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のりさんの阪堺電車(6終) [阪堺電軌]

  「のり様」ご提供の阪堺電車のアルバム、今回が最終回です。モ161形162を追い掛けながらの、阪堺電軌上町線の沿線行脚。

・・・・・・・・・・・では、どうぞ!!


 のりさんの阪堺電車(6最終回)  (2007年4月15日・日曜日)

 2007年4月15日(日曜日)ロッキー電車追っかけの第6回の最終回。曇りがちながら、まずまずのお天気。天王寺駅前~北畠と来て、只今、姫松で撮影中。

(1) 「162」が折り返してきました。どうです!結構な乗客数でしょう。上町線が沿線の重要な足であることが良く分かります。

(2) 姫松停車中の「162」を反対側から一枚。

(3) 「162」は、天王寺方面へ走ってゆきました。

(4) 次の帝塚山三丁目電停です。ここには、下り・上り両側にあの駅名表示がありました。これは下り側です。

(5) 帝塚山三丁目停上り側は、ホームから見てこの位置にあります。

(6) 上り側の駅名表示です。

(7) 天王寺方面から「162」がやってきました。宝石屋さんの左手、ライトのある柱に、駅名表示があります。

(8) 三度(みたび)ロッキー電車に乗り込み、住吉公園へ。終点で、方向円板(ロッキー・ザ・ファイナルのコマーシャル)を撮影。

(9-A) ロッキー電車「162」は、その後住吉公園から、天王寺駅前行となり、折り返してあびこ道行となって、住吉大社の前に現れました。灯篭の前で最後の一枚。撮影時には気付かなかったのですが、後方から赤バス(大阪市営のコミュニティーバス・料金は100円です)が迫っています。
気付くと、40枚以上も写しておりました。なお、当日、上町線で運行されていたツリカケ車は、「162」たった一つ。「351」形すらも現れませんでした。

(9-B) 上の写真の赤バスのアップです。


 これで、6回にわたって掲載してまいりました、「のりさんの阪堺電車」2007年4月15日のルポを終わります。大変貴重な素晴らしい写真をご提供下さった、のり様に感謝致します。有難う御座いました。


 また、次回からは、ネタ探しの苦悩の日々(若しくは隔日)が始まる訳で、そんなグズな私の尻を叩いてくださいます様、お願い致します。

 では・・・・・・・・・・!!!


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のりさんの阪堺電車(5) [阪堺電軌]

  「のり様」ご提供の阪堺電車のアルバムです。モ161形162を追い掛けながら、阪堺電軌上町線の沿線風景を、ご覧下さい。今日は、第五回です。


 のりさんの阪堺電車(5) ■ (2007年4月15日・日曜日)

 2007年4月15日(日曜日)、ロッキー電車追っかけの第5回。曇りがちながら、まずまずのお天気。天王寺駅前~北畠と来て、只今、姫松の電停に居ります。

(1) 姫松電停です。天王寺駅前を出るときちらっとすれ違ったに違いない「707」号。天王寺駅前行「704」号と離合。

(2) 姫松電停にも、下りに架線支柱の駅名表示があります。上り側には・・・

(3) 美しい待合が!住吉の待合とほぼ同じつくりです。かつては、この中に切符売り場がありました。いつ頃の建築かは存じませんが、住吉のものとほぼ同時代ではないかと思われます。ともに明治時代の「車寄」をイメージしたのではないでしょうか。

(4) あびこ道行「501」号です。スタイルは大阪市電「3000」タイプとそっくりですが、中央の曲面ガラス、側面のバランサー付一段下降窓など、本線の「11001」を彷彿とさせる近代的なスタイルは、今でも素晴らしいと思います。

(5) 先ほど「162」が、天王寺駅前到着直前にすれ違った「502」号がやってきました。


  む~さんから・・・・・
明日は、このシリーズの第6回、最終回です。大阪の街の南部、ひっそりと残る明治以来の路面電車ネットワーク、地元に根付いて、毎日お客さんを運ぶ姿を見ていますと、行きたくて行きたくって、堪らない気持になってきます。(2)の写真、由緒ある姫松電停の標識のバックに写る看板の文字がちょっぴり気になった、む~さんです。曰く『オリジナルカレー 大人子供750円』、お子達むけは付属品が違うのかもしれません・・・・・。


