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小田急名物トフ100形・於本厚木 [小田急・江ノ電・箱根登山]

 今朝も話題がありません。・・・・・で、雑談。

 昨日の続きのお話です。・・・・・・東急の雪ヶ谷大塚車庫でデト3014を見てから、新宿に行く。池上線で五反田に出て、山手線。新宿下車。先日、このブログに書いた、中央本線のEF52が居ました。まだ、時間があったのでしょう、大ガードまで歩いて都電14系統の2000形を写しています。ビューゲル集電ではありましたが、ポールが外されていないのも居たのです。もうこの頃には都電14系統荻窪線は、大ガードの手前で止まり、新宿駅東口まで来ていませんでした。小田急の急行電車は座れなかったみたいです。初めて乗る小田急の急行電車、車両は何だったのでしょう。快速ぶりに驚いた記憶があります。本厚木まで乗ってバスで丹沢に分け入り、煤ケ谷というところまで行きました。後は歩きで、いまは宮ケ瀬湖が出来ている宮が瀬を経由して中津川に沿って半原まで下りました。ここでお終いでバスで本厚木に戻るというコースでした。いま、地図で測ってみると6キロほど歩いたことになるようです。

 小田急・本厚木駅のトフ 

 脱線しました・・・・・1954年・昭和29年5月、その本厚木駅なのですが、現在、向ヶ丘遊園駅に残っている、小田急開通当時の、三角屋根の駅舎が残っておりましてね、でも、まともに写していないんですね、私は。
 でも、当時の鉄道模型趣味誌のプロトタイプガイドで読んでいた、無蓋緩急車トフ100形が居たのです。当時、このトフをHOの模型に作りましたっけ・・・・・。でも、技術が拙劣だったのでどうしても、二軸のバランスが取れない・・・・・え~い!面倒だと、天賞堂で買ったサザン鉄道のボックスカーに付けてあったベッテンドルフ台車を付け、二軸ボギー車にしてしまいました。『ムキ』の誕生でした。『ムキ』はご存知ですよね。中尾 豊さんだったがTMSに書いていた『夢を気にする話』(ムをキにする話)に大影響を受けた私だったのです。

 本厚木駅に戻ってきて、電車に乗って新宿に戻るわけですが、電車を待つ間、ふと見ると、あちらの方に砂利積載場があって何本かの側線があります。無蓋車の列、そして何両かの無蓋緩急車トフ100形の姿が見えました。矢も盾もたまらず、同級生たちと離れて、すっ飛んでゆきました。

(1) 本厚木駅は地平にあって、2本のホームと4線の待避線つきの駅でした。そこから下り向きの山側(下り向きの右側)に、この砂利線があったのです。トラックから砂利が降ろされていました。ここから、相模川の砂利を満載した貨物列車が、都内、代々木上原~東北沢間にあったコンクリート会社に骨材の砂利を運んでいたのです。

 駅付近、なんにも有りませんね。現在は、駅は高架化されるわ、ビルは建つわで、大変な事になっています。

(2) トフ100形のトフ105。砂利列車の最後尾に何時も、くっ付いて居りました。

(3) 同じく、トフ107です。バックに本厚木駅の駅舎が写っています。

(4) 駅舎の部分を拡大してみました。ピンボケですが、本厚木駅のホームとかも含めて、雰囲気は伝わるかと・・・・・・。

(4) 上りの電車が来たので、生徒諸君は乗り込みました。これが、デハ2000系の3連急行でありました。2ドアで扉間がBOX型のクロスシート、中間のサハには便所まで着いていました、当時のことなので、もちろんタンク式ではありません(笑)。まあ、これが常識的なタイプではありました。
 このときに写したものではありませんが、同年1954年・昭和29年12月、箱根を訪問したときの、箱根板橋駅でのデハ2000形・他をご覧ください。


■ このとき写した、他の写真もそのうちにブログで出そうかと思っています。ただ、いい写真が無いので、期待はしないでくださいね。(笑)


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HIRO

トフが止まってる本厚木この頃はなにもなかった原野だったんですね。今の本厚木駅周辺の繁栄を当時だれも予想できな刈田ですね。そういう意味でとても貴重な写真です。
下の小田急デハ2000思い出しました。
僕が大学受験の予備校時代、学校の帰りによく小田急を見に行きました。
まだ、駅が地下もなくお粗末なものでした。
この頃、箱根湯本まですでに小田急は乗り入れていたのですね
いつ頃から箱根登山鉄道に乗り入れしたのでしょうか。
by HIRO (2007-07-16 13:19) 

じろっち

昭和25年8月1日から、箱根登山線乗り入れが開始されたようです。
今では、小田原~箱根湯本は、小田急専用区間になっています。
by じろっち (2007-07-16 15:14) 

Fuzzy

トフの屋根についているトルベート型ベンチレーターが可愛いですね。
昭和56年頃、箱根登山鉄道に乗りに行った際、小田原の構内にいたところを見かけました。
その頃でもこのスタイルの貨車は珍しい存在でした。
by Fuzzy (2007-07-16 15:25) 

む〜さん

■ HIRO様: 本厚木駅の砂利線あたりのバックは田畑で田舎町の雰囲気だったと記憶します。当時の小田急は成城学園前を過ぎると、沿線風景は完全な田舎風景でした。現在は、海老名を過ぎないと本格的な田圃は見られません。鶴川駅付近に、申し訳程度の田圃はありますが・・・・。
 小田急の三線方式による箱根登山鉄道乗り入れは、1950年・昭和25年8月1日とのことですが、昭和28~9年頃には、デハ1400の急行もあったのです。高性能車デハ2200のデビューが1954年でした。
■ じろっち様: 小田原~箱根湯本間は箱根登山鉄道の路線ですが、小田急の電車しか走らなくなっています。(箱根湯本~入生田間の回送は除く)。この状態が、良いのか悪いのか、私にはよく判りません。
■ ファジー様: トルペード形のベンチレータは可愛らしくて小さくて、これで、換気機能があるのか疑ってしまいます。でも、ちゃんと機能しているのでしょう。
by む〜さん (2007-07-16 15:58) 

’80XE PA96E

こんばんは。台風一過の後岡山まで車のイベントにいっておりました。車のイベントでなければ新幹線などで行きたかったですが。
生まれてくる10年前の写真ばかりで、風景はのどかなものばかりですね。今の状態は想像もつきません。
by ’80XE PA96E (2007-07-16 22:35) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: お車ですか・・・・気を付けて行ってらっしゃい!!
 10年一昔っていいますね・・・・まさにその通りだなあと思いますね。道が出来る、ビルが建つ、お店の中味が変わる、一寸の間にも変わってゆきます。まして、10年20年・・・・私が電車汽車を撮り始めて50年が近い、有為転変、感慨ですね!
by む〜さん (2007-07-17 08:22) 

manamana

トフ、いい味ですね。
鉄道模型子供用セットには定番でした。
東武とか西武とか、私鉄ではよく見かけました。
by manamana (2007-07-17 21:00) 

む〜さん

■ manamana様: トフといえば小田急、東武西武はワフ・・・・それも木造の・・・・が多かったですね。
 貨物列車の最後に連結された緩急車は、いまや殆ど見られず寂しいです。だいたい、貨物列車が、少なくなってしまいました。東武の尾灯は赤丸が大きく、国鉄とはまた違った味がありました。
by む〜さん (2007-07-18 00:39) 

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