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第72回:久し振りの気動車(1) [お出かけ通信 51~100]

 そう言えば、気動車、ご無沙汰しています。一昨年、2005年3月に常磐沿線、鹿島鉄道石岡機関区の見学(乗らなかった・・・・今、考えれば惜しかった)、茨城交通湊線全線乗車以来の事なので、もう2年以上が経過しています。月日の経つのは早いもんだ(感慨)

■■ お出かけ通信(72) ■■

 久し振りの気動車(1):八高線高麗川 

 2007年6月18日・月曜日。午前中に所用を済ませ身軽になってお出かけと言う訳です・・・・お昼だし、まずは食事。

(1) そう毎週、お出かけごとに韓国料理でもないと、今日は広島流のお好み焼きと行きましょう。町田の、私の行き付けの韓国料理店の前に、『ひろしま鉄ちゃん』というお好み焼きのお店があるのです。おたふくソースの幟が出てたりします。久し振りで入ってみました。注文したのは『広島のお好み焼き』788円。

 ・・・・・で、食いながら考えています。今日は何処に行こう。時間は4時間、そうは遠くまで行かれません。そうだ、今日は気動車!気動車と言えば、もっとも近いのが八高線。快適な気動車が居ますね。早速行動。

(2) 町田発13時02分の横浜線快速205系で八王子。ブリッジを渡って八高線のホームに行く。13時38分発高麗川行きの209系電車が発車を待って居ました。

(3) 八高線ホームの目の前の何にも居ないヤードに、ぽつんとDE101553が・・・・・寂しそうに見えました。

(4) 八高線ホームと同じホームの反対側は中央線の上り線になっております。E233もどんどん増えている様です。この201回の姿がここで見られるのも、そんなに長い時間ではなさそうです。(左、遠方は横浜線の205)

(5) 中央線新宿行き特急・かいじ108号E257系が来ました。貫通形でないほうのフロントのほうが好きですが、こっちも悪役っぽくって嫌いじゃあありません。ちょっとダース・ベイダー卿フェースだなあとも思ったりします。

(6) 八高線の電車は、すっかり住宅の増えちゃった沿線風景を見ながら箱根ヶ崎、そして段々、田舎風景の中に入っていった。千分の20で金子駅から下り勾配、入間川を渡って東飯能。ここから高麗川駅までの峠越えは、昭和40年代の前半、D51重連牽引の石灰列車を撮りに、何度も撮影に来たところです。懐かしい気持で、車窓風景を眺めていました。
 高麗川駅につくと(一番線)、地下道をくぐって、高崎行きのホーム(2番線)に行きます。乗換え不便です。その昔、D51や9600が黒煙を上げ、ホキの列が並んでいた、広い貨物ヤードは何本かの側線以外は撤去され、八高線の高麗川~高崎間で使用する気動車が留置してあるだけ。
 これは、手前から、キハ111-209、そしてキハ112-209です。手前のキハ111はトイレ付き。

(7) 右が乗ってきた、209系高麗川どまりで、折返しの八王子行き。左が、これから乗る14時29分発高崎行きのキハ111-208です。

(8) 川越線の電車が到着(右)、これも209系、ちょっとの間だけ賑やか。

(9) 私の乗る高崎行きの後部車両。高崎側キハ111-208+キハ112-208です。セミクロスシートで、一方は一人掛け、一見快適。だけど、一人乗客が向いの席に荷物、置いちゃったら、向いの席に、なかなか掛けさせてくれとは、言えませんね・・・・内気な老人(私だよ!)はそう思います。

(10) 発車前のキハ112-208の0車内です。

(11) 定刻、高崎に向けて発車!架線の無い単線の前方の眺めは大変結構。一駅のって次の毛呂駅で下車するんですから、たったの6キロですが・・・・。


■ つづきは、また明日!!!!


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コメント 6

服部光之

ようこそ埼玉へ。
先日、秩父へ行く道すがら、高麗川駅南の陸橋から久しぶりに八高線を見ました。川越からの途中もすっかり様変わり。
川越から高麗川までの沿線もすっかり郊外住宅化してしまって昔のような田園風景は少なくなりました。国道の沿道はどこでにでもあるロードサイド型店舗のオンパレード、ひっそりとあった高麗の里もなにか面白くでもない観光地になってしまったようです。
川越線も、朝夕は、八高線、中央線直通東京行きなんてのがあるらしいです。高麗川乗換えかもしれませんが。埼玉中央部の人たちは東京西部に行きやすくなったということかもしれません。
そういえば、笠幡駅(あれ武蔵高萩駅だったかな?)の皇室駅舎が日高市の強い要請で、駅から移転して残るらしいです。日高市が工事費をもつらしいです。
ああそうそう、飯能の郊外の山里に温泉カケ流しのところがあるんですよ。
ではまた。
by 服部光之 (2007-06-19 13:14) 

no

こんにちは。
八高線は、高麗川を境にすっかり変わりましたねえ。
まあ、そう言うほど、南側がのんびりしていないわけでも無いのですが。
でも、架線が無い単線の風景は、遠くに来た雰囲気ですものねえ。
私は、何度か乗ったのですが、あまりの心地良さに途中寝てしまってばかり。
今度は一等席(先頭)で踏ん張って、車窓を楽しみます。
by no (2007-06-19 13:29) 

岸田法眼

八高線は103系3000番台の置き換え用として、りんかい線の先頭車のみ(中間車は新製)が移籍してきました。数は少ないので、見かける機会は少ないと思いますが、まったく違和感がないですよ。

中央線201系は徐々に少なくなっておりますね。“置き換えるのはまだ早い”と思いつつ、ボディーに傷みが見える車両が多いので、悲しいものがあります。なんせ、JR西日本は“まだまだ”使うのですから。
by 岸田法眼 (2007-06-19 19:23) 

じろっち

大都市圏の非電化区間が少なくなりましたね。

日本はディーゼルエンジン用の燃料の質がEU圏ほど高くないというから、開発中のハイブリッド動力車や燃料電池動力車の登場が近いかもしれませんね。

けさ、トヨタが1編成借り切った貨物列車を見ました。
自動車メーカー製の動力を搭載した気動車・DLの登場もあるかもしれません。
by じろっち (2007-06-19 21:04) 

manamana

東京に住んでいる頃は、八高線や相模線のディーゼルに乗って、
ミニ旅行を楽しんだのを思い出します。
八王子駅で貨物の入れ替えを見て、
時間をつぶしたものです。
by manamana (2007-06-19 23:26) 

quatre-l

いいですね~♪非電化単線。
自転車で群馬藤岡あたりまでちょくちょく出かけてます。
まだまだ、昔の面影があちこちに残っていていい感じです。

昭和47年10月、鉄道100年イヴェントでD51498と1002が元気よく高崎~高麗川間を走った時のことをハッキリ覚えています。もちろん、一度は高麗川まで往復乗車しました。

当時、高崎第一機関区(旧)は建物の取り壊し真っ最中。でも扇形機関庫の放射状の線路と転車台は残っており、期間中はどちらかのD51が休んでました。

現在の八高線を走るDCはとても好ましいデザインじゃないかと思ってます。まだ、一度も乗ったことがないので、近々試してみたいと思います。
by quatre-l (2007-06-20 18:26) 

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