み切りの標識が見えます。
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(9) 跨線橋の真下には、可愛らしい坂阜がありました。
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(10) 昭和30年代くらいまで、何処ででも見られた木造のポイント扱い所
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(11) ハンプ押上の貨車列から、貨車を切り離し、重力で貨車を転がし、(10)のポイント扱い所で、線路が切り替えられ、制動手が所定の位置に停める。人と人との連携の仕分け作業でありました。
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pen-pc.gif たったこれだけの写真を写しただけで、また自転車をこいで戻っていたようです。土曜日の午後の、一寸した時間に、往復15kmを自転車で簡単に出かけてしまう。それはそうでしょう!なんたって、15歳なんだから。

pen-pc.gif おんなじフィルムの最後の駒に、こんなのが・・・・・・。

(12) アルス社のビギナー向けカメラ雑誌「カメラクラブ」。カメラ初心者の私の愛読誌でした。接写の習作で撮ったらしい。接写レンズは無かったので、3フィートの最接近。ディズニーの映画「バンビ」のパンフレットも並べて一緒に写して居ります。
 彼女は、女優さんかモデルさんか分かりませんが、綺麗な方ですね。「ますます好調 富士のフィルム」が懐かしい。フィルムは、箱に描かれた2本、3本の線から「ネオパンSSとネオパンSSS」かな?と思ったんですが、よくよく見ると「NEOPAN S、NEOPAN SS」という文字が読み取れるようです。
 たしか、カメラクラブは、この年に創刊、短命に終わった雑誌でした。何ていう綴じ方かわかりませんが、週刊誌みたいな綴じ方で、紙は良かった。

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coffee_misdo_2.gif そんな訳で、昭和20年代末の思い出話でありました。オシマイ!!


赤坂見附1953年 [むかし噺(1)]

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pen-beer.gif 暑いですね、ホントに暑い。TVでは、盛んに熱中症の予防などのお話をやっています。私も、なっちゃったら困るので、なるべくおとなしくして居ようとは思うのですが・・・・中々、思うようには行かないもので。
 エアコンの効いた部屋で、麦酒なんか飲んだら、好きな方は、堪らんだろうなあと思えども、私は、そちら方面はダメなんです。エアコンを一寸効かせて、お昼寝・・・・が効くような気もします。

pen-pc.gif 今日は、昔話を致しましょう。私が電車・汽車の写真を撮り始めた頃のお話です。

■■■ 赤坂見附1953年 ■■■

 いや、まったく暑いですね。1950年代末、学生時代の夏の旅・・・・名古屋と岡山で、こんな暑さに遭遇したっけ・・・・なんて思い出しています。大体、今と違ってエアコンなんて希少価値でしたから、逃げ場が無かった。

 さて、お話は変わって、昔も昔・・・・大昔の写真1953年・昭和28年9月、私が高校一年生のときに写したものです。
 当時の東京は、まだまだ戦争の残滓を引きずっており、爆撃されたままの壊れビル、復興された住宅・商店、新築のビル、そして戦前からの建物もかなり残っていたという、街の風景でした。
 私は、昭和28年4月から、31年3月まで、赤坂見附の丘の上にある、高校に通っておりました。ここの部活で、コドモ時代から好きだった、電車汽車が、趣味として「確定」したようです。兄が購入したオリンパス35を借りて、電車汽車を写し始めたのです。

 その日は何曜日だったでしょうか・・・・カメラを持って学校へ行きました。そのとき、赤坂見附の交差点で、10系統の都電を写して居ります。以前、このブログで公開したことがありますので、ご記憶の方も居られるかもしれません。

(1) 赤坂見附の交差点。右が四谷、左が虎ノ門、向こうが渋谷。背後が平河町二丁目から三宅坂。電車は10系統の須田町行。
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(2) ナンバーは読み取れませんが、6000形です。
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pencil-red.gif (1)(2)の「都電・赤坂見附交差点」と同じフィルムに、学校の屋上とか廊下の窓から写した写真が何枚かありますので、ご覧下さい。もう、57年も昔の撮影なので、何がなんだか分からなくなっているので、アバウトなところはご容赦下さい。

