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関西電車巡り1980年(2) [1980年代の関西電車]

■ 1980年・昭和55年の8月26日(土曜日)~27日(日曜日)の二日間、当時10歳の次男と一緒の「関西電車巡りの旅」
 1980年8月26日(土曜日)、早朝に東京を出て、各停・新幹線・名鉄など、いろいろ取り混ぜの利用で、米原まで来ました。東海道本線の各停電車・・・・たぶん113系・・・・に乗りまして、車窓に近江の風光を眺めながら、東海道本線を下っております。

 石山の京阪電車 

 石山駅で下車、駅前に京阪電車の石山坂本線、京阪石山駅があります。これに乗って京都まで行こうと言うのです。私にとって、石山寺~浜大津間は未乗区間、京阪石山~石山寺間は惜しいけれど次回と言う事にし、今回は、ここ京阪石山から浜大津まで乗ることにして、ホームに入りました。

(1) ホームの時計は、13時46分、石山寺行きの準急電車が来ました。300形の306がアタマで+307との二両編成。確か古い木造車からの鋼体化だと思われますが、台車がブリルMCBだし、私の乏しい資料では、詳しい事はわかりません。

(2) 台車は、ブリル車のMCBです。シンプルでスマートな釣り合い梁式の台車で、私の『昔の電車のイメージ』で、好きな台車です。
 高校時代、HOの電車模型を造ろうと、須田町のカワイモデルで初めて買ったHOの台車が、これでした。一番安かったので買ったという、何を考えてるか、よく判らん買い方です。モーターの取り付けに苦労し、当時の技術レベルでは結局、ダメだった記憶もあります。台車は結局は廃棄、そのカワイL-3三極モーターだけは、53年経過した今でも、我が模型鉄道『城南鉄道』のジ1・・・・西大寺鉄道の単端式気動車のイメージの自由形・・・で元気で動いています。
 まあ、そんな想い出のある、MCBなんですが、実物の世界でも、乗り心地が大変よろしかったと聞いています。私の育った、東京の城南地区ではあまりお目に掛かれなかった気がします。

(3) (1)の電車は石山寺に向けて、小雨の中を走り去って行きます。

(4) 坂本行きの電車が来ました。当時の運転方式を知りませんので、まさか、三条行きではないと思いますが準急、たぶん坂本行きです。さっきの307+306の編成です。時計は調整中の表示があるとはいえ、さっきから6分しか経っていません。もっとも、京阪石山~石山寺間は1.4km、所用3分ほどですので、まあ、不思議ではありませんが・・・・。

■ この電車に乗ったのでしょう。浜大津経由で京都・三条に向いました。次ぎの駒に四宮駅で300形の2連が走り去って行く姿が写っています。浜大津での乗換えがあったのか、無かったのか、全然わからなくなりました。石山寺発、三条行きなんてのがあったのかもしれません。当時の時刻表でもあれば判るのでしょうが・・・・・。

・・・・・では、この続きは次回!!!


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なにわ

京阪300は初代300の機器流用車でした。
306ではなく308ではないでしょうか。私が翌年取ったときには特急色から一般色になっていました。
300は600の一次型(601~608)に車体流用されています。
by なにわ (2007-04-18 19:23) 

manamana

とにかく懐かしい光景なので、nice!
by manamana (2007-04-18 20:42) 

む〜さん

■ なにわ様: う~ん、プリントをよくよく見れば8の様でもあり6にも見えます。1-2、3-4、5-6と来れば『7-8』で『8』がリーズナブルですね。有難う御座いました。
■ manamana様: 今見ますと、ほんとに懐かしいですね。現在は600、700と800ですか・・・・・綺麗にはなったのですが。
by む〜さん (2007-04-18 20:54) 

じろっち

横浜地方裁判所の向かいに、過去の報道記事を豊富に所蔵した施設があります。(閲覧可能)
ビジネス特急誕生!なんて記事もあるかもなあ。
時刻表もあるかもしれません。
家にはむかし、ふつうに買ったんだろう、山陽新幹線が岡山までだった頃の時刻表がありました。
岡山開業時は「ひかりは西へ」という広告がありましたねえ。