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のりさんの阪堺電車(4) [阪堺電軌]

  何時も、このブログにコメントを書きこんで頂いている「のり様」ご提供の阪堺電車・・・・特にモ161形162の画像を重点に、ご覧頂いて居りますが、今日は、その四回目です。


 のりさんの阪堺電車(4)  (2007年四月15日・日曜日)

 2007年4月15日(日曜日)、ロッキー電車追っかけの第四回。曇りがちながら、まずまずのお天気です。
 住吉の交叉点からスタートして、天王寺駅前、折返しモ162の乗客となり、住吉公園方面に向かいました。

(1) 北畠電停にて下車。そういえば、「電停」という言葉、ほとんど死語になってしまった感があります。併用軌道とはいえ、この道「旧(もと)熊野街道」は、天王寺付近の阿倍野筋と違い、交通量もあまり多くなく、電車ものんびりと走ることが出来るようです。

(2) 下りホームのすぐ脇にある架線支柱。ここに駅名表示があります。実は、30年近く前に、私が電車の写真を撮り始めた頃には、この存在に全く気付きませんでした。こんなものが残っていたんですね。

(3) 件の架線支柱は、この位置関係にあります。上りホームには、待合があるので、このような表示はありません。北畠の待合は、近年改築され、味気無いものになってしまいました。

(4) 駅名表示のある架線支柱の表示です。昭和10年1月とあります。駅名表示がいつごろからあるのか、残念ながら私は存じ上げません。

(5) 北畠からは、しばらく歩きながら、「162」を待ちました。その合間の撮影です。天王寺駅前行「606」号です。

(6) 不思議なものを見つけました。架線支柱が民家にめり込んでいます。経緯は全く分かりません。


 この続きは、また次回に・・・・!!!!


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のりさんの阪堺電車(3) [阪堺電軌]

  何時も、このブログにコメントを頂戴している「のり様」からご提供を受けて、先日、2007年4月14日(日曜日)の、「阪堺電軌軌道・上町線とロッキー電車モ161形162」のアルバムをお送りしています。今日は、3回目の画集をどうぞ!!!


 のりさんの阪堺電車(3)  (2007年四月15日・日曜日)

 2007年4月15日(日曜日)、ロッキー電車追っかけの第三回です。住吉公園から天王寺駅前行きのモ161形162に乗って移動中です。

(1) まもなく天王寺駅前終点。発車直後の「502」号と離合。

(2) 天王寺駅前到着後、阿倍野の陸橋の上から一枚。この写真、あまり上手く写りませんでした。

(3) もう一度天王寺駅前に戻り、ホームから一枚。

(3) 『162』の名刺ともいえる表示板。この字体も美しいと思います。

(5) 再び、ロッキー電車の車内から、走行中に一枚。グローブが、腰板上部の美しい飾り金具とミスマッチ。対向車は、天王寺駅前到着寸前の電車です。表示がすでに「住吉公園」行になっています。

 (5)の気になる部分をクロースアップしました・・・・(む~さん)

(A) 料金表と対向車

(B) 優雅なデザインの持ち送り金具。


 今日は、ここまでです。続きは又、次回に!!! 


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のりさんの阪堺電車(2) [阪堺電軌]

 ■ 何時も、このブログにコメントを頂戴している「のり様」が、先日、2007年4月14日(日曜日)に、「阪堺電軌軌道・上町線とロッキー電車モ161形162」を撮影に行かれたときの写真を、掲載しています。

 今日は、その2回目。・・・・・では、どうぞ!!!


 のりさんの阪堺電車(2) ■ (2007年4月15日・日曜日)

4月15日(日)のロッキー電車追っかけ、第二回です。天候は、曇り勝ちながら薄日。とりあえず、上町線・阪堺線が交叉する、住吉の交差点。目的の電車が来るまで、何枚か撮影。

(8) そうこうしているうちに、天王寺方面から現れた「162」号ロッキー電車。住吉公園行きです。

(9) 交差点の通過撮影もそこそこに、住吉公園駅へ急ぎます。もう少し交差点を進むまで待てばよかったでしょうか・・・

(10) 住吉公園駅にて。近年、熱烈な南海ファンの手により、広告電車扱いで旧南海色に復元された「162」と「163」。広告扱いが終了した後も旧南海色のままです。本当に懐かしい色です。車番表示も「おへそ」ではなく、レトリーバがあった時代のように「おでこ」に戻されました。

(11) 見れば見るほど懐かしい塗装です。本当にこの車体によく似合っています。

(12) 車内です。ボクシンググローブは、左右一対で並んでいます。つり革を両手に持てば、グローブをはめている気分!

