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昭和35年東海道各駅停車の旅(4) [東海道本線各停旅1960年]

朝に書く日記ってのも少々変だけど、このブログ、『β版』の所為か深夜はアップロードに失敗する事があるので、何時も翌朝になっちゃう。

5月26日金曜日(昨日だね)は、全然、電車にかすりもしない一日であった。こんな日も珍しい。
午後、社交ダンスの練習日なので、ちょっとそこまで出かけて2時間ほど駆け回って、やたらと疲れて帰ってきたんです。二時間っぽっちで、だあ~ッというほど疲れちゃあいけません。わたし的に「歳」なんでしょうなあ。まあ、歳に逃げっちゃあいけませんが・・・・。

さて、昨日の続き・・・・・。しょっちゅう脱線するのは年寄だなんて言われますが、1950年代末ごろ、京浜エリアで当時の「ラジオ関東」(いまラジオ日本)で、22時過ぎに『昨日の続き』ってトーク番組やってたのを思い出した。永 六輔とか、出てたけど。その番組の次の番組のスポンサーが京浜急行の「ミュージックトレイン」だった。
なんだか、思い出ばかりで、しかもどんどん主題からずれて行く。これも爺さんだなあ・・・・もう止めますね。

いよいよ、本題。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

私が東京駅から乗って来た、大阪行きの普通客車列車123列車は、平塚を出て、大磯に到着しました。発車は7時18分。すれ違いの上り電車は、小田原発東京行828電車7時18分発です。
 

二宮駅は7時25分発になります。上り電車は島田発東京行832電車7時26分発。

国府津です。大昔の東海道本線、いまの御殿場線の分岐駅。発車は7時32分です。当時はまだ、扇形庫もあって、D52が沢山居ましたっけ・・・でも、今回は写真、撮ってません。

鴨宮駅です。前に書いた岩波写真文庫『汽車の窓から』に、鴨宮は、物指の産地と書いてあったなあ。もちろん伝統産業なんですから竹製ですね。いまでも、造ってるんだろうか・・・・。

そして、新幹線建設のときには、最初の車両基地になりました。後に基地見学に行って、試験用車両に接し、感動した事もありました。123列車の発車は7時37分。

さあ、7時41分着小田原駅に到着です。上りのホームには通勤客が大勢並んでおります。右に見える小田急のホームも、今の姿を想像できないたたずまいです。

小田急側では「〒マーク」も誇らしげにデユニ1002が入換中でした。小さな体にでっかいパンタ、床下機器いっぱいの可愛い電車でした。

駿豆鉄道・・・・今の伊豆箱根、大雄山線の電車(拡大するとナンバーは30番台に読めるけれど、ボケてる)と、クハ153が居ますね~、1958年(昭和33年)のデビューですから、まだ2年しか経っていません。

今では橋上駅となってますが・・・・・国鉄小田原駅の下りホーム。

私の乗った、大阪行き普通列車123列車は7時43分発車です。

また明日に続きます。湯河原あたりまで行けるでしょうか・・・・・。


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岸田法眼

こんにちは、関連記事欄からまいりました。
モノクロ画像を見ていると、高度経済成長期の証みたいなものを感じます。これからも“古きよき時代”の画像のアップを心待ちにしております。
by 岸田法眼 (2006-05-27 15:07) 

ヒロクン

どれも僕をこの時代に誘ってくれます。
どの駅も今の通勤駅の都会的な雰囲気はなくずいぶん遠い田舎のローカル駅って感じですが実は小田原だったりして。
伊豆箱根の大雄山線のこの車輌当時大阪にいたので見覚えあります。(列車の窓からですが)
最後部車の煙のようなものスチームのゆげでしょうか。
次はいよいよ熱海でしょうか、楽しみです。
by ヒロクン (2006-05-31 20:09) 

む〜さん

蒸気暖房の蒸気です。冬の列車の旅の風物詩。
by む〜さん (2006-05-31 20:33) 

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