九州新幹線全通時は、新大阪~鹿児島中央を走破するタイプが登場するそうです。
その時には九州だけに「たか」(ホーク)が登場するかな?
「はやぶさ」復活・「わしう」(山)も有るかも・・・
by じろっち (2007-04-18 22:56) 

む〜さん

■ じろっち様: 本州九州直通新幹線、わたし的にはやっぱり『つばめ』。『はやぶさ』も悪くないですが・・・・・。でも、何となく飛行機に負けそうな気も、しないでもありません。
by む〜さん (2007-04-19 00:09) 

京葉帝都

子供の頃、宇治平等院〜天が瀬ダム〜石山寺と巡って石山寺から直通急行で三条に向かいました。その時の車両は260系でした。300系も三条乗り入れ可能だったかもしれません。350系は本線の一般車と同色で石山坂本線運用専用だったはずです。当時の浜大津駅は2か所に分かれており、三条〜石山寺を直通する列車はスイッチバックしていました。勾配区間を走行する時は車掌さんがポールが外れないように時々監視していました。当時の京津線の急行は本線の特急と同色。同時期の夕方の本線上り特急は「たそがれショーボート」か「ミシガン」の副標を掲げており、大阪と琵琶湖を結ぶ基幹ルートだったのでしょう。
by 京葉帝都 (2007-04-19 02:37) 

’80XE PA96E

今の600系石坂線のカラーは緑ツートンですが、昔には京阪特急カラーが有ったんですね。1時期ブルーの塗装色もあったような記憶があるのですが、京津線とごっちゃになってよく思い出せません。
ちなみにこの路線は今まで乗ったのは2回ですかね。
by ’80XE PA96E (2007-04-19 04:52) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 宇治から宇治川を遡り、天ヶ瀬~石山というと、京葉帝都様の通った時には、遊覧鉄道、走ってましたか?昔、あったと聞きます。年代の錯誤があるかもしれません。
 石山寺~浜大津~三条間の直通電車は1980年にはあったのでしょうか?全然、記憶が無いのです。
■ '80XE_PA96E様: 赤と黄色の2色の電車は、1954年、京津線初対面の折、急行運転に使っていました。あの名車といわれた60形びわこ号も、その当時は赤と黄色だったのです。その頃、200形という前面5枚窓の玉子形電車もポールを振りたてて、走っていました。
by む〜さん (2007-04-19 23:10) 

京葉帝都

むーさん様、宇治川の遊覧鉄道は元々電力会社の資材運搬路線で軌間610mmで、天ヶ瀬ダム建設工事中の昭和35年に廃止され、ダム湖に沈みました。従って私が宇治川を遡った時には既にありませんでした。戦前には対岸にやはり電力会社の軽便(762mm)の貨物線があったらしいです。石山寺〜三条の直通急行は昭和56年の浜大津駅統合と同時に廃止となりました。びわこ号は小学校の遠足で貸切で乗ったことがあります。(三条〜蹴上)連接部分の鉄パイプの内部のような空間はちょっと無気味でした。
by 京葉帝都 (2007-04-20 01:28) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 昭和35年と言えば私が社会人としてのスタートをした年ですね。大昔の事だったんですね。1980年・・・昭和55年に石山坂本線に乗った私たち、石山寺→三条の準急だった可能性大ですね。次号に出る、四宮駅で三条に向って遠ざかる300形の姿は、その電車だったようですね。
 連接、びわこ号60形に乗られたなんて羨ましき限りです。私も場合は三条の路上で駅から出た電車が右カーブを浜大津に向って行く姿を、カーブの外側から撮影しただけです。大阪天満橋から琵琶湖へ直通する、高速運転と路上走行を両立させた画期的電車!一度は乗りたかったです。
by む〜さん (2007-04-20 08:53) 

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