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第128回:総武流山電鉄一瞥 [お出かけ通信101~135]

 2007年10月22日・月曜日、千葉県はお醤油の街、野田市方面に、所用があって出かけてきました。お約束の時刻は、午前11時。
 それなのに、なんと目が覚めたのが4時。4時ですよ!4時。・・・・なんぼなんでも、早すぎっ!PC相手にブログの書き込みなんかやっているうちに5時になった。・・・・で、愛車、SUBARU/PLEOで出発。第三京浜の都筑ICから入って等々力、目黒の大鳥神社の前にあるファミレス・ロイヤルホスト目黒店に入ったのが、6時10分頃でありました。ここで朝食に致します・・・・・・・。

 お出かけ通信(128) 

 総武流山電鉄一瞥 

(1) ご注文は、フライエッグ膳・ドリンク付き740円。玉子は両面をしっかり焼く。食後は、ナンバープレイスなんかに数字を書き込みながら珈琲などすすりつつ、のんびりと時間を過ごす。

■ 一時間ほど、のんびりして愈々出発。一般道路を、目黒~恵比寿~霞町じゃあない西麻布~都電の7系統沿いに~青山一丁目~赤坂見附~半蔵門~英国大使館を左に都電10系統を偲び~竹橋~大手町~昭和通を~本町三丁目~浅草橋から駒形橋~向島から首都高に入りました。これだけのんびりしてたのに、流山市到着が、まだ9時前でありました。

(2) 早速、総武流山電鉄の流山駅へ・・・・が、あのあたり、コイン駐車場が見当たらない。仕方が無いので、駅の東側に回ってゆきました。この写真の右側の道を登ってゆくと広場があって、バス停もありました。・・・・が、改札口があるわけではなく、向こうに見える歩道橋を渡って、西側にある駅本屋まで歩かねばなりません。馬頭観音さまがありました。そしてフェンス越えに流山の駅が見えている。オレンジ色の電車が休憩中。

(3) ズームレンズを望遠側一杯にして、流山駅を引き寄せる。左側のオレンジ色の電車は、流星号と名づけられた、元・西武の3連の電車。右側のブルーの電車は青空号と名づけられた、元・西武。・・・・というか、ここの電車は、みんな元・西武なんですね。

(4) (2)(3)の写真の方向から振り返ると、JR連絡の馬橋駅方面なのですが、その馬橋から電車がやって来ました。黄色い電車の名は「なの花号」

(5) (4)の「なの花号」は流山駅に入って行きました。右の青いシートを敷いた土地は、どうやら高層マンションでも建つようです。

(6) (5)の坂道を上がりきったあたりからの流山駅の眺め。『流星号』と『なの花号』が居ます。

(7) こんどは、駅の西側、流山駅本屋のあるところへ車を回しました。狭い駅前広場は、タクシーが数台、お客さんを待っていました。売店もあって立派な駅です。中に入ると、左の方に、車庫とか工場がありました。

(8) 駅本屋の中に入ってゆきますと、出札口に自販機、駅員さんも居りました。この右の方に改札口があります。出札口の反対側の壁には、ささやかなウインドウがあって、この地の名産品が展示されておりました。この工場、たしか、マンジョウ本みりんだけじゃあなく、焼酎も製造して居る筈ですが記憶違いかもしれません。

(9) 発車時刻表・・・・これだけ列車があれば、とにかく駅まで来れば、たいして待たずに電車に乗れますね。

(10) ホームに入ってみました。流馬号という三連の電車が来ました。この電車の愛称は、何て読むのでしょう?『りゅうま』でしょうか『ながれうま』・・・(流山~馬橋なのでしょう)でしょうか・・・・。

 30分そこそこ、流山駅周辺で過ごして、次の目的地、野田市方面へ向かったのです。次回には、自家用車は利用せず、ちゃんとJR常磐線・馬橋駅から、流山駅まで来るようにしましょう。そんな風に思いました。

 私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に、昭和37年の流山電鉄の写真が3枚ありますので、ご覧下さい。URLは下記。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link815shunkan.html


 ・・・・で、今日の写真なのですが、今回撮影に使った、デジカメ「Canon Power Shot G-9」の設定をミスしてしまい、ド派手な、ハイコントラストな画像になってしまいました。『あざやかカラー』って設定があって、コントラストと、色の濃さが強調されます。フラットな画面になりがちな、曇天、雨天の時には有効なのですが、今回のような快晴の時には少々やり過ぎって感じになります。注意せねばなりません。新しいカメラは、いつも、こんな風に『失敗からスタート』です。

 では、今日はこれまで!また、次回!