(3) 学校の北側、直ぐ隣にはこんな建物群。米軍のハウスで、当時、ジェファーソンハイツと呼ばれており、もちろん、柵の向こうで、ゲートには日本人のガードが立って居りました。なにしろ、日本の政治の中心地ですから今考えれば、大変な事ですね。現在この土地には、衆参両院議長の公邸が並んで建っています。
 その向こうにはテレビ塔が二本、左がNHK、右が日本テレビ。日本テレビの塔は断れば登れました。NHKの塔の左下には赤坂プリンスホテルの旧館の屋根が見えます。プリンスホテルの開業は、1955年だそうですから、この当時は、1930年建造の旧・李垠邸だったようです。
 米軍のハウスは、三宅坂の現在、最高裁と国立劇場の建っている所にもあって、パレスハイツと呼ばれていました。こっちは、蒲鉾形だった気もしますがはっきりした記憶はありません。(渋谷区神南・・・・いまのNHKや国立室内競技場のあるあたりには、ワシントンハイツという、同じような米軍住宅がありました。)

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(4) 中の一軒を拡大してみました。こんなスレート葺きっていうんでしょうか・・・・の二階建て。
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(5) テレビ塔を拡大してみました。NHKの塔の先端には、アンテナらしきものが見えません。たしか、スーパーターンスタイルアンテナって言うのか、バットウイングというのか判りませんが、乗っかっていたような気もしますが、はっきりしません。ひょっとすると建設途上だったのかもしれません。だんだん、背丈が伸びている様を見た記憶もあります。
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pencil-red.gif (3)~(5)の写真から左へカメラを振ったところ・・・・北西方向です。

(6) 右端にジェファーソンハイツの端っこが写っています。左の市街地建物群で一番目立つ白い大きなのは、地下鉄の赤坂見附駅で、変電施設が入っていると思っていました。中央の遠景、外堀と、紀伊国坂。外堀の右の森は現在、ホテルニューオータニ。
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 ・・・・・部分をいろいろ拡大してみましょう。

(7) (6)の右の方、地平線?です。上智大学のチャペルの塔があります。この塔、のちに新聞に木柱モルタル造りと書いてあった気がします。その右のほうの塔のある建物は麹町消防署
 ジェファーソンハイツの芝生には子供用の遊戯物があるように見えますね。
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(8) 赤坂離宮ですが、現在は迎賓館・・・・当時は何と呼ばれていたのでしょう。裁判官弾劾裁判所だった記憶がありますし、国会図書館だったこともあり、利用した事も一回だけあります。『はとバス』の一日コースで中を見たことがあります。
この地下鉄・赤坂見附駅は、このあたりで一際目立っていました。お隣が伊藤忠自動車で、ヒルマンとか、サンビーム、ハンバーとか、大きなアルファベットが書いてありました。こんな時に刷り込まれたのでしょうか、1964年、最初に買った自動車、スバル360の62年式は、伊藤忠自動車の中古車部(中野にあった)からでした。画面右奥のお堀端には、滲んだように小さく電車が写っています。3系統の700型でしょう。
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(9) 地下鉄赤坂見附駅の反対側で、なにやら工事が始まっています。
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pencil-red.gif 学校の南東方向を見ています。

(10) 右端の木は日枝神社のもので白い道は公道から神社に上がる道。白い石塔も、黒い石碑も、グーグルのストリートビューで見たら、今も、ちゃんとありました。
 丘の上には首相官邸が見えます。問題は、画面中央のでっかいコンクリートの建造物です。何の用途だか、何処の所有物だか、さっぱり分かりませんでした。窓も無く、用途不明。級友たちと、爆弾が滑り落ちるように放物線曲面だとか、日本軍か政府関係の施設の名残だとか、お互いの推測を言い合ってましたが、果たして????
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(11) 首相官邸。丘の下に数棟のコンクリート二階建ての公務員住居があり、昭和30年代後半まで有った気がします。土蔵が異彩をはなって居ます。
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(12) これが、謎のコンクリートドームの拡大写真です。ドームの左下には、通気用の塔のようなものも見えます。いろいろ検索を掛けて見たんですが、なんだか分からない何方かご存知の方、いらっしゃいましたらお教えください右奥の二本の鉄塔、地図を見ると、どうやら愛宕山のNHKの放送用だったアンテナらしく思えます。すでに鳩ヶ谷に移転済みで、現役では無かった筈です。
 このドーム、何時の間にか無くなっていました。013-5309akasakamitsuke001-003.jpg

