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横浜市電の単線区間1962年 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今日は、ちょっと昔のお話です。1962年12月ですから、まあ半世紀・・・・もう立派な『昔』ですね・・・・横浜に市電が走っていた頃の事です。

 横浜駅前から市電の7系統・中央市場行の市電に乗って国道1号線を東へ、~青木通り~神奈川区役所前、そして神奈川公園前です。7系統の電車はここで、生麦方面への3系統とお別れの分岐で右折します。ここから市電の線路は単線となり、貨物線の下をくぐって万代橋を渡ると終点の中央市場です。

 1962年・昭和37年12月、まだ結婚して二年生の私は、神奈川区六角橋・・・・市電の1、9、11、12系統の終点、六角橋電停の奥の方に住んで居りました。
 そんなある冬の日、愛機ミノルタALを持って電車見物。生麦辺りの東海道の踏切から、東海道本線、横須賀線、国電京浜東北の写真など撮りまして、生麦の電停から市電で神奈川会館前まで来たのです。

pen-pc.gif 以前、一回、書いたような気もするけれど、しかも同じ写真かも知れないけれど、もう、書き出したので勢いが止まりません。今回に備えて、写真の加工も改めてやっているし、まあ、ダブってもご勘弁下さい。視点は多少、変わっている筈ですから・・・・・。 

■■■ 横浜市電の単線区間1962年 ■■■

(1) 高島、桜木町・・・・東横浜でしたっけ?・・・・方面への貨物線の下を、単車500形511が中央市場からやってきました。市電は、いまあmでの下半身ブルー、上半身クリームから、全身クリームに空色の帯に変わっていました。私は、如何も、この、東京都電に似た、お手軽な色が気に入りませんでした。今でも、横浜市電はブルーにクリーム、東京都電はグリーンにクリームと、つぶやいて居るのです。
 グーグルのストリートビューで見たら、この右上の踏み切りも健在でした。もっとも、電化されていますが・・・・。
 あ、そうだ、路面にもご注意ください。角石だか、煉瓦だかが敷き詰められています。
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(2) 電車部分をクロースアップ。そうそう、系統板の下の広告は、「コーエキ」さんが多かったなあ
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(3) ライトバンが気になったので拡大してみました。何でしょう?バックの扉が観音開きです。私にはわからないのでクイズにしてしまいます。(笑)
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(4) 電車はそのまま、神奈川会館前方面に走ってゆきます。昭和30年代の横浜の風景の印象そのままの風景です。私の住んでいた六角橋もこんな感じ。
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(5) 電車部分の拡大です。
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(6) 歩道部分に作られた「屋根」は、私が昭和36年に住むようになった横浜で、もっとも印象付けられたものです。各々の商店が個別で自費で作っていたのではないか?と思っていますが、本当のことは判りません。
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(7) さくら旅館と小林質店の間のビルが神奈川会館だと思われます。この建物は今は無く、神奈川公園という公園となっています。そして、その向こうの国道一号線には高速道路が出来ています。正面の5階建てのビルは何だかわかりません。
 仲良くお尻を並べた軽三輪と軽四輪が可愛いですね。右奥にはオート三輪も居るし、懐かしい自動車風景です。
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coffee_misdo_2.gif こんなところで、今日のブログはオシマイです・・・・では、また!!


タグ:横浜市電
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鈴木光太郎

(3)写真のライトバンはトヨペットマスターラインじゃないかと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/driverweb/diary/200802060000/
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/29/0000197329/99/imgfa12df45zikfzj.jpeg
↑窓の数が違いますが、腰板後部のサーフライン?が同じです。
by 鈴木光太郎 (2010-01-29 10:06) 

