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休憩室(3)・・・・また、お休み [昔写真関西]

 今日も更新ネタ切れで、オマケに、この記事、今朝、アップロードしたとばかり思って居ましたら、未だでした。すいません・・・・そういえば、昨夜のNHK-BS2に、林家三平さん、出てましたね・・・・・うっかりでは、済まされないような気もします。まさか、いよいよ、アレが来ちゃったんじゃあないと思うけれど、歳がトシだし気をつけねばなりません。

・・・・・・・ってわけで、今回も新ネタはお休みで、『超古写真』でお茶を濁します。

 今から53年も昔、1954年・昭和29年8月、関西の電車乗りまわしをやってましたが、そんな中での写真。


 阪神電車。場所は甲子園駅~久寿川駅間です。梅田行きの急行が久寿川駅を過ぎ、甲子園駅に向って上り坂に掛かるあたり。最後尾は881形の891。小型の電動車ばかりの5連の急行電車は、じつに素晴らしかった。まさに、「六甲颪に颯爽と・・・・」でありました。このとき以来ですから、もう阪神タイガースファンを53年、やってるわけです。(笑)

 なんたって昭和29年です。割り石の厚い道床、50キロだと聞いたレール、当時の私鉄でも上位に属する線路と聞きました。それゆえの高速運転。夏季は前面窓全開走行。喫茶店と言われた前面貫通の折り戸、斜め付けの急行灯/尾灯、筆書き書体の急行のヘッドマークもオシャレでありました。


 昨日の「京阪電車」、反響が良かったので、もう一つオマケ写真です。昨日のブログで小さく写っていた、『超流線型』と言うか、『妙流線型』の1000形のクロースアップ。これで、『両運』で、向こう側が、貫通幌の付いた、半流線型のお顔でした。真中に挟んだトレーラーの形式はわかりませんが、たぶん同系の1500なのでしょう。
 特急の赤・クリームに対して、ブルーにクリームだったと思います。尾灯の高さが『微妙に』ズレていますね。


■ ひとり、想い出に浸っていてはいけませんね。明日の更新に向って、無い知恵を絞らねばなりませんね。どうしましょう・・・・・・・・??!!。


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やきとりだいすき

昭和29年当時、私の親父は中学生でした。
もちろん阪神沿線に住んでいたのでこの小型車には毎日のように乗っていたと思います。
3011系が出た直後で、旧型車にはステップが付いて間もない時の写真ですね。
by やきとりだいすき (2007-06-10 21:21) 

む〜さん

■ やきとりだいすき様: 私は高校2年生でした。憧れの関西圏に『電車に乗ることを目的に』、約10日滞在しました。もう、毎日が電車漬け・・・・学業が皆に付いて行けず、つらかった高校生時代の中で夢のような日々でした。
 今津駅あたり(田圃があったんですよ!嘘みたいでしょう?!)に宿がありましたので、ほぼ毎日、阪神電車。
 お父様にお伺いすると、棒の上にバケツを伏せたような『音(警鐘)だけの踏切警報機』があったことを、ご記憶だと思います。
 正確に言うと、3011が、まだ、試運転中でした。限界が広がってステップは既に付いており、夕暮れ時には、ステップについた灯火が美しい列となって輝き、走りました。
by む〜さん (2007-06-10 21:44) 

じろっち

中学生の時、東海道緩行線で甲子園に行ったことがあります。
根岸線と同じ車両なので、なんか違和感ありました。

この時に、名鉄パノラマカーと北陸本線にも乗りました。
本家といえる親族が虎姫にいるんですよ。
by じろっち (2007-06-10 21:46) 

む〜さん

■ じろっち様: 名鉄パノラマカーもそろそろお仕舞いの様ですね。デビュー当時からのお付き合いなので、寂しさもひとしおです。
by む〜さん (2007-06-10 22:11) 

なにわ

6日に豊田へ名鉄で行ってまいりました。本線の急行が3扉ロングシートは当たり前、それどころかステンレス車なんてのが走っています。まだ5300,5700のクロスシート車や、7000が急行運用に入っているときがあります。
知立駅でラーメンをすすっているときに通り過ぎていったのですが。

さて、1004ということは、この編成、戦後特急用に整備された編成ですね。2両目は片運転台なので1501~08ですが、特急用に整備されたのは、1502だけですので、1502、3両目は1003でしょう。
テールライトが食い違っているのは、戦後増設した時に一般車の位置に設置したのではないでしょうか。
by なにわ (2007-06-10 22:41) 

む〜さん

■ なにわ様: 名鉄も3ドア:ロングシートが当たり前の電鉄となりましたか・・・・。ここ何年も乗ってないのです。昔は、大阪からの帰りは『なんば~近鉄~名古屋~名鉄~豊橋~新幹線~東京』でしたが、いまではそんな根性も無くなっちゃったみたいです。
 尾灯は向って右の造り付けのがオリジナル、向かって左が増設なんですね。
 
by む〜さん (2007-06-10 23:18) 

京葉帝都

1000,1100は晩年は正面の4枚の窓は4隅がR付の固定アルミフレームになりました。中間に旧貴賓車16号(ロングシートに改造)を挟んだ編成もあったようです。実際旧貴賓車は守口車庫に留置されているのを車窓から見ました。子供の頃の私にはこの一党(1000,1100,1500,1200,1280)は流線形よりも重厚でコテコテなデザインの電車の印象が強かったです。
by 京葉帝都 (2007-06-10 23:35) 

む〜さん

■ 京葉帝都様: 1000、1100は更新で顔が一寸変わったんですね。
 実情をお話ししますと、昔の関西の電車の資料、家が手狭になったためみんな整理・・・・譲渡してしまったのです。手元に残るのは、機芸出版社の『私鉄電車プロファイル』・・・・名著だとおもいます。それを見ると、昔の京阪って他社と較べると、『濃い』というか『重厚』な印象。1930年よりも前に、腰板や幕板に『KEIHAN ELECTRIC RAILWAY COMPANY』の文字がならんだのもあったりします。1580→700なんて、まさにそう言う電車みたいな気がします。17m車体でポール集電。凄いです。
by む〜さん (2007-06-11 05:48) 

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