pen-pc.gif 参考に、平成20年版・国土地理院2万5千分の1地形図・東京西部の一部を掲げます。
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pencil-red.gif いろいろ並べましたが、添えた文章は、私のおぼろげな記憶を書き綴ったものです。
 都電の形式同定は、友人、MOさん、HHさんにご教示頂きました。

pencil-red.gif 皆様、この画像たちの中で、何かご存知の事が御座いましたら、是非、コメントでお教えくださいますよう、お願い致しますます。

pen-pc.gif 昭和の半分よりも昔、進駐軍、米軍、占領なんて言葉が、会話の中に普通に出ていた頃の街の写真をご覧頂きました。


タグ:都電

小田急2800:十年ひと昔 [むかし噺(1)]

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pencil-blue.gif ど~も!もう土曜日になってしまいました。鹿児島へ行ったのだって、既に三週間前、いやはや何とも早いもんです。
 今回は小田急のNHE車、デハ2600のファミリーです。大きな車体、浅いシート、派手な駆動系のサウンド・・・・通勤に随分お世話になりました。
 写真は殆ど撮っていません。小田急沿線に住んでいると、小田急電車は日常なもので、ついつい、明日あしたで何年も経ってしまうものです。
 探してみたら、今から10年前、当時使っていたデジカメ「オリンパスC-830L」という130万画素のデータで何駒かありました。

pencil-blue.gif 40年近く勤めた某商社を定年退職して約一年、いまだ、生活のリズムが安定していなかった頃でした。東京ガスがときどきやっていた「お料理講習会」に何度か行きました。参加者に男性は少なく、少々恥ずかしかったけれど、もともとお料理は嫌いじゃあないし・・・・・。

■■■ 小田急2600:十年ひと昔 ■■■

 あれは、2000年の5月9日・火曜日の事でした。町田から各停の小田急電車に乗って、生田駅で下車しました。

(1) 下りホームに隣接した柿の木畑の若葉が美しかった。ホームから1000を撮って、駅から南へ700m余り、だらだら坂を上っていったら、東京ガス関係のサービスステーションがあってここで、講習会。(たしか、このあと講習会は行われなくなったみたいです。)
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(2) これが、お料理講習会の作品韓国料理の、ピビムパp、チジミ、わかめスープ。飲めない私は、麦酒はお土産に持って帰りました。あ、お料理は結構うまかったですよ。
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(3) のんびり坂を下って駅に着く。ホームで電車を待つと、いろいろやって来ました。LSE7000のはこね号
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(4) 準急本厚木行の2600NHE車。前面窓の凹みが特徴的です。
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(5) こんどは特急のEXE30000
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(6) 新宿行き準急2600が来ました。
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(7) (6)の2600
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 ・・・・・何本か写して、帰途につきました。

pencil-blue.gif この頃といいますと、小田急の通勤電車は、1000、2000、2600、4000、5000(5200)、8000、9000で、3000はデビュー前でした。いくらカメラの性能が気に入らないと言ったって、これだけでやめちゃった私、根性なしですね(笑)。

coffee_st-marc.gif このデジカメはご覧の通り、どうにも画像がシャープで無いので、私はもっぱらメモ用。本務機は銀塩のAPSカメラ、キャノンIXYを使い、補機がデジカメって感じでした。旅行にデジカメだけ持っていったこともあるのですが、満足できる写真は撮れません。
 2003年から、デジカメが320万画素機にかわり、銀塩とデジカメを同等に使うようになり、段々と銀塩カメラの出番は少なくなって、2005年ごろからは、銀塩カメラの出番はなくなってしまったのです。

 ・・・・・そんな訳で、なんとなくぼやけた写真のページになりました。
 では、また次回!!!!!


