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ディーゼル機関車DD12 [昔写真国鉄]

 今日は、ディーゼル機関車・形式DD12です。この形式、私が初めて目にした、工事用でないディーゼル機関車かもしれません。

 進駐軍の機関車858X 

 幼い日、小学校の頃ですから昭和20年代前半、というか終戦すぐって頃なのでしょう、日ごろ遊びに行っていた、国鉄品鶴線・・・・・東海道本線品川~新鶴見操車場~鶴見の貨物専用線・・・・・の踏み切りでたまに見かけたのです。単行の回送で、静々と登場したときには、かなり驚いた記憶があります。『Wikipedia』で見ましたら、色は『茶色』とありますが、私の記憶の中では、『真っ黒け』、当時の電気機関車は茶色でしたから、この私の記憶も、間違っているとは言い切れないと思われます。年配の読者さんのご記憶は如何でしょうか?エンジンの音も大きいと書いてありますけれど、蒸気機関車に日常的に接してましたから、大きな音だなあという印象はありませんでした。先に書きましたが、静々と目の前を通過していった印象でした。

 さきのWikipediaに拠りますと、米軍持込のこの機関車、180馬力のディーゼルエンジン2基搭載の電気式機関車で、製造はGE、前部で8両あったそうです。サイドに大きく書かれた『858X』の文字が記憶に残ります。8585なんて繰り返し番号だと、矢鱈と嬉しかった。米軍の機関車とはいえ、乗務員は日本人だったようで、特に違和感は無かったようです。

 さて、この写真、1954年・昭和29年の2月、高校一年生、兄のカメラを借りて学校へ持って行った。その帰り道、品川駅で道草を食ってまして、そのときの撮影。 新橋から五反田まで、山手線に乗るのですが、そこは、鉄道が好きなものですから、当時、格好悪いと思っていた(勿体無い!!)山手線の17メートル電車を嫌って、好きな客車列車に新橋から乗って品川で下車・・・・ってシチュエーション。

 まだまだ、米軍の『輸送部隊(訳・いい加減です)』所属の標記もあって、いかにも敗戦日本への占領軍って感じでありました。この時点での車体色の記憶はありません。

(1) 8587・・・・よくよく見れば、なかなか整ったデザイン。板の台枠も結構。向こうに見えるは、通常は使われていなかった、ホームで番線は7・8だったか9・10だったか・・・・・。左に半分見えているのがワフ28000。

(2) 右半分に描かれた輸送部隊の文字を拡大。

 この機関車、後に、国鉄に払い下げられDD12となったのですが、一部は名鉄・他に払い下げになったとの事。国鉄での廃車は1974年だそうです。


 そんな訳で、思い出のある機関車ではありますが、少々、複雑。

・・・・・・では、次回!!!


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コメント 5

HIRO

戦争が終わり駐留軍が日本に進駐していた頃の国鉄、私鉄は英語が目立ちましたね。
うっすらとこの車両思い出しました。
同様に僕にとっては国電の最後部の半分(方向によっては最前部)に白い帯で進駐軍専用車がありましたね。
モハ40だったでしょうか。内部も特別で普通車の日本人の乗る車両とは格段の違いです。
今となっては白帯電車は珍しいので写真見たい気がしますが。
のちに日本が独立すると二等車として空色の帯を巻いていました。
by HIRO (2007-07-09 14:46) 

HIRO

すいません
追加です。品川列車区にはいろいろな横文字を書いた列車がありました。
僕も鉄ちゃんでありおもちゃのカメラがあって、mu3さまはきちんと記録しておられ、僕は写真を見て感心する、今となっては記録しなかったことが。歴史遺産として映像で残さなかったことが残念です。
同時に駐留軍専用寝台車もありました。
すべてがGHQで決められた構図で運行されていた時代です。
by HIRO (2007-07-09 14:59) 

じろっち

うちの近くにSTOPと書かれた標識がありますよ。
by じろっち (2007-07-09 21:00) 

なにわ

この時期まだ軍用番号をつけていたのですね。国鉄の8580台といえば、蒸気の8550(60両以上ありました)の途中ですから。

>HIROさん
手軽に入手できるのは、RM LIBRARYの白帯車の本でしょう。1050円で戦後間もないころの関東国電白帯車の写真が見れます。

白帯車の多くはクハ65(→クハ16400)、一部はクハ55で、偶数方先頭が多く(京浜線は桜木町方、中央線は高尾方、山手線は東京基準で品川方)でした。総武線(千葉方)と青梅線(立川方)は奇数向きでした。青梅線にいたっては、モハ50(→クモハ11400)が白帯車だったのですから。
by なにわ (2007-07-09 22:50) 

む〜さん

■ HIRO様: 進駐軍用の電車は白帯でUS ARMYとかなんとか(不確か)書いてあった気がします。昭和28年、高校に入り、毎日、京浜東北の電車に接するようになったときには、すでに青帯の二等車になっておりました。京浜東北では殆どがクハ65で、クロハとは書いてなかった気がします。一両だけクハ55があって、クハ55806と記憶します。これはクロハだったかもしれません。転換クロスシートでした。新橋から品川まで一回だけ乗った気がしますが、はっきりしません。高校生風情が二等車に乗るなど考えるのもはばかられた世相でした。ただ、あの転換クロスシートの背摺りを動かした記憶もあります。
■ じろっち様: 進駐軍の建てた踏み切り標識は白色で、RAILROAD CROSSINGと書いてあり、STOPの文字もあったかもしれません。写っているフィルムも探せばあるのですが、何処に入ったことやら・・・・。
■ なにわ様: 白帯車の掲載された本の情報、有難う御座います。昭和28年にはすでに白帯は無く、京浜東北に二等車が残っていました。特別仕様のクハ55806はいつ来るか判らないまま、新橋のホームで待っていた記憶があります。
by む〜さん (2007-07-09 23:22) 

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