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第110回:西武多摩川線一瞥 [お出かけ通信101~135]

 2007年9月24日・月曜日・秋分の振替休日、早朝5時起床、今日は秋のお彼岸のお墓参りです。

 お出かけ通信(110) 

 西武多摩川線一瞥&季節の花 

 多磨霊園に両親のお墓があり、春秋のお彼岸には行くのが慣わしになっております。家内とともに、5時半に家を出かけ、車で行けば早いもの、6時15分ごろには着いてしまった。流石はお彼岸、お花屋さんも開いておりました。
 お墓を綺麗にして、お花も供え、お参り。もう家に帰るだけです。・・・・で、多磨霊園の近くを走っている、西武鉄道是政線を見ようと、いつも墓参の時に通る道の、踏切から見える駅に立ち寄りました。駅の名は、白糸台駅と言いました。今日、初めて知りました。迂闊(笑)。更に、家に帰って調べてみたら、なんと、この線、是政線ではなく、多摩川線に変わっていました。ありゃりゃ・・・・勉強不足。

(1) そう言う訳で、6時50分の白糸台駅です。是政行きの101系の4連が入って来ました。ワンマン運転なんですね、ここは。

(2) 武蔵境行き電車も来て、列車交換。こっちも101系。この駅構内に、もう一本、101系の4連が留置してありました。

(3) ちょっとアングルを変えてみました。

・・・・・それぞれの電車が出て行き、私も白糸台駅を後にしました。


 以前から気になって居たバス停を探検に行きました。10年ほど前に気付き、バス停の名前が気に入って写真に撮りましたが、ピンボケでした。以来、未練が残って・・・・・そんな訳で、再訪です。ひょっとして、改名されているのではないかと危惧してましたが・・・・・在りました!!!

(4) 停留所の名前は「火の見下」・・・・いい名前じゃあないですか!のどかな時代が偲ばれますね。ここは、調布市下石原、甲州街道の旧道で、京王電車の調布駅から700mほど西に行ったあたりです。

(5) 確かに、火の見もありました。消防団の奥、火の見が屋上に載ったコンクリートの二階建ては、下石原公会堂とあります。

(6) 停留所のポールをクロースアップしてみました。小田急バスと、京王バスが来ます。

・・・・・交通量も少なくはないので、そこそこで車をスタートさせました。


(7) 家の近所に帰ってきて、ファミレスでパンケーキの朝食。・・・・で、家に帰る前に、彼岸花を見てゆこうと言う事になりました。毎年、見に来る、家に程近い、とある畑の土手にやって来ました。今年も、綺麗に咲いておりましたので。ちょっとの時間ですが、眺めてきました。

(8) 下側に写っている花みたいに、真上から見た彼岸花は良いなあと思いますね。

(9) まだまだ、蕾もあって、ちょっとの間は鑑賞できますね。

・・・・・そんなわけで、帰宅しましたが、まだ、9時にもなっておりませんでした。


 ・・・・では、今日はこの辺りで・・・・またねっ~!!!


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コメント 25

サットン

西武多摩川線、家内の実家の近くを走っているのですが、なかなか乗るきっかけがつかめず放置したままです。車両も101系じゃ興味もわきません。いつになったら乗れることやら。
by サットン (2007-09-24 18:42) 

gop

お彼岸でしたね、む〜さんさんのお宅のお墓は多摩霊園なのですか、私も時々伺っております(以下、去年のお彼岸)
http://blog.so-net.ne.jp/987/2006-09-24-2
春は桜が奇麗ですよね。

西武多摩川線、武蔵境駅は中央線に合わせ高架になりました。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/10/20gap401.htm
by gop (2007-09-24 18:49) 

じろっち

西武多摩川線って、相模線旧寒川支線みたいなイメージがありますね。
独自に存在意義不明な駅を作ったりして・・・
西武線は他社線との連携が嫌いなんですかねえ?
by じろっち (2007-09-24 20:36) 

