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70年代:関西電車( 6) [1970年代の関西電車]

■ 昨日は横浜市営地下鉄三ッ沢上町駅のルポでしたが、再びお話は、ほぼ30年昔の関西へ飛びます。

■ 1972年以降、1980年迄位らしい関西にやって来ています。前回の今津駅前の映画館の看板から、1976年(昭和51年)6月以降ということが判明、東映の映画館って事もあるし、更に、駅々で見られる通勤の方々の姿などから、ひょっとしたら、同年(1976年)の梅雨どき・・・・6月なのかもしれません。
 更に、皆様のご協力で、少しずつ記憶も回復して来ているようです。今回以降も、『撮影の年月』、『撮影場所』、『電車の形式』、そして『関連のお話』等のコメントをお待ち致して居り、私、『老む~さん』の記憶回復に力をお貸し下さい。

 1976年6月以降のある日、私は、阪神の今津駅周辺で、阪神電車見物、撮影、さらに少年の日の思い出に浸っておりましたが、ここから阪急電車今津線に乗って二つ目、神戸線との平面交叉で名高い「西宮北口駅」にやってきました。何故か、平面交叉の写真が無いのです。しかも、三枚しかありません。

■■ 阪急電車・西宮北口駅 ■■

(1) 左、宝塚行きの610形620、私はこれに乗ってきたのでしょう。右、今津行き814形820。

(2) 時計は9時09分。西宮北口駅の乗換え風景。写っているホームの看板には『大阪(梅田)・京都(河原町)・園田?・伊丹方面のりば』と書かれています。左が武庫之荘、右が夙川です。電車は何型か判りませんが、右のは方向幕が無く5000ではなさそうです。阪急ブレーブスの背番号4・マルカーノ選手が懐かしいですね。写真撮影中の私の背後が今津線宝塚方面行きのホームだった気がする。

(3) 今津線今津行き814形820、何時の間にか三扉化されていますが、均整の取れた姿は崩れておりません。前照灯はシールドビーム2灯、戸袋窓は透明ガラスになっていますね。顎の長い自動連結器、いまでも有るのだろうか、それとも全部、密着式連結器になってしまったのでしょうか・・・・・。

■ これで、西宮北口駅はお仕舞いで、神戸線の普通電車に乗り、伊丹線の乗換駅、塚口に向いました。

■ この続きは、また・・・・・!!!


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コメント 12

ハウ

むーさん、はじめまして。いつも拝見させてもらってます。
私は小学生のころ西宮北口の社宅に住んでいました。晴れた日の風向きによっては深夜まで平面交差のジョイント音が聞こえていたものです。
ちなみにマルカーノ選手は1975年から8年間阪急に在籍していました。
by ハウ (2007-03-01 09:35) 

no

こんにちは。
西宮北口の平面交差も今は昔、私は残念ながら写真撮影はおろか、景色も音すらも憶えていません。
まったくもったいないことです。
70年代後半の今津線はまだこんな車両だったのですね。
マルカーノ…、阪急ブレーブス全盛期でしたねえ。
by no (2007-03-01 10:08) 

のり

どっどでっっ、どっどでっっ・・・
西宮北口の平面交差、今でも目に浮かぶようです。
(2)の写真に写っている、奥の電車は「1000」シリーズのようですね。
私が大阪圏の鉄道を乗り回し始めた頃です。懐かしいなぁ。
by のり (2007-03-01 12:41) 

む〜さん

■ ハウ様: 成る程!!マルカーノ選手の在籍年度は、1976年以降の撮影だという一つの裏づけになりますね。お住まいまで聞こえてきたクロスのジョイント音、懐かしいでしょう?昔、キングレコードから出ていた鉄道サウンドの17センチLPに『阪急』ってのがあって、梅田駅の雑踏とか、特急の運転室走行音、そして確か西口の平面クロス音もあったと思います。
あの鉄道サウンドのシリーズ、まとめてCDで出してくれないかなあ。
■ no様: まだまだ、釣り掛け電車が元気だった時代です。当時はカルダン車に好んで乗ってましたが、惜しい事をしたと思います。マルカーノさんは何処で如何しているのかなあ?バルボン選手は確か日本にいらっしゃる筈だったですが・・・・・。
■ のり様: 北口の平面交叉の架線は鉄柱が大袈裟で、複雑な構造でしたね。じっくり、写しておけば良かったです。
by む〜さん (2007-03-02 13:59) 