(16) 昭和3年・川崎会社車輌会社製の銘板。

・・・・・・続きは次号へ!!!


 む~さん から・・・・・私、む~さんが初めて南海電軌鉄道上町線に乗ったのは1954年・昭和29年)の8月、高校2年の夏休みの事でした。今日の、のり様の写真を見ていて、思い出すのは、そのとき、場所も同じ『住吉の交叉点』で、初対面した『モ101形』の事です。濃緑色に塗られた木造、ダブルルーフの米国風の車体、大きな排障器、Yゲル集電の勇姿です。
 1954年(昭和29年)8月、住吉交叉点、モ101形の写真が下記の『URL』をクリックするか、『モ101の写真』をクリックすればご覧頂けます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link10952-uemachi.html



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のりさんの阪堺電車(1) [阪堺電軌]

 何時も、このブログにコメントを頂いている「のり様」が、先日、2007年4月14日(日曜日)に、「阪堺電軌軌道・上町線とロッキー電車モ161形162」を撮影に行かれたとのお話でしたので、是非、その写真を、ブログで紹介させていただきたいとお願い致したところ、快諾して下さいました。

 今回から、連載を開始する事になりました。多分、何時もの様に、私の『お出かけ通信』を挟みながらですが、5~6回の連載になるかと思います。ご期待下さい。

■ 前振りとエンディング以外は、のり様の書かれた説明文を、そのまま、使用させていただきました。
・・・・・では、どうぞ!!!


 のりさんの阪堺電車(1) ■ (2007年4月15日・日曜日)

 4月15日(日)のロッキー電車追っかけです。天候は、曇り勝ちながら薄日もさしておりました。
 自宅を午前11時前に出発。ロッキー電車の運行状況は、阪堺電車に伺えば教えてくださったようですが、とりあえず、上町線・阪堺線どちらで運行していても出会えるだろうと、住吉の交差点へ向かいました。目的の電車が来るまで、何枚か撮影。

(1) 住吉公園発天王寺駅前行「704」号。トップナンバー「701」号が登場して、もう20年になります。純然たる新車は、モ501形以来となるモ701形。帝国車輌つながりで東急車輛製です。そういえば、どことなく江ノ電のようでもあります。

(2) 恵美須町方面から「505」号がやってきました。昭和32年帝国車両製。エアサス・カルダン駆動は、いまだに一級品です。近年、ワンマン化改造当時のオレンジ雲塗装に復活されました。ただし、広告車ではありません。

(3) 天王寺方面からやってきた住吉公園行「605」号。モ601形は、モ121形の機器流用車ですが、ほとんど新車同然です。ただ、制御器を流用したため、手動加速のカルダン駆動だそうです。「601」形には「701」形とともに、フートゴングが付いております。

(4) 浜寺方面から来た「702」号。恵美須町が、ひらがな表示の「えびす町」になってしまい、少し寂しく感じます。かつての四角い方向板が懐かしいです。

(5) 住吉交差点にある待合です。風雪に耐え、ひっそりと佇んでいます。ある情報によれば、明治45年建築とか。都会にこんなものが残っているのは奇蹟といえましょう。

(6) 住吉交差点付近にある架線支柱です。なんと明治44年7月建築。阪堺線の開業は明治44年12月だそうですから・・・、これはすごいものです。

(7) この架線支柱の遠景です。


 『のりさんの阪堺電車』の第一回目は、これでお終いです。第二回目は、一回お休みして、明日更新の『お出かけ通信』のあと、明後日にアップロード出来ると思います。


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阪堺電軌のロッキー電車 [阪堺電軌]

