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再び東急玉電1954年(3終) [昔写真関東]


 一昨日の続き、玉電の画像です。連載三回も今回でお仕舞いです。ホームページと、このブログでも公開済みのものですが、スキャンをし直して画像の画質向上を図ったものです。異常なハイコントラストが修正されて、いくらかマシな画像になっています。480×360pixelの画像ですが、御覧下さい。

 再び東急玉電1954年(3終) 

 ・・・・で、1954年・昭和29年の4月、高校一年~二年の春休みだったかな??我が家から直線距離で6キロほどなんですが、ガタボロの古自転車・・・・実用車と呼ばれた重いヤツ・・・・を漕いで、二子玉川までやって来ました。まあ、当時としては普通でしたが・・・・。

(1) 砧線です。デハ30形32が砧方面から二子玉川園駅に向かって来るところです。警報機の付いた踏切ですが、遮断機は如何だったのでしょう。警手さんだって居なかったのだと思われます。進駐軍の名残の『RAILROAD CROSSING』の木製標識くらいだったのでしょう。
 この埃っぽい道路、なんと「国道246号」なのです。右が渋谷、左が多摩川を東急大井町線の単線とともに渡って溝の口方面です。

(2) (1)の場所と同じ辺りから写した玉電の本線?です。電車はデハ80形現役の田圃。のどかな郊外電車って眺めです。勿論、左方面が渋谷になります。

(3) 二子玉川園駅から中耕地駅を通り、田圃の中をまっすぐにやって来た電車は、一軒あった民家を左に急カーブ、踏切を渡ると、吉沢駅でした。そして道を一本踏み切りで渡ると直ぐに、野川にかかった鉄橋になります。先ほどのデハ32が一両で往復していたのですね。川辺には釣り人が居ます。何が釣れたのでしょうね、鮒でしょうか・・・・・。向こうに見える木の橋が、まるで時代劇しております。こないだ、GoogleMapの写真で見たら、想像も出来ないくらいの大変化でした。

(4) 吉沢では(3)を一枚写しただけ。こんな駒もありました。玉電の本線、瀬田から坂を下ってきたデハ80形の86?です。左は(2)の田圃ですね。左の木が桜だとしたら(たぶん、そうだと思う)春には素敵な場所だった事でしょう。

 このときの『玉電写真の写っているフィルム』はここまでで終わっています。


 オマケの画像です・・・・この玉電写真を撮影した帰りに何故か二子玉川園に行ったようで「豆汽車」の写真を撮っています。カメラブレ+被写体ブレで酷い写真だけれども、一応は鉄道だし・・・・。

(5) この頃、自転車に乗った高校二年になる男の子が、一人で遊園地に入園料を払って入るなんて信じられないのだけれど、不正入園はしないし、入った理由も覚えているわけもありません。新聞社の無料入場券でも持っていたのでしょうか・・・・・。
 更に、遊戯物の写真を、写している。ディーゼル機関車形の機関車が片ボギーで珍しかったのかもしれません。何と機関車に乗務員が二人、機関士に機関助士(笑)・・・・凄いです・・・・客席だった可能性も無いではないけど。客車の可愛らしいちっちゃなボギー台車も取り付け位置が??。連接でもないし・・・・。
 幼い頃からの、私には御馴染みだった「多摩川園」の豆汽車が軌道中央に敷設されたサードレール集電の電気機関車だったので、珍しかったのかなあ。客車には座席番号も振ってあります。

 『お出かけ通信』を挟んで三回にわたって連載した、『1954年の玉電シリーズ』もこれでお仕舞いです。

 さて、お次の出し物ですが、「東京都電」、色がベージュに赤帯で、気に入らない時期のものですが、五反田から清正公前~目黒と、いやに丁寧に写している。好きだった1000形も沢山写っているので、何回かに分けて連載いたします。明日辺りから始められるかもしれませんが、例によって、どうなるかは判りません。