住吉人

(2)の冷房の付いた車両は屋根の角度などから5200系のような感じですね。
阪急初の量産冷房車でした。
by 住吉人 (2007-03-03 19:07) 

井手

はじめまして。今までホームページのほうを拝見していたのですが、ブログを見つけて喜んでいたところです。
1983年生まれの私からすれば、はるか以前の写真ばかりなのでとても興味深く楽しませていただいております。

家が阪急石橋駅の近くですので阪急の写真は特に楽しみにしています。

さて、2枚目の写真ですが、手前の車両、クーラーが1両に5台並んでいますから5200系ですね。私が小さいときはまだ本線や今津線で走っていましたがもう見ることはできません。。懐かしいクーラーの写真ですね♪
by 井手 (2007-03-03 19:13) 

む〜さん

■ 住吉人様: 5200系ですか・・・・やはり、遠く離れたところに住まっていますと、細かいところが判りません。有難う御座いました。
■ 井手様: ホームページ『む~さんの鉄道風景』をご覧下さっておられるとの事、有難う御座います。ブログのほうは、関西ネタは、地元で無い悲しさで、少なめですが、せいぜい頑張っています。ご愛顧の程、お願い致します。今後もコメントよろしくお願いします。
 成る程!空調装置の数で見分けるのですね。3月3日付のページで5000形の屋根を見ましたら、空調装置の数が4台でした。
by む〜さん (2007-03-03 19:47) 

井手

いえいえ、関西ネタも興味深い写真が盛りだくさんで十分楽しませてもらっていますよ!!
中学生半ばで鉄道好きから離れてしまいましたので自分も最近の動向は詳しくありませんが、80年代後半から90年代前半の阪急は、よく夏休みに乗り回していました(笑)
ちなみに5200系は最初期のクーラーで室外機が5つ&他と比べて屋根が深い、その後の新製冷房車5100系と、初期に優先して改造された2800系、5000系は室外機4つ、5300系は新製時期により4つ3つ混在、以降の冷房改造車、新製車は室外機3つのようです。

そういえば最近仕事で南海電車に乗ったんですが、古い片開き扉が懐かしくて思わず昔乗った阪急1000系列を思い出しました。阪急から片開き扉が消えたのが平成元年、当時私が6歳ですから、多分阪急の片開き扉の記憶があるのは私の世代で最後だと思います。もう今となっては阪急1000系列、どこにも残ってないんですね。。
by 井手 (2007-03-03 20:26) 

のり

南海の片開き車(高野線6001・本線7001)は、もう走り始めて40年以上になります。大手私鉄の本線運用としては、かなり古いほうでしょう。残念ながら南海はお台所が苦しいようで、新車がなかなか現れません。
でもそのおかげで、いまだに「7001」が特急運用についております。
ただ、あのシリーズには、やはり緑濃淡の「南海カラー」が良く似合っていると思います。
by のり (2007-03-03 22:36) 

む〜さん

■ 井手様: エアコンの数量に関する興味深いお話、有難う御座います。今後も関西ネタも探して頑張りますのでご愛顧のほどを・・・・。
 さて、片開きドアなのですが、関東の京浜急行は片開きに、かなり後までこだわっておりましたね。700形、800形、1000形と、みんな片開きです。しかし、世の流れは両開きとなって、1500形以降の、最近の形式はは両開きですね。
■ のり様: 南海の7001形、6001形は未だ矍鑠として頑張ってますね。昨年の春、難波駅で対面して、嬉しかった事を覚えています。
 たしかに、以前のグリーン濃淡しあげは格好良かったですね。いまのブルーにオレンジは、わたし的には、ちょっと・・・・。
 勢いで、私、50年以上昔、初対面の2001形濃緑色、鉛丹の屋根なんて言い出しかねませんね(笑)
by む〜さん (2007-03-04 11:10) 

なにわ

マルカーノですか、ブレーブス黄金時代の一人ですね。83~85年はスワローズで活躍、スペイン語を活かしてジャイアンツの通訳になりましたが、1990年にがんでわずか39歳で亡くなられました。ベネズエラという国名を彼で知りました。
by なにわ (2007-03-11 17:10) 

む〜さん

■ なにわ様: マルカーノさんは、そんない若くして亡くなられていたとは知りませんでした。良い選手でしたね。バルボンさんは、帰化されて神戸在住と昔、聞いたような気がします。現在、お元気名でしょうか・・・・・。
by む〜さん (2007-03-12 21:12) 

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