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休憩室(2)・・・・ひと休み [昔写真関西]

 今日の更新のネタが出て来ません。悪い頭が、更に回らなくなったみたい。やれやれ・・・・。

 今回は、またも一休みしまして、こんな日の為にスキャンしたあった画像を使いましょう。
 今から53年も昔、1954年・昭和29年8月、私はデブの高校二年生、ホームページにも出してあリますが、10日ほど、西宮に住んでいた兄の下宿を基地に、関西の電車乗りまわしの日々。そんな中で写した写真。

 京阪電車です。場所はお分かりでしょうか?未だ、地上時代の守口市駅です。

 三条行きの特急。Mc+Mc、1800形の二連の様です。窓配置が『d2D9D2』は、1700形か1800形、Mc+Mcは1800形・・・・・。 読者さん・・・・モハメイドペーパー楠居様、なにわ様・・・・からのコメントで判明しましたので、緑文字の部分、書き直しました。これが、正しいのです。伝統の鳩マークもきまっております。

 右に見えるのは「超」流線型の2扉転換クロスシート車1000形を両端に、真中のトレーラーの形式はわかりませんが3連。たしか、天満橋から、これに乗って、守口市まで来たみたいな記憶が、ほんの少し残っております。薄汚れてはいましたが、生まれて初めての転換クロスだったので、嬉しくって、背ずりを動かしてみた記憶もあります。

 この写真は、兄のミノルタ-セミP(75ミリ)で写しました。見事なカメラブレ+被写体ブレで車両番号も読めません。シャターの最高速度が200分の1ですし・・・・・。

 この一枚ではちょっと寂しいので、お隣のアジサイをちょっと拝借しました。

 ガクアジサイは、私の好きな花の一つです。

■ 明日のネタも未だ決まっていません。どうなるのでしょうね~?!


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Fuzzy

ここっ、これは凄い!!
流線型の1000系が写っている。
びわこ号より貴重かもしれないですね。

ミノルタセミというのも泣かせます・・・とても渋いです。
当時は、二眼レフのミノルタフレックスのほうがポピュラーだったのではないでしょうか。
by Fuzzy (2007-06-10 09:40) 

京葉帝都

ホント凄い、社史に出てきそうな写真です。守口市駅京都方の踏切から撮影されたのでしょうか。1700系特急は複々線の勾配に向って助走に入っているようです。複々線、駅、踏切、車庫の構図は現在の京成高砂駅に似ています。1700系は3扉化以降に乗りましたが、軽快な外観の車体なのに車掌室がオープンで釣吊けでしたので驚きました。車両間の扉は現在の東京都営地下鉄の車両のように両引分ドアでゴージャスなものがありました。7連化時には、大阪方から1700系2連×2プラス1800系3連を組んでいました。1000系は2扉のままロングシート化され、最大5連で運用されていたのではないかと思います。長いロングシートのつり革は関西流の長いもので、ことに木津川鉄橋から八幡町駅に入る時は線路のカントかきついので、車体が揺れてつり革が網棚に当たりガッチャン、ガッチャンと音を奏でていました。1700系も1000系も内部は立派な木貼りでした。現代では製作は難しいでしょう。淀川を挟んで対岸の阪急がマルーン一色で統一された編成美だったのに対して、昭和40年代半ばまでの京阪は系列は同じでも形式の違った車両を自由自在に編成して運用していました。バラエティー豊かな雑多感が京阪の魅力だったように思えます。
by 京葉帝都 (2007-06-10 13:27) 

モハメイドペーパー楠居

 特急の2連は1800系の1801+1802だと思われます。1700系はMc-Tcの固定で、向きが一定ですからMc-Mcとなることはあり得ません。

 1800系は窓配置が1700系と同じで、試作車である1801+1802のみは例外的にMc-Mcでした。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-06-10 13:34) 

HIRO

流線型の1000型は、以前京阪沿線の森小路にいたとき見たことがあります。
その頃京阪京橋駅はなぜか蒲生(がもう)と呼んでいました。
昭和30年、たしか大阪市電が走っていたときは京橋ー天満橋間で片町駅付近で大阪市電と平面交差していました。
その頃も1000型は天満橋駅ターミナルで見たことがありますし
森小路通過の区急とかいう電車が走っていました。
ちょうど京阪特急が走り始めた頃だと思います。
そんな想い出のこの写真貴重ですね。
僕のブログも近いうちに横浜モノレールとか江ノ電、東急対京急を徹底取材したいと思っています。よろしくお願いします。
by HIRO (2007-06-10 13:56) 