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コメント 15

はーさん

多摩川園は懐かしいですね。
ここは窪地になっており、崖をすべり落ちる「おおやま滑り台」というのが名物でした。
戦前、幼いころ、横浜に住んでいましたので、連れて行ってもらう遊園地は多摩川園か、鶴見の花月園でした。
今では競輪場の名前になって終いましたが、花月園も遊園地だったのです。多摩川園には東横線のデハ510、花月園には京浜電車の230、当時はデハ71だったでしょうか?に乗って行きましたので、これらの電車の思い出とラップします。
ダークグリーンで、運転席にフードのあるデハ510も嫌いではありませんでしたが、やはり、230の方が軽快でスピード感もあり好きでした。
電車の好みで、遊園地も花月園の方は好きでありました。
花月園の遊園地時代の写真はありませんでしょうか??
by はーさん (2008-01-21 11:48) 

モリタ

1954年4月というと44年に閉園された二子玉川園が3月27日に営業再開してすぐの頃ですね。
ここに(読売園時代)あった落下傘練習塔は1951年に江ノ島に移設されて初代の江ノ島灯台になったのですね。
by モリタ (2008-01-21 14:22) 

no

こんにちは。
なんだか、サザエさんの初めの頃の話が好く判るような気がしました。
こんなだったのですねえ。
信じられないです。
by no (2008-01-21 18:07) 

む〜さん

■ はーさん様: 私のしょっちゅう行っていた遊園地は多摩川園で、夕方、5時からは無料になるのです。映画館が中にあったからでしょう。そんな無人の遊園地で、ブランコで遊び、小動物園で鳥とかサルとか見て居りました。小学校の時代のことです。
豆汽車もよく乗りました。電動で、短い遠景所路線でしたが、子供の私は結構、興奮しました。
花月園は、遊園地、競輪場、ともに知らないのです。デハ230で遊びに行けた、はーさんは幸せでしたね。私の多摩川園は、徒歩でしたから。(笑)
■ モリタ様: 先年まであった江ノ島灯台は二子玉川の読売遊園から行ったんですか。知りませんでした。読売って落下傘塔が好きですね。たしか、よみうりランドにもありましたものね。
二子玉川園の売り物は、ローラーコースターで、東急の『羽根レールマーク』にちなんで、『フライングコースター』と呼ばれていました。一度だけ乗りました。
■ no様: そうですね、サザエさん、モロ昭和30年ですね。今の基準で計れば、なんにも無い。でも、私たちは、結構、満たされて居りましたね。そして、頑張れば、多少のものは手に入る可能性もあり、希望溢れる時代でしたね。バイクも自動車も無かったけれど。
みんな、気持ちは『歩いて』居りました。いまは、みんな『全力疾走』、うかうかすれば、ぶっ倒れちゃう。余裕の無い時代になりました。
by む〜さん (2008-01-21 18:26) 

じろっち

私の父の親族が新宿でタクシー会社を経営していたので、国道246号線というより大山街道といった風情だった道をドライブしたことがあると父が言っていました。
クルマは当然アメリカ車。
当時の日本車は要人送迎者と商用車しか無かったそうです。
by じろっち (2008-01-21 20:48) 

む〜さん

■ じろっち様: たしかに昭和20年代末頃まで、タクシーといえば、外車でしたね。黒く塗られ、白帯を巻いたタクシーを覚えています。タクシーに乗るって事は、当時のサラリーマンクラスにとっては、大変なお話でありました。少なくとも20年代にタクシーに乗った記憶は一度しかありません。(とほほ・・・な話ではありますね)
by む〜さん (2008-01-21 21:24) 

kondoura 近藤

む〜さん様
初めまして、近藤ともうします。
いつも貴重な写真と体験談楽しく拝見させていただいてます。
じつは大変おそくなったのですが、昨年、三軒茶屋にて玉電模型運転会をおこなったのですが、
ご来場いただけたとのことで、ほんとうにありがとうございました!
僕自身、昭和39年生まれですので、幼児の記憶でしか無い玉電なので、む〜さんの写真
を模型作りに大変参考にさせていただいておりました!
今回の玉電写真シリーズも含めまして、大変貴重な資料画像の公開あらためまして心よりお礼もうしあげたく思い、書き込みさせていただきました。

なにかまたイベントなどでお会いする機会ありましたら、ぜひいろいろと御教授いただけましたら!と願っております。

これからも楽しみに拝見させていただきます!
(食事の写真もとってもたのしいです!)
by kondoura 近藤 (2008-01-21 22:11) 

む〜さん

■ kondoura近藤様: キャロットタワーのあの運転会展覧会は素晴らしかったですね。私も昔は模型を作りましたが、社会人となって以来、50年余。模型製作がSTOPしています。もっとも、当時の作品は保存していますが。
お時間、御座いますときに是非とも当ブログ、ホームページ、覗きに来て下さいね。
by む〜さん (2008-01-21 22:29) 

