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玉電2001年 [関東の私鉄と公営鉄道]

 例によってネタ無し状態の私。今日も玉電でご勘弁ください。ここんとこ、連続して東急世田谷線をネタに書いておりますが、実は、いまの世田谷線沿線の親戚一家が引越し、玉川線が廃止され、三軒茶屋~下高井戸間の軽鉄道化してから、殆ど訪問していないのです。鉄道ファンで小田急沿線に居住していながら、怠慢なヤツでありますね、私は・・・・・。

 デジカメを買ったのは1998年のことでした。当時としては、まあまあという感じの、130万画素機、オリンパスC-830Lなる機種でありました。それまでは100万画素以下が普通でしたから、大いなる期待で、しかも、いくらか忘れたけれど、わたし的には高かったから、それこそ清水舞台。
 早速、試し撮りして、がっくり来ましたね。○| ̄|_・・・・・・。期待はずれの画像品質。仕方が無い、そのまま、2002年の暮れまで使い続けたのです。

 で、頃は2001年1月22日・月曜日、友人三人と新宿・職安通りで韓国料理を会食と言う事になり、夕方から出掛けました。新宿まで、ストレートに小田急の急行で行けばいいのですが、それじゃあ芸が無いんで途中で寄り道です。 小田急の町田駅の上りホームで待っていると、綾瀬行きの準急が来ました。営団地下鉄の車です。急ぐ訳でなし、座れる方がいいので、乗ってしまいました。高架になった経堂駅で各駅停車に乗り換えまして、次の駅「豪徳寺」下車。そう、「東急世田谷線」を見てみようって訳。

(1) 豪徳寺駅前の世田谷線「山下駅」に行きましたら、直ぐにやって来たのは、玉電では私の一番好きなデハ80でありました。いま、改めて、車体を見ると、登場当時の真ん中のドアは、折り畳みステップが付いていたのですが、両端のドア並に改造、ヘッドライトも腰に二つとなり、両方のこめかみについていたマーカーライトもなくなっています。
 奥に写っている高い、明るいものは、小田急の豪徳寺駅でしょう。と、いうことは、この電車、三軒茶屋行き。

(2) (1)のデハ80の顔面、前照灯の間になにやらボードがあり、『さようなら』の文字。その部分をクロースアップ。

 130万画素デジカメと、手ブレの為か、結局判りません。真ん中は、玉電の社章みたいですが・・・・・左側は電車らしいけれど形式不明、右は全然わかりません。肝心のホームベース形ヘッドマークの下の文字列と来ては、完全に読み取り不能。
 どなたか、このヘッドマークについてご存知の方いらっしゃいませんでしょうか?

(2)  お次は新車の300型。なかなかの格好で悪くありません。ホームが低く、この頃の車体は、一段、ステップがありました。その後、ホームをかさ上げし、ステップ廃止でバリアフリー化されたのです。
 行先表示は『06 SHIMO-TAKAIDO』となっています。
 

(3) (2)と同じ電車で303と読めます。行先表示は『06 下高井戸』、漢字・ローマ字と変化するのでしょう。06は運行番号でしょうか・・・・・。

(5) このクルマのナンバーは読み取れません。地面には雪が残っています。

 15分ほどで世田谷線は切り上げて、小田急の8000系各停で新宿に向かいました。 新宿からは都営大江戸線でひと駅、待ち合わせ場所の東新宿下車。うまく4人が会合でき、海鮮料理のお店で、夕食ということになりました。

(6) 動いている蛸とかありまして、楽しい食事のひと時でありました。いろいろあって美味しかったんですが、タコそのものは、動いているのは初体験、それほど美味いとは思えませんでした。


 今回は、これでお仕舞いです。 今日のお出掛けはありませんので、また、古い画像を探そうと思っています。そう、何時までも玉電って訳にも行きませんし、玉電のデータも有りませんので、困って居ますよ~。でも、まあ、何とかなるでしょう(笑)。


