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鹿島鉄道の昔:1974(1) [関東の私鉄と公営鉄道]

■ 鹿島鉄道の今年2007年3月廃止は決定したようです。常磐線に接続する私鉄が、先年の日立電鉄に続いて、また消えて行くことになってしまいました。現在、石岡駅を始め沿線には、廃止を惜しんでそのイメージを記録・記憶しようと、鉄道ファンが多く見られるとの事。また、ファンに寛容だった石岡駅構内機関区のファン立ち入りが、危険防止の観点からなのでしょう、禁止されたと聞きます。
■ その鹿島鉄道の前身、関東鉄道鉾田線に1974年のたぶん1月、一寸だけ立ち寄った時の画像です。撮影した枚数は少ないのですが、今回の鉾田駅、次回の巴川駅の二回にわたって、写真をご覧いただきます。
■ この記事はWikipediaを参考にさせていただきましたが、それに拠りますと・・・・・
 ・ 鹿島参宮鉄道として1929年石岡駅~鉾田駅間開通
 ・ 1965年6月1日:関東鉄道となる
 ・ 1979年4月1日:鹿島鉄道となり現在に至る
・・・・・との事です。

 関東鉄道鉾田駅1974年 

 撮影した年月は、当時の私はかなりアバウトでフジクロームのスライドの枠はおろかケースにも日付がありません。幸いな事に、私の子供が写っている駒があります。以前もそうだったようで、家内に画像を見せて鑑定を依頼しました。母は偉大なり・・・・子供の顔、体つき、着ている物、写りこんでいる風物等々、種々のデータから簡単に撮影年月が同定でき、1974年・昭和49年のたぶん1月と言う結論でした。

 当時の愛車、水冷360ccSUBARU-REXの4ドア、一家総出で、今の鹿島鉄道、当時の関東鉄道『鉾田駅』に行っています。そのときの5枚のスライドです。連続写真っぽい一連のショット。

(1) 鉾田駅の構内、石岡駅方向を見ています。まだ、貨物輸送を行っており、数両の有蓋車が居ます。立ち並んだ農業倉庫群、さすがは米どころの終端駅風景であります。倉庫の壁の文字は『くみあい塩安』、右端のトラックはトヨエースでしょうか・・・・?

(2) 列車がやって来ました。オレンジとクリームのツートンカラー、キハ711です。元・三井芦別鉄道キハ100形で1972年に芦別からやって来ました。

(3) キハ711は鉾田駅ホームに入って行きます。左奥には関東鉄道のバスが見え、右端はスカイラインのワゴンでしょうか・・・・。

(4) 鉾田駅ホームには降車したお客さんが沢山見えます。

(5) 貨車をアップで一枚。後ろの倉庫の文字『日本○○新聞』の○○にはどんな文字が入るのでしょう・・・・・・。

■ これだけ撮って、二つ石岡よりの『巴川駅』に移動しています。スライド枠にナンバーはありませんが、逆は無いと思います。そんな記憶も、おぼろげながら無いでもないし・・・・。
 巴川駅での写真・・・・たった4枚・・・・は回をあらためて・・・・。


 ご参考までに・・・・・・・

■ 私のホームページ『む~さんの鉄道風景』から・・・・。
(イ)鹿島参宮鉄道1963年
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link166.html
(ロ)鹿島参宮鉄道1964年
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link132.html

■ 鹿島鉄道の成り立ち、車両など『Wikipedia』の次の記事が参考になります。
(イ)鹿島参宮鉄道、関東鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E9%89%84%E9%81%93
(ロ)鹿島鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E9%89%84%E9%81%93


・・・・・では、また次回。


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コメント 6

gop

この頃の田舎の駅はまだまだ空が広いですね。HP1964年10月にある鉾田駅の機関庫は10年後にもあった様ですが、同じく木造の給水塔は無くなっている様な。
廃止は誠に残念ですが、無くなると聞いて駆けつけるのは本意ではありませので心の中で見送ろうと思います。
無事故で終わって頂ければと。
by gop (2007-01-29 12:39) 