 阪堺のロッキー電車 
 
 私の大好きな阪堺電気軌道。そこで、未だに矍鑠として働いている昭和初頭の電車、モ161形が、映画ロッキーのシリーズ最新作のラッピングで走っているとのお話。このブログに、度々コメントを寄せて下さっている、のり様から、この、4月15日・日曜日に撮影した、そのロッキー電車の写真が送られて来ました。
 グリーンの車体の、昭和3年に川崎車輛会社で製造されたモ162は、見れば見るほど、、良い姿の電車。私だけが見せて頂いているのは勿体無い。そこで、のりさんの許可を頂いて、ブログ上で公開する事にしました。
 撮影は、のり様のお子様との事です。

 以下、のり様のメールから転記させていただきました。


 噂の「ロッキー・ザ・トレイン」が、4月20日までですので、休日は本日が最終となります。そこで、写真撮影に出かけてまいりました。腰をすえての電車の写真を撮るのは、じつに15年ぶりくらいでしょうか。
 ロッキー電車の追っかけをしてまいりました。
 住吉の交差点へ行けば何とかなるだろうと、ふらっと出かけ、待つこと約15分。天王寺方面から現れた「ロッキー電車」!

 住吉公園行きでしたので、交差点通過の写真を撮った後、住吉公園駅へダッシュ!

 駅での撮影を終え、件の電車に乗り込み、天王寺駅前へ。

 下車後陸橋の上から撮影。もう一度「ロッキー電車」で、北畠まで。

 北畠・姫松・帝塚山3丁目と歩きながら、1両しかない「ロッキー電車」の往復を、それぞれの駅で待ちながら撮影。

 3丁目から三度「ロッキー電車」車中の人となり、住吉公園へ。その後、天王寺駅前で折り返し「あびこ道行」となって、住吉に現れた「ロッキー電車」を住吉大社の灯篭をバックに最後の1枚。
 私はもっぱらカラーネガフィルムの写真を24枚撮り2本弱、中学生の子供が、家内に借りたデジカメ(といっても131万画素ですが)で・・・フィルム写真のほうは、いずれお目にかける事が出来ると思います。
 とりあえず、子供の撮ったデジカメ写真を5コマ送らせていただきます。


 モ161形、162の素敵な写真をご提供下さった、のり様、そしてそれ以上に、お子様に感謝です。


■ 次回はたぶん明日、「関西電車巡り1980年」に戻り、その第2回です。 


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阪堺電軌:1980年:二枚の写真 [阪堺電軌]

 今日は文字が多いです。読みにくくって申し訳無い!
 何時もは写真優先のこのブログなのですが・・・・・つい乗ってしまいました。

 先日は阪堺電軌、浜寺駅前の写真を少々お目に掛けましたが、今日も阪堺線です。所属が南海電鉄から、阪堺電軌に変わったのが1980年昭和55年12月1日からですから、未だ南海の時代です。

 阪堺電軌:1980年 

  如何しても出てこないフィルムを探しています。まだ、探していない押入れも残っていますので、そのうちに出てくると思うのですが、アルバムに貼ったサービスサイズのプリントがあるのです。当時9歳の次男との旅で、私の引き出しに、トランプとか、レール文鎮とかのノベルティが、残っています。

 1980年昭和55年の7月26日・土曜日、当時9歳だった次男を連れて、一泊2日行程の関西電車観光旅行に出かけました。アルバムにプリントが貼ってあり、いろいろな電車に乗っています。たぶん、国鉄で行っていた「いい旅チャレンジ20,000km」のキャンペーンに乗っかって旅をしていたようです。

 私のブログの趣旨にぴったり合うので、必死になってフィルムを探したのですが、何処に入り込んでしまったのか、間違って捨ててしまったのか、如何しても出てきません。
 今日は、そのプリントの中から、5枚ほど・・・・南海・阪堺関係をご覧頂こうという訳です。阪堺の写真は、たったの2枚っきり。