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服部光之

玉電、通称邪魔電、学生時代お世話になりましたが、三軒茶屋のポイント通過に30分以上掛かったりして、授業に間に合わずに、最初の定期券が切れたところでバス通学に変えました。
80型の電車はよく見ました。そして乗りました。
バイトが大橋だったので、このときは時間もあんまり変わらないので邪魔電を使いました。何せ、バスの3分の1の運賃でしたから。
山の手からの乗り換えも外に出ないで、駅の改札口からそのまま入れましたから。
二子玉川方面では、邪魔電が一番元気だったのは、三茶と上馬の間の専用軌道でした。車体を震わせて、全速力でこのときは246の自動車の渋滞を尻目に走っていました。
さて、写真にある連結の邪魔電ですが、私の時代には通勤時の上り電車に多かったように記憶しています。
たしか、連動運転できないで、各車両に乗務員が3名ずつ乗って、発車の合図を各車の車掌が手で合図して、警笛で確認して出発していました。
込むので、真ん中の乗降口にも車掌がいました。厳密に言えば運転手もかねていたのかもしれません。後には、ワンマン運転になって先に運転手の後ろの運賃箱に入れて乗りました。全線均一料金でした。たしか、三茶で、二玉から高井戸へ行く際には乗り換え券をもらえたような気がします。世田谷線になってからは完全なワンマン運転になっているのでしょうか。
あの三茶のポイントで車掌が身を乗り出して、ポイントの通過確認を紐を引きながらやっていましたね。学生仲間のやつは、車内にある紐を引っ張って、車掌が怒っていたこともありました。
邪魔電最後の日の花電車は今でも思い出します。
中扉を開けて、車掌がステップに立ち、道行く人に手を振って別れを惜しんでいました。
二玉のサボは紺色、高井戸のサボは赤でした。
翌日からは、レールをそのままアスファルトで覆って車道拡張の工事をしていました。
いろんな思い出を起こさせてくれました。ありがとうございました。
by 服部光之 (2007-08-18 14:23) 

む〜さん

■ 服部光之様: 玉電の渋谷~二子玉川園刊の廃止は1969年だそうですから、早いもので今年で38年になります。そのころの玉電の様子、雰囲気が伝わってくるコメント、感謝です。この頃は、道路の状況は、すでに定時運行不能になって居たのですね。完全な廃線でなく、地下鉄道への発展的廃線ですから、喜ぶべき事かもしれません。しかし、反面、寂しいものですね。
 私も、廃線を二ヵ月後に控えた1969年の3月、乗りに、撮りに行きました。その時のルポはホームページに出してありますので、ご覧ください。服部様の書かれた、三軒茶屋~上馬間の専用軌道も、中里電停の写真が有ります。URLは下記。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link150a.html
サボの色までご記憶とは驚嘆です。大昔のサボはパタパタめくるタイプでしたね。
by む〜さん (2007-08-18 15:27) 

じろっち

江ノ電か横須賀線の写真はありませんか?
SM分離前の大船駅とか見てみたい。
by じろっち (2007-08-18 20:56) 

む〜さん

■ じろっち様: 横須賀線は意外と写しに行ってないのです。いわゆる70系ってのが余り好みではなかった所為もあるようです。
 横須賀線では、モハ43とかが好きでしたね。もう少し早く生まれていたら、モハ32が見られたと思うのですが・・・・・。モハ32は、飯田線とか、富士急で会っただけです。
 モハ43は、下記のページの下の方にあります。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link806shunkan.html

 大船駅の写真も、ホームページの、このページくらいです。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1211.html

 江ノ電も、いい写真は少ないですね。ホームページの方にあるのだけかなあ・・・・・。昭和37年のオリンパスペンで撮った、35ミリ・ハーフ判の画像が出て来たので、そのうちにブログで、鵠沼辺りの写真を、ご紹介します。

 ご要望に応えられず申し訳ありません。
by む〜さん (2007-08-18 22:00) 

じろっち

戸塚駅って、昔は柏尾川の前まででホームが終わりだったんですね!
今はガーター橋を跨いで大船寄りまでありますよ!

