2001年箱根登山への旅 [小田急・江ノ電・箱根登山]
十年ひと昔・・・・・で、2001年の事ですから、昔とは言え無いですね(笑)。ネタが無いので、無理やり昔のデジカメ画像データを引っ張り出してきました。以前、公開済みだった気がするけれど、ご容赦下さいね。
■■■ 2001年・箱根登山への旅 ■■■
S.キューブリックの映画みたいな表題になりましたけれど、わざと似たように名付けたのかも知れません。逆に「箱根登山2001年」にしたら、光瀬 龍になってしまいますが・・・・。
2001年2月19日の事でした。なんとなく、箱根湯本へ行って温泉饅頭を食べてこよう・・・そんな気持ちになったのです。町田の駅から小田急ロマンスカーで出発です。
(1) 9時54分発、サポート11号・・・・変な名前ですが当時はこんな妙な名の特急があったのです。電車はHiSE10000で、座席は展望室の前から三列目でした。電車は相模川を渡ります。前に各停でも詰まっているのでしょうか・・・・・。
(2) 箱根湯本に着きました。今日は、お饅頭屋さんの二階、このお店でお饅頭とお茶で登山電車を眺めましょう。たぶん、いまでもこのお店、あると思うのですが、分かりません。あって欲しいです。
(3) 450円でしたが、現在は分かりません。
(4) 大きな窓はワイヤー入りの硝子なのでしょう、縦線が入っています。山から登山電車が下りてきました。電車は2000かな?Mc+M+Mcの三連。真っ赤ななのはレーティッシュ鉄道に合わせたのでしょうか・・・・。
(5) (4)の電車が右へ通り過ぎてゆきます。
(6) こんどは、古いタイプの登山電車。左の二両が片運、右が両運です。何型か調べるのも億劫なので放置。このタイプの電車、殆どがカルダンドライブ化され、吊り掛けは何両も無いとの事。吊り掛けの電制サウンドを聴くのも、なかなか難しい時代になりました。
先般、登山電車の窓から見たのですが、この広場に何やら建ちまして視界が悪くなっておりました。もし、このお店に入ったとしても、電車が良く見えなくなっているのではないかと、気になって居ます。
(7) お茶とお饅頭で、そうは粘れません。程ほどで、引き上げです。箱根湯本駅にきましたら、登山電車と小田急5000の急行が居ます。係員さんが水槽に給水作業。
まあ、こうやって眺めていると、今も、9年前も、そんなに変わらない電車たちですね。箱根湯本駅は綺麗になったらしいけれど。
(8) たしかこの新宿行急行で小田原へきました。小田原駅の駅舎、右端の大雄山の駅舎。みんな取り壊されて新しい駅ビルが建ち、駅そのものは橋上駅となっています。
(9) 大雄山の駅舎はこんな形でした。伊豆箱根電車と書かずに、大雄山線と書くのは関東の私鉄の慣わしですね。関西ではこうは書かないでしょうね。
小田原からの帰りは、小田急特急ロマンスカーはこね16号で、LSE7000でありました。お昼ごはんを町田で食べてますから、ずいぶん早く帰ってきたものです。
こんな絵葉書で写真展のご案内を頂きました。
■■■ 鉄道写真展(鉄道写真七人会) ■■■
毎年、ここJR横浜線相模原駅のビルで開催される、「鉄道写真七人会」の鉄道写真展。なんとか、時間を作って見に行こうと思っています。
(A) ハガキにはこんな素敵な写真が印刷されて居ります。
(B) (A)の大きさですとデータが見難いので拡大。
(C) 葉書の宛名面の案内文。
(D) 展覧会の詳細はホームページをご覧下さい。
皆様、ご都合がよろしければ是非、お出掛け下さい。近くにはいろいろと電車も走って居りますので、そちらも楽しいですよ。
今日のブログは、これでお終いと致します。
展望席、ロマンスカーの醍醐味ですね。
中学生のとき、友人数人と一番前に乗って、
はしゃいだ記憶がありますが、楽しかった想い出です。
by manamana (2010-06-24 06:02)
■■ manamana様:
このHiSE1000、4本あったんですが二本は長野電鉄に編成短縮されてお嫁に行きました。先頭の展望室に乗った年配のお客さん、大はしゃぎでした。
子供は今でも前方の眺めが好きですね。昔の電車には運転席と客室が棒一本で仕切れて居るだけってのがありましたが、ガキ時代の私、そんなとき、もう運転手さんと一体になって夢中で前方を見ていました。
by む〜さん (2010-06-24 08:38)
箱根登山や小田原周辺もしばらくご無さたしています。
(4)~(6)のお写真は湯本駅を出てすぐ80‰にかかるところですね、縦曲線が画面でもはっきりわかります。よほどのローカル線で無い限り、線路脇が広く写真が撮れる場所って少なくなっています。拙ブログでもそんな場所を最新記事に取り上げました。
by Cedar (2010-06-24 14:08)
小田原駅も今ではすっかり様変わりしてしまったのでしょうね。
登山線の電車は箱根湯本駅より下には来なくなってしまったのでしたっけ?
