池上線(6)私の鉄道趣味発祥の地 [東急・池上線]
私の生まれ、育った家から、そんなに離れて居ない辺りに「東急・池上線」の線路があり、「その踏切」があります。雪が谷大塚駅から蒲田方面に、数えて三つ目の踏切ですから「雪が谷大塚3号踏切」とでもいうのでしょうか(こんど良く見て来ようと思って居ますが)、何の変哲もない普通の踏切です。ここに、小学校5~6年生の頃だったでしょうか、毎日のように遊びに行き、電車を眺めて居りました。そのうちに、「電車好きのレベル」がだいぶ上がったようでした。
池上線が私をレールファンに育ててくれた、育ての母と言えると思います。ちなみに、育ての父は、やはり家の近所の「国鉄の貨物線・品鶴線」。
その踏切、雪が谷大塚3号踏切は、こんなところです。
■■■ 東急池上線(6) ■■■
■■■ 私の趣味発祥の地 ■■■
「趣味発祥の地」は大袈裟ですが、この「雪が谷大塚3号踏切」へ行ってみましょう。
(1)2011年8月11日 踏切から雪が谷大塚駅方面を見て居ます。7714+7814+7914で、VVVFインバータ制御。
(2)1954年・昭和29年12月 (1)と同じ場所から、同じ方向を見て居ます。リニューアルされたデハ3100の三連の蒲田行がやって居ました。
(3)1955年・昭和30年4月 デハ3200+サハ3350+デハ3200の蒲田行です。
(4)2011年8月11日 (1)の蒲田行電車が蒲田方面に走り去ってゆきます。
(5)同じアングルの、1955年・昭和30年4月 デハ3200+サハ3350+デハ3200の蒲田行です。
(6)1959年・昭和34年9月 デハ3300の三連の蒲田行。
私は、ここから鉄道趣味にのめり込んでいったのでした。
では、また次回!!!!
池上線(5)1957年の石川台駅あたり [東急・池上線]
小津安二郎監督の1962年(昭和37年)作品「秋刀魚の味」に登場する東急池上線・石川台駅は洗足池駅からかなりの急峻な丘陵を掘割で抜けて出たところにあります。この先は呑川の谷を築堤で跨いで丘陵地の上に出て雪が谷大塚駅に至る訳です。
もっとも、昭和30年代くらいまでには、丘陵、丘陵の斜面、谷、台地の上・・・・残って居た田畑は、みな、戸建て住宅とか、マンションに覆われてしまいましたが。
そんな石川台駅に行ってみましょう。
■■■ 東急池上線(5) ■■■
■■■ 1957年の石川台駅あたり ■■■
五反田駅は怖いくらいの高さのある鉄製の橋脚上の駅ですが、ここから電車に乗ってゆきます。電車はそんなに高速で走る訳ではなく、のんびりと走ります。大崎広小路駅、戸越銀座駅、荏原中延駅、旗の台駅、長原駅、洗足池駅、そして、掘割に入り、壮大なアーチ橋「笹丸橋」をくぐって、石川台駅に到着です。
その掘割を行く昭和32年当時の池上線の電車。
(1)このアーチ橋が笹丸橋。電車は蒲田行のデハ3150+デハ3150+デハ3400。デハ3150は典型的な川崎タイプ。
(2)電車は石川台駅に到着します。ホームが白く光って居ます。公道の踏切に並行して幅の狭い構内踏切が見えて居ます。
(3)電車の部分だけ拡大してみましょう。
(4)五反田行の電車が来ました。デハ3200+サハ3100?+デハ3200。
(5)(4)の石川台駅を拡大してみます。
(6)これは2013年5月の石川台駅です。駅舎やホーム上屋の屋根は葺き替えられ、ホームの屋根も伸びて居ます。五反田行ホームには専用の改札口が出来、構内踏切は廃止されて居ます。
(7)昔の駅舎に手を加えた駅本屋の姿です。2013年撮影後3年、現在もこんな感じかな?
(8)(4)の電車の後ろ姿。
(9)最後に2013年5月の駅前踏切です。左が五反田方面。最新の7000が活躍、他の電車もVVVFで、昔の姥捨て山状態の池上線とは思えません。乗客に喜んで頂けるものと思われますが、こんな事をいってはなんですが、一寸寂しい。
では、今回はこれで失礼致します。
京浜急行方面から色々と楽しそうな噂が聞こえてきますが、横浜線で30分・・・・とは言っても、なかなか行けないものですね。1000形1800番台、くまモンの2100形、青いの、黄色いの・・・・行ってみたいものとは思って居るんですがね。
池上線(4)1960年頃の御嶽山駅 [東急・池上線]
またも、更新を半月ほどサボってしまいました。お久しぶりです!