タグ:小田急

NEX2000年:十年ひと昔 [むかし噺(1)]

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pencil-blue.gif 先週の水曜日、2010年6月9日、田園都市線の田奈駅近くに用事があって出掛けたのですが、東急の長津田駅に、こんなチラシが置いてありましたので、持ち帰りました。

(1) あと一ヶ月、京成電鉄の新線開通・・・そして新型特急車の登場です。期待だなあ!!!
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pencil-blue.gif 開業したら、京成の新型特急で空港入り、飛行機見物、そしてJRのE259で帰ってこようと、思って居るのです。
 ・・・・・・そんな訳で、十年ひと昔とか申します。十年前の、2000年1月18日、私は、JRの253系の空港特急に乗りまして、成田空港に至り、飛行機見物の後、京成のスカイライナーで帰ってきました。
 その時の、画像を一寸だけ・・・・・・。

■■■ NEX2000年:十年ひと昔 ■■■

(2) 朝の新宿駅・・・・9時40分発NEX13号。これに乗って成田の空港まで行くのです。なんだか、ドキドキします。
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(3) 253の車内ですが、今の眼で見ても中々素敵なデザインです。
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(4) 成田空港駅到着の253NEX
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(5) 展望デッキで、しばし飛行機見物。JASのDC-10-30の懐かしい姿!
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(6) 空港ビルでのお食事は倹約してKFCの和風チキンカツバーガー@577-。そういえば、最近食べてないなあ。空港見物に双眼鏡は欠かせません。
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(7) 帰り道は京成です。成田空港駅でのスカイライナーの雄姿。これに乗るのです。初代の顔の方が好きですが・・・・。
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(8) スカイライナーの車内。空港からのお客さんより、成田から乗ってきたお客さんの方が多かった。
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 ・・・・・・スカイライナーは順調に走り、終点の上野駅まで帰ってきました。

coffee_st-marc.gif ・・・・そんな訳で、今度の京成電鉄、新空港特急、期待しておるのですよ!!!
 あと、一ヶ月、待ち遠しいなあ!!!


湘南モノレール開業1970年 [むかし噺(1)]

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pencil-red.gif 今から40年前のお話をしましょう。
 1970年・昭和45年の3月の末か4月の頭位の事だったと思います。湘南モノレールが開業しました。大船から湘南江の島までではなく、二つ手前の「西鎌倉」まででした。江ノ島の終端部で、なんだか揉めていたようですが、詳しいことは判りません。ま、ともかく、西鎌倉駅が終点でした。

■■■ 湘南モノレール開業:1970年 ■■■

 少し前に開業した、湘南モノレールを見に行こう!・・・・・・私は、3歳ちょっとになった、長男を連れて、車で出動したのです。持参のカメラは、ミノルタSR-1だったとも思います。

(1) 大船から二つ目の駅、湘南町屋駅の下です。山の中みたいなところで、駅周辺には何にもありません。下の方に三菱電機の工場が見え、このモノレール、懸垂式のサフェージュ方式で、三菱がかんでましたので、なんとなく納得しました。写っている道路は、大船から江ノ島へ抜ける「有料道路」で、モノレールは殆ど、この道路上空を走っていました。
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(2) その辺りに車を置いて、湘南町屋駅のホームに上がりますと、300形二両編成の、大船行きが来ました。乗り込む。たしか、セミクロスシートだった。
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(3) あっという間の空の旅で大船着ヘッドライトと尾灯、ホームと車体が接触しないように取り付けられた車輪なんか写しています。
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(4) オデコに付いた密着連結器が珍しかったのでしょう・・・・・。
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(5) 西鎌倉行きの電車が出て行く、見送るのは当時三歳ちょっとの長男。駅の下は、なんとなく雑然としています。
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pencil-red.gif 年月は流れて・・・・・2000年4月17日、オリンパスの130万画素デジカメC-830Lを持って、湘南モノレールに乗りに行きました。開業後、30年が経過して居ります。

(6) 大船駅の先端から江ノ島方面を見ています。変われば変わるもので、風景が矢鱈とすっきりしてしまいました。車輌は、500形になっています。しかも、3両編成
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pencil-red.gif 更に7年が経過し、2007年11月12日に撮影。カメラはキャノンパワーショットG-9に変わっています。(途中、キャノンIXY-320の時代があります)

(7) 大船の次の駅、富士見町駅からの撮影。商店街の上空から・・・・・。
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(8) 向こうに富士見町駅が見えています。バスの屋根を掠めてゆくモノレール、結構、気に入って居るショットです。
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pencil-red.gif お話を1970年に戻します。

(9) 大船駅近くで軽く食事をして、湘南町屋に戻って、ホームから大船駅方面を見た写真です。この画像、最初見たとき、何処だかわかりませんでした。西鎌倉?って思いもしました。
 グーグルの航空写真とストリートビューで、右端の家、左端の工場が、建て替えられずに残っておりまして、湘南町屋駅と確認できました。便利なものですね。
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coffee_misdo_2.gif 1970年、このとき、連れて行った三歳の息子も、40年経てばそれなりの年齢となり、それなりの子供が居たりして、年月の流れの早さに、今更ながら驚きます

 暖かくなったら、此処のところご無沙汰している湘南モノレールに、乗りに行くのもいいなあと、思って居ります。

 では、また、次回!!!!!


