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一寸お出掛け1959年9月(1) [関東の私鉄と公営鉄道]


 昨日、月曜日は、電車でのお出掛けはありませんでした。雑用が多かったので、町田市内を駆け回っていたのです。そんな訳で、昔写真を御覧下さい。

■ 1959年・昭和34年の9月のある日、先の京浜急行&ヨコハマ無軌条電車の日とは別の日の事です。ぶらりとお出掛けしました。大学4年生ですから、暇な時間があったんでしょう。

 一寸お出掛け1959年9月 

(1) この日は、蒲田で国鉄を少し写して、その後、鶴見線の浅野駅まで行こうと思ったようです。海芝浦方面への分岐駅は、カーブしたホームがあるので、足元が少々危険・・・・って、訳なのでしょう、国鉄では、安全なカーブ駅ホームの開発をやっていたようで、そのテストケースとして、なにやら工事が行われたと、小耳に挟んだようです。
 最寄り駅の東京急行電鉄池上線御嶽山駅から蒲田へ向かいました。入ってきたのは、当時、お気に入りの形式、デハ3450形の後期の車両で3496。屋根がとんがった感じで、しかも仕上がりが非常にすっきりしていると、思っていました。本当は、非貫通なのですが、この貫通幌つきも棄てがたい。

 バック、左側、奥に見えるの松は、御嶽山といわれる御嶽神社(おんたけじんじゃ)の境内にある樹です。幼い私がしょっちゅう遊んでいた場所で、現在でも、当時の面影が沢山残っております。
 御嶽山駅には、今では、無くなってしまいましたが、構内踏切があり、踏切には警手さんが居ました。いまは、ホームの蒲田寄りの下は、新幹線とスカ線・湘南新宿ラインが頻繁に行き来していますが、当時は、貨物線の品鶴線と呼ばれ、EF13、EF15、EH10が長い貨物列車を牽いて通りました。

 この電車に乗ったのでしょう、蒲田へ行き、撮った国鉄写真は、次回にお目に掛けます。


 今日の昔写真は、都合で一枚っきりでしたので、「オマケ写真」です。昨日、12月10日、町田市内の、とある川で見かけました。ここには、かなり以前から、オシドリが出没しており、自分よりでかいカルガモを脅かしながら威張っていました。昨日も、居ましたので、たまたま持っていたデジカメで写したのですが、矢張り鳥写真はキャノンG9の200mm相当では、不足ですね。こういうとき、望遠コンバージョンレンズが欲しいなあ!

(2) 件の鴛鴦(凄い字です・・・・書けません・・・・笑)です。オスは一羽っきりですが。メスは、私の知識では同定不能。この中に居るのでしょう。私にはカルガモと区別がつけられないのです。一番手前の小柄なヤツがメスなのかもしれません。

(3) 関西のお笑い系、「アヒル艦隊」と言うグループがありますが、そんな名を思い出しました。最近TVで遭遇した事が無いのですが、お元気なのでしょうか。

(4) どうも、この左に居るのが、位置的に(笑)、オシドリのメスだと思うんですが・・・・・・。

(5) そして、これは、オマケのオマケ。川の近くのブロッコリー畑で見かけた菜の花。蕾の部分は未だ食べられる、かも知れません。硬いかな?なかなか、綺麗。


 明日は、今日の続きで、蒲田駅の東京寄りで写した東海道本線ほかの、ホームページ公開済み画像で、少々気が引けますが・・・・・。


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HIRO

御嶽山の駅のある東急五反田線は、新幹線、貨物線(湘南新宿ライナー)、横須賀線の車窓から気をつけてみると頭上を越えているのが確認できます
このあたりは深い掘割式ですから珍しいです、新幹線は大抵私鉄の上を越えていますが。
川にやってくるおし鳥とかカルガモは遠く大陸から寒さを著家手やってくるのでしょうか、こういうところにも身近な冬を感じますね。
by HIRO (2007-12-11 15:40) 

じろっち

大崎駅の品川寄りからも新幹線と横須賀線が見えますね。
湘南新宿ラインの待ち時間が長い時に「あ、500系だ」なんて感じで眺めています。

それにしても大崎界隈は変わりましたねえ。
そのうち旧三共の跡地にも何か出来るんでしょうね。
駅もまた変わるかな?