カメラ持参でのお出かけのチャンスも無く、無為に半月が過ぎました。と、言う事で「池上線」シリーズの「四回目」です。
池上線沿線から、結婚を機に横浜市内に引っ越したのが、1961年、そして現在の住居に移ったのが1963年の事でした。そして写真と言えば白黒主体で撮って居りましたので、カラーはほとんど無く、スキャンしてある「カラーの池上線画像データ」は、ざっと探してこれっきりなのです。そして、もしフィルムが出て来ても、現在はスキャナがドライバーの関係でスキャン不能状態、困った事です。
そんな訳でたったの5枚ですが、ささやかな池上線の天然色画像の小アルバムです。
■■■ 東急池上線(4) ■■■
■■■ 1960年頃の御嶽山駅辺り(天然色版) ■■■
写真は殆どが御嶽山駅とその周辺です。
(1)昭和33年11月の御嶽山駅の雪が谷大塚にちょっと寄ったところです。電車はクハ3850で乗り心地もよく私の好きな電車でした。右の大きな建物は銭湯で「弁天湯」と言いました。近年、温泉を掘って、マンションを建て、その中で営業して居るようです。
(2)昭和35年の御嶽山駅の駅舎。現在もこの建物を使用して居ます。駅名標には、TKKの文字が入って居ます。駐車禁止の標識が現在とは全然違いますね。
(3)同じく、昭和35年の、御嶽山駅の蒲田行ホームの裏側です。正面の明治牛乳販売店のミルクホールは、マクドナルドになり、現在はサンマルクカフェになって居ります。
(4)昭和35年4月24日の御嶽山駅の風景。東横線で一番カッコイイと、私のご贔屓の電車でしたが、池上線にも現れました。クハ3751の下は国鉄の貨物線「品鶴線」でしたが、その後、新幹線の線路が出来、横須賀線が通り、湘南新宿ラインが通り、大変な賑わいです。
(5)昭和35年4月の、御嶽山駅を発車するデハ3400形×3の五反田行電車。
それにしても、毎日寒いです。早く春らしい暖かな日になってほしいですね。
また、次回!!!!
池上線(3)雪ケ谷大塚車庫1955年 [東急・池上線]
2月17日ブログを書いて以来、更新して居ない。15日に渋谷へ行ってから、お出掛けが全くないのです。半月も穴があきますと、以前と同じ状態ん戻ってしまいます。これは、マズいです。
昔の話題でお茶を濁そうと、東急池上線のお話を入れる事に致しました。
そんな訳で、半月ぶりのブログです。
私は、我が家の近所の、幼い日の何時もの遊び場であった、東急池上線と国鉄品鶴線に特別な気持ちを持って居るのです。
「鉄道ファン・む~さんの『育ての母は東急池上線』で『育ての父は国鉄品鶴線(貨物線)』」だと思うのです。そう言う訳で、始めた『池上線特集』の『第三回目』として、昭和30年春の池上線・雪ケ谷大塚の車庫で写した何枚かの写真を並べてみました。
■■■ 東急池上線(3) ■■■
■■■ 雪ケ谷大塚車庫1955年 ■■■
1955年・昭和30年4月と言いますと、高校2年から3年への春休みか、3年生になったばかりの頃と思われます。その日は、兄から借りたカメラ、オリンパス35を持って、池上線・雪ケ谷大塚駅に隣接する雪ケ谷の車庫と呼んで居た「雪ケ谷検車区」にやって来ました。高校生ともなれば、小学生時代みたいに黙って構内に入ってしまうなんて事も無く、ちゃんと事務室にお断りして中に入ったような気がします。
(1)この日の第一のターゲットは、このデハ3100。昭和になった頃の、藤永田造船所の製造になる、堅実第一って感じの角ばった電車でした。運転室扉を付ける大改造をしたデハ3101~3109と言うのが活躍して居ましたが、これは、未改造のタイプ。運転室は「真鍮のHポール」で区切っただけの開放的なものでした。着の板で区切ったのも居たような気もしますけれど、基本的には「Hポール」です。これが、この頃の私の一番好きだった電車でありました。
(2)デハ3100の台車です。この角度から見ると、一見、ブリルのMCBって感じですが、国産のようです。
(3)定規で引いたような角ばったスタイルは、好みが分かれるところでしょうが、私は好き。リベットの具合も中々。
(4)形式のところをよく見ると、デハ3110となっています。このブログを書くまで良く見て居ませんでしたが、初めて気が付きました。車体更新の前後で形式を変えて居るのでしょうか・・・・。
ついでに、五反田~雪ケ谷大塚の行き先板もご覧下さい。
(5)構内を照らす電柱上の電灯。良い形でしょう?あんまりカッコいいので、拡大してしまいました。もちろん、子の時代ですから、白熱電球です。
(6)典型的川崎スタイルのデハ3200形。車体更新後の姿ですが、基本的には、形は変わって居ません。左に小さく写って居る電車はデハ3400です。
(7)デハ3450もいました。小さなバリエーションがあるようですが、この3469は実にスマートです。
(8) 五反田・蒲田の方向板を拡大しました。良く見ると、実に良い書体ですね。
(9)3469のお隣にはデト3014も居ました。
