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宇治京都の旅1984年春(4) [1980年代の関西電車]

■ 朝6時、窓を開ければ外は曇り空。寒くは無さそうだけれど・・・・・。『宇治京都の旅1984年春』の続きを書こうとPC前に座りました。その前に、ブログのコメントチェックと、メールチェック。

 長男と二人の旅、今回は南禅寺~哲学の道~慈照寺銀閣と来て、次ぎは私のリクエスト、京福電鉄鞍馬線(叡山本線も・・・)を見に、乗りに行こうと言うことになりました。

 京福電鉄鞍馬線・叡山本線(1) 

 1984年・昭和59年3月下旬~4月上旬、当時は未だ少年だった、長男の春休み、私に付き合ってくれた京都の旅。慈照寺銀閣から、当時はもう市電はなくなっており、約2キロと言う距離、たぶん市バスに乗って、京福の出町柳の駅までやってきました。写真は撮ってありませんので、確証はありませんが、多分、出町柳。ここから京福電車にのりまして、宝ヶ池まで来ました。ここで、ちょっと下車。ホームから、往来する電車を撮影します。当時は、今みたいな派手な衣装は着ておらず、落ちついた、如何にも古都京都の電車って感じの二色の塗り分けでした。

 宝ヶ池駅で撮影した写真、三回にわたってお送りします。昭和51年以来の訪問なので、当時とかなり変わっているところがあり、年月と言うものを考えてしまいました。一番は、矢張りポール集電からパンタグラフになって居ること。

(1) No.126ですが、デナ21形とのことです。この形式、昭和51年の訪問時には貫通扉はまだ付いておりませんでした。ウインドウシルも無くなって感じが変わっています。八瀬遊園からの出町柳行き。

(2) 八瀬遊園行きのデオ200形204。

(3) デオ300形の302。叡山本線出町柳行き。昭和59年訪問時には出来たての最新式でしたが、勿論、ポール集電。それなりに、大人しい感じの美しい電車でありました。昭和34年ですから、カルダンドライブです。

■ 今回は、ここまで・・・・・・・。


  『叡電』関係の私のホームページとブログが下記URLからご覧になれます。
 ご参考まで・・・・・。

(A) 叡電1959年・昭和34年(ホームページ「む~さんの鉄道風景」)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html

(B) 叡電1976年・昭和51年(ブログ「お出かけ通信:blog版」)
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-07-12
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-07-13


■ 次回は、まだ宝ヶ池駅でのお話が続きます。


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コメント 4

no

こんにちは。
あー、まだ当時は126とか走っていましたね。
混んだ車内で、大阪から来たと思しき若い女性二人連れが車両に感心したのか「大正ロマンやわぁ」と大声で言って、私は笑いをこらえるのに苦労しました。
まあ、確かにそう言いたくなるような、味わいのある車両でした。
京福時代の叡電、鄙びていて好きでした。
by no (2007-04-10 00:45) 

京葉帝都

小学校の遠足で三条から歩いてきて初めて叡山線の出町柳から八瀬遊園まで乗りました。その時の車両がデナ21形。コーナーR付の窓と木で仕上げられた内装はなかなか手の込んだ造りでした。落ち着いた色のツートンカラーは京都の街並に溶け込んでいました。その時は八瀬からケーブルで比叡山延暦寺、ケーブルで坂本へ降り、石坂線で浜大津、京津線で三条、京阪本線のルートを辿りました。
by 京葉帝都 (2007-04-10 03:04) 

’80XE PA96E

この頃は高卒で入社した塚本の会社へ行ってた頃ですね。
叡電は去年イベント見に行くまで利用したことがありませんでした。京阪出町柳からすぐなので利用しやすくなりましたね。これからの時期遊びに行くのには良いですね。
キララも良いですが、古い車両も古都の街並みには似合うので、残して走らせ続けていただきたいですね。
by ’80XE PA96E (2007-04-10 05:23) 

む〜さん

■ no様: う~ん!『大正ロマンやわぁ』と言った方の気持が判る気がします。制服が詰襟だったらなお更そんな感じだったことでしょう。現在の叡電は確かに綺麗な電車ですが、はるばるやってきた旅人には少々、賑やかな車体のような気がします。江ノ電にも通じることですね。
■ 京葉帝都様: 昭和30年春、高校の修学旅行の途中で比叡山に登りました。三条から京阪で浜大津、乗換えて坂本。乗って電車は半鋼、ダブルルーフの15でした。ケーブルで叡山に登ったのですが雲で下界は一寸だけ。八瀬から出町柳までは叡電でデナ1形でした。当時はN電は健在だったし、そこら中に木造車が活躍していました。
■ '80XE_PA96E様: 考えてみると鞍馬も、このときに行っただけ。もう一度行ってみたいと思っています。いつも、あれも見たい、これも見たい、という掛け持ち旅なので、落ち着いて見られません。1週間くらい滞在してみたいものです。時間はたっぷりあるんですが、もう一つの必要品がありません(笑)。
by む〜さん (2007-04-11 09:48) 

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