横浜駅のホーム上部には人口地盤ができ、東西を繋ぐそうです。
JR駅全体の屋根にもなるかな?
(横浜駅はいつも何かの工事をしているので、日本のサグラダファミリアと呼ばれています・・・)
by じろっち (2007-12-11 21:44) 

のり

踏切警手さん、本当に見かけなくなりましたね。かつては、ほとんどの踏切に居られました。路面電車である南海の大阪軌道線にも、専用軌道の主な踏切には踏切警手さんが居て、番小屋がありました。懐かしいです。
by のり (2007-12-11 21:59) 

mymeな大家

こんばんは。
3450懐かしいですね。東急の中でも好きな方です。
構内にある踏み切り、私の住んでいた下丸子にもありました。
目蒲線、池上線にある典型的な駅の形ですね。
いやー、3450は3500ほどではありませんけれど、美しいです。
ありがとうございました。
by mymeな大家 (2007-12-12 03:00) 

manamana

構内踏切、私鉄らしい光景ですね。
子供の頃は、京王線、井の頭線、中央線あたりに乗る機会が多かったのですが、
構内踏切は、京王線や井の頭線では当たり前でした。
中には、踏切を渡ると、
島式ホームに上がる前に小さな駅舎があって、
そこで切符を買ってからホームに上がる駅もありました。
上北沢がそうだったかな。
by manamana (2007-12-12 09:09) 

む〜さん

■ HIRO様: 東急池上線・・・・私の育ての母親でしょうね。父親は国鉄品鶴線。(笑)まあ、そんな訳で、幼い時から御馴染みの池上線です。デハ3100やデハ3200など、運転台の後ろには、琺瑯だったか真鍮だったか忘れたけれど、H型(というかキの字を横倒しにしたような仕切りで隔てられただけの電車で育ちました。混んでいて外が見られないときは、天井の丸い伝統のグローブを見上げると、魚眼レンズというかカーブミラーのように窓外の風景が流れました。
■ じろっち様: そういえば、湘南新宿ラインで鶴見側から山手貨物線(ついつい言ってしまいます)に入れる様になってから大崎駅に降りていません。えっ!あの目黒川縁の三共さんの建物、なくなっちゃったんですか。う~ん、御馴染みの風景だったので、寂しいなあ
■ のり様: 踏切警手といえば、阪神電車。昼は白旗、夜は信号灯を揺らして、踏切が閉めてある事を運転士に知らせていました。あまりの踏切の多さに、前方の眺めが賑やかだったです。高校時代、もう、50年以上昔のお話です。
■ mymeな大家様: デハ3450・・・・東急を代表する電車だと思っています。しかし、3000番台の電車は皆、懐かしい思い出の電車です。いつぞや、雑誌で3000系なんてくくられていて、心の中で憤っていました。(国鉄雑形でくくられる客車たちも同様)。
3010、3020、3040、3100、3150、3200、3300、3400、3500、・・・・・・・3800までの吊り掛け車たち、みんな素晴らしいお友達でした。いまの高性能車たちも良いのですが、そんな車両たちとお付き合いできて、いい時代を過ごさせていただきました。3500といえば、一時は目蒲線の顔でしたね。
昭和30年の東急の電車たちのページです。下記URLから御覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link101-tokyu5504.html
小さい画像ですが、ずらりと出してあります。このページ、現在は、高速回線の時代ですから、大型画像でリニューアルせねばなりませんね。
by む〜さん (2007-12-12 09:10) 

む〜さん

■ manamana様: 郊外電車では構内踏み切りは当たり前の風景でした。仰るとおり、島式ホームで一般踏切を渡って駅舎があり切符を買ってホームに入る、東急で言えば、都立大学、尾山台、雪が谷大塚など、沢山ありました。懐かしい、風景です。
 構内踏み切りは、以前、デハ700引退との事で京浜急行の大師線に行きましたが、この線区には何箇所かの構内踏切があり、懐かしい気持ちになりました。まだ、あると思います。
by む〜さん (2007-12-12 10:51) 

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