この頃は、フィルムを如何に少ない枚数で済ませるか・・・・に気配りしつつ撮影して居ましたので、たったこれだけです。もっと撮っておけば・・・とは思いますが、そんな時代でした。
では、また次回!!!!次は、もっと早く更新致しますね。
池上線(2)御嶽山駅1960年 [東急・池上線]
こんにちわ~!今回は、昭和中期、1960年・昭和35年1月の「東急・池上線・御嶽山駅」です。1月ですから未だ大学に在籍中で、買ったばかりの「オリンパスペン」を持って何処かへ行ったようです。
私は朝の7時30分を過ぎたころ、東急池上線・御嶽山駅にやって来ました。お天気は、生憎だったようで、白黒の写真のコントラストは低く、ハイコントラストの絵が好きな、私むきではないのですが、贅沢は言えません。
■■■ 御嶽山駅(2)1960年 ■■■
(1)蒲田からデハ3450×2+クハ3770の五反田行が到着。ホームのこの部分の下は、国鉄の貨物線「品鶴線」の線路で、割と頻繁に貨物列車の通過が見られました。ご存じの様に、現在は新幹線、横須賀線、湘南新宿ライン。
(2)「サラリーマンがスポーツ紙を持って通勤」は当時の、まあ、普通のスタイル。
(3)五反田行の電車が出て行くと、構内踏切の遮断機が上がります。右端の架線柱の向こう側に、「踏切番の小屋」・・・と、まあ、一般人は言ってましたが・・・があり、向こうの公道踏切の遮断機、こっちの構内踏切の遮断機を操作して居ました。勿論、手動でした。
(4)蒲田行のデハ3200+サハ3100+デハ3200が来ました。まん丸・球形の電灯器具が素敵ですが、現在は屋根は、このままですが、電燈器具は替えられて居ます。
(5)3200形の顔をクロースアップしてみました。深い屋根の川崎造船所スタイルで、デハ3150という仲間も居ました。
(6)上の編成のサハ3100の部分です。サラリーマン諸君、なんとか間に合って、電車は発車と言う場面です。
(7)(6)の電灯器具をクロースアップしてみました。時計は7時35分。
(8)ホームの下は国鉄の貨物線の品鶴線なのですが、如何にも昭和って言う、ガードの緩い眺めです。機関車はEF13のようです。
(9)(8)の機関車部分の拡大です。ほぼ間違いなくEF13と思うんですが、如何でしょう?
あと二か月一寸で、この駅を通勤に使うサラリーマンのお仲間になる私、この後は、何処かへ出掛けたのでしょうか?それとも、家に戻ったのでしょうか?その辺は良く分かりません。
では、また次回、お目に掛かりましょう。
池上線(1)御嶽山駅2011年 [東急・池上線]
東急の池上線について書こうと思う。雪ケ谷大塚駅と御嶽山駅は、あの辺りで生まれ、育った23年間、よく利用した駅です。小学生のころ、父を出迎えに行った駅も、大学を出て社会人となり、通勤で使ったのも、この駅でした。
特に、御嶽山駅は小学生時代の遊び場でもありましたので、特に思い出が詰まった駅なのです。
・・・で、そんなことを書こうかと写真を集めに掛かったんですが、吃驚するくらい少ない。池上線は私の日常だったので、写真で記録して置こうという気にならなかったのかもしれません。
そんなわけで、ご期待に反することになると思いますが、ぼつぼつと書いてゆこうと思っています。
(5)を除いて、画像はすべて2011年8月1日の撮影です。
読者さんの中には、「この画像、一度見たぞ!」と、おっしゃる方もいらっしゃると思うのですが、確かに一度使っています。画像の加工も、選別も、中身の文(書き直しました)も、5年前と異なっていますので、ご容赦ください。
■■■ 御嶽山駅(1)2011年 ■■■
(1)池上線といえば、門型高圧線鉄塔。現在は「千鳥町~洗足池」間に建っていますが、昔は「千鳥町~大崎広小路の手前」まで、あったのです。高く、逞しい立派な鉄塔です。沿線の子供としては、誰にも言いませんが、自慢の鉄塔でした。小さく「御嶽山駅」が」見えています。
(2)駅名標。
(3)御嶽山駅本屋。昭和20年代に建てられたものです。現在も、「たぶん」これです。
(4)(3)の踏切からホームを見る。ケーブルが数本、線路を横断していますが、昔はあの辺りに「構内踏切」がありました。
(5)こんなホームに、こんな電車がやってくれば、涙モノなんんですが・・・・そうは行きません。
(昭和35年4月:デハ3400の三連)
(6)実際には、こんな電車が来ました。
(7)駅にくっついた踏切から、線路の両側に直角に伸びた通りに沿って、商店街があり結構にぎやか。
(8)踏切を背に西側を見る。突き当りを右に曲がると御嶽山の駅名の元になった「御嶽神社」があります。右側の自転車群は、右にあるスーパー・イオンのお客さんのものかと・・・。
(9)御嶽神社です。幼い私の遊び場でした。ここへ行けば、当時の私が遊んでいます。江戸時代の建物らしく、立派な、透かし彫りの飾りが見事です。
今日の記事をプロローグにして、写真と雑談を連載しようと思ったんですが、あまりに少ない画像に、如何しようと呆然としたしまった!
ぼつぼつ書いて、ネタが切れたらオシマイということで行くつもりですので、よろしくお願い致します。
では、また次回!!!!!