む〜さん

■■ 鈴木光太郎様:
 マスターラインでしたか・・・・有難う御座いました。
 私が当時、会社で乗っていたマスターラインは、テールゲートが跳ね上げ式でしたが、このあとのバージョンらしかったです。エンジンの排気容量が1500ccだったかな?ハンドルの真ん中に同心円状のでっかいホーンリングがついていました。鳴らすのが当たり前の時代でしたね。
 それにしても、なんでこんな場所に止めてるのでしょうね。のんびりしていた時代でしたから、何処に止めてもOKで、銀座や中華街で、お店の前に車とめて食事しても怒られませんでした。それも、40年代には罰金と云う事になりました。(笑)
by む〜さん (2010-01-29 10:36) 

G20

神奈川新町に横浜市電の、架線ポールが一本だけ、三年位前まで残っていました。
by G20 (2010-01-29 18:17) 

む〜さん

■■ G20様:
 鋳鉄かなんかの柱で、赤茶色に塗られていた記憶があります。
 今でも、東神奈川駅西口の国道と線路との間に『怪しい柱』が一本建っています。以前から気になって居るのですが、確認のしようもありません。
by む〜さん (2010-01-29 20:08) 

Cedar

ハマの市電は東京とは全く雰囲気が違いましたね、どちらかといえば関西の匂いが・・・同じ港町の神戸市電みたいな感じでしょうか。
写真の500型は随分と後まで頑張っていた単車です。滝頭の保存館にブルーとクリームの姿で保存されているらしいですね。横浜に行くとわざわざ単車を待って乗り、独特のピッチングを楽しんだものです。

歩道の「屋根」も横浜独特のものですね。子供の頃は「アメリカ人も多いから町まで西部劇みたい」と思っておりました(笑い)。
by Cedar (2010-01-29 20:35) 

じろっち

横浜市電は、磯子区の滝頭に市電記念館があるので、当時の実車を見学することができますよ!

さいきんは、乗車可能な車両の窓をモニターにして「昭和30年代の横浜体験」も可能になりました。
私は実体験は無いんですけど・・・

市電が廃止される時は、軌道の敷石を希望者に配付したようで、我が家の庭石は、市電の敷石らしいです。
レールも裁断して配付したようで、短いレールもありました。
今では行方不明ですが・・・

今日、帰宅電車で泥酔で倒れた客が出ました。
その際SOSボタンを押した人がいたんですが、警報音が鳴り、車掌と会話できるようになるんですね。

それにしても、今は頼りになる駅員が少ないですねえ。
誰も来ませんでした。
それでいいのかJR?
by じろっち (2010-01-29 23:34) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 昭和36年に結婚して六角橋の四畳半の4軒長屋が新居でした。トイレはありましたがお風呂は銭湯です。まるで、「神田川」の世界でした。そんな頃、横浜市電は単車天国、ダブルルーフの400、丸屋根の500、600、木造車700、見たことは無かったけれど800ってのもあったようです。そんな単車たちが街を駆け回って居りました。私のHPにハマ市電の紹介ページがあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link136.html
 歩道の、屋根は、始めてみたときは、雪国の「雁木」だなあと思ったものです。そうか!西部劇って見方もあったんですね。感服。
■■ じろっち様:
 滝頭の市電保存館、まだ見ていないのです。困った元・横浜市民にして、横浜市電ファンの私です。(笑)地下鉄の吉野町から1.7km、JR根岸線の根岸から1.3km、いいお日和なら歩く距離ですね。先だって見に行く計画を立てましたが、新型インフルエンザが流行はじめた頃で、怖くて断念し、そのままになっています。いい季節になったら行こうと思うのです。
by む〜さん (2010-01-30 00:24) 

quatre-l

「とんかつ 味の関所」さんは、今も営業されていらっしゃるようです。
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1402/A140212/14026386/dtlrvwlst/

二軸の電車。
いったいどんな乗り心地だったでしょうか。
いいなぁ~~~。
涙が出ちゃいますね。
by quatre-l (2010-01-30 00:27) 

じろっち

鉄道写真趣味にも色々なタイプがありますが、「ゆる鉄」という方もいらっしゃるんですねえ。

ゆる鉄とは、車両や施設を必ずしもファインダーの主役にしないという撮影で、ものによっては鉄道写真に見えない場合もあります。

むーさんの撮りかたも、ゆる鉄に近いかと思います。

今夜19時からエフエムヨコハマで、ゆる鉄の第一人者?の方が出演する番組がありますよ!
by じろっち (2010-01-30 05:50) 