鈴木光太郎

最後の写真、二子玉川園の豆列車なんですが、
これは園の一番南の塀際にあったドッグボーン型線路配置の遊戯施設な気がするのですが。
この線路は普通の遊園地にしては路線距離が長いので、電圧降下のある電気列車でなく、
内燃動車が運転された可能性があります。
撮影位置は線路の南側に見えます。
以上を前提とするなら、
遊園地に入らず塀際の6m道路から写した、という事はないでしょうか?
by 鈴木光太郎 (2008-01-21 23:48) 

む〜さん

■ 鈴木光太郎様: そう云われればそうかもしれません。塀から写した可能性、大ですね。そうしたらお話の辻褄が合いますね。コトバ足らずでしたが、ガソリンエンジン駆動でした。前部のエンジンからプロペラシャフト(見えてますね)で、一軸側の車輪を駆動して居りました。
電気動力で無い証拠(蓄電池なら別ですが)は手前の線路で、サードレールがありません。
二子玉川園には、近接してバラ園とか、乗馬学校とかもありました。
笑われそうだけど、生まれて初めて、ホンモノのスクーター(シルバーピジョンだったか、ラビットだったか忘れた)に乗ったのは、二子玉川園の遊戯施設でした。大学在学中のことでした。
当時は、自動車の運転なんか自動車部でもないかぎり学生には無縁でした。
by む〜さん (2008-01-21 23:57) 

mymeな大家

こんばんは。
むーさんの写真のおかげで、どれだけ玉電の勉強になったか分かりません。本当にありがとうございます。
二子玉川園と言えば、初めてジェットコースターに乗った思い出があります。怖くて目をつむって下を向きっぱなしでした。
多摩川園のお気に入りは、やはり豆汽車です。サード・レールも覚えています。私が行った頃は玉電200が静態保存されていました。乗りたくて触りたくて、ずーとそばにいたことを憶えています。電車とバスの博物館ができて、触れたときは感動でしたね。
その頃撮ってもらった写真を、先日相談させていただいたスキャナ
で残したいと思います。
by mymeな大家 (2008-01-22 01:50) 

manamana

思い出話がはずんでいますが、
自分にはただただ二子玉川の変わりように驚きです。
by manamana (2008-01-22 07:22) 

む〜さん

■ mymeな大家様: コースターの初体験は後楽園のジェットコースターでした。帝国劇場でシネラマの第一回、『これがシネラマだ!』を見て、ローラーコースターの凄さを知ってましたから、期待して乗りました。それなりに興奮しました。でも、元来、怖がりやさんなので、『落ちる』乗り物は駄目です(笑)。
玉電の200を保存してくれた東急さんですが、何故か虎の子のデハ5001を輪切りにしてしまいました。疑問視する私です。デハ3450をのこした事は大感謝ですが・・・・。
スキャナでの結果をお聞かせくださるのを楽しみにしています。
■ manamana様: そうですね。多摩川と兵庫島、ボート、昔のスタイルの遊園地と、一世代前の観光遊覧スポットでしたが、現在は、一大ショッピングファッションタウンと化しました。とはいうものの、行きたいなあとは思わないのです。ニコタマなる略しかたも、二子玉川に申し訳ないような気もする。
by む〜さん (2008-01-22 10:18) 

HIRO

多摩川園懐かしいです。駅の前で遊園地を垣間見ることができました。
小さい時両親に連れられてはいったことがあるようですが3歳ぐらいで分かりません。
その後、田園調布と多摩川園の間にテニスコートを車窓から見ることができました。
駅名も今は多摩川と園がなくなってしまいました。時の流れを感じる写真です。
by HIRO (2008-01-22 13:21) 

む〜さん

■ HIRO様: 東急沿線には、多摩川/玉川を名乗る二つの遊園地が、そんなに離れていないエリアにありました。二つを結び多摩川の土手をのんびり走るバスもあったのです。遊園地内に高低差があり樹木も多い多摩川園の方が私は好きでした。
家族団欒のスタイルが変わり、両遊園地とも、ご承知の結末になりました。幼い日の思い出の場所が消えたわけです。
by む〜さん (2008-01-23 15:09) 

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