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高知から東京へ1959年(2) [むかし噺(1)]


 1959年・昭和34年の7月、21歳の時の高知旅行の帰り道でのお話。その二回目です。
 高知駅を夜に出て早朝に高松桟橋駅(高松駅に統合されたのが1959年の9月との事なので、滑り込みで)に着く列車で高松。そして、連絡船で瀬戸内海を渡り、宇野まで来ました。ここから、どんな列車に乗ったのでしょう。まったく、綺麗さっぱり、完全に記憶が欠落しております。ボケというよりも、ま、50年も経てば忘れるところがあっても自然でしょうね。

 高知から東京(2) 

(1) そんな訳で、国鉄宇野線宇野の駅です。駅に並んで、「玉野市営電気鉄道」の宇野駅がありました。1953年・昭和28年、備南電鉄として開業した当鉄道、1964年に気動車化されましたが、この頃は電車でした。モハ100形の102という小さな電車が駅に居りました。ちょっと歩いてまともな写真を撮ったら良いのですが、そこは、根性無しの私、列車の発車時刻も近かったのでしょう、乗った客車の窓からの写真だけしかありません。当鉄道、1972年・昭和47年に廃止されております。

(2) 岡山までの途中、茶屋町駅です。共用のホームに、下津井電鉄の貨車が居りまして、荷物の積み込み中。一番手前の貨車は8のナンバーが読み取れめますので、ホカフ8でしょうか・・・・。連結器が凄いですね。このあと電車に牽かれて児島方面に向かうのでしょう。向こうの線路には電車が居ますが、形式は良く判りません。この旅の往路で、全線乗りましたので、ホームでの一枚で、終了。
 1914年・大正3年開業の下津井電鉄は、瀬戸大橋に関連して、1972年には路線縮小で、茶屋町には電車は来なくなり、1990年・平成2年には廃止となっています。

(3) 岡山から、山陽本線で東に向かいます。岡山の次の、西大寺駅です。いまの、東岡山駅、貨車の向こうに、1912年・明治45年開業の「西大寺鉄道」の気動車が写っています。たぶん、キハ6でしょう。

 この旅行で、下津井電鉄は全線乗っておりましたので、復路ではいいとして、西大寺鉄道は、この前年、1958年に乗っていたのですが、せっかくここまで来たのですから、途中下車すればよかったのに、通過だけとは、む~さんは、かなりのおバカですね。西大寺鉄道は三年後の1962年・昭和37年に廃止になっています

 さて、山陽本線、どんな列車に乗ったのか、思い出せないまま、大阪に向かいました。


 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に、元気だった頃の、下津井電鉄と西大寺鉄道のルポがあります。お時間のあるときにでも、御覧下さい。

 下津井電鉄1959年のページはこちら
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link247.html

 西大寺鉄道1958年のページはこちら
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link21.html

 次回は、大阪から名古屋まで近鉄特急に乗ります。


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コメント 7

HIRO

玉野市営電気鉄道とい名前は聞いていましたが電車見たのは初めてです、一瞬東急目蒲線車両かと思いましたが、よく見ると電車の全長が短いです。
岡山周辺は、西大寺鉄道、下津井電鉄、玉野井市営電気鉄道と3つも私鉄があるのですね。今はいずれも廃止されましたが、西大寺、下津井電鉄はビデオで見ましたが瀬戸内海ののどかな風光明媚な風景を走る光景が詩情的で好きでした。
by HIRO (2007-12-14 20:39) 

quatre-l

臨場感のある数カットですね。む~さんと一緒に旅をしてるようです。
玉野市営電気鉄道の電車、何色だったんでしょう。私にとっては上田交通の上田駅見たいな感じに見えます。
西大寺鉄道の気動車、、、、いいなぁ。こんなのに乗ってみたかったです。
by quatre-l (2007-12-14 22:58) 

mymeな大家

こんばんは。
地方私鉄と言うのは、なぜたか心が安らかになります。
また、当時の日車標準型の顔というのでしょうか。とても落ち着いていて素晴らしいデザインです。
むーさんのおかげで、会えることができます。
恥ずかしいですが、下津井電鉄は鉄道線がなくなっていたんですね。知りませんでした。いつかは行こうと思っていたのですが。
では、失礼いたします。
by mymeな大家 (2007-12-14 23:47) 

manamana

玉野市営の電車、すっごくかわいいです。
スタイルがいい、短い車体もいい、
屋根からヘッドライトのカーブがいい。
by manamana (2007-12-15 00:18) 

む〜さん

■ HIRO様: こういった小型の2扉車は地方の私鉄で良く見受けましたね。吊り掛けで・・・・・。
 岡山周辺の小私鉄、一番気に入っていたなは西大寺鉄道でした。終点の西大寺駅の先の方に車庫があって、小さなオープンデッキの客車や、二軸の気動車が居た風景が今でも、ときどき懐かしく思い出します。きけば、保存車両もあるらしい。風化する前に面会したいですが、チャンスは無さそうです。
■ quatre-l様: そう、玉野市営電鉄のカラー、思い出せません。下半身=緑?青?赤?全然出てきません。この点、カラー写真はいいですね。昭和33年~34年といえば、天然色写真など夢でした。2~3回くらいしか使っておりませんでした。
■ mymeな大家様: そうです、この三つの私鉄、みんな廃止されてしまいました。昭和30年代までは、何処へ行っても小さな私鉄があって、雑誌にも載っていないような車両が居たりして『発見の喜び』もありました。現在は、情報が溢れ、初めて行っても、初めてと思えなくなりました。外国でも同様で、旅の楽しみが減っちゃったみたいな気がします。
■ manamana様: ドア配置は違いますが、能勢電に、こんなポール電車がいましたっけ・・・・・。
 あの辺りに残る私鉄といいますと、水島臨海鉄道ですか・・・・ここは未体験ゾーンです。
by む〜さん (2007-12-15 10:09) 

なにわ

玉野市営電鉄は1964年に気動車化されて、この電車3両は海の向こうの琴電の750,760,770となりました。770は70年代末に事故廃車になりましたが、750,760は最近まで走っておりました。
by なにわ (2007-12-15 19:52) 

む〜さん

■ なにわ様: 気動車は熊延鉄道から購入、経費節減の努力も甲斐なく1972年・昭和37年廃線。海を渡った電車のうちの1両、760・旧玉野市電モハ103は2006年10月、里帰りを果たし、終点だった玉遊園地前駅ちかくの『市・すこやかセンター』の保存されたそうです。
『玉野市電保存会』のURLはこちら・・・・。
http://homepage2.nifty.com/tamanosiden/
・・・・・ここまで、丁重に扱われてモハ103も幸せでしょうね。
by む〜さん (2007-12-15 21:43) 

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