じろっち

昔の写真を見ると、自動車が少ないですねえ。
写っていても、業務車両が大半。
昔は経済的に私用の自動車を買える人が少なかったので、私用と業務用を兼用できるクルマが多かったんです。
今はそのテのクルマが無くなりましたが、経済的困窮は復活したので、もしかしたらプリウス・バンが登場するかもしれませんよ。
(ワゴンは登場するようです)

大通りに面したお店の私的屋根、たしかにありますねえ。
再開発が進行していない地域で、老朽化した屋根を見ますよ。
屋根だけでなく、路面も私物化して独自舗装?を行っている店があります。

弘明寺は栄えていたんですねえ。
どうして寂れてしまったんでしょう?
京急が上大岡を優先させたから、かな?
長後も、湘南台に繁栄を奪われてしまいましたねえ。
by じろっち (2010-01-30 06:06) 

む〜さん

■■ quatre-l様:
 「とんかつ 味の関所」さん、盛業中のようで結構ですね。50年以上の営業実績というのは立派なものですね。早速、Google MapとStreetViewで見てみましたら、まさにこの場所。ちょっと、感動しました。
 二軸の電車、横浜に住んでいた頃はよく乗りました。運転台の後辺りだと、かなり上下動、そして車体の中心を軸とした円運動を感じます。運転台の後の何処かにつかまって、その乗り心地を体に記録しようとしていましたが、50年経つと、殆ど薄れて居ます。
■■ じろっち様:
 鉄道写真趣味のタイプといいますが、私の場合はあんまり固定しては居ません。その場の雰囲気を記録するケースと、車輌・施設を記録するケース、様々です。
 カメラの性能上の理由で、周辺が写ってしまうというケースもあったりします。愛機だったオリンパス35のファインダーと40mmレンズの関係もそうでした。逆に、不必要なものが写りこんでしまったことが、後になっていい結果になっていることも多かったです。
 そして、「ゆる鉄」の分類名称は私自身では名乗りたくない響きだなあ・・・・・。(笑)
 昭和30年代の中ごろまで車を持つって事は中々出来ませんでした。と、云う事は、街を走る車は「会社の車」が多かった。で、駐車もスペースが沢山あって自由自在でした。中華街でXX飯店のまん前に駐車して食事したって警察さんに罰金取られるなんてこともありませんでした。
 横浜の歩道の屋根はまだ見られることもありますね。あれを見ると、横浜に住んでいた若かった頃を思い出して、しんみりしてしまいます。(これを書き込んで居ても・・・・・少々、涙!)
by む〜さん (2010-01-30 06:22) 

む〜さん

■■ じろっち様へ追伸:
 >> 「昔の写真を見ると、自動車が少ないですねえ。」ですけれど、サラリーマン二年生の私がカメラ持ってのお出かけは、間違いなく日曜日です。(わが社には、当時はまだ土曜日休日なんて無かったんです)
 日曜日ということは、市場はお休みで、車の数が少なかった・・・・と、いう事もあります。
by む〜さん (2010-01-30 10:04) 

'80XE PA96E

こんにちは。コメント出すのは久しぶりです。
昨年不幸があり、落ち着かない日々を過ごしてました。
市電は広島では良く利用してましたが、街中の機関としては便利ですね。どんどん減ってるのが残念です。堺のLRTの計画も予算の関係で流れたようですしね。
またコメントよさせてもらいますね。
by '80XE PA96E (2010-01-30 12:12) 

'80XE  PA96E

昼間のコメントに書き忘れてました。本日は上京してます。明日お台場のイベントの手伝いで車乗合いで出てきました。途中の富士山の眺めは良かったです。
by '80XE PA96E (2010-01-30 19:01) 

