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横浜市電1969年(2) [関東の私鉄と公営鉄道]

 毎度、当ブログにお越し頂き有難う御座います。銀杏の樹もだいぶ黄色の葉が落ちて、向こうが透けて見えるようになりました。歩道は黄色の一色、いよいよ、冬本番です。なんたって12月だもんね・・・・・寒いわけだ。
 昨日に引き続き、1969年・昭和44年6月29日・日曜日に訪問した、横浜市電のお話。

 そういうわけで、市電の東の端っこ、洲崎神社前での撮影を終えて、恐らく、7系統の八幡橋行の1300形に乗りまして、国道一号線を浜松町交差点で左折、藤棚、山越えをして、黄金町から阪東橋に至る線の山越えの頂上・・・・・久保山の電停で降りました。ここには、コンクリートアーチの霞橋がかかり、大昔の煉瓦塀などの残る写真向きの、良い場所です。

 ヨコハマ市電1969年(2)久保山 

 そういう事で、久保山までやって来ました。上には霞橋が架かっています。その上からの眺めです。

(1) 目の下の久保山電停。浜松町から横浜駅前方面、洲崎神社に至る方向の電停に電車が到着

(2) この先、境ノ谷、藤棚から浜松町に至ります。二両の電車のナンバーは読めません。1300形ですけれど・・・・。

(3) 久保山の電停に7系統八幡橋行1308の到着です。子供を抱っこした親の姿が三人も見えます。安全地帯が狭く、車も多い所為でしょう。(1)の写真にも写っています。

(4) 霞橋の上から久保山の電停を見る。ちゃんとした屋根のある、待合所があります。阪堺電車の住吉交差点の待合所を思い出します。階段の赤煉瓦の壁、古めかしい門柱は、霞橋に登る為のもので、現存するとの事、一安心。

(5) 霞橋から、黄金町方向に歩き出しました。振り返れば。洲崎神社行の1301

(6) ちょっと、黄金町・坂東橋方向に歩いて次の停留所、霞ヶ丘が見えるところまで来ました。電車の後方、軌道敷内に入った自動車の後ろに霞ヶ丘の電停が見えています。

(7) また、霞橋の上に戻ってきました。南東方向、黄金町方面を見ています。電車の1300形の番号はフィルムからは読み取れません。

(8) 霞橋下の久保山電停に7系統、洲崎神社前(方向幕は洲崎神社)行が到着しました。1300形の1303。

(9) 乗降も終わり、1303が出発します。スバル1000(欲しかったけれど・・・・軽になっちゃった)が懐かしい。


 

  久保山電停編はこれでお仕舞いです。何処を如何通ったかは忘れちゃいましたが、ともかく、フィルムの、この後の駒は洪福寺前電停のシーンになっています。

 続きは、また次回に・・・・・・。


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コメント 10

quatre-l

路面電車の走る街、いいですねぇ~。通り過ぎる音がとにかく心地よい。騒音と感じられないのは、なぜかしら、、、。

昨日、「続・三丁目の夕日」を観てまいりました。全編にBGMとして都電の音が流れていて昭和にハマれます。この映画、む~さんには絶対にお勧めだと思います。以前お話した「都電の色」も黄色になる前ですから、、、。日本橋の上空に高速道路がない光景+緑塗装の都電が再現されてます。一作めを観てないと小さなエピソードが分からないところもありますけれど、よくぞ創ってくれたCGは鑑賞の価値があると思います。飛行機も出るし、、、。
by quatre-l (2007-12-04 10:56) 

のり

数年前に、NHK「みんなのうた」で、「道」という曲が流れていたのを思い出しました。想い出という道程を「路面電車」がたどってゆくようなイメージのアニメーションだったと思います。運転している若者がとても素敵でした。
むーさん様の写真を見て、ふと思い出してしまいました。
by のり (2007-12-04 11:38) 