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特集: 路面電車勢揃い? [むかし噺(1)]

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pencil-blue.gif 主題に入る前に季節の話題
 ・・・・・春です。今日、家の近所で、今年初めてのスミレの花を見ました。タチツボスミレって言うのでしょうか・・・・こんな花。きっと、あそこなら、もう咲いてるだろうと行って見ましたら、町田市立博物館近くの日当たりにい土手に、咲いておりました。

(1) 控えめだけれど、何と無く心に沁みる色。
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(2) 真っ正面からクロースアップで・・・・・。
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pencil-blue.gif 何時もの、小田急鶴川駅に近いデニーズ大蔵店に入り珈琲で一服。そこの駐車場のお隣の畑に咲く、河津桜も、そろそろ終期に入りました。だいぶ葉が育って来ましたが・・・・でも、綺麗に咲いています。

(3) 葉の混じる桜も、青空をバックにステキ!!
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(4) もう、蕾も見えませんね。花びらの落ちた花もありますが、それなりに綺麗。
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 ・・・・・そんな訳で、この後、農協のショップに回って、ほうれん草、椎茸、スティックブロッコリーなど、買って帰宅。


pen-para.gif そんな訳で、さあ、此処からが本題!いや、実は、思い浮かぶネタが無い。そろそろ更新の日になるし、いろいろ中味の無い脳みそをこねくり回して、苦し紛れにでっち上げたのが、「特集: 路面電車勢揃い?」です。その場しのぎの企画で充分に練っていないのですが、ご勘弁下さい。 

■■■ 特集: 路面電車勢揃い? ■■■

 今まで、このブログでお目に掛けた画像ばっかりですが、路面電車を並べて見ました。勿論、以前の画像そのままではなく、フォトショップで改めて処理致しました。
 東は東京から、西は九州福岡まで、12枚の路面電車画像
各画像には撮影の年月だけ併記してあります。

 さあ、皆さん、何処の何電車かお判りでしょうか?クイズでは有りませんが、そんな気分で御気楽にご覧下さいませ。

(5) 1954年・昭和29年5月
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(6) 1969年・昭和44年6月
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(7) 1968年・昭和43年9月
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(8) 1959年・昭和34年6月
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(9) 1959年・昭和34年6月
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(10) 1954年・昭和29年8月
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(11) 1954年・昭和29年8月
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(12) 1954年・昭和29年8月
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(13) 1954年・昭和29年8月
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(14) 1954年・昭和29年8月
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(15) 1961年・昭和36年10月
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(16) 1957年・昭和32年8月
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pen-para.gif ・・・・・と、云う事で、皆様、どの位ご存知でしたでしょうか?若い方には、馴染みの無い電車たちかもしれませんが、年配のファンの方には、懐かしくご覧頂けたかと思います。若い方々には、昭和中期の街の風景、こんな感じだったという事を、ご覧頂きました。現在の電車と比較すると、吊り掛け駆動だし、エアコンは無いし、ま、快適とは言えないかもしれないけれど、こんな時代を通過して、今日の電車になったわけで・・・・・。

・・・・・で、解答が無いのも、如何かと思われますので、正解を書いてあります。見えちゃうのも困りますので、少々、ご面倒、お掛けしますが、下の方へスクロールしてください。

 

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pencil-blue.gif 何処の電車かの回答です。ツウの方は、形式とか、撮影場所の特定も一興かと存じます。

 1: 東京都電杉並線
 2: 横浜市電
 3: 静岡鉄道清水市内線
 4: 豊橋鉄道
 5: 名古屋市電
 6: 京都市電
 7: 大阪市電
 8: 南海電鉄上町線
 9: 阪神電鉄国道線
10: 神戸市電
11: 土佐電鉄
12: 西日本鉄道福岡市内線

coffee_misdo_2.gif では、今日のブログは此処までで終了です。また、次回!!


タグ:路面電車
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