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龍ヶ崎の気動車二種 [関東の私鉄と公営鉄道]


今朝は朝から晴れ、風も涼しく、気分爽快。

 古いスライドフィルムをチェックしていましたら、関東鉄道龍ヶ崎線の気動車がありました。例によって、何年の何月か記入がありません。このスライドフィルムにはスライド枠に駒ナンバーが刻印され、そのNo.1とNo.2です。一緒に写っている家族の写真で検証すると、1970年(昭和45年)のお正月に、田舎に行く途中に立ち寄ったようです。

 1965年6月には鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線から、関東鉄道に変わっていますので、このとき既に関東鉄道。
 私が、最初にこの鉄道を訪れたのは、1958年(昭和33年)の12月で、大学の3年のときでした。まだ、蒸気機関車が現役、健在でした。木造の二軸オープンデッキの客車があったりしまして、すごい私鉄でした。

 そのころの写真。龍ヶ崎駅の外れの辺りです。

 こんな気動車も居たのです。

 キハ40402、『みずほ』のヘッドマークがついておりました。

 ・・・・・で、1970年の1月です。この気動車が居たのですよ。キハ40402。

 ターンテーブルに乗った気動車の後には国鉄の有蓋車もいまして、まだ当時は貨物輸送もやっていたということがわかります。

 こんな気動車も居ました。5121ほかの三連で、どうやら江若鉄道からやって来たものらしい。国鉄のキハ42500あたりの、のちの姿らしいけれど、詳しい事は例によって判りません。

 5121の足元には石炭の山。蒸気機関車健在の証でしょうか・・・・・?

  1958年12月の『鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線の訪問記』は下記のURLから、ご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link12.html


では、また次回、お目に掛かりましょう!!!


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コメント 4

no

5121は国鉄常磐線の車体色を意識した塗装なのでしょうね。この曲面には、人間が知恵を絞って作り出したデザインの美しさを感じます。
上野から1時間もかからない場所にこんな風景があったのですねえ。ほぼ10年後1979年には、もはやこういう情緒は残っていませんでした。
by no (2006-08-31 09:03) 

quatre-l

70年といえば、万博。
コダックインスタマチックを使い始めた頃です。
万博会場へ行くときになぜか知多半田に宿泊して名鉄で毎日出かけました。

当時はSLにしか興味が無くて電車や気動車にカメラを向けることが少なかったんですが、こんな車両がまだまだいる時代だったんですね。惜しかったなぁ、、、。
by quatre-l (2006-09-01 10:15) 

む〜さん

インスタマチックカメラ・・・・126タイプのカートリッジフィルムを使うの・・・・懐かしいですね。1963年、最初のシリーズの一番易いのを買いました。100形だった思います。プラスチックの箱型でプラスチックレンズ。外付けのAG-1バルブを使うフラッシュアダプターもありました。流石は当時のプラレンズ、サービスサイズでも一見わかるピントの甘さと色の切れ味の悪さ。高いのもあって500形は、本格カメラで独逸コダック製。会社の先輩が持ってて羨ましかった。
その後、20形だったか、やっぱり安いのを買いました。フラッシュキューブ用の外付けフラッシュガンがありました。こいつも、たいした事はなかった。

しかし、勤め先のルートで、ミノルタ製(どうも金属板の加工したヤツ)で、軽量、スマート、しかもフラッシュキューブソケット付き、更にロッコールレンズ付きってのを2,000円(!!!)くらいで買いました。ピントも信じられないくらいナイス。こいつは大当たり、すっかりファンになってスナップ用に使ってました。

何時の間にか、みんな消えてしまいました。一台くらい残しとけば良かった。
by む〜さん (2006-09-01 17:04) 

gop

私もコダック126インスタマチック使っておりました。
フラッシュキューブが暴発して、眼を痛めた事もありましたっけ。
これは友人に1,000円くらいで譲った様な。取っておけば...

最初の写真、何とも言えない情景ですね。私まだ生まれてません...
by gop (2006-09-01 18:33) 

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