む〜さん

■ ファジー様: びわこ号と較べたら1000形は普通に見られました。昭和30年には、特急の運用すらあったのです。あまりの奇抜な流線型にのけぞりました。
 ミノルタセミPは、いわばスプリングカメラの普及型で、レンジファインダーも無く、接写ではよくピンボケかましました。セミ判で16枚撮り、被写体を選んで撮影するので、35ミリより良い写真が残っています。
■ 京葉帝都様: 転換クロスの1000形と、ロングシートの1100形が在ったらしいのですが、みんなロングになっちゃったんですね。
 吊り革の『ガッチャン現象』は我が生家ちかくの東急池上線でも、良く起こりました。見事に共振して、賑やかでした。いまは、何故か遭遇しませんね。
 京阪1000形・・・・・今日の更新でクロースアップを載せました。
■ モハメイドペーパー楠居様: ミステイクでした。1800形は1700形と同じ車体の17m車でしたね。1810→1900になって18mでした。ご指摘、有難う御座いました。
■ HIRO様: 京阪電車は、阪神、京浜みたいに路面電車の雰囲気の強い車両が多かったですね。救助網とか、カウキャッチャーが付いてたりしました。その所為か、大阪市内京橋、伏見、そして京都鴨川べりで平面交叉がありました。
 大船のモノレールは京浜急行系の有料道路上に敷設され、単線で、トンネルもあり、面白い路線です。江ノ電も含めて、ルポのアップロードをお待ち致して居ります。
by む〜さん (2007-06-10 22:05) 

なにわ

二日拝見するのを忘れていました。目を凝らしてみますと、1802と読み取れます。2000までの京阪電車は、1500、1600、1700などの一部を除いて、奇数三条向き、偶数天満橋向きでありました。
1800はどうやら三条へ向いて走っているようです。この当時の複々線高架区間は守口までで、ここからは複線で地表だったはずです。
1000の中間車は1500とみてまず間違いはないでしょう。止まっている辺りから、車庫、工場は現在京阪百貨店の駐車場となっています。

>HIROさん
蒲生ですが、京阪京橋駅はかつてもう少し東側にあり、さらに地下鉄鶴見緑地線京橋駅の隣の駅が蒲生四丁目であるように、京橋駅東側は蒲生ともともと呼ばれておりました。
by なにわ (2007-06-10 22:29) 

む〜さん

■ なにわ様: カメラブレ、被写体ブレのネガを見てみました。なんとなくですが、1802と読めないでもありません。架線、レールも、言われてみれば三条行きらしく思えます。
 本文を訂正して置きました。的確なアドバイス、感謝です。
by む〜さん (2007-06-10 23:20) 

’80XE PA96E

おはようございます。京阪の記事なのに出遅れました。
昨日は車の集まりで遠出してましたが、行きは雷雨の中の運転でどうなることかと思いましたが、到着後劇的に快復し無事楽しんできました。
守口駅は、通過駅で用事が無い限り降りることは少ないですが、今は京阪百貨店が隣接し、駅中のユニクロもある駅舎に発展しております。
京阪の1つ目ライトの車両は見たこと無いですから、逆に新鮮な感じがしますね。
by ’80XE PA96E (2007-06-11 06:29) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: 京阪も変わりましたね。昭和30年ころは、どっちかというと、あまり綺麗な車はなかった気がします。特に鉄道ファンでない普通の方は、そのように思ったと思われます。そして、1810、1900特急が走り、2000の通勤電車が走るころから、がらりと変わりました。
私は、関西に行きますと、京阪間は余程の事がない限り専ら京阪特急です。
 言われてみれば、何時の間にか、オデコの前照灯×1の電車は減りました。
by む〜さん (2007-06-11 22:36) 

HIRO

なにわさま、
僕の疑問に答えていただいてどうもありがとうございました。
説明不足のところもあり、おっしゃられとおり、たしかに国鉄京橋駅と京阪蒲生駅は東側にあることから乗換えがちょっと歩かなければならず不自由でした。
その頃僕は小学校4年生で父母と一緒に森小路から国鉄京橋を経て心斎橋そごうに出かけ、買い物が済んでから僕は反対方向の電車で帰るので、父母が心配し、大丈夫なのかといわれて鼻高々に、まあ、まかしてと父母の先に立って地下鉄心斎橋から京橋、そして蒲生から京阪で森小路にとただ一周下だけなのに父母は不思議がっていたという話がありました。(笑)
小さい鉄道ファンのはしくれでした。
この場を借りて教えていただきありがとうございました。
by HIRO (2007-06-13 11:14) 

