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大阪の電車1976年(3) [1970年代の関西電車]


 お早う御座います。今朝も昨日に引き続き、1976年、夏の大阪です。この一本のフィルムに写っている、『淀屋橋の街頭風景』、『北大阪急行』、そして『阪神電車』のうちの最後の画像が阪神でした。
 まあ、何が何だか、事情は忘れましたが、ともかく大阪に来ています。1976年・昭和51年の8月末か9月の初めごろの撮影で、今日は、阪神電車。

 大阪の電車・1976年(3) 

 朝の大阪、梅田の地下。阪神電気鉄道株式会社は、梅田駅に来ました。時計を見ると、7時20分頃のようです。

(1) 7時過ぎと言えば、これから朝の通勤ラッシュが始まる辺り、急行電車が到着し、お客さんが降りてきますが、それ程の人数ではない。これから、ラッシュアワーのでしょう。電車は7817です。

(2) 時刻表と時計・・・・7時21分。

(3) (1)は折り返して、急行・須磨浦公園行となっています。ナンバーは隠れていますが、状況から7817でしょう

(4) 元町行きの普通電車は5274。時計は7時40分。随分あっさり、切り上げたもので、阪神の梅田での写真はこれっきり。この普通電車に乗って、次の福島駅に行ったみたいです。


 たったの4枚では寂しいので、オマケです。以前、出したような、出していないような、記憶がいい加減ですが、ホームページから・・・・。1954年・昭和29年の8月、初めての関西電車観光旅行のときに写しました。高校二年の夏でした。

(5) 待たずに乗れる阪神電車!!・・・・そんなフレーズを覚えています。881形の900です。いい姿ですね~、ほれぼれしますね~!二両目の801もタマゴ形のいい電車でありました。


 そんな訳で、今日はこれでお仕舞いです。次回は、同じ阪神電車の「福島駅」です。こっちも、たいした数はありません。


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Fuzzy

わっ。喫茶店だっ!
最後にこんな写真が登場すると、びっくりしちゃいますよ。心臓に悪いです、ハアハア。美しい面長の車両です。
これらの車両の阪神時代は体験してませんが、喫茶店・玉電ともに、なれのはて、紀州の野上電鉄で出会ったことがありました。

昭和57年の写真を拝見すると、現在とほとんど変わっていないように見えますね。
by Fuzzy (2008-02-18 11:03) 

鈴木光太郎

"床屋"と言うニックネームも聞いたことがあります。
当時の町の先端文化?が臭う愛称です。
私は知らないのですが、この妻板のドアは
連結運転中、客は貫通路として行き来できたのでしょうか?
実際に貫通路を行き来するとヨロけたりした時ガラスの下部を蹴とばしそうなのですが。
by 鈴木光太郎 (2008-02-18 12:02) 

京葉帝都

終着駅で降車ホームと乗車ホームが分離されている形は機能的です。阪神梅田駅は程よいスケールなので乗客にしてみれば歩き易くできています。阪神では終点に到着の時は運転士は立ってブレーキ操作をしていました。(5)写真の正面のガラス戸は室内側に両開きで開くのでしょうか。豪華な把手が気になります。
by 京葉帝都 (2008-02-18 13:22) 

む〜さん

■ ファジー様: いいでしょ?!阪神電車の喫茶店・理髪店。私が初めて会って写した、この写真ではランプ付きのステップが既に付いていますが、もともとは無かった。さらに細面にみえました。全電動車5連で、カーブの多い、踏み切りだらけの路線をぶっ飛ばしていました。最前部で、窓全開で立っていますと、風圧で凄かった。
■ 鈴木光太郎様: この貫通ドアは、勿論、通り抜け可能でした。ドアの所に立って前面を見てますと、スリル満点でした。一度、大雨に遭遇し、貫通ドアから雨水が沢山入ってくるハプニングにあったことがあります。
■ 京葉帝都様: 戦前建造された梅田駅、乗降分離型で先進性に富んでいたのですね。
貫通ドアは、車内に向かって、真ん中が凹む方向(V字形)に折畳まれました。運転室は半室で、客室からも曲面のドアで、入ります。私の見たときは、板戸でしたが、製造したときは、曲面硝子だった『らしい』のです。ホントだったら、凄いですね。このドアは、更に運転室内に、動かすと、運転・制御機器類を完全にカバー出来、お客さんが入る事が出来ました。優れた、乗客スペース作りのアイディアですね。高校2年の私は、そんなことに感心しながら眺めていた記憶があります。
by む〜さん (2008-02-18 18:28) 

たーサン

 この頃登場した3011型に夢中で、当時は小型車なんか見向き
もしなかった。もったいないことをしましたね。

 昔のTMS誌上でさるOゲージャー氏が「幅狭い車体故、はみ出さんばかりの台車の安定感。狭く引き締まった正面は他のだだっ広い間抜け共では味わえないスゴイ魅力」と賞賛されていたのを懐かしく思い出します。
by たーサン (2008-02-18 20:29) 

む〜さん

■ たーサン様: 惜しい事をしましたね。私も、東京で、古い国鉄、私鉄のクルマがうじゃうじゃ居たのに、古いの、汚いのと、カメラを向けませんでした。新しいのだって、そのうちに写そうなんて思ってました。そんな訳で、ろくな写真が残っていません。悔しいなんて思っても、既に手遅れ。
『幅狭い車体故・・・・』の一節、うなづけますね。山椒は小粒でも辛いわけで、国鉄の急電、阪急特急に伍してひけをとらなかった、阪神の健闘ぶりに打たれたのか、ファンになったのが、昭和29年だったわけです。以来、野球も阪神でして・・・・。
by む〜さん (2008-02-18 20:48) 

なにわ

これだけスーツ姿の人がいないということは、この日は日曜日ではないのでしょうか?
オデコの広いのが特徴の5271~74、5261型唯一の新造冷房車でした。
by なにわ (2008-02-18 21:04) 

鈴木光太郎

「この貫通ドアは、勿論、通り抜け可能でした」
↑ありがとうございます。
余りにしゃれたデザインなので、非常時以外は通り抜けられないのかな? と思いました。
実際に乗った事が無いと、御当地の人にとっては当たり前の事さえ、意外な思い違いをしてしまいます。
by 鈴木光太郎 (2008-02-18 22:19) 

む〜さん

■ なにわ様: まあ、朝の7時半ですから、通勤客も少なかったのかも知れません。そして、8月末あたりだし・・・・。
この頃の車体は格納形の貫通幌、裾の丸み、なんだか、好きです。色としては、急行用の赤胴も良いのですが、各停用の青胴車の方が綺麗だなあと思います。
■ 鈴木光太郎様: 貫通と言えば、801形や831形みたいな運転台が真ん中にある形式、運転士は両手を広げ、貫通ドアの左側のコントローラ、右のブレーキ弁を操作していました。聞くところによると、ドラマーみたいなのでバンドマン電車と呼んだとか、昔、雑誌で読みましたっけ・・・・。
by む〜さん (2008-02-19 00:02) 

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