む〜さん

■ サットン様: 西武多摩川線には40年近く乗っていないと思われます。そのころは是政線といって、今よりも更にローカルっぽい線区でした。川崎タイプの屋根の深い電車が居た記憶があります。その、101ですが、先へ行って、あのころ写しておけば、乗っておけば良かったと思おう時期が来ますよ。出来るだけ写して置いてください。この先30年もすると懐かしい想い出になってますよ。そんな経験は豊富なんです、私は・・・・(苦笑)。
■ gop様: 多磨霊園なんです。昔、1960年代初頭ころ、お墓参りは電車で行きました。多磨墓地前って駅で降りた気がするけれど、今日、調べたら駅名が『多磨』、吃驚でした。当然、武蔵境駅は地平でした。中央線電車の下りホームの反対側が西武でした。
■ じろっち様: 西武多摩川線は京王電車との連絡が無いのは利用者にとっては不便ですね。多摩川線沿線には競艇場がありますね。最近のギャンブル客は減少気味なのかなあと思いますが、実際は如何なんでしょう。
by む〜さん (2007-09-24 21:12) 

manamana

多摩川線って本線から離れているので、
子供の時から不思議な存在でした。
中央線から見かける赤い電車を想い出します。
力持ち101系なら余裕の仕事でしょうね。
by manamana (2007-09-24 21:23) 

HIRO

西武多摩川線は盲腸線的存在ですね。
本線、池袋線は新車の投入で黄色からステンレスにブルーの帯を巻いていて西武らしさが薄れる中で、このちょっとひまわり色のような黄色が西武らしくて「西武の品格」と言った感じで伝統が守られています。いつまでも多摩川線を走ってほしいです。
ところで是政から以前、南下する計画があったそうですが、もう住宅も立ち並び無理ですね。
by HIRO (2007-09-24 21:36) 

no

こんにちは。是政線ですか…、うふふ、昔の時刻表でしか知らない呼称ですね。
私の多摩川線の印象は、武蔵境駅に停まっている小豆色と肌色のツートーンの電車です。黄色い電車に変わって何年も経ちますのにねえ。
でも、本線系統が銀色が多くなった今となっては、それでもありがたいことではありますけれど。
それと、昔の多磨墓地前駅と北多磨駅の「磨」の字。すごく不思議な感じでした。

彼岸花といえば、有名な埼玉県の巾着田、今年から観覧料200円也を徴収することになったようです。
管理費用がかかるのはわかりますが、何でも世知辛いことですねえ。
by no (2007-09-24 22:19) 

む〜さん

■ manamana様: 是政線・・・・と、言わないと感じが出ないほど、昔の事ですが、チョコレート色というかマルーンというかと、黄色っぽいクリームの二色塗りの古い電車が、ひっそりと武蔵境駅に停まっていたりしました。
■ HIRO様: 多摩川線は単線で高圧線の鉄塔も並んでおり、郊外電車って感じでした。終点は南武線の多摩川鉄橋の見える是政橋にちかい、ぱっとしない終点是政駅でしたが、現在はどうなっているでしょう。5年ほど見ていません。
■ no様: 未だに、是政線と言ってしまいます。実際、今日まで、是政線と思ってました。馬鹿ですね、私は・・・・。
 ここの電車、昭和30年代は仰るとおりの地味な電車が居ました。そんな記憶があるので、現代の101系4連は、わたし的には違和感充分です。
 多磨墓地の『磨』の字はきっと根拠があるのでしょうが、よく判りません。
 巾着田・・・・今年から有料ですか・・・・押し寄せる観光客に荒らされるのかな?ま、仕方ないかなとも思いますが、??という気持ちもあります。で、私は近所の畑で楽しんでいます。
by む〜さん (2007-09-25 00:11) 

mymeな大家

こんばんは。
私も是政線だと思っていました。しかし、多摩川線では、東急の多摩川線と同じですね~。
ところで、私の実家は南武線沿線なのですが、確か南武線の南多摩駅~府中本町駅の間に南部線の是政駅があったようです。今でも、電車で通ると広くなっているところがあります。あれば、接続駅になっていたかも知れませんね
by mymeな大家 (2007-09-25 01:42) 