大船駅は、駅ビル新築時に巨大ジャングルジムになってました。
モノレールからJRに行く通路がパイプ組み通路になったので、スリル満点でしたよ。
京急バスの転車台もありました。

JR駅舎が地上から橋上になったのは、この前、の改修です。
どこかに写真無いかな?
by じろっち (2007-08-19 05:33) 

じろっち

前に書いた大船駅戸塚方面に残る旧規格の軌道(車窓からでは高架軌道に邪魔されて分かり難い)の謎が分かりました。
これは、住友電工専用線だった、とのこと。
線路際にある廃墟は、住友セメントとのこと。
もう列車が走ることは無いようです。

東海道線が藤沢方面に走る時に跨ぐ平面クロスは、横須賀貨物線(米軍燃料輸送か)とのこと。
田園踏切、横須賀線下り線の手前にあった。
今でも歩行者専用トンネル手前まで軌道があります。

根岸線に沿う高架線は、廃墟に見えるけど、月に数回逗子発茅ヶ崎行きのDLや団臨の回送が走るそうです。
by じろっち (2007-08-19 06:13) 

む〜さん

■ じろっち様: そういえば、大船駅はご無沙汰もいいところです。今度、江ノ電に行ったら、モノレールで大船駅に乗り込みましょう。お昼ご飯は『鯵押し寿司』か『サンドイッチ』でしょうか・・・・・大昔は、大船といえば、サンドイッチでしたね。何時の間にか、鯵押し寿司になっちゃっています。
by む〜さん (2007-08-20 20:26) 

じろっち

笠間口改札構内そばに、大船軒のそば屋が出来ましたよ。
スイカ・パスモで払えます。

休日の昼は、ホームで立ち売り(実際には座ってるけど)もやってます。

住友電工の軌道は、西口を出て、柏尾川沿いの歩道を戸塚方面に歩いていくと見えますよ。
旧式な細いレールです。
道床への固定も貧弱ですよ。
by じろっち (2007-08-20 21:17) 

む〜さん

■ じろっち様: 大船軒はお蕎麦屋さんもやってるんですね。大船軒の駅弁販売は、大船だけでなく、藤沢駅でも売ってますが、ほかに、販売している駅もあると思われます。何処かお分かりでしたら、お教えください。
by む〜さん (2007-08-20 21:32) 

じろっち

大船軒の西限は、茅ヶ崎みたいです。
茅ヶ崎駅改札脇に弁当屋が・南口階段脇にそば屋がありますよ。

平塚からは東華軒の縄張りになります。

茅ヶ崎のプライブリコ(焼却炉メーカー)の工場の線路際海岸側は、軌道脇が道路だし、茅ヶ崎駅進入のための減速があるので、撮影向きですよ。
徒歩圏内にジョナサンと31アイスクリームも有ります。
by じろっち (2007-08-21 05:24) 

む〜さん

■ じろっち様: 茅ヶ崎までが大船軒ですか・・・・相模川が境界線で・・・・。東の崎陽軒との境界は、戸塚(大船軒側)ですか?
 最近、駅弁、は百貨店で、崎陽軒の「しうまい弁当」を買うくらいかな。そのくらい遠くに出なくなりました。老い込む歳で無し、ここは、一丁、気合を入れて出かけなくてはなりませんね。
by む〜さん (2007-08-21 12:59) 

じろっち

江ノ電が全駅パスモ対応になったそうです。
江ノ電が出来たんだから、モノレールも出来ると思うんだが・・・

変身中の辻堂観察も、良いかも。
by じろっち (2007-08-21 20:38) 

じろっち

大船軒、ずいぶん手広く売ってるんですね。

http://www.ofunaken.co.jp/
これを見てください。
こんなにあっちこっちで売ってるとは思いませんでした。
by じろっち (2007-08-21 21:09) 

む〜さん

■ じろっち様: 江ノ電、PASMO化されましたね。簡易型のチェッカーがホームに立っています。世田谷線だってPASMOになりました。たしかに経費はかなり要するんだと思いますが、湘南モノレールさん、乗客に利便を第一に考えて欲しいですね。
 千葉のモノレール、今夜のTVニュースで写ってましたが、ここはPASMO化されたんでしょうか?先日乗った関東鉄道も未だだったし・・・・・。
 大船軒さんも頑張っているんですね。小田急新宿駅ホームは知ってましたが、まさか、小田急江ノ島線南林間駅にあるとは知りませんでした。
by む〜さん (2007-08-22 20:14) 

