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江ノ電1962年(2終) [小田急・江ノ電・箱根登山]

 今日は、20日にアップロードした「江ノ電1962年」1962年・昭和37年9月16日、友人たちと3人、江ノ電撮影会。その続編です。

 場所は、鵠沼の境川鉄橋、そして、よく判らないのですが、たぶん湘南海岸公園あたり・・・・・。

 まず、境川の鉄橋・・・・・・。

(1) 境川の鉄橋に、鵠沼駅を出た鎌倉行の352+302が差し掛かる。水面は静かで電車が綺麗に写りました。架線が出せないのは、カメラ性能、撮影技術、現像技術、スキャン、リタッチ、総合的未熟の結果と思われます。フィルム状態は最悪で、現在のスキャナでは再スキャン不可能。(泣)

(2) (1)の電車が境川鉄橋の次にある小さな鉄橋を渡ってゆきます。左が302、右が352。ポール集電と、ビューゲル集電は、進行方向が判りますね(笑)。ここは、現在、高架となり、線路の左右は住宅で埋まっています。

(3) 鵠沼側に行ってますね。あまり良い場所が無かったのか、この500形の写真が3駒ほどしかありません。前照灯などから、これは501の様ですが、藤沢行の電車が境川を渡って来ます。

 これ以降の写真は、湘南海岸公園駅付近と思われますが、完全記憶喪失で・・・・・。

(4)鎌倉行の354+304がやって来ます。この編成は、つい先ごろまで現役でしたが、私にとっては、なんだか中途半端なスタイルで、気に入りませんでした。これは、354。

(5) (4)を追いかけて写しています。304の側です。道床、枕木を見ると、この辺りの線路は、完全に歩道化していますね。まあ、昭和37年、のどかな時代ではありました。

(6) 302がやってきます。たぶん302+352と思われ、サボが全く判別不能ですが、302が先頭になってますので、藤沢行きではないかと・・・・・。(いま、右側の住宅のボットン便所の通気煙突に気付き、妙に懐かしかったです。いまでも、各所で見られるのに・・・・・)

(7) 鎌倉行の電車がやってきました。202を先頭に、202+201の2連です。

(8) (7)の後姿で、201です。

 スキャンしてあった、1962年の江ノ電画像は、これでお仕舞いです。もっと、あったかもしれませんが・・・・・。




  広告宣伝です。このブログの原点である「お出かけ通信:メール版のバックナンバー」、No.1~No.181のうち、2000.1.12:No.1 ~ 2002.10.30:No.113迄をホームページ「む~さんの鉄道風景」にアップロードしました。お暇な折にでも、下のアイコンをクリックしてご覧下さい
 昨日に続いての、宣伝広告、くどくって申し訳ありません。

では、また次回!!!


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manamana

まさに接写ですね。
今だったら怒られてしまうかも。
そういえば、線路を通らないと入れない家とか、
未だあるのでしょうか。
by manamana (2007-08-22 10:06) 

quatre-l

お!501がありますね。
私も14年後の昭和51年に501を撮影してます。
http://www.fuvic.com/photo/enoden7.html
稲村ヶ崎あたりの写真です。

その後30年以上乗ってませんが、今ではかなり雰囲気も変わってしまったんでしょうね。
by quatre-l (2007-08-22 17:21) 

む〜さん

■ manamana様: いま、振り返ってみると、あの頃は至極のんびりした時代でしたね。線路は歩道化し。、玄関が線路にしか面していない家も多かったですね。あの日、私たち一行は線路を歩いたりしたのです。今は、線路内に入る事もせず、至極、おとなしく電車を追っています。
 現在、線路に向かっての門のある家は、一軒、あるみたいです。線路以外から入れるかどうかは検証しておりませんが・・・・。
 稲村ガ崎あたりには、道路から線路を跨いで踏切無しの家も残っています。
■ quatre-l様: 501の写真、拝見しました。この頃は、すでにパンタ化されていますね。ポールをやめちゃったのは、黒澤 明監督の『天国と地獄』で、劇中人物から揶揄された所為ではないかと、本気で思ったものです(笑)。
 現在の江ノ電、ポールはパンタとなり、架線はカテナリ、当然、架線柱はがっしりしたものとなりました。『路面電車』風の雰囲気は減少し、今や『郊外電車』です。
 単線ですが、交換施設をフルに使って、運転本数も多い。待つほども無く次が来ます。腰越の併用軌道区間も家並みは新しくなりましたが、往年の雰囲気もあります。江ノ島駅から小田急の片瀬江ノ島駅に向かう道も、古い観光地の雰囲気が残っています。
是非とも、ご乗車にお越しください。
 このページにも、501の写真、出して有ります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link149a.html
by む〜さん (2007-08-22 19:40) 

じろっち

私の母の同僚は、江ノ電に轢かれて亡くなったそうです。
江ノ電に轢かれるなんて、祝砲の破片に当たって死ぬようなもんですねえ。
轢く方も轢かれる方も無警戒だった時代のお話です。
by じろっち (2007-08-22 21:23) 

む〜さん

■ じろっち様: お気の毒な事でした。道路を歩いているとき、車を運転しているとき、ふ~っと注意力が消えるときがあるんです。そんなときが危ないのですね。
 線路を歩くのが普通の時代でしたが、超有名人が、それで亡くなった事もありました。これからも、お互い、加害者、被害者にならないよう、注意しなくては・・・・と思いました。
by む〜さん (2007-08-22 22:53) 