む〜さん

■ mymeな大家様: Wikipediaで見てみましたら、西武の延長線辺りに、『是政多摩川→南武是政』があったようですね。終戦前、国有化のときに廃止された様に書いてありました。
by む〜さん (2007-09-25 05:20) 

緑の恵比須

昔、この線をよく使いました。多摩川の砂利を運搬するために作られたそうです。地元の書籍資料では、この線を延長して、今の淵野辺駅まで通す計画が昭和初期にあったらしいです。多摩地区の幻鉄道計画は、今の京王相模原線の北側、野猿街道を通り八王子鑓水(現在のフィットハウスあたり)までの計画とか、都市伝説かもしれませんが、戦争がなければ・・などと考えてしまいます。沿線で好きな風景は、多磨墓地前(現在の多磨)から新小金井までの段丘です。なお、白糸台は旧称北多磨、多磨駅の南にあるから改称したらしいです。磨の字は、墓地近くの石屋さんが
石を磨くところからきたそうです。しかし、素晴らしいサイトですね。
by 緑の恵比須 (2007-09-28 00:51) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: そんな延長計画があったんですか・・・・知りませんでした。東京と群馬を結ぶ東武東上線とか、達成されなかった延長計画は沢山ありますよね。多摩都市モノレールも、両端部に延長計画がありますね。
 多磨の磨の時の由来、初めて聞きました。ホントだとしたら、面白い由来ですね。
 多摩川線は、是政線時代以来乗って居らず、しかも武蔵境~多磨墓地前間ですから、一度は終点まで乗らねばなりません。手近にあるのに、とんとご無沙汰で・・・・・。
by む〜さん (2007-09-28 05:56) 

緑の恵比寿(ビールはこちらでした)

こんばんわ。また訪れてしまいました。恵比寿は山手線、恵比須町が阪堺鉄道ですか。関東なので寿が正しいです、ありがとうございます。
是政の由来ですが、井田是政という、昔地元のえらい人らしいですが、これが地名になったそうです。
東京競馬場の3-4コーナーに大欅があり、その麓が墓所です。
これは都市伝説でなく本当のことです。
是政駅から少し離れますが、昔の下河原線跡地も公園遊歩道になっており、お薦めです。
この線の駅がかつて最も文字数の多い駅でした  東京競馬場正門前--今の府中本町からほど近くです。
by 緑の恵比寿(ビールはこちらでした) (2007-09-28 23:57) 

なにわ

桃山時代の井田是政という武将だそうです。是政は競艇場の最寄で、南側には競馬場の入り口はないのでしょうね。

下河原線は、武蔵野線開業で旅客営業を廃止しました。今週は武蔵野線の向こうの端(市川法典)で競馬をやっていますが、来週には府中に競馬が戻ってきます。96年に一度行ったきりで、土日仕事の人間には行くことも困難です。仁川でさえ、もう9年も行ってません。
ユーミンの歌どおりに右手の競馬場を過ぎると左手に競馬場が現れますが・・・・、これは恵比寿ではなくサントリーですね。
by なにわ (2007-09-29 13:17) 

なにわ

肝心なことを忘れていました。府中の3コーナーの大木、大欅として有名(欅ステークスなんてレース名もあります)があれは、榎なのです。
by なにわ (2007-09-29 13:18) 

