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長めの旅をしたいと思う事が-Ⅱ [国鉄1960年代]

 この7月23日、ネタ切れで煩悶した挙句、昔々、東海道本線が旅客輸送のメジャーであった時代、その起点の駅、東京駅で昭和35年1月に写した写真を、このブログで出しましたら、思ったよりも反響があったので、またもネタ切れしちゃった今朝、その続編で行こうと思ったわけです。

 前にも書きましたが、フィルムは既に大変形、縦方向に丸まって、細長い(長さは35ミリフィルム6駒分の)ストローみたいな棒状になって広げることも出来ません。それが、まだ、なんとも無かった頃、1,360DPIでスキャンしたデータが残してあるので、そのデータから・・・・・・。撮影ハードウエアは、ハーフ判オリンパスペンF3.5付。フィルムは何だったか忘れた。その頃好んで使っていた、フジのネオパンFだったかもしれません。

 長めの旅をしたいと思う事が-Ⅱ 

 1960年・昭和35年1月のある日「旅に触れたい」と東京駅に出掛けて行きました。家から、池上線で五反田、山手線で品川。ここから東海道本線の各駅停車客車列車で東京駅でした。

(1) 時計は11時25分、私は右側の列車、浜松発318列車で、11時22分、到着したようです。左側は荷物専用列車のようで、荷扱いも終わったのか、従業員さんたちがお掃除中

(2) 遠い時計はボケてますが11時30分のように見えます。(1)の写真を撮ったあと、すぐに来たみたいです。14番、15番ホームですね。当時、一番の花形ホームでした。もうじき、昼の各等特別急行列車『はと』が入るのでしょう。女性のお客さんに和服も多く見られましたが、男性にも和服の方が・・・・インヴァネス(とんび)を着た方も・・・・・。(内田百閒先生の『贋作・我輩はネコである』にインヴァネスを買うくだりがあり、あの辺りも、好きですね)

(3) お弁当屋さん

(4) 14番線12時00分発・名古屋行普通列車には、すでにお客さんが乗って発車を待っています。私の一番好きだった客車、スハ32のファミリーのスハフ32、ダブルルーフ版。

(5) 時計は11時55分。もう直、特別急行列車「はと」が入線する筈です。一等展望車のお客さんの、異人さんのグループ。赤帽さんも3人いて、いまホームに上がってきたところなのでしょう。

 過ぎた日の5枚の写真、ランダムに並べてみました。


   ・・・・・次の話題、また、『どんどん忘却度の進行している脳ミソ』を掻き回して、一生懸命探しますね。


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manamana

当時当たり前だった風俗が、
時間とともに、貴重になります。
赤帽さんとか、和服の人たちとか、
山盛りの駅弁とか。
そういえば、駅弁と一緒にお茶を買って
お湯を入れてもらったものでした。
リベットでぼちぼちの客車がかっこいいですね。
by manamana (2007-09-15 07:18) 

Fuzzy

昭和35年なんてつい先日と思っていましたが、この写真を見ると昔日の感ひとしおですね。
Wルーフのスハ32系まだ使っていたんですねえ。スハ32600といったほうが風情があるような・・・。私は、シングルルーフのものしか見たことありません。リベットがすばらしい。
18m車のオハ31系が東京近辺に姿を見せるということはこの当時あったのでしょうか?
by Fuzzy (2007-09-15 08:05) 

quatre-l

駅弁、みかん(冷凍じゃなさそうですね)、お茶(ポリ容器じゃない?)。
ハードウェアの写真はもちろん誰でも撮影するのですが、鉄道まわりのいわばソフトの部分は、なかなか撮りません。でも、そのあたりが面白かったり、実は好きだったのかもしれない、と最近感じます。

リベット打ち、ダブルルーフのスハフで、ほの暗い天井を見上げつつ夜汽車に揺られるなんていいなぁ~。
by quatre-l (2007-09-15 08:05) 

のり

(1)ホーム上屋を支える支柱が木ですね。なんとも懐かしい雰囲気です。
リベットだらけの車輌も最近見かけなくなりました。小窓の並んだスタイルも粋です。
特急がやってくるホームにいらっしゃるのは、大阪で言う「ええし(いわゆる上流階級のことでしょうか)」の皆さんでしょう。格好が違いますね。赤帽さんは、一度使ってみたかったと思っています。
by のり (2007-09-15 09:59) 

