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小田原界隈1954年4月 [昔写真関東]


 ご心配をお掛け致しましたが、だいぶ元気が出てきた、む~さんです。お早う御座います。今日は一日仕事も無く、体を休めようと思いますが、早起きは何時もの調子で快調に起きました。多分、ぶり返す心配も無いと思われます。

 さて、昔々大昔のお話をしましょう。1954年4月、両親と浜松の親戚の家に行ったのです。往路ははっきりしませんが、帰りは東京まで、なんと各停の客車列車でした。浜松では、卵とじでないカツ丼と初対面し、親戚の家の裏には、ケイベン鉄道・・・・遠鉄奥山線は走っている、ついでに行った豊橋では名鉄のモ3850にも乗ってしまった、私でした。とは、云うものの写真をろくに撮ってないのは、悔やまれるところなのですが・・・・・。

 その帰り道、小田原の駅辺りで、車窓から写した、三駒の写真です。

 小田原界隈1954年 

(1) 上り列車が小田原駅に入るときに写した箱根登山鉄道。いまも同じ形の電車が活躍しておりますね。短い車体に、台車が目立つ床下、屋根には抵抗器、色は腰板と幕板がスカイブルー、窓回りが黄色だったはずです。バックには新幹線が写るのは、この後、10年近く掛かった筈です。

(2) 国鉄小田原駅の上りホームに列車が入ってゆく。乗客の向こうには箱根登山のホームがありますが、乗客の陰に登山電車が居ます。中央に扉があるように見え、どうやら、木造車らしい。このころ、兄が撮った写真に、109とか、110などの木造車が写っています。

(3) 小田原を出た列車、ちょっと走ると、大雄山鉄道・・・すでに駿豆鉄道大雄山線か・・・・をオーバークロスします。丁度、緑町を出た大雄山行きの電車が井細田に向けて走って行きました。当時はポール集電でした。遠い工場の煙突の黒煙は時代ですね。写真がいい加減なので、まるで、昭和一桁の写真みたいに見えます。

 

 私の兄、む~に~さんが、1954年に写した、箱根登山電車が下記URLから御覧いただけます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link14.html

 では、またお目にかかりましょう!!!!


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manamana

回復されて何よりです。
さて、今日の小田原の写真は歴史的な写真ですね。
む〜に〜さんの写真は、ピントの合い具合が、
昭和初期の写真みたいです。
あちらこちらで煙が上っているのも
産業革命の息吹を感じます(ってそこまで古くないか)。
by manamana (2008-01-17 07:25) 

む〜さん

■ manamana様: ご心配をお掛けしましたが、やっと回復のようです。
 文体がおかしかったので、とり違えられたようですね。ゴメンナサイ。この三枚は私の撮影でした。
 近所の写真館に現像を出しましたら、ベルト式タンク現像でした。現像時間を押し過ぎたのか、温度がたかったのか、ネガが真っ黒け。しかも硬調。そして、ピンボケにブレも加わって、『文明開化時代の写真』になりました。
 兄の、む~に~さんの写真は
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link14.html
で、ありました。お詫びいたします。
by む〜さん (2008-01-17 09:30) 

Fuzzy

う~ん。やっぱりすごい!!
動く電車の窓から撮影されたんですよね。カメラはいつものジャバラですか?
貴重な映像の数々。
箱根登山もまだまだ戦後を引きずっているような感じに見えます。
三枚目は、湯治場の横を走る電車のように見えましたが、見れば見るほど味わいがありますね。夢の中のシーンのようで、涙が出てきそうです。
by Fuzzy (2008-01-17 17:36) 

む〜さん

■ ファジー様: 動く客車の車内からの撮影です。親父の写っている車内写真を見ると、窓の感じ、車外のリベットなどから、多分、スハ32です。
カメラはオリンパス35-Ⅳ。シャターの最高速度1/200秒ですから止まりませんね。でも、いいカメラだったなあ。
それにしては、写りが悪かった(笑)。
by む〜さん (2008-01-17 17:45) 

なにわ

3日見ぬ間の何とかと申しますが、あまりご無理はなされないように。
この頃モハ2(108~112)はまだ木造でしたか。
by なにわ (2008-01-17 19:16) 

む〜さん

■ なにわ様: たぶん、もう大丈夫でしょう・・・・希望も含めて。今日殆ど休養、そして明日も休養日としました。
No.109とNo.110の元気な姿が上の私もコメント中のURLでご覧になられたと思います。木造で、いい姿の電車でしたね。
by む〜さん (2008-01-17 19:31) 

HIRO

こんばんは
1954年の小田原界隈、興味を持って見せていただきました。
僕の20歳はこんなだったのだと驚いています。
箱根登山鉄道も一両で、ドアも手動、黄色に空色だったことは記憶にあるようです。
ご婦人の長いコートが当時のファッションをあらわしていますね。
最後の写真の瞬豆鉄道大雄山鉄道線と周りの煙突の煙は歴史を感じさせます。
manamanaさまの言われるとおり、産業革命が始まったような奇妙なコントラストのとても面白い貴重な写真です。

さて、今年初めて外出し、横浜駅を特集しましたが、やってみてあまり特徴が出ず、わかったことは東西商業施設の多い街だということが分かりました。
ただ1200ピクセルはやはり解像度が高く満足でき、写真を撮影するのが楽しみになりました。
by HIRO (2008-01-17 23:21) 

鈴木光太郎

最下段の記録写真ですが、
こんな閑散な踏み切りが警手付きに見えます(番小屋らしきがある)
鐘の警報音も赤色灯の点滅も無かった、と見えます。
昭和は遠く、と、です
by 鈴木光太郎 (2008-01-18 03:18) 

む〜さん

■ HIRO様: 小田原の街は市内電車が走り、駅前はバスの発着が賑やかでした。箱根登山、大雄山と乗り換えもあり、大きな駅。お弁当、山葵漬けの駅売り。でも、新幹線は陰も形もありませんでした。
HIRO様のブログを拝見しましたが、緻密な取材で、しかも画像も綺麗になりました。画素数1千2百万画素の威力ですね。
■ 鈴木光太郎様: 今と違って街はずれムードですが、一時間に何本も無いのに警手の居る踏切、時代ですね。白い『RAILROAD CROSSING』の標識、黄色に黒の踏切標識(反射硝子埋め込み)が懐かしく思い出されます。進駐軍の要請で建てられたこれら標識を、ちゃんと写真撮影してないのが残念です。
警報機は無いのがあたりませんの昭和20年代ですね。子供の頃、近所の踏み切りに、警報機の赤灯と鐘を見物に行った事もありました。近所の池上線、雪が谷大塚~御嶽山間の、5箇所の踏切には、警手遮断機つき二箇所、警報機つき遮断機なし一箇所、なんにも無いのが2箇所だったのです。そんな辺りで、電車を友達に遊んでいた私でした。
by む〜さん (2008-01-18 09:03) 

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