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玉電1958年 [昔写真関東]

 お早う御座います。何時もの鉄道大好き爺さんの、む~さんです。毎日暑いですね、ホントに。こんな暑さの最中、いくら室内エアコン環境とは言え、社交ダンスってのは、運動系なので、結構大変。でもね、好きだし、面白いし、止められない訳で・・・・・・昨夜も2時間練習。12時就寝、今朝の起床は5時でありました。
 今日は、スケジュール色々、用事外出、室内模様替え作業とか・・・・・夜は仕事だし。ま、頑張りましょう。頑張れるってのは幸せなわけで・・・・感謝だね。

 さて、昨日の鉄道関係のお出掛けは無しなので、またも、昔写真に逃げる・・・・・・(笑)。

 玉電1958年 

 ホームページ『あの日は何曜日:10000年カレンダー』を見ると、1958年12月18日は木曜日で、大学3年の頃のお話です。
 カメラを持って、東急玉川線の二子玉川駅まで行っている。そこで、何枚か写しているのだけれど、その中の一枚がこれ。

(1) 二子玉川園駅・・・・軌道だから停留場か・・・・向こうが渋谷になります。降車ホームに屋根は無く、いかにも路面の停留場です。一応、乗車ホームに屋根のあるのがめっけもんです。右の建築物は、大井町線の二子玉川園駅。駅の向こうには、丘陵の森。田舎というか、長閑な風景。いま、電車がホームにはいり、乗客が集まっています。電車はデハ40で、ナンバーは、40か42と読み取れます。

(2) 同じネガから、部分拡大してみます。いまのディジタルカメラのスペックでデジタルズームなんて言うけれど、デジタルズームは要するに、トリミング、部分拡大で、画質は落ちます。着物のご婦人が写っていますが、当時では日常的風景でありました。電車の左側、ホームの行先表示は、『渋谷 三軒茶屋 下高井戸 のりば』となっています。

 今日は、たった一枚の写真。お粗末ですが、ご容赦ください。明日も、ネタ切れの苦悩の日は続くわけです。


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コメント 6

のり

これまたすごい写真!
ほんとに東京ですか?といいたくなるような、長閑な風景ですね。
電車もかわいくて、でも、乗り場には立派な上屋があって・・・
着物姿に、ショールを巻いた御婦人の姿もいいですね。
by のり (2007-08-17 12:30) 

quatre-l

本当にいい風景ですね。

サザエさんの背景って、こういう世界なのかな。
古いサザエさんを読むたびに桜新町あたりの昔の姿を思います。
by quatre-l (2007-08-17 13:08) 

む〜さん

■ のり様: この写真を見るだけだと随分田舎に見えますね。その田舎に電車会社は、線路を引き、遊園地や分譲地を開発してきました。ここ二子玉川園もその遊園地。休日には家族連れで賑わいました。また、そばを流れる多摩川の川遊び、川魚料理のお客さんも居たのです。私の学生時代、昭和30年代前半頃までは、そんな雰囲気も残っておりました。
 さらに、急激に変わったのは、東京急行電鉄が、路面電車、玉電を、地下鉄道の新玉川線に作り替え、その延長として田園都市線を開通させて、川崎・横浜北部開発を始めた頃からです。二子玉川園には大デパートも出来、玉電の有った頃の風景も消滅しました。それが、いい事だったかどうかは、よく判りません。
■ quatre-l様: そういえば、桜新町には長谷川町子さんの美術館がありますね。行ったことはないのですが・・・・・。サザエさんは、若い方々には、TVアニメの方が思い出らしいのですが、私は、TVアニメは『本当のサザエさんではない!』と思っています。江利チエミさんの実写版映画も同様です。やはり新聞連載の4駒漫画がしっくり来ます。
by む〜さん (2007-08-17 15:35) 

HIRO

この2枚の写真すごすぎます。これこそ歴史的遺産で後々までずっと貴重です。素晴らしい宝物を持っておられますね。
その当時は何気なくカメラで撮影しても今は誰もがほしくなるような逸品ですね。
さて、玉電は渋谷の東横百貨店脇から二子玉川まで乗りましたが、ここから砧に向かう電車には乗りませんでした、
でも、当時の地図を見てなにかきっと不思議なもがあるとずっと思っていました。

ところで最近鉄道の話題がニュースにも新聞にも報じられてこのところ女性ファンが増えてるそうですね。
鉄子というコミックがあって鉄道ファンの女の子を書いてるものが売れてるそうですが、どなたかご存知ありませんね。

次に鉄道大博覧会が江戸東京博物館で開かれているそうですが、女性客が多いそうですね。mu3様、ごらんになられました。
9月はじめまでのようなので暇を見つけて何とか行ってみたいです。

最後に鉄クラといってCDが、バッハのような音楽に山手線の各駅発車音がミックスされていて反響が多いそうです。
これさっきのNTVの夕方のニュースで放送されていました。
こういう鉄道の話題はうれしいですね。
by HIRO (2007-08-17 18:13) 

manamana

電車の向こうの山並みが、ローカル風情を醸し出す、
と思ったら、雑木林ですね。
ぞうきばやし、と打ってみて、
自分で、懐かしいなと思ってしまいました。
電車と、林と、2重に、懐かしい感じがします。
by manamana (2007-08-18 06:44) 

む〜さん

■ HIRO様: 砧線は二子玉川園を出ると、大きく左に曲がり、当時は未だ大して広くなかった国道246を踏み切りで通り、中耕地駅、当時は珍しかった団地がありました。この辺りから田圃の中を走ります。ぽつんとあった一軒家を左に回りこむと、踏み切りを渡って、吉沢駅です。野川の鉄橋を渡り、砂利を取った穴が池になっているあたりを通り、浄水場を左に見て、突き当りが砧駅でした。のちに、砧本村とよばれました。真正面がわかもと製薬。そんな、ローカルラインでありました。こちらに昭和34年のルポがあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link145.html

女性漫画家と、鉄道を乗りつぶす方の旅を漫画に描いた、『鉄子の旅』という漫画もあります。全6巻、読みましたが、どちらかというと、私の来た、そしてこれから行く道とは違います。
女性の立つ同愛好家が増えるのは、大変結構。趣味は男女を問わないものなのですから・・・・・。

江戸東京博物館の展示会は、未だ見ていません。山手線の向こう側というと、カンタンには行けないエリアになりました。10年前までは、仕事上の理由で日常的に出没していたエリアなのですが・・・・。
■ manamana様: 雑木林・・・・・・。昔の鉄道ピクトリアルに、東武東上線の蒸気機関車牽引の貨物列車が雑木林を行く写真が出てまして、ああ、こんな写真を撮りたいものだと思ったことがあります。昭和30年代前半、西武池袋線の狭山ヶ丘駅周辺の、雑木林を歩いて、その美しさに感動した事がありましたっけ・・・・。あの辺りも、すでに宅地開発されて、何十年になりますか・・・。
by む〜さん (2007-08-18 10:23) 

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