緑の恵比寿

東京競馬場の南門ですが、高速道路下に地味な門があり、ほぼ南側の民間臨時駐車場客だけが使っております。しかし府中に昭和中期から平成初期まで住んでいた元市民としては、欅でなく榎というのもちと残念な気がします。確かに競馬場のスタンドからでは榎か欅かが判別できません、まあ競馬場に来る客はまず馬の順位jしか興味がないから、仕方ありませんね。むーさんの墓参のお話がこのように展開するのも、ブログのコメントの面白いところですね。なにわ様の是政のご教示は、とても参考になりました。ところで、武蔵野線ですが、ギャンブル線と言われて久しいです、東京競馬場、多摩川競艇場、西武園競輪場、川口オート場、浦和競馬場、中山競馬場。
by 緑の恵比寿 (2007-09-30 01:01) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様、なにわ様: 井田是政・・・・全然知りませんでした。郷土史はお好きですか?私の地元にも、城跡とか、豪族の話とか、古戦場とかあるんですが、よく判らないというのが実情です。先日、市の発刊した、昔、中学で配布した郷土史の副読本を入手したので読見始めました。
by む〜さん (2007-09-30 11:11) 

なにわ

やはり南口がありましたか。十数年前、競馬本のなかに、ひねくれた行き方として載ってはいました。

武蔵野線ですが、中山競馬場の先に船橋競馬場と船橋オート場があります。
今日も西船橋-新松戸で午後に臨時電車が走ったのでしょう。一昨年の今頃は103系がこれに入れば大騒ぎでした。
by なにわ (2007-09-30 21:41) 

む〜さん

■ なにわ様: 国分寺駅から東京競馬場前まで、一回だけ乗った事があります。モハ40か何かの単行でした。降りた所には何も無く、すぎに戻ってきました。武蔵野線の出来る遥かな以前のお話です。
by む〜さん (2007-09-30 21:45) 

緑の恵比寿

下河原線、確か中学校か高校だったか、最後に乗ったのは。
文献では昭和48年廃止、多摩地区の廃線はさほど多くないので
しょうが、地元ではけっこう話題になっていました、当時の写真、
撮っていればよかったと。京王線一人勝ちですね。
武蔵野線ギャンブル紀行、戸田ボートもあるのかと、近いだけなら京王閣競輪も入れるかと。でも、今やギャンブルは下火です。
話は戻り下河原線跡地、新田川緑道といい、「しんでんがわ」と読みます。あのあたりは分倍河原古戦場で、新田義貞と鎌倉幕府北条軍の戦いがあったので「にったがわ」と読むのかと思ってましたが、地元の旧友いわく、新田があったからだ、そうです。
やはり、郷土史探訪も、史跡の謂れも面白いですね。では。
by 緑の恵比寿 (2007-10-01 23:47) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 東急目蒲線・・・・じゃあない、ここと同じ多摩川線にある武蔵新田駅から200m余にある新田神社に由来します。1358年、多摩川でだまし討ちに遭った新田義貞の子、義興を祀った神社だそうです。
by む〜さん (2007-10-02 09:19) 

緑の恵比寿

地元図書館で確認しました。経路はだいぶ違いますが(笑)。
10年前に読んで以来、記憶があいまいでして、これである程度
の資料となります。
なお、京王相模原線の延長断念は1988年、橋本延長前には
決まっていたそうです。


幻の南津鉄道 サトウマコト
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4931353320.html
by 緑の恵比寿 (2007-10-07 23:25) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 京王相模原線の延長先は津久井だと聞いた事がありました。延長してもお客さんは居ても少なそうですね。
by む〜さん (2007-10-07 23:33) 

緑の恵比寿

京王線橋本駅から先には、すでにマンションが建てられており、
京王不動産の駐車場もかなり売られているようです。
津久井中野、城山あたりで昭和後期にバブル景気の影響で
土地を買えなくなったのが真相らしいです。
路線延長線上には、痕跡として京王不動産の駐車場がまだ
かなりあるようです。
by 緑の恵比寿 (2007-10-07 23:49) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 成る程、そういう背景があるんですね。相模原線は多摩川を渡ってから橋本まで全線??に踏切が無く、たしか33パーミル(だった記憶)の急勾配をぶっ飛ばします。結構、快感ですね。
by む〜さん (2007-10-08 00:43) 

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