はーさん

横浜市電は6大都市の市電、都電の中では、単車がたくさんあり、かつ、大阪市電1700形とほぼ同じ大型ボギー車1300形も走っており、車両は変化に富んでおりました。
横浜版PCCといわれた1500形もおりました。ゲージも1435mmで、都電とは雰囲気が大きく変わっておりました。
横浜で生を受けたこともあり、愛着がありました。しかし、むーさんが撮られた時期には全く撮っていないのです。
今になっては残念な感じもありますが、色がブルーとクリームのツートンカラーから、クリームとブルーの帯になってしまったのを嫌ったのも一因と思います。都電のクリームとエンジの帯も好きではありませんでしたが、横浜市電のこの色はなにかぱっとしませんでした。色が変わり始めた1960年(昭和35年)になけなしの金を
はたいて、カラースライドで、旧塗色の横浜市電を撮り、これで、好きな横浜市電のメモリーを留めたのかも知れません。多くはありませんがこの画像は小生のホームページに載せてありますので、御気に召しましたらご覧願います。
by はーさん (2007-12-04 17:24) 

manamana

坂とカーブでいい感じの所ですね。
いまは、どんな無機質な所になっていることでしょう。
ところで昭和44年と言えば小学生でした。
当時は東京都下にいましたが、
車とか服装とか髪型とか、
なんだか懐かしいなぁ。
by manamana (2007-12-04 22:01) 

む〜さん

■ quatre-l様: 西岸良平さんのマンガは懐かしムードの予定調和って感じで嫌いではありませんが、好きでもありませんでした。TVで一作目を見ましたが、原作をなぞった感じではなく好感もてました。こんどのは、CGもなかなか良さそうですね。機会があったら見てみたいなあとも思っています。
■ のり様: みんなの歌、気がつきませんでした。横浜市民だったくせに、市電を殆ど写していなかった事を、今更ながら悔やんでいます。身近すぎるものって意外と写しませんね。最近は、食傷気味の小田急ですが、せっせと写しております。
■ はーさん様: 横浜市電は私が横浜に住むようになった頃、昭和36年あたりまでは、下半分が紺、上がクリームの塗り分けで、非常に良かったのですが、東京辺りと一緒にクリームボディに帯になりました。見慣れていた所為か、殆どの形式に似合いませんでした。
はーさん様のホームページの写真を拝見して、やっぱり、ハマ市電の色は二色塗り分け時代が良いなあと思いますね。桜木町~本町~日本大通への道は建物も重厚で、素敵な通りでした。私は、二年ですがヨコハマ市民だったし、いつでも行けると思っていたので、一枚も撮っておりません。悔しいお話です。
■ manamana様: ヨコハマ市電には何箇所かの峠越え区間がありました。平沼から伊勢町~日ノ出町、浜松町から久保山~坂東橋、保土ヶ谷から井土ヶ谷、そして片勾配ですが山元町。いいシーンがたくさんありました。麦田の山はトンネルだったし・・・。
by む〜さん (2007-12-05 10:07) 

Kow

はじめまして。
「横浜市電 平沼」で検索してたどり着きました。
私は、1969年5月25日に横浜で生まれました。
そうです、この写真の1ヶ月前ですね。
横浜市電は私が3歳の時に全廃してしまったので、母親の話でしか知りません。
横浜市電の写真が見れてとても嬉しかったです。
by Kow (2012-09-09 15:17) 

む〜さん

■■ Kow様:
 横浜の方なのですね。私は、昭和36年から、たったの二年間ですが、横浜市民だった事があるのです。たった二年では、森鴎外作詞の市歌も歌えませんけれど。ちょうど、飛鳥田一雄さんが市長になった頃です。昭和36年といえば、市電の路線は、ネットのように市内を縦横に走り、ブルーとクリーム色の電車が走り回っていました。
 横浜市電の、こんなアルバムもありますのでご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link136.html
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link115-hama.html
by む〜さん (2012-09-10 20:35) 

Kow

他の写真もありがとうございます。
写真を見ていると、写真の場所を見に行ってみたくなりますね。
by Kow (2012-11-04 21:06) 

Kow

他の横浜の写真、ありがとうございます。
親に、昔は平沼も路面電車が走っていたと聞いた時は、本が出てないかと本屋を探したことがあります(見つかりませんでしたが)。
生まれは保土ヶ谷の仏向町なのですが、そこにはトロリーバスが走っていたと聞いた時も、写真を撮っててくれればなぁと親を恨みました(嘘です(笑))。
by Kow (2012-11-04 21:09) 

む〜さん

■■ Kow様:
 横浜のトロリーバスは環状運行で横浜駅西口から、反町~三ツ沢~和田町~洪福寺~浅間下~横浜駅西口でした。かなり前のブログ上に写真を出してありますのでご覧下さい。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2007-12-06
トロリーバスの車両は4枚折り戸でなかなかスマートでした。
by む〜さん (2012-11-04 23:02) 

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