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コメント 14

緑の恵比寿

そういえば、時刻表と運賃表も西武線の流用ですね。
西武多摩川線の新小金井と雰囲気が似ているような。
by 緑の恵比寿 (2007-10-24 23:47) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: 西武ってこんなフォーマットなんですか・・・・。先だって、西武新宿~高田馬場、乗りましたが全く記憶に残ってません。やっぱり、これって、『歳』ってヤツなんでしょう。
by む〜さん (2007-10-24 23:51) 

緑の恵比寿

多摩川線は、こんな感じでした。昔は。
レールファンの視線ではなく、通学客の視線です。
32年くらい前の。記憶でなくただの「慣れ」です。
by 緑の恵比寿 (2007-10-25 00:00) 

む〜さん

■ 緑の恵比寿様: そう、西武多摩川線、先日雄ブログで書きましたが、国分寺~多磨墓地前くらいしか乗ってませんし、その区間だって、ここ何十年も乗ってない。是政まで乗りに行かねばならんなあと思うのですが・・・・なかなか実現しません。
by む〜さん (2007-10-25 00:03) 

HIRO

おはようございました。流電楽しみにしていました。
馬橋から流山までの単線区間ですが緑の多い平野を走ります。
昔はさらに野田方面さらに茨城県まで延伸計画があったそうですが。
松戸にいて休日には流電を楽しんだものです。
電車のニックネームが流星、流馬とユニークです。
電車は昔から西武のお古でしたが、以前はつりかけ式、今はつい最近まで走っていた西武の車輌で近代化されました。
一時、常磐線に乗り入れ上野まで行く計画がありましたがつくばエクスプレスも開通、今では盲腸路線的ですね。
終点流山の構内に車庫があり、古いオレンジ色の車輌があるようですが。
by HIRO (2007-10-25 00:04) 

む〜さん

■ HIRO様: 車庫にある古いオレンジ色の電車って、元南武の電車かしら・・・・気が付きませんでした。もしそうなら、これは嬉しいお話ですので、調べてみます。
by む〜さん (2007-10-25 00:15) 

manamana

西武線ワールドですね。
中部地方にも、三岐鉄道には、もと西武の701や801に混じって、切妻の2両編成なんかも走って(うち1編成はつり掛け非冷房!)西武線ワールドしています。
by manamana (2007-10-25 07:35) 

HIRO

む~さま、たしかそうだったと思います。
松戸に住んでいたといってももう18年ほど前のことで、うちの娘が
ヤマハのエレクトーンコンクールが開かれたときにたまたま乗りました、走るっていうか、車庫にいることが多く、大正時代の車輌ではないでしょうか。
その当時は車輌工場名が梅鉢製作所とか書かれていましたっけ。
コンプレッサーが床、足元まで響き、ガラスまで振動、甲高い息切れしそうな走行音、ノッチが0になると、今度はタタッタタ、タタンと走り、連結部分にいるとギシギシ揺れて隣の車輌との緩やかな上下運動、こんなことを連想すると時代の特徴が掴めますね。
by HIRO (2007-10-25 08:48) 

じろっち

石仏などはもともとそこにあったわけではなく、移設されたんでしょうね。

旧大船工場引込み線踏み切りの遮断棒が7月に抜かれて以来何も動きがありませんでしたが、本日昼間に遮断機を撤去したようで、なんだか昔の踏み切りのような風景になりました。
いよいよ鉄道敷地から道路へ登記内容を変更かな?
この登記が完了すると、踏切前一時停止の義務が無くなるそうです。

工場廃止以降もずっと残されていたので、小田急に賃貸か?と思ってたんですがね。
ロマンスカーかまくら誕生を期待していました・・・
by じろっち (2007-10-25 21:55) 

む〜さん

■ manamana様: そうそう、三岐鉄道も西武、多かったですね。あとは近江鉄道ですか。
■ HIRO様: 梅鉢・・・・懐かしい響きですね。藤永田造船所とかも懐かしいです。私は、昭和34年以来、流山には乗ってないのですよ。見るだけで・・・・。こんど、乗りに行ってきますが、沿線、住宅だらけのようで・・・・。
■ じろっち様: 馬頭観音さまは、たしかのあの近辺のものを、宅地開発で、ここにまとめて祀られたのでしょう。馬が大事な、交通・動力手段、だった頃のものなのでしょう。家畜とともに生きた昔の人々の心を感じます。
大船の辺りも変わって行きますね。そういう時代なのでしょう。
by む〜さん (2007-10-25 23:52) 

HIRO

む~さま、ありがとうございます。同じ思いの方がいて。
梅鉢という名前が、また藤永田、両方とも小さな工場で職人気質の人がこつこつやってきたイメージが浮かびます。
その当時は造船所も作っていたのですね。
まっとも日立車両は、日立造船下松工場がありますし、梅鉢、藤永田のその先は今の企業に統合されて今日の日本・日立・東急・
アルナ工機などになってるのか、もうないのかわかりませんが系統図として調べるのも面白いと思いました。
by HIRO (2007-10-26 10:15) 

む〜さん

■ HIRO様: こういう鉄道車両の製造会社の移り変わりについては、研究されておられる方も多いと思います。ネットで調べたら出てくるかもしれません。
木南車両、帝国車両、汽車製造・・・・・懐かしい会社になってしまいました。
by む〜さん (2007-10-26 10:52) 

のり

梅鉢・藤永田ともに、大阪には縁のある車輌会社です。
梅鉢は、あの南海大阪軌道線の名車「モ101」を手がけるなど、南海には縁が深いようです。
梅鉢→帝国車輌→東急車輌になったようです。
藤永田も、大阪市電の名車「1601」などがあります。現在は、三井造船になっているとのことです。
by のり (2007-10-26 12:35) 

む〜さん

■ のり様: 梅鉢~帝国車両~東急車輛でしたね。南海モ101、大阪市1601・・・・のり様のコメントを読んでいたら大阪に行きたいという気持ちが、さらに強まりました。デジカメも買ったし、あとは、○○○さえあれば即時決行ですね。然し然し・・・・・そっちの用意は大変でして・・・・・。(笑)
by む〜さん (2007-10-26 21:41) 

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