SSブログ

湘南電車の出来た頃 [昔写真国鉄]

 湘南電車のデビューは昭和25年の事だったそうで、私が12歳の頃だったから小学校6年か中学に入った頃のことです。始めは前面3枚の少し丸っこいお顔でしたが、あの有名な『湘南顔』になりましたが、詳しい、年月は知りません。子供向けの月刊科学雑誌、『動く実験室』で、色の由来も含めて、読んだ気がする。

 高校に入り、1年生の昭和28年8月、銀座は三原橋のミヤマカメラで、兄がオリンパス35を買うというので付いて行きました。量販店なんてなかった時代だし、問屋さんに知り合いも居ませんでしたから、たしか、1万5千円台だった気がします。大学卒の初任給はいくらだったのでしょう。まあ、大変な金額です。
 その帰り道、カメラ屋さんがオマケで入れてくれた、EKのプラスXフィルムで撮った写真をご覧ください。既にホームページに出してある写真ではありますが・・・・・。

(1) 兄も鉄道ファンでしたから、新橋から五反田まで行くのに、山手線に乗らず東海道に乗ったわけで、新橋駅の東海道のホームで待っていると、上りの湘南電車がやってきました。日本全国を席捲した、あの金太郎塗りのクハ86です。向こうは京浜東北でしょう・・・・山手線は17メートル車が殆どでしたから。このころの63形は、窓を全開出来るようになって居ないのもあったのでしょうか、真夏にしては、窓が全部開いていません。桜木町事件が昭和26年で、窓が改造されたのは何時だったのでしょう。

(2) 湘南電車の最後部の初期タイプのクハ86・・・・なんと、試験的な塗装だったのか、ちょっと変わった塗りになっていました。右端に新橋駅の旧駅舎がチラッと見えています。

(3) 何に乗って行ったか忘れましたが、ともかく品川について、ホームでちょっと写します。下りの湘南電車がやってきました。まあ、湘南が二連続では来ないでしょうから、私たちが乗ったのは、横須賀線だったのでしょう。品川客車区では、8620が忙しく働いておりました。左の黒い楕円形は、当時は自分で現像しましたから、ベルト式現像タンクに入れるときフィルムの装填に失敗したからです。


(4) 月日は流れて昭和30年4月、京浜急行を見に、我が家から自転車で六郷土手まで行き、その帰り道に、六郷川鉄橋のそば(東京側)にあった踏み切りで、湘南電車を写しています。モユニ81が、カッコウよかった!!右端に京浜急行の高圧線が写っています。この左側には、「DenOnKen」の工場があって、ここの製品は、そんなに高くなかったので、出力トランスを使いたかった記憶もあります。世は、『ハイフィ』だ『ハイファイ』だといってた時代でしたから、高校生の私も、多少、オーディオ装置に関心があったのです。


(5) 『湘南』といえば、まえに出したこともある「湘南小学校」・・・・神奈川県相模原市・・・・『湘南』の元祖だそうですが、相模川の城山ダム下流、高田橋の南、2キロの右岸にあります。今年の5月の撮影です。

 ・・・・この際は、あまり関係ありませんが、なんとなく思い出しました。


(6) オマケです・・・・・昭和30年5月・・・・(4)の六郷で湘南電車を写したときに撮りました。京浜東北の桜木町行き5両編成で先頭にクロハが付いています。まだ、京浜東北に二等車があった時代です。サイドに書いてある記号は、二三等合造制御車なのにクロハ65でなく、クハ65だった記憶もちょっぴりあります。


 今日は、これでお仕舞いに致します。
 ・・・・・・では、又お目に掛かりましょう!!


nice!(4)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 4

コメント 10

manamana

湘南型は、地元だった京王にもたくさん走っていたので、
大好きなタイプです。
あれだけたくさん走っていたのに、今では見かけなくなりました。
たまに、ローカル私鉄で京王井の頭線の3000系を写真で見るくらいですが、シンプルだけど美しい、いいスタイルです。
by manamana (2007-07-29 06:58) 

たらこっち

今から数十年前、湘南出身といえば湘南高校出身者のことだと思っていました。藤沢に住んでいたことがありますが、湘南地域という呼び方は好きではないです。
by たらこっち (2007-07-29 08:50) 

服部光之

新橋駅の国電側の電車ですが、おそらく京浜東北だと思うのです。それは、窓の上部の白い色が見えますが、あれに京浜東北と書いてあったと思います。でも、行き先は今のように車両ごとには掲示されていなくて、くる電車の一番前のサボを恐る恐る覗き込んで確認したものです。ホームのスピーカーの放送案内もない時代でした。でも、ひとつきになることがあるんです。
たしか、常磐線が浜松町まで乗り入れていたことがあったのですが、昭和30年というとまだいっていたのではないかなと思います。ご存知の方教えてください。
by 服部光之 (2007-07-29 10:17) 

