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宇治京都の旅1984年春(3) [1980年代の関西電車]

■ 今日は今のところ良いお天気。今のうちにブログの更新をしようという訳でPCの前にいます。話題は、『宇治京都の旅1984年春』に戻って来て、第三回です。京都、京阪の三条に来ました。今回は、電車写真は僅少で・・・・・・。

 三条から南禅寺&銀閣 

 1984年・昭和59年3月下旬~4月上旬、高校2年から3年への春休み、長男が付き合ってくれた京都の旅です。宇治から中書島で京阪電車急行三条行きの6000系に乗って三条駅に到着。全然、写真が無い。2~3枚欲しいところですが無い。ま、23年後にブログに書くなんて思う訳も無し仕方ないんですが・・・・。

(1) 三条からは、南禅寺へ行く為に京阪の路面電車京津線の普通で蹴上迄乗りました。歩道橋があり『東山区夷町』の文字がありますので、たぶん三条神宮通り交叉点を過ぎた辺り。

 京阪の80形で、当時としては最新の形式。たしか両運・ポール集電時代があった筈です。

(2) 蹴上で降りて、遥か明治の時代、疎水利用で琵琶湖までの船を上下させたインクラインなる産業遺跡をトンネルでくぐって行きました。

(3) 斜め横断のトンネルなので煉瓦を捻って巻く方式だそうで、なんだか面白い。力学的には合理的なんだそうですが、本を読む気力も無く、成る程そうかと納得してしまう私。
 看板の『命令口調』なのは、これだけ見ると凄いです。これは、南禅寺の先にある中学高校の生徒向けの看板なんでしょう。

 政治の中心が東京に移り、京都は工業都市として生きることにしたようで、琵琶湖と京都を疎水で結び、水力で水車を回して動力とし、発電して電灯と、電車を走らせるなど、今考えると随分、物凄い発想転換をしたものだと思います。

(4) そんなわけで、伝統あるお寺の境内に、新幹線か高速道路を通すみたいな、水路橋を作ってしまったのが、南禅寺の『水路閣』なんだそうで、これだけ、時間が流れてしまったので、それなりに調和してしまっているようにも見えますが、如何なものなんでしょうか?私には、判断できません。なにしろ、当時の最新式の建設方式ですから。

(5) 南禅寺境内の写真を三枚。下から眺める水路橋、そして水路端の上の造り・・・・意外と細いので吃驚。左下の庭園は南禅寺エリアのどこかの庭園。
 右下はオマケの湯豆腐昼食で、南禅寺ちかくの名前は忘れたお店でのものです。

(6) さて、南禅寺を見終えて、疎水の流れに沿って、慈照寺銀閣を見に行く。昼頃なので観光客が一杯でした。邪魔なところで威張っているのが40代の私。

■ そういう事で銀閣をでて、当時はまだ京福電鉄の所属だった叡電の出町柳駅まで、確かバス。次回は叡電です。今回は電車写真、たった一枚、申し訳無いですが、次回では埋め合わせ致します。


では、また次回!!!! 


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コメント 6

のり

蹴上の疎水建造物は、壮観ですが、やはり風景になってしまっていますね。
美しい煉瓦積の建造物も少なくなってきました。
最新の建造物であったはずのものが、長い年月の間に風景に溶け込む。
写真家の故入江泰吉さんが、「奈良では、寺院建築が長い年月の間に、そこに山や川があるのと同じように、自然の風景になった。」というようなことを言っておられたのを思い出しました。迫力のある白黒写真と、晩年の優しい写真が思い出されます。
by のり (2007-04-07 08:20) 

む〜さん

■ のり様: 現在の私の目で見て琵琶湖疎水の大構築物は大昔の西洋建造物で『趣があり素敵だなあ!』と思うのですが、建造当時の京都の人々は殆どが容認の方向だったのでしょうか?
 小松左京さんのショートショートで、題名は忘れましたが、奈良の都の建設工事を見て、もともと住んでいた人が、あまりの異国趣味、けばけばしい色彩を嘆くというのがありました。なんとなくうなづけました。
 京都タワー、JR京都駅、等々等々、現代建造物は、あと100年、持つかどうか判りませんが、はたして22世紀人の評価や如何に?などと、思う私です。

 入江泰吉さんの薬師寺の若草山をバックにした遠景写真が近鉄のイメージ写真にあった気がします。思い違いかもしれませんが・・・・。
by む〜さん (2007-04-07 10:00) 

京葉帝都

写真のトンネルの煉瓦の組み方は「ねじりまんぼ」と呼ばれています。斜め方向に掘る時に使われてきたのでしょう。関東大震災以降、煉瓦がトンネルや橋梁には使用されなくなりました。現代には「ねじりまんぼ」のようなアーティステックな施工技術は伝承されていないような気がします。水路閣の美しいアーチは絵になります。小学生の時に蹴上で下車して写生にきました。乗った80系は確か単行でモダンなデザインとカラーリングが印象的でした。
by 京葉帝都 (2007-04-07 19:36) 

なにわ

ポール集電は1970年ごろまでではなかったでしょうか。すれ違う93までが両運転台で製造され、相方の94以降が片運転台でした。93と94の連結面は面白かったです。
歩道橋は右側に見える小学校の児童通学用のために作られたのでしょう。この手の歩道橋は70年代によく造られたようです。京都市電の末期の写真(特に九条通)によく出てきます。

入江泰吉さんと同じアングル、今でも撮れないことはありません。あれは薬師寺から少し西に入ったところにある池のほとりから撮っています。いまでもここから撮っている方がおられます。実は自宅から自転車で15分ほどで行けるのです。
by なにわ (2007-04-07 21:10) 

’80XE PA96E

蹴上に南禅寺、銀閣ですか。歴史観光の有名所ですね。京都は回り切れない位見るところがあるので、何度も来ることができますね。この三箇所は学校の旅行などで行ったことあります。
私も今日は車で、満開の桜を見に行ってました。家から30分位の所に河川沿いにさくら並木が続くところがあり、今まで知らなかったのですが桜名所で見つけて行って見ました。(JR奈良線の玉水駅から歩いて行ける所です。)桜まつりを開催してましたが、田舎なのでひどい人混みはなくよっくり眺めました。時々雨だったのが残念でしたが。
by ’80XE PA96E (2007-04-07 21:46) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 『ねじりまんぽ』って言うんだそうですね。これは、何語?何処方言?なのでしょうか・・・・・不思議な感じの言葉ですね。
 赤レンガの構築物は温かみもあって素敵ですね。昭和30年代までは東京にもぞろぞろあったんですが、いまでは絶滅状態です。耐震性が弱いと聞きますので仕方ないかなあ・・・とは思いますが。
 図工の時間に南禅寺境内で写生ですか・・・・いい環境にいらっしゃったんですね。羨ましいなあ。
■ なにわ様: 80形、あの車体でポール集電、東では江ノ電の500形が似ておりましたね。両方とも好きでした。
 良いところにお住まいなんですね。西ノ京あたりに家が立ち並び、あの風景は消えてしまったかと思いました。よかったよかった。
■ '80XE_PA96E様: 南禅寺はこのときが初めてでしたが、銀閣は中学校の修学旅行で行ったかもしれないし、高校の修学旅行では確実に行きました。なんと、26年ぶりだったんですね。
 今日の午前中、私も花見というか、桜と小田急の写真を撮りに行きました。明日、このブログに出す予定です。
by む〜さん (2007-04-07 22:44) 

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