 行程は、7月26日・土曜日、その頃の私の行動パターンから推測するに、我が家を超早出をして、小田急は、まだ急行が無い時間帯なので、各停に乗り小田原、東海道在来線で熱海、ここから新幹線。名古屋で降りまして名鉄に乗っています。豊橋から名鉄は無いと思われます。
 新岐阜、そして国鉄の岐阜から米原、ここで昼です。鱒寿しを買ってます。またも在来線で、石山下車。ここから京阪電車、浜大津で京津線に乗換えて、三条。京阪電車本線で、伏見稲荷下車、徒歩で国鉄奈良線稲荷駅に行きランプ小屋を見ています。奈良線で奈良。街中を歩いて近鉄奈良駅に至り、近鉄奈良線で難波まで。地下街の虹のまちで、押し寿しで夕食、26日の夜、ご厄介になるビジネスホテル「ホテル南海」に荷物を置いて再び出掛けます。あたりま未だ薄暮って感じ、たぶん19時ごろか・・・・。難波駅から南海電車で堺まで行きまして、夜の町を歩いて、当時は未だ南海電鉄だった阪堺線の、たぶん大小路電停。ここから、阪堺に乗っています。あびこ町で一枚写し、車内の写真を撮りました。終点の恵美須町まで行ったのか、天王寺へ行ったのか、覚えておりません。取り敢えず、一泊。

 明けて7月27日・日曜日、難波から地下鉄千日前線で桜川・・・ひょっとして歩いて)から、国鉄関西本線のターミナル、湊町駅に行ったようです。ここから関西本線の電車で王寺駅、ここで桜井線に行く電車に乗る。和歌山線から高田駅で桜井線に入り、天理駅を通り、奈良。又も近鉄で京都駅、これは特急だったのだろうか・・・・。国鉄の奈良線の可能性は低い。
 国鉄、京都駅からは新快速の117系、このあと何故か大阪の地下鉄が写っています。ひょっとすると近鉄特急で名古屋か・・・?それとも、新大阪から新幹線か・・・・?
 その後の駒が、豊橋近くの新幹線の車窓からの景色です。なにが何だか良く判らないけれど、無事に帰宅。

 こんな行程で、一泊二日で、こんなに、上手い事、回る事が出きるんだろうか?と、思うくらい訳の判らない、アルバムの写真です。しかし、写真の並びから、こうとしか考えられません。

■ ま、いいか・・・・!!と、これ以上考えるのやめまして、27日夜の、阪堺の二枚の写真ほかを、ご覧下さい。サービスプリントからスキャンしましたので画像はよろしくありません。

(1) 宿のビジネスホテル『ホテル南海』に荷物を置いて、寝る前に、ひとまわり・・・・と、次男とともに出かけました。南海電車の難波駅から電車に乗ります。ホームで7100を撮っていますが、これだけ。日本興行銀行のポスターは誰だったかしら・・・・?

(2) 堺まで南海電車に乗りまして、堺駅で下車、駅前通りを歩いて南海の阪堺線を目指します。途中、こんなお店。当時の私には、大阪的風景(ここは、堺市だけど・・・・)に写ったようで、写真を撮っています。

(3) お料理のお値段が。気になるのでクロースアップ。27年前は、こんなお値段。

(4) 地図で調べましたら、どうやら『大小路』電停から阪堺に乗ったようです。電車はモ161形、壁の表記は166と読めます。運転台後部の天井のアーチ、持ち送り金具の金具のデザイン・・・・素敵ですね。

(5) 車内の造りとか、広告とか、気になるので部分を引き伸ばしてみました。

(6) アルバムに『我孫子町』とありました。途中で下車したのか、浜寺方面行きの電車が2両。モ121形(Wikipediaに拠ると、元・大阪市電1601形・・・台車・電動機など入換が行われたりして煩雑な経歴です)の129です。その後ろは、名車と言われたモ205形。

 こんなに、素晴らしい電車が居たのに、翌日、改めて訪問していません。嗚呼、何と言う迂闊な私でしょうか!!!

(7) 車内の広告が面白かったので写してしまった!ドア硝子に『ゆびづめ ごちゅうい!』とありますので、多分地下鉄。この阪堺ツアーの帰りに写したのか、翌朝の地下鉄で写したのか判りません。 上の小さい文字は『今年の夏は笑エネ・ライフ』とあります。


■ 如何してもフィルムが出てこなかったら、プリントからのスキャンで、ブログに出してみたいと思っていますが、果たして何時ごろになるのやら・

・・・・では、また次回!!!


