小田急1972年 [小田急・江ノ電・箱根登山]
昨日は、鉄道から離れたお話になってしまいましたが、また鉄道ネタです。
30年以上前のスライドフィルム、いつもの通り、何年何月撮影とのメモもついていません。そのなかに『鉄道の写真』が4駒ありました。
例によって我が家の写真鑑定家・・・・家内だね・・・・に相談、子供の写っている駒を見せて鑑定を仰いだものです。鑑定結果は次男が2歳台、長男は小学校入ってる?って感じとの事。
他の駒で写っている、民家の庭の柿の木は葉が落ちて赤い実が一杯、楢かケヤキとおぼしき木には葉がある、さくらの木は葉が少ない。そんな事で、1972年(昭和47年)の11月あたりかな?と言うことになりました。
二人の子供を連れて、当時乗っていた、SUBARU-Rex(360ccで、オイル分離式の2サイクル機関付き)で家からさほど離れていない、小田急の線路際に電車見物に来ました。
線路と道路を隔てる柵も当時は無くのんびりしたものです。
(1) 5000系の小田原行き各停。玉川学園前駅を出た四両編成の電車は、新原町田駅(1976年に町田駅に改称)に向かいます。
この場所は、柵をつければ、今とあまり雰囲気は違いません。
(2) 新宿行きの特急ロマンスカー3000系。ロマンスカーはやっぱり、この形式、このカラーだなあと思う私。実にスマートではありませんか!
別の日、やっぱり二人の子供を連れて、小田急の江ノ島線、高座渋谷駅まで行っています。この時のことはチョッピリだけ記憶にあるのです。新幹線を見に行ったんです。新幹線は開業後、8年経っていましたが、まだまだ子供たちの憧れでもありました。
(3) その新幹線です。当然、何時ごろか、何号かは判りません。東京行きという事は確実ですが・・・・・。
何故か、その帰り道、東林間駅で降りています。ホームから電車を撮ろうと思ったのかもしれませんが、電車は写っていません。
持っていったカメラは、ミノルタSR-1でロッコールF1.8/55ミリレンズ付き。良く売れたカメラで、中古市場でちっとも高くならないので、少々、ガッカリしたりしますが、私の最初の一眼レフでもあり、手放せません。もうシャター幕の護謨引き布地も、駄目になっている事でしょう。シャター音が矢鱈と大きく、周囲に気兼ねしてしまうカメラでしたが、ずいぶんお世話になりました。
なんとか、ネタも見つけて、無事、更新。
次回も鉄道ネタでお目に掛かりましょう!!
おはようございます。久しぶりに好い天気になりました。
線路脇に柵の無い画像を見ると、写真撮影しやすいのはもちろんですが、社会がのんびりしていた、というより大人の社会だったのだなあと改めて感じます。
NSEは、顔が良いだけでなく、全体の姿がきれいなんですよね。
それにしても、奥様の記憶はすごいですね。まさしくホームズなみです。
by no (2006-09-16 09:10)
線路は、危険で入ってはならない場所と言う事を皆が知っていたのです。立て札も、柵も要らなかったのです。
その通り!大人の社会。
今の大人達は・・・・自分も含めて・・・・子供たちを過保護で育ててしまいました。その子供たちが、いまの現役世代になってきた。なんでも訴訟の米国っぽくなったのかなあ。おっかなくって、とげとげしい。
ホームズと言えば、JTBの『マイロネBOOKS』シリーズの『シャーロック・ホームズの鉄道学(松下了平著』、お読みになられましたでしょうか?ホームズの時代の英国社会、英国鉄道の様子が、面白く読めます。
by む〜さん (2006-09-16 13:01)