HIRO

引き続き江ノ電の写真を見せてくださってありがとうございます。
少し斜めの架線の柱、一筋の長いトロリー線とポール、よく見るといろいろな当時のなつかしき姿がよみがえってきます。
集電方式がポールだとスピード出すと外れたりして、それが面白くて窓から首を出したりして眺めたり小さい頃の思い出が写真に一杯詰まっています。
そういえば302型は前面3つ窓の左右の窓は下降式だったんですね。
by HIRO (2007-08-23 11:43) 

じろっち

きょう、身延線に乗りました。
身延線は、沿線がのどかなのか、保安体制が甘いですねえ。
境界柵が無いとか、営業軌道を乗客が通るにも関わらず保安員の姿が無いとか・・・
車掌が乗らない列車もあるし。

特急ふじかわの富士~富士宮の特急料金¥310-ってのはGOODですが・・・

富士駅身延線ホームは、ずっと先に行くと貨物ホームになるんですねえ。
by じろっち (2007-08-23 20:37) 

む〜さん

■ HIRO様: ポール集電の電車は、私の若かった頃にでも少数派でした。関東では江ノ電と銚子、箱根登山小田原の市内線くらいしか乗ったことがありません。大雄山もポールでしたが乗ってない。関西へいったら、京阪の京津線とか、叡電、嵐電、能勢電と、路面系が健在でした。次々と、パンタに変わってゆきましたが、そんな場面に立ち会えたことも幸せだったと思います。
■ じろっち様: 身延線、沿線車窓風景がよろしいですね。特急料金がサービス価格なのは結構なことですね。こんど、全線乗ってみたいですね。八王子~甲府~富士~沼津~御殿場線経由で小田急か・・・・。
by む〜さん (2007-08-24 00:12) 

HIRO

ポール集電の思いではいろいろあります。
まず昭和16年仙台市電がそうでした。北仙台駅の終点で運転手か車掌がポールの紐を持って廻っていました。
その後東京都電は街の情景が面白く国電で行けば早く着くのにわざわざ品川駅ー上野駅①系統に乗ったり、阿佐ヶ谷の家に帰るのに秋葉原?-新宿駅、新宿西口ー荻窪の杉並線に乗ったりして帰っていました。最盛期の都電で?-小松川間だけは乗り損ないました。そういえばこの区間今川までトロリーバスが走って居ましたが乗られたことありますか。
一度都電で日本橋本町から三越前に左折する際脱線したことがありました。でも30分もしないうちに復旧しました。
サンフランシスコでは都電PCCカーを大きくしたような路面電車に出会えました。長~いポールと大都会の美しい夕焼けがとても印象的でした。
以上ポール集電にまつわる想い出をこの場を借りてさせていただきました。
by HIRO (2007-08-24 11:09) 

む〜さん

■ HIRO様: ポールは良いもんですね。乗務員さんは、特に雨の日や、夜間など、大変だったと思います。ポール回しは、大昔、昭和20年代前半に土佐電鉄で見た記憶が有ります。荒川方水路の向こう岸の都電は乗ったことがありません。木造単車の400形(自信なし)がひなびた風景の中を走る写真を見たことがあります。トロバス化して、上野から、亀戸経由で今井に至るトロリーバスがありましたね。このトロバスには、亀戸から先、乗っていません。
by む〜さん (2007-08-24 12:38) 

じろっち

先日起きた死傷事故を受けて、江ノ電沿線に多い軌道内生活道路に新たな安全対策をとることになったそうです。

たぶん外出時に軌道を通る必要のある世帯に、外出に適さない時間を示した文書を配ったり、門扉から直接軌道に出られないように柵を設置して、住民・運転手双方に「障害物接近中」を分かりやすくするんじゃないでしょうか。

東海道線開業で、寺院部分と墓地部分が分断された保土ヶ谷区内の寺院には、墓参に適さない時間帯が表示されています。
by じろっち (2007-09-01 06:08) 

む〜さん

■ じろっち様: 江ノ電の件、そんな事故があったんですか・・・・新聞の『版』が違う所為か知りませんでした。時代も変わって、いまや軌道敷内歩行は危険ですね。いまでも、100%軌道敷経由でしか入れない家って、あるのでしょうか?(踏切的に軌道横断ではなく、軌道を歩道代わりにという意味)江ノ島駅付近に、それらしい家はありますが、反対側に回って検証していません。
 保土ヶ谷のお寺の話。ちょっとした、茶飲み話の話題になりますね。どの辺りなんでしょう?
by む〜さん (2007-09-01 13:12) 

じろっち

江ノ電沿線は、軌道を通らないと外出できない人は少ないみたいですよ。

保土ヶ谷の分断されたお寺は、横横道路狩場IC付近の東海道線沿線にあります。

この辺りにガードがふたつありますが、どちらも明治時代築ですよ。

鉄道が分断してしまった街は意外と多いですね。
藤沢市内に多い「鵠沼○○」という地名も、鵠沼神明だけは東海道線の北側にあります。
by じろっち (2007-09-01 15:35) 

む〜さん

■ じろっち様: 軌道敷からだけしか入れない家、まだ絶滅はしていないんですね。お話としては、のどかで、面白いのですが、住民としては危険極まりないですね。
by む〜さん (2007-09-01 17:10) 

じろっち

名神高速道路が開通した頃も、時速80km/hが理解できていない国民が多かったので、本線横断があったようです。

当時は管理者側ものんびりしていたので、立ち入り禁止柵が無いところがあったようです。
by じろっち (2007-09-01 20:19) 

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