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続・阪堺電軌:2001年 [阪堺電軌]

■ 今日の更新は、昨日の『70年代:関西電車-Ⅲ(補遺1)』で『阪急塚口駅の今昔』でしたので、今日は、その続編として『十三駅編』の筈なのですが、準備不足。・・・・で、今日は、別の話題。

 続・阪堺電軌:2001年 

 今年(2007年)の1月4日から15日まで、『関西電車見物2001年』というシリーズを公開しました。このとき使用した画像は、130万画素のデジカメのもので、画質的に少々不満、で、同時に携行していた、フィルムカメラが、APS:24ミリフィルムのカメラ、キャノンIXYでした。ところが、APSをスキャンできるフィルムスキャナが、ぶっ壊れており発表できませんでした。
 今日は、そのサービスサイズプリントから、「阪堺電軌の浜寺駅前」のシーンを、普通のフラットベッド形スキャナでスキャンしてみましたので、一寸だけご覧頂きます。ときは2001年(平成13年)11月19日(月曜日)
 やっぱり、銀塩カメラだねえ!そう、思いましたね。あ、でもね、今のデジカメ・・・知らないんです。ほんとに。1,000万画素のデジカメって良いんだろうなあ、いまのヤツ(結構、いいヤツだけど)よりも高性能なんだろうなあ、と憧れてはいますけれど。

■ そういうわけで、阪堺電車の浜寺駅前電停。昔の駅舎もあるのですが、ひと気は有りませんでした。南海本線オーバークロスする築堤から、赤い電車が夕日を浴びてやって来ました。

(1) 架線柱も郊外電車並の立派なものです。・・・・と云うか、郊外電車ですものね。

(2) 近づいてきた電車はモ352。あの素晴らしかった木造ダブルルーフのモ101形の淘汰。置き換え用として製造されたものだそうで、1962年製造だそうな。置き換えの事情で、釣り掛け駆動。

(3) APOLLOCINEMA8・・・・かな?フィルムをルーペで見れば読めそうですがサービスサイズプリントでは良く読めない。映画館かシネコンでしょうか・・・・・?真っ赤な車体にガンマンのコミック風のイラスト。派手だなあと、思いました。

(4) 線路の終端部です。左が駅舎。右側の大通りの向こう側が浜寺公園なのですが、地図を見たら、その先は海岸じゃあなくって水路、その向こう岸は埋立地なんですね。

(5) 浜寺駅前電停の脇は、家屋が取り壊され、更地となっておりました。今ごろは、この南海本線、浜寺公園駅の素晴らしい木造建築、駅本屋も、ここからは見えなくなっている事でしょう。なにしろ、2001年の写真ですもの・・・。


■ あれから5年以上も経ち、ここも随分変わった事でしょう。もう一度、行ってみたいものです。今度は、難波から南海電車で浜寺公園駅で降りて、帰りは阪堺電軌と行きたいですね。

・・・では、また!!!


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阪堺電気軌道:2006年阪堺線 [阪堺電軌]

2006年3月11日~12日、一泊2日の関西旅行。二日目の12日、小雨降る南海電車、住吉大社で下車、阪堺電車の『住吉公園”駅”』、『住吉の交叉点』を写し、『住吉』から『恵美須町』行きの電車に乗りました。

全線一日乗車券『TEKUTEKUきっぷ』ってのを、『住吉公園』の構内にある乗務員詰所みたいなところで、600円で買ってありますので何回乗り降りしても大丈夫。最初に降りたのが『松田町』。


よくよく見ると『鉄道模型屋さん』が近所にあるようですね。写真を見て、今、気がつきました。


雨に濡れた線路の光具合が良い感じです。何本か写して『松田町』はおしまい。

また電車に乗りまして、以前、写しに来た『今池』で降りました。築堤上にある駅には警報機つきの構内踏切もあります。

向こうが『恵美須町』。


この先から平野線が分岐していました。

『恵美須町』に到着しました。いまは2本しか線路がありませんが、以前は3本あって、平野線、阪堺線を捌いていたそうです。

右のホームの柱の色は白木と赤、なにか理由があるのでしょうか?


小さいけれど、一応、パノラマ写真。


右側の信号所がなかなか良い味です。随分古いものと思われます。


これで、今回の旅の阪堺電軌は終わりました。私は、今後も大阪に行けば、きっと、この大好きな阪堺電車に乗って来る事になるでしょう。

また、良い写真が出てきましたら発表しましょう。
では、また・・・・・・・・・。次回の企画は未定。困るMU3です。いや、ホント!


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