じろっち

いわゆる愛車が登場したのは、トヨタのパブリカ以降でしょうね。
パブリカという車名自体が大衆車ですから。

栃木県茂木町にあるツインリンクもてぎの中に、ホンダコレクションホールがあります。
ここに行くと、昭和30年代の2輪・4輪を見ることができますよ。
ホンダ車以外も展示されています。

真岡鉄道体験と一緒にいかがですか?
by じろっち (2010-01-30 21:55) 

ファジー

当時の町の風情が満載ですね。
歩道と車道の境目に、限りなく当時を思い出します。
目頭が滲みました・・・ありがとうございました。
by ファジー (2010-01-30 22:04) 

じろっち

私の自宅の近所に、歴代2ドアサニーに乗り続けた方がいました。
乗用車が国民に身近な存在になったのは、サニー登場以降でしょうね。
そのサニーもティーダに変わってしまいました。

もはや本家を失ってしまったサニートラックは、ニッサンミニトラックに改称しても良いんじゃないかと思います。
けど、新型が出ないのは、なんでだろう?
もう、ボンネット型トラックが新車で欲しい人なんて居ないんですかねえ?
私物輸送車としての魅力はあると思うんですが。
積荷はオートバイ・マリン用品・スキー用具・ラジコンなどでしょうか。
by じろっち (2010-01-31 06:12) 

む〜さん

■■ '80XE_PA96E様:
 お久しぶりです。昨年は大変だったですね。今年もコメント頂戴致したく思って居ります。
 お仕事で東京にいらっしゃるのですね。出張はなかなか電車にお目にかかれませんが、ちょっとでも、会えたりすると嬉しいものですね。考えてむると、定年退職後12年、ときどきあった出張も、持ち前の「潔癖症」で、カメラを持たないことが多かったです。いま、悔やんでも遅いけど・・・・。
■■ じろっち様:
 パブリカ・・・・懐かしい響きです。パブリカのバンが会社にありまして、某社の名前が大きく入っていました。朝、エンジンの掛かりが悪く、プラグを外して布で拭ったり、始動に苦労しました。初期の空冷700ccの時代でした。
 ツインリンクって茂木の駅から遠いんでしょうね。アクセスなど如何なっているのでしょうか?もう、あの辺りですと、車で行く元気もありません。流山の親戚宅に泊まり、関東鉄道で下館、そこから真岡鉄道で、茂木でしょうね。車でないと益子でおりて焼き物買ってくるわけにも行きませんが・・・・。
 そういえば、ピックアップは最近新車見ませんね。「好きな若者」が趣味で乗っていたり、仕事で昔のを使い続けてるのが多いように見えます。
■■ ファジー様:
 昭和の中ごろって、街の風景や、人々の気風に、まだまだ、明治大正の名残があったりしていましたね。みんな、ゆっくり生活を楽しんでいた気がします。
 電車の脇に、たまたま移りこんだ、人・モノ・風景に、見入ってしまうことがありますね。
by む〜さん (2010-01-31 10:21) 

じろっち

茂木駅からツインリンクもてぎは歩ける距離ではありません。
駅とツインリンクを結ぶバスは有りますが、利用したことが無いので、詳細は知りません。
たしか町営バスなので、市役所に問い合わせすると分かるんじゃないでしょうか。
by じろっち (2010-01-31 22:01) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 やはり皆さん、車で行かれるんでしょうね。地図で調べたら直線距離で4km、道なりで5km以上あります。ツインリンクは諦めて、真岡鉄道乗車だけで、良しとしましょう。
by む〜さん (2010-01-31 22:56) 

巽孝一郎

小林質店とさくら旅館のすぐそばに終点の神奈川会館前からは歩いて焼く何分かかりますかとのことです、
by 巽孝一郎 (2010-02-05 10:15) 

む〜さん

■■ 巽孝一郎様:
 第一京浜国道から神奈川会館の角を東南に入って200m余が、この写真(7)の撮影地点ですから、2分くらいなものでしょう。
by む〜さん (2010-02-05 11:34) 

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