じろっち

鯵の押し寿司って、全国的に有名みたいだから、ファンが多いんでしょうね。

むかしむかし、九州行き急行が普通に運行されていた頃は、長距離切符を買うと駅弁案内をくれたみたいですね。
時刻表にも「弁」と案内があるし。
その中に大船軒も入っていたんでしょうね。
by じろっち (2007-08-22 21:17) 

む〜さん

■ じろっち様: 私は駅弁案内は貰った事がありません。もっとも、私が幼かった昭和20年代は、切符購入はもっぱら父親の役目でしたから、そんなことは教えてもらえなかったし・・・・・。
 駅弁が自由に買える様になったのは昭和30年代に入ってからだったような記憶があります。特殊弁当も、そのころ始まったみたいです。寿司とか、ウナギ弁当とか、シウマイ弁当とか・・・・。懐かしい話です。
by む〜さん (2007-08-22 22:57) 

じろっち

さいきんは立ち売りが無いし、列車の窓も185系以外は保安用窓しか開かないから、風情が無いですねえ。

私は103系の切妻部分と113系ボックスシートの窓を全開にして、走行風を楽しむのが好きでした。
窓から手を出すと(安全な範囲内ですよ)、空気抵抗の実験が出来ましたねえ。
今の子供は知らないんだろうなあ・・・
by じろっち (2007-08-23 20:44) 

む〜さん

■ じろっち様: 窓から出した手のひらの角度を変えると、上下への力を感じて嬉しかったのは、私も同様でした。普通列車の客車の窓からのお話です。トンネルが近づくと窓を閉めて防煙につとめ、トンネルを出ると窓を開く。子供の私がオトナのお役に立つことが出来て、嬉しかったなあ。
by む〜さん (2007-08-24 00:15) 

なにわ

>じろっちさん

神戸の淡路屋は、もともと福知山線の生瀬の弁当屋でしたが、神戸に進出、神戸、三宮、新神戸はおろか、大阪侵攻を計画し、結局梅田の阪神の地下に出店しています。天王寺は5年前に弁当屋が倒産し、空白状態(大阪の水了軒と吉野口の柳屋が売っています)なんで、JR直営店だらけの改札内に出店してほしいものです。
by なにわ (2007-08-24 19:18) 

む〜さん

■ なにわ様: 淡路屋さんにはそんなストーリーが有ったんですか・・・・知りませんでした。神戸駅の駅弁業者さんと思っておりました。いま、1976年ごろの、次男と一緒の野次喜多関西旅行のフィルムをスキャン&加工してますが、神戸駅のホームで、淡路屋さんの牛肉弁当(名称不確)を抱えた次男の写真がありました。例の、赤白市松模様の包装紙がちらりと写っています。
大阪駅の水了軒のお弁当も美味しいですね。
by む〜さん (2007-08-24 21:00) 

Capitano

デハ80のヘッドマークですが、

> 真ん中は、玉電の社章みたいですが・・・・・左側は電車らしいけれど形式不明、右は全然わかりません。肝心のホームベース形ヘッドマークの下の文字列と来ては、完全に読み取り不能。

左側は1灯時代の玉電80系の正面の顔、右は玉電の路線図が描かれています。路線図は路線により色分けされています。
ヘッドマーク下側の文字は東京急行電鉄株式会社と書かれています。
玉電の社紋の下にはデハ80形と書いてあります。
なお、玉電のサボの色は世田谷線(厳密には玉川線の支線ですが)は赤ですが、玉川線は白です。
by Capitano (2007-10-19 20:49) 

む〜さん

■ Capitano様: ヘッドマークとサボ色に付きコメント有難う御座います。デハ80なんですね、言われてみればそういう形に見えます。デハ80は素晴らしいデザインと思っています。4枚窓の半流線型を、あそこまでスマートにまとめるのは、たいした才能なんだろうなあと思っているのです。
by む〜さん (2007-10-20 00:00) 

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