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EF63 [昔写真国鉄]

 今日の電気機関車は、新しいところで碓氷越え補機専用機EF63にしました。1964年・昭和39年・・・・東京オリンピックの年・・・・の正月に、ふと思い立って、軽井沢から「小瀬温泉」に一泊の家族旅行。お天気は上天気、上野から各駅停車・・・・もちろん客車列車・・・・で軽井沢、草軽電鉄すでに無く、バスで到着したときには、すっかり夜になっていました。満点の星空、あたりは真っ暗で、道も良くわからない、東京の『空の明るさ』になれていた私は、吃驚したものです。

 EF63形電気機関車 

 その、小瀬温泉からの帰り道、国鉄信越本線軽井沢駅で、EF63を初めてじっくり見ました。重量感一杯の巨大な姿に頼もしさを感じました。前年1963年にラック運転から粘着に切り替わり、補機専用機関車EF63も出来立ての新品、チョコレート色・・・・ホントはナントカの何号って国鉄内部の呼称があるのでしょうが・・・・の塗装も光り輝いて居りました。

 ただ、なにぶん昔のお話で、二枚の写真、如何いうストーリーだったか覚えておりません。軽井沢駅の配線も忘れておりますが、朝の光線、バックの山からみると上野よりの先端と思われます。

(1) EF6312+EF63XX・・・・・矢張り電気機関車はこの色でなくてはいけないなあと、わたし的には心底、そう思います。

(2) そういうわけで、たぶん(1)の補機が、上りの急行電車のアタマに付くというストーリーなのでしょう。急行の名称はわかりません。、朝の上り急行ですが、時刻表を持っていないので・・・・・。『信州』とか『志賀』とかありましたね。

 上信越方面は上野からのため、東京都の南端に住んでいる私には、日常的な付き合いが殆どなかったので、あまり知識ないし、思い出話のタネもないのです。

・・・・・EF63、やっぱりこの色が似合うなあ!と言う所で、今日はお仕舞いです。


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コメント 10

Fuzzy

誕生直後のピカピカのボディとても美しいですね。
私も、国鉄の電機は、基本的にはこの色調が一番美しいと思います。
EF58然りですよね。

ただ、先日のEF50は、ほとんど黒色に近いものではなかったかなと記憶していますが・・・。
by Fuzzy (2007-07-02 07:28) 

服部光之

懐かしい軽井沢の交換風景ですね。
後ろに見える小さな山が離山でしょうか。
今は、あの広大な軽井沢のヤードはすっかり線路がなくなりガラーンとして、長野新幹線からは兵どもの夢のあとという感じです。
一方、横川機関区は碓氷峠鉄道文化村となり、一大テーマパークになっています。この構内には、信越線のレール、横川機関区の配線などが残り、ここが買ってのEF63の基地であったことがしのばれますね。
でも、碓氷峠峠のシエルパのお勤めが終わって、まもなく、大宮の工場で廃車解体されているのを見たときにはただ驚きでした。
日本の山岳路線の一時代をになった電気機関車が跡形もなくつぶされていくことに何とかならないものかとおもっていました。
その同じ場所に、今年10月に鉄道博物館が開業するのですが、複雑な思いです。
by 服部光之 (2007-07-02 19:41) 

む〜さん

■ ファジー様: 電気機関車、色々な色を見てきました。EH10の真っ黒。茶色のEH10もありました。EF58の紺色を基調に裾に朱の帯なんてのもありました。でも、やっぱりこの色に限りますね。
■ 服部光之様: 新幹線開通後の在来線(しなの鉄道)軽井沢駅は一度も見ていません。さぞ、変わってしまったことでしょう。最後に見たのは、特急白山の食堂車が消えるというので、乗りに行ったときですから、ずいぶん昔のことです。
 (2)の写真の機関車とタンク貨車の間に、サードレールが撤去されずに残っているのが見えています。貨物列車には、どうやら車掌車が付いているらしい。
by む〜さん (2007-07-02 20:58) 

じろっち

むーさん、N700系に会いに行かなかったんですかあ?
私もわざわざ会いに行こうとは思ってませんが・・・

N700系の登場で、300系の廃車や700系こだまの登場はあるんでしょうか?

こだまって、0系以外ではいつも「おさがり」で可愛そうですね。
東海道線ではスターだったのに・・・

東海でもひかりレールスターみたいに、こだまシャトルとか作ればいいのにな。
東京~浜松限定の通勤&レジャー仕様って感じでね。
by じろっち (2007-07-02 21:47) 

む〜さん

■ じろっち様: たった50キロ程度しか離れていなくても、会社を卒業して10年、『上京』が億劫に感じられるようになっています。毎日、通勤してたのにね!
 そんな訳で、品川駅には行きませんでした。東海道本線特急こだま号出発式、1964年新幹線出発式、なんて早朝でも行っていたのですが、なにしろ50年も昔のこと、70になろうという私も、当時は20歳前後、パワーもありました。
by む〜さん (2007-07-02 22:38) 

manamana

黄金の国鉄時代と言った風情ですね。
力強い機関車に、急行型の電車。
空気バネをパンクさせて、
びりびり振動させながら峠を登った記憶があります。
by manamana (2007-07-02 23:45) 

quatre-l

軽井沢駅、懐かしいですね~。
ちょっと前まで、こんな感じでした。
浅間の姿は昔と同じです。

とにかく、ここと横川の間に線路が通ってない事実が残念でなりません。先日、英国の保存鉄道をテレビで観ました。その飾り気のなさに感動しました。機関士や保線の人までヨレヨレのつなぎでパイプくわえてたりするんです。この人たちは、ただただ鉄道が好きで保存しているんだということが伝わってきました。

鉄道文化を保存するということは、観光地をつくることではないんですが。碓氷峠に放置されていたロクサンがかわいそうで、、、。
by quatre-l (2007-07-03 00:40) 

’80XE PA96E

またまた私の生まれた頃のお話で見入ってしまいました。
補機を連結して乗った経験が1度有った様な記憶があるのですが、どうだったかな~としっかりと思い出せません。恐らく四国の旧予土線で昭和46~48年頃だったと思うのですが、30年以上前の事で記憶が定かでありません。
しかし、どんどん廃線が出てくる状況は残念ですね。車が当たり前のように家庭にある時代では仕方ないのかもしれませんが、旅の情緒を味わっての移動も必要だと思いますがね~。
by ’80XE PA96E (2007-07-03 05:43) 

HIRO

信越線の横川ー軽井沢間の碓氷峠越えのEF63、力強くてちょうど長野県によく出張して利用したものです。
車掌さんとも仲良くなっていろいろ碓氷峠越えのお話を聞いたことがあります。
客車列車のみならず、この頃165系?の急行型電車が単独では登りきれずEF61に牽引されて静々とのぼりおりしている情景に感激したものです。
おっしゃられるとおり、夏、冬のシーズンは信州・妙高・志賀とかの急行が増発されていました。
軽井沢、横川で列車が停車すると必ずEL連結、開放作業を見に行ったものです。
by HIRO (2007-07-04 21:18) 

む〜さん

■ 補機が付く勾配区間は現在何処と何処なのでしょう・・・・瀬野~八本松あたりしか私は知りません。長大貨物列車が到着し、後部に補助機関車が付く、汽笛を鳴らしあって、黒鉛を盛大に吹き上げ、息を合わせてスタートしていった・・・・なんてことも昔話になってゆきます。
by む〜さん (2007-07-04 23:26) 

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