む〜さん

■ manamana様: 昭和35年と言えば鉄道は貨客輸送の花形、まして東京駅の14・15番線ならば、その中心地でありました。写っている人々は皆さんお出かけの正装で、着物姿の方も多かった。
 ダブルルーフ車や、リベット車も沢山働いておりました。時間がのんびりと流れていた時代でありました。
■ ファジー様: そ~なんですよ、昭和35年、晴れて社会人となり、あっという間の38年、定年退職の1999年だって昨日みたいです。その1960年、まだまだ、客車列車は健在でした。スハ32のファミリーの二重屋根車、大健在でありました。なるたけダブルルーフの車に乗るように心掛けたものです。
 17米のオハ30系は、流石に東京近辺では見かけなかったようですが、私の行動範囲は狭かったので、あてにはなりません。
 このころ、所用で高知に行ったのですが。構内にオハ30が留置されていて、大喜びしましたっけ・・・・・。
■ quatre-l様: まあ1月ですから『通常蜜柑』。お茶は、仰るとおり、瀬戸物急須でした。やっぱりお、ポリエチレンでは、旅を感じませんね。なお、蓋にお茶を注いで、お酒みたいにチビチビ飲んだものですね。
 スハフ32の車内風景は、このページにありますのでご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link1213.html
■ のり様: 東京駅のこのホームは柱が木でしたね。到着ホームでしたが、なんだか、発車ホームと違って、お客さんの滞在時間が短い所為か、粗末に扱われているんだなあと思ったものです。
 『ええし』ですか・・・・「良い衆」かしら・・・・?どうやら、米国辺りのセレブさんだったんでしょう。当時は、異人さんというと、みんなお金持ちに見えたものです。
by む〜さん (2007-09-15 19:44) 

じろっち

昭和30年代というより日本の鉄道は、新幹線誕生前後で大きく変わったんじゃないですか。
東海道新幹線が神奈川県内を東海道線と併走しないため、川崎から小田原にかけての風景はだいぶ変わったと思いますよ。

今日、自宅にあった昭和46年作の東京都の地図を見ました。
当時は都電が普通に走っていたんですねえ。
企業専用線もたくさん書かれていましたよ。
後楽園ゆうえんちが無かったのにはびっくりしました。
by じろっち (2007-09-15 20:42) 

む〜さん

■ じろっち様: 昭和40年前後から50年に掛けて、新幹線、高速道路、国道の整備、等々、色々な要素でがらりと変わりましたね。
 古い地図を見るのは楽しいものです。お手持ちの地図は国土地理院発行のものかと思います。今、ネットで見られる地図よりも、情報量が多く見ていて楽しいものです。ただ、反応が遅く、新しいものが反映されるのに時間が掛かります。それで、後楽園ゆうえんち(東京ドームシティアトラクションズ)が無かったり、都電がだいぶ残っていたりするのでしょう。都電も昭和42年以降、順次、廃止されてゆきましたね。最後の頃は、広告も無い寂しい車内でした。
by む〜さん (2007-09-15 21:40) 

HIRO

これはすごい写真ばかりです。
東京駅のホームが広々としていてなにもなかったのですね。
発車表示板、今はオレンジのデジタル式ですが、このころはがらがら廻るアナログ版でいつまでも下に立ってみていました。
男女の服装が当時をうかがえます。
駅弁はKIOSKで売ってる何十種類も泣く、せいぜい幕の内、おにぎり、稲荷、海苔巻きセットで素朴でした。
スハフ32系の列車、リベットが打ってあり、天井は明り取り、ダブルルーフのなつかしいいでたちです。窓が小さく、側に一杯食べ物を積み込んだこの写真、見てたら岩波文庫の「汽車」を思い出しました。
この本、何とかリメイク版を出してほしいものです。大切にしていたのですが、相次ぐ父の転勤で所在不明になりました。
特急はとを待つ外人のコート分厚く大きいです。
日本人もそうでしたし当時をものがったっていました。
いずれもこの写真秀逸版です。
by HIRO (2007-09-17 16:51) 

む〜さん

■ HIRO様: 岩波写真文庫は素晴らしいシリーズでした。写真は白黒ですが内容的にも充分でした。『汽車』『汽車の窓から』『都道府県シリーズ』・・・・いまでも『再』復刻されたら買いたいですね。古書店探せばありそうですが、高い事言われそうですね。
 1960年ぐらいまでの異人さんは、私には、皆さん、英語をしゃべる大金持ちに見えたものです。
 この『東京駅1960年』はまだ、もう一回分ほど画像が在りますので、後日、『エネルギーが貯まってきたら』出そうと思ってます。写真が5~6枚もあると、調査とか、加工とか、結構、時間食いますね。頑張りますっっ!!!
by む〜さん (2007-09-18 10:08) 

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