HIRO

む~さまへ
大船モノレールはたしかに路線の傾斜があってトンネルもあり面白いですね。喘息のとき僕は大船から二駅の富士見町で降りておなじみの路線です。
今、まったく元気なので近いうちに江ノ電とかせっとしてブログアップしましょう。たしか5年前、大船ーモノレール江ノ島間全線ビデオカメラで運転室展望を撮ったことがありましたので、これも含めて静止画処理をして公開したいものです。
あと、ゆりかもめも開通すぐに全線ビデオ撮っていますが、沿線風景が激変しているので、行きたいと思っていますが、母の介護があり短時間しか出れず、ブログ更新がなかなか難しいです。
by HIRO (2007-06-14 13:33) 

じろっち

先週の「特急田中3号」に湘南モノレールが登場しました。
大船~湘南江ノ島を何度も往復しながら撮影したようです。

大船~富士見町にある謎の施設あたりから大船観音を望むショットもありました。

現鎌倉市道(旧京急有料道路)は、もともと江ノ電が大船~江ノ島を結ぶ鉄道を敷くために購入したものの認可が下りなかったために道路に変更したそうです。
いつ京急に売却したかは知りませんが、認可されていたら、江ノ電も名鉄の岐阜市内路線みたいな感じになっていたかもしれませんね。

ドリモノは、国鉄大船駅直結を希望したものの、当時の国鉄総裁が認めず、辺鄙な場所に大船駅を設置することになったそうです。
by じろっち (2007-06-14 21:56) 

む〜さん

■ HIRO様: 大船~江ノ島間の湘南モノレールは、京浜急行系の有料道路の上に建設されました。この有料道路、昭和30年代前半頃は未舗装で、そこを通って自転車で江ノ島まで行った事があります。このとき、大船の観音様も拝観しましたが、工事中途で放置されていた感じでした。お胎内にはいると、頭のてっぺんから空が見えていました。無事に完成(観音様のときは完成とは言わないと思うけれど・・・・ごめんなさい)してよかったです。
■ じろっち様: あの有料道路は昭和50年ごろは、途中に料金所があって、料金係のおじさんが居たり居なかったりでした。脇道も多く、地元の方は料金所をパスするテクをお持ちのようでした。腰越とか、三浦半島へ釣りに行ったときなど、ときどき利用しましたっけ。(現在釣り趣味は休業中)
by む〜さん (2007-06-15 17:36) 

じろっち

うちは料金所の近くなんですよ。
あの料金所は、あがりが「日にいくら」と決まっていたそうで、午前の通行量が多いと昼過ぎには撤収してしまったようです。
おそらく会計もどんぶり勘定。
良い時代でした。

その料金所のそばに踏切があったでしょう?
大船工場引込み線のです。
そのそばに地方支線の小駅みたいな工場職員専用駅がありました。
通勤自家用車の普及で、昭和40年代には乗降停車は止めてしまったようで、駅も手入れされず崩壊してしまいました。
あの場所にあった大船警察署は移転し、今は体育館が建っています。
警察の向かいは青果市場でした。
どちらも、あのこじんまりとした土地でよくやっていたなと思ってしまいます。
by じろっち (2007-06-15 23:27) 

む〜さん

■ じろっち様: 踏切があったのは覚えていません。ささやかな商店街にある料金徴収所、なんだか、のんびりした風景でした。係のオジサンもゆったりしてました。大船駅から出た有料道路は横須賀線を橋でわたって行きましたが、あの橋は架け替えられたのでしょうね。
by む〜さん (2007-06-17 05:55) 

じろっち

あの橋は、健在です。
仮設橋が架かることにはなっていますが、移転が必要な方・工事費用が高額なことから、まだまだ現役続行です。
あと10年は、そのままだと思いますよ。
下から見ると、桁ずれ落下防止工事がどうゆうものかが分かります。

非常に旧い橋ですが、重量級の軍用車両の通行を考慮した造りなので、意外と頑強なんですよ。
by じろっち (2007-06-17 06:34) 

む〜さん

■ じろっち様: たしか東海道本線の列車からも見えた気がします。立体交叉の珍しい時代からあるので、子供心にも覚えていて、初めて通ったとき・・・・自転車でした・・・・ちょっぴり感動したものです。50年以上も昔のお話です。
by む〜さん (2007-06-17 08:20) 

じろっち

今は閉まってしまった旧大船工場は、海軍工廠で、魚雷を製造していたんですよ。
その魚雷を輸送するために作った橋みたいです。
橋下の横須賀線も海軍の要請で、なんですよねえ。

そんな鎌倉市域が戦渦を免れた理由は米軍の爆撃阻止地帯だったからです。
日本とアメリカは和親条約を締結した仲なので、破壊したくなかったんでしょうね。
by じろっち (2007-06-17 13:05) 

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