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たった一枚、相鉄横浜駅1959年 [関東の私鉄と公営鉄道]


 毎度!!お早う御座います。何時もの電車汽車大好きお爺さん(笑)、む~さんです。今朝は、目が覚めたのが、なんと6時50分、破天荒な遅い時刻でありました。昨日も昼寝1時間、就寝12時半過ぎだったのに如何したのでしょう。まあ、いいですが・・・・・。

 今日は、昨日のブログ記事、1959年・昭和34年9月のある日、『京浜急行で横浜入り』したあと、『横浜市営トロリーバス』との間に写した、たった一枚の相模鉄道横浜駅です。

 相模鉄道横浜駅1959年9月 

 快速の京浜急行の特急の先頭車、デハ702で快速ぶりを堪能して、川崎から横浜入りした私は、トロリーバスに乗る前、一寸だけ相模鉄道の横浜駅を覗いたのです。ホームにも入らず、改札口から覗いただけ・・・・・そう、改札口からホームが見渡せますから・・・・・。

(1) これが、1959年9月の相模鉄道横浜駅。時計が写っていないので、何時だかわかりませんが、朝の9時ごろに家を出ており、トロリーバスの車内の時計が10時52分だったので10時半まえ頃でしょうか・・・・今回のツアーの周回コースなど、なんだか計算が合わない感じですが、まあ、大目に見てください。電車は左が2000、右が5000です。
 露出計を読み違えたのか極度の露出過度、オマケにカメラぶれ。フォトショップと格闘して、まあ、なんとかここまで加工出来ましたが・・・・。

(2) 沿線案内・路線図辺りを拡大、画像をいじってみましたが、原版が原版なので、こんなもんです。シキボウのマーメイドは、堀江謙一さんの太平洋横断(1962年)でしたね。


(3) (2)の写真の左上の部分に大書してありますように、近々、開店の横浜高島屋です。横浜駅西口を出て左へ、商店の並ぶアーケード(1959年当時あったかなあ?1961年には確実にありましたが・・・・)を抜けたところが、相鉄ジョイナス( 公募当選の命名者の意図はjoin-usだそうですが・・・・つまんない事は覚えています・・・・笑 )で、その前から右方向を見ると高島屋の裏手なのです。
 お!真ん中のクルマはオート三輪、足早に横切る女性は着物姿。

 このあと、トロリーバスに乗ることになった筈です。横浜駅の西口は、どんどん開発発展の真っ最中。以前は倉庫とか、なんだか荒涼とした場所だった気がしますが・・・・・。


 今日は、これっぽっちでお仕舞いです。次回は、まあ、いろいろ考えては居ますので・・・・何とかなるだろうと思います。


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コメント 8

服部光之

1枚目の写真の右端の紳士の姿何ですが、時代を感じますね。
あの当時、こういういでたちの紳士って多かったような気がします。
私の好きな行き止まりのホーム、終着駅と思わせるいい光景です。
上野駅の地上ホーム、好きだったなあ。
相鉄はまったく縁がありませんで、申し訳ありません。
by 服部光之 (2007-12-09 14:16) 

quatre-l

友人のデザイナーと仕事してますが、デザインってのは面白いですね。高島屋のロゴ、現代でもまったく経年を感じさせません。資生堂なんかも昔の東京の写真を見てると時々登場しますが、そこだけ時間が止まってる。
一緒に仕事してるデザイナーは元G×デザインで、あの会社、私が毎日乗ってるE231系や富山のLRTなんかも手がけてます。こちらのデザインはいくら素晴らしくても確実に歳を取っていく。それでも一流のデザインは、存在感があるものですけれど。

この3枚の写真が同日に撮影されたというのが不思議に感じられるほど高島屋だけ超モダンですね。
by quatre-l (2007-12-09 19:40) 

ぽんた

これが相鉄の横浜駅ですか!!!
わ~わ~すごい!
でもなんとなく今のホームと雰囲気とかありますよね。
高島屋が開店!すごいです!
オート三輪!これが伝説のオート三輪ですか!
「相模松竹」もレトロ~!
by ぽんた (2007-12-09 20:41) 

大番鉄道

高島屋のロゴもいろいろあって、このマークは社員の間では「ハシゴ高」マークと呼ばれているらしいです。言い得て妙ですね。私には何かモダンなようなレトロなような不思議な書体にみえます。
by 大番鉄道 (2007-12-09 22:10) 

じろっち

開店した頃の高島屋ですか!
初めて見ました。

この辺りはカルテックスの燃料タンクや朝鮮から戻されたジープの駐車場だったそうですね。
by じろっち (2007-12-09 22:25) 

manamana

5000系、光ってますね。
新鋭の電車も2両編成、
いまの10両なんて想像できません。
by manamana (2007-12-09 22:52) 

モハメイドペーパー楠居

 2000系はグリーンとクリームの塗り分けですね。ちょっとその頃の都電と似た色調でした。
by モハメイドペーパー楠居 (2007-12-09 23:57) 

む〜さん

■ 服部光之様: まあ、何と言うか、昭和30年代の男性ファッションというか、会社員スタイルですね。
 当時の相模鉄道は、かなりマイナーで本数も少ないし、連結数も少ない鉄道でした。いかにも、駅の裏手みたいな場所から出ておりました。それが、如何でしょう!今では10連の20m車が頻繁に走る、大通勤路線です。
■ quatre-l様: なにしろ、横浜に高島屋がやってくる!しかも、未来の盛り場を目指して、横浜西口。昭和36年ごろ、新婚の私たちは時々覗きに行ったものです。駅ビルとか、相鉄ジョイナスなども絡めて、行ったものです。明るく新鮮な感じでありました。もちろん伊勢佐木町・中華街と、半々ぐらいの頻度で行きました。
■ ぽんた様: そ~なんですよ、ここが相鉄のヨコハマ!でした。田舎電車のターミナルって感じでしたが、このあと、どんどん、どんどん発展して、今の相模鉄道です。驚異の大躍進。
■ 大番鉄道様: 『ハシゴ高』ですか・・・・う~ん、ぴったりの表現ですね。老舗の貫禄ってところでしょうか。
■ じろっち様: 昭和30年代前半の横浜駅西口って、夜は怖いという印象があって、昼間であっても出たことがありません。気が付いた時には、繁華街と化していました。
■ manamana様: ねっ!想像できないでしょう?!20mになった6000型も野暮ったいスタイルでしたが、大型化へのパイオニアだったんですね。
■ モハメイドペーパー楠居様: 相鉄の色、5000形になってグリーンが濃緑色になりましたが、2000の緑色は、白っぽい中間色的な、パステルっぽい緑色でありました。
 都電も、廃止時の黄色っぽいクリームに赤帯、の前は、鮮やかな緑に、クリームのツートンカラー。7000なんか一時的にですが、京成みたいな雰囲気の緑の濃淡に塗られたのもありました。
by む〜さん (2007-12-10 15:08) 

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