昭和51年関西電車観光(11) [関西電車旅1976年]
今朝も、引き続き『1976年(昭和51年)9月の4日~5日(土曜日・日曜日):関西電車見物の旅第11回』。
今回は阪急電車の2回目で、これで阪急編はお終い。9月5日撮影の写真。
■ 阪急電鉄(その2・終) ■
宝塚線の庄内駅から十三で京都線の普通電車に乗り換えまして、良い光線状態の駅を探します。千里山線ノ接続駅、淡路駅を過ぎ幾つか行った駅『上新庄駅』が良さそうなので下車。宝塚線の庄内駅にも『庄の字』が付いてたなあと今になって思ったりします。関係無いけれど・・・・こう言うのを偶然の一致って言うんですね。
大阪方面行きホームの端に陣取って京都方面行き電車を待ちます。
(1)河原町行き普通電車2300系の2327。
(2)河原町行き急行:2000系2050。オートカーでしたっけ?
(3)河原町行き急行の2000系2020。パンタの一方を畳んでいます。
(4)やってきました2800形の特急河原町行。特急の板を左右に2枚、誇らしげに装着し、二つともパンタを上げ、いやまあ、その格好の良いこと!
ここまで来た甲斐があったというものです。
(5)地下鉄堺筋線から来た高槻市行きの大阪市営地下鉄6000系。
これで、阪急での撮影を終わり、京都に行くために一旦、梅田に戻って淀屋橋から京阪の特急に乗っています。カセットテープに残した京阪特急の車内音が、そんな行動を記録しています。やっぱり旅・撮影のメモは必要不可欠ですね。皆さん!ちゃんと記録してますか?30年も経てば忘れっちゃうんですよ~!!!
「2800」の特急、本当にカッコよかった。「私が特急です!!」といわんばかりの2枚方向板!無駄の無い洗練されたスタイル。定速度制御を備えた優秀車でした。当たり前ですが、十三⇔大宮間無停車というのもすごかった。
大阪市交の「60」も好きでした。万国博開催の前年に開業した地下鉄堺筋線。大阪初のパンタ集電の地下鉄。シートの張り地が3種類ありまして、レザーコチコチ!とそれを一人分づつに区切ったもの。そして1編成だけモケットがあったように記憶しています。前面スタイルも最上部までガラスという斬新なもの。ほっぺの赤色は、後に茶色になりました。冷改もされたのですが、つい先年引退しました。
ところで、京都線を走る2000は、貴重な写真ではないでしょうか?本来は神宝線用ですが、車輛運用の都合で一時期だけ京都線を走っていたようです。私も見たことがありません。ご存知の方がおられましたら、御教授下さい。
by のり (2006-07-09 11:32)
そうなんですか。。
市交60系って引退してたんですね。
知りませんでした。
結構好きな電車だったので、残念です。
71年だったかのTMSに60系の製作記事(すばらしい模型でした)があり、実物を見に行った事を覚えています。
当時中2だったワタシは、ホントに見に行っただけでした・・・。(笑)
写真を撮ったのは、ずいぶん後になってからです。
おそまつ
by M3Go (2006-07-09 22:02)
その模型って、ひょっとして「アルミ素材」で製作されたものではないでしょうか?だとしたら覚えております。たしか、梅田旭屋書店にあった「マッハ模型」(当時は5階)に陳列してあったように記憶しておりますが・・・
もしそれだとすれば、本当に素晴らしい模型でした。
記憶違いではない事を祈るだけですが・・・(なにせ30年以上も前の御話しなもので・・・)
by のり (2006-07-10 08:46)