なにわ

(2)・・・この試験塗装は偶数向きですから、86002です。
(4)・・・コロンビアの川崎工場あたりですね。その昔、社会人野球の強豪チームがあり、「七色の変化球」若林忠志投手が職業野球入りする前におられました。当時ここが13番地で美空ひばりの「港町十三番地」はここからとったそうです。
by なにわ (2007-07-29 19:59) 

なにわ

追加です。
>服部さん
常磐線の有楽町乗り入れは、ピク89年の常磐線特集によると、1954年4月15日からだそうです。
1956年11月の山手・京浜分離までには運転は終了したはずです。
それに(1)のバックの電車、サハ78のようにみえますので、京浜線でしょう。山手線なら、17m8連か、17m6両+20m2両で、20m車は電動車(60,72,73)でしょうから。
by なにわ (2007-07-29 20:06) 

じろっち

大船06:04発の静岡行きに乗ってきました。
東海に使用してたヤツです。
東海時代より長い9両編成でした・・・

今では少なくなった熱海以西まで行く電車なので、早朝にも関わらず満席でした。
しかも、静岡まで乗り、向かいのホームで待っている浜松行きに乗り換える人も多い! 私も掛川まで行きました。

金谷駅の大井川鉄道ホーム?に、近鉄特急が近鉄時代のまま停まっていましたよ。
SLが走らない時間帯のスター列車?
それとも、休憩所?
by じろっち (2007-07-29 21:37) 

む〜さん

■ manamana様: 京王帝都に湘南形の車体は沢山ありましたね。1900、2000、2700、3000・・・・山ほどありました。なかでも、私は2700が(釣り掛けながら)好きでした。小田急には初代カルダンロマンスカー2300が湘南形でした。東武の5700華厳とか、京成の1600開運、京浜の500、600、700、初代1000など、西武にもあったし、東急5000、相模の5000・・・・等々等々、関東地方に湘南を開祖とするあのカタチが多かったです。
 私の一番好きだった静岡鉄道駿遠線にも、そんなスタイルの気動車が数多く居ました。
■ たらこっち様: 世の、ブランド信仰に乗っかった受け取り方は嫌ですね。自動車のナンバープレートも・・・・。
■ 服部光之様: いや~、気がつきませんでhした。電車の幕板にプレートがついてましたね。オレンジと白の山手線、青と白の京浜東北。
■ なにわ様: 前面3枚窓の前面の塗りは結局は『 } 』になりました。(4)の撮影場所は東京側の、京浜急行で言えば、六郷土手駅の近くです。
 味の素のKHK大師線鈴木町駅近く港町ですね。味の素も、JR貨物の乗り入れが終わって、ファン的には寂しいです。
 若林投手、ごぞんじでしたか・・・・。御園生、藤村(弟)、梶岡、なんて方も覚えております。私が小学生時代のお話です。
■ じろっち様: 掛川まで各停で行かれたのですか・・・・大変だった出挿画、楽しさもあったと思います。大井川の近鉄特急は、南大阪線吉野特急の16000ですね。
by む〜さん (2007-07-30 09:13) 

HIRO

品川駅に入ってくる湘南型電車80系、二つ窓のデザインはその後東急、相鉄、東急・・・・など私鉄にも拡がりました。
はじめてみたとき16両の超長い電車に目を見張ったものです。
背景にはなにもなく今の品川と比べると覚醒の感がします。
出ました。国電の写真、ありがとうございます。
クロハ60ですか、今は珍しい白帯の二等車、当初は駐留軍専用車でした。
たしか,
OFF LIMITS,US ARMY ONLYと書かれていました。
日本が独立するとしばらくの間、二等車で走っていました。
僕は弟と一回だけ二等車にのり、銀座まで行って三越で「鉄道ピクトリアル」を買ってかえったこと覚えています。
by HIRO (2007-07-30 15:48)
by HIRO (2007-07-30 15:51) 

hiro78

大変興味深い写真の数々ですね。
何気なく立ち寄ってビックリ!
なんとホームページのトップ写真が、40年近くも前に
学校が終わると毎日のように通っていた、私の秘密基地が
あった場所です。とても懐かしく思います。
また寄らせて頂きます。
by hiro78 (2007-08-06 14:36) 

む〜さん

■ hiro78様: 丸子多摩川がホームグラウンドだったのですか・・・・お近くの方なのですね。幼い頃から、あの辺りで、水泳を覚え、釣りをして育ちました。昭和20年代の丸子多摩川は水清く、白魚が採れました。ダム下流は汽水粋なので、少年む~さんはハゼの大漁で、持ち帰ったら母が喜びましたっけ・・・・。白魚は吸い物になりました。もう、60年も昔のお話です。
by む〜さん (2007-08-06 22:23) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。