帰省の際にはいつも小田原駅で新幹線や東海道線に乗り換えていたのでとても懐かしいです。また大学の同級生が小田原に住んでいたのでよく泊めてもらいました。
by 野良猫次郎 (2010-06-24 15:12)
箱根登山電車には先日乗ってきました。
懐かしい写真を拝見できてうれしいです。
102は2002年に引退しましたね
今は103+107と104+106が現役で走っています
昭和25年製なので還暦ですね。
103+107は吊り掛けで104+106はカルダン化されました
扇風機や冷房は無いので窓を開けて自然を楽しめます
蒸し暑いときは大変です~笑
新型は冷房完備で快適ですが、、、
箱根登山電車を楽しむならやはり103ですね。
by ふるどん。 (2010-06-24 17:39)
一昨日こんな番組やってました。
たまにはラリック美術館のオリエント急行でゆっくり食事したいものです。
富士屋ホテルの花御殿に泊まって(^^
http://www.bs4.jp/guide/entame/burabura_art/onair/06/index.html
こんな写真展もある様で。
http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/ginzatetsudo.html
by gop (2010-06-24 18:02)
小田原駅が地上駅舎だった頃は、東海道線から新幹線に乗り換えるのに難儀しました。
たしか、小田急施設内通行も可能だったような・・・
東海道線と小田急の位置を逆にすれば良かったのにねえ。
by じろっち (2010-06-24 21:41)
■■ Cedar様:
昔の箱根登山の湯本までは田圃に山、線路の回りは広々していましたが、今は、そうは行きません。
最近気になっているのは、箱根登山の『踏み切りの名称』でして、全線分のコレクションをしたら面白そうだなあと思っています。
箱根湯本駅を出た登山電車はいきなり千分の80の上りに掛かります。前面に立ちはだかった線路の壁に、最初は、うへ~っと思いましたね。
■■ 野良猫次郎様:
箱根登山電車が小田原に来なくなってどの位になるでしょう・・・・そんなに古い話ではありません。最初は朝夕だけになり、そのうちに一日中、来なくなりました。替わって小田急の1000が赤いラッピングで登山電車の雰囲気だけ出しています。『でも、20mだし、感じ出ないなあ』と思って居ります。
■■ ふるどん様:
そうですか・・・・吊り掛けは二両・・・・。う~む、余程、運が良くないと『吊り掛け電制音』は無理のようですね。
そういえば、大昔のBBCのごっつい台車も何時の間にか東急車輛の台車に替わりましたね。
■■ gop様:
ラリック美術館・・・一度行ってみたいとは思っているのですが、オリエント急行用車輌でのお食事は少々お高いようで、いままで、敬遠しておりました。やはり、車利用でしょうね。
■■ じろっち様:
小田急の電車を降りて改札を通り国鉄の地下道を抜けて外へ出る構造だった気がしますが、あそこは、改造が多く、記憶もあやふやです。小田急の構内改札の前にアート珈琲があって、ときどきお茶した記憶もあります。
本屋の出札で切符を買って改札を通ると、地下道になる・・・・あのあたりの雰囲気は地方の大駅って感じで好きでしたね。
by む〜さん (2010-06-25 09:09)
もしかしたら、小田原駅も、着工期には設置予定程度の扱いだったのかもしれませんね。
予算付けの段階から、小田原駅が決定事項だったら、小田急駅の真上に東海道線駅を移設させて、乗換えをスムーズにすると同時に、東海道線があった場所に新駅舎を設置する、という工事をしていたと思います。
ホームも、4列車が同時に到着可能だったかもしれませんよ。
かつてのターミナル駅の国府津・土地に余裕があった鴨宮を、新小田原とした可能性もありますけどね。
by じろっち (2010-06-25 10:43)
■■ じろっち様:
東京方面からのルートを見ると、小田原駅の山側に千節sるのが妥当で、これでよかったと思います。在来線も橋上駅となり、利便性は向上しましたし・・・・。
それにしても、小田原駅から登山電車が消えたのは、小学校時代からのお馴染みだった事もあり実に寂しい事です。
by む〜さん (2010-06-26 08:42)