む〜さん

■ gop様: 40年も前、田圃や丘陵地をのんびり走っていた鹿島参宮時代、そして現在の鹿島鉄道もやっぱり、田園地帯をのんびりと走っているようです。
一昨年の春、石岡機関区を訪問しましたが、鹿島鉄道そのものには乗車はしませんでした。廃業までに時間が作れれば、乗るだけは乗ってやらねばと思っております。
by む〜さん (2007-01-29 23:06) 

’80XE PA96E

以前地方路線再生を請け負った両備グループ社長がTVに出ていて、和歌山電鉄(旧南海・貴志川線)とこの鹿島鉄道の双方を番組で紹介してましたが、鹿島の場合は地元の盛り上がりや残そうとする熱意が弱く、経営再建に手を挙げませんでした。
利用者が継続していかない、地方の状況は厳しいですね。特に田舎は車が無いと生活が出来ないですし、車があれば鉄道は利用する必要は無いのですから。
ところで、一昨日は車のイベントを見に久々に上京(お台場まで)してきました。行きは夜行バスでしたが、到着後横須賀線とゆりかもめを利用しました。帰りは、ゆりかもめと山手線(たしか223系)を利用し、700系のぞみにてほぼ日帰り強行スケジュールをこなしてきました。(1本ずらしたら500系だったのですが)
久々に見慣れない車両に乗れて良かったのですが、もっとゆっくりと味わいたかったですね。
by ’80XE PA96E (2007-01-30 00:07) 

quatre-l

群馬でも同様の問題があります。
上信電鉄や上毛電鉄、ちょっと意味合いが異なりますが、わたらせ渓谷鉄道など、地方私鉄の存続意義ですね。
最近、思うのはクルマに代表される「個人」意識と鉄道やバスなどによる「地域」の意識です。

便利で快適な個人優先の社会は、不便で苦労を伴う地域社会を壊してきました。その結果、市民は「パトリ」と呼ばれる帰属意識を欠落させてしまい現代の不毛な社会を作ってしまったのではないか、と。
ひいては、政治家や公務員の倫理観欠如やいじめに代表される子供社会の荒廃に至るまで、おぼろげながら根っこはこのあたりにあるのではないかと。

鹿島鉄道地元民の存続に対する熱意が欠けている、という指摘は鉄道ファンの気持ちとしてのみならず寂しいものがありますね。
by quatre-l (2007-01-30 03:28) 

のり

両備グループの社長のテレビは、私も見ておりました。「かしてつ」の沿線住民には、鉄道の存在自体に興味がなくなってしまっているように見受けられました。
南海貴志川線の問題のターニングポイントは、おそらくNHKの「難問解決・ご近所の底力」で取り上げられたことだったのでしょう。それから、この問題は「存続」という方向へ、大きく動き出したのだと思います。
いずれにしても、地方私鉄は、地元に存在意義が薄れると、悲しい運命をたどってしまいます。寂しいことです。
by のり (2007-01-30 12:34) 

む〜さん

■ やはり沿線の住民にとって必要不可欠で無い鉄道では存続は困難です。車は便利だし、殆どの人が車を運転出来、買える様になったので、こういう状況では、一定量の人員輸送が無ければ成り立たない鉄道は勝ち目は無いでしょう。
大都市近郊通勤輸送、中距離旅客輸送、長距離高速人員輸送あたりでしょうか。また、貨物輸送については、そろそろ、トラック一辺倒から考えなおす時期だと思います。鉄道・トラック分担の輸送体制がいいのでしょうか。

まあ、私は正義、他人の意見は聞きません。権利は有るけど義務は無い。こういう流れになってしまったのは、困った事です。私の次代、次々代の暮らしはどうなって行くのでしょう。
・・・・・なんだか、ギクシャクした、暮らしになるのでしょうか。
